苛々、している。
それは認める。
焦っている。
それも認める。
――だから、頼むから。
これ以上こういう感情を増加させるような事態を、目の前に持ってくるんじゃねえ。
そのときの、それが、リューグの脳裏をよぎった感想、もとい苛立ちだった。
……と、いうのも、だ。
さきほどまでの話で疲れた様子を見せていたアメルに気晴らしをさせようと、双子は、揃って彼女を連れ出した。
仮にも王都なのだから、とりあえずはそこらのごろつき以外に心配することはないだろうと見切りをつけてのことだ。
そう。
今自分たちがここにいるのは、あくまで、気分回復のためであるはずだ。
なのに。何故。なんだって。
「……ここで逢ったのも何かの縁か?」
なんだって。
この金髪のいけすかない槍使いが、ここにいるんだ。
どうやら偵察の途中らしく(隊長クラスが気軽にほいほい出てくるな)、軽装ではあるものの、しっかり、三つ折の槍を携えている。
どこかしら呆れた響きでもって告げた後、それを音もなく抜き放ち、こちらに真っ直ぐ突きつけて、
「聖女を渡してもらおうか」
聞き飽きたセリフを、そいつは云った。
「渡すわけがないだろう?」
こちらも云い飽きた返事らしく、ロッカの顔はかなりうんざりしたものになっている。
それはリューグも同じこと。
だけど、うんざりしているのは、そればかりにじゃない。
何も云わなかった。彼らは。
何も出来なかった。自分たちは。
禁忌の森であの遺跡に吸い込まれて出てきたあと、次々と爆弾発言をぶちまして、ついでにとんでもない正体を明かしてくれた彼ら。
それで結局自分たちがつかみ取れたことと云えば、召喚兵器を生み出したのがトリスとマグナの先祖だということ。
ネスティがロレイラルを故郷とする融機人の一族で、同じく召喚兵器開発に携わっていたこと。
アメルが、最後の召喚兵器となった天使アルミネの生まれ変わりだということ。
……これだけ判っていれば十分かもしれないが。
だけど。
あの子がどこに飛ばされたのか、ただそれだけが判らない。
最悪の事態など考えたくもなくて、無意識にそれだけは予想から外しているけれど、不安は消えないでいる。
……だから。
アメルのためとか云いながら、実は、自分たちの気分転換も兼ねて、この外出だったのに。
まさか、よけいに嫌な感情を増幅させる奴に出くわすとは思わなかった。
それとも、こいつで憂さ晴らししろとでも云いたいのか、運命が待ち受けていたなど、けして考えたくはないが。
「……手加減しねえぞ、今日は」
ここが街のなかなんだということが、すっぽり頭から抜け落ちる。
殺気をまとって、あまり扱いには慣れていない、腰に下げていた大剣を抜いた。斧は街中で持ち歩くには不便だからと、以前適当に見繕ったものだ。
ロッカは、イオスと同じようなタイプの三つ折の槍をすでに手にしている。
「今までが手加減していたとでも云いたいのか?」
イオスのことばにも、剣呑なものがこもる。
一触即発の空気が、人気のない、街外れの一角を覆った。
――けれど。
「イオスさん……っ」
不意に発された、泣き出しそうなアメルの声が、一気にそれを吹き飛ばす。
戦いを厭っているのではない、もっと別の何かに突き動かされる切羽詰ったその声音に、イオスの表情が怪訝なものになった。
「……なんだ?」
構えはとかないけれど、話だけは聞くつもりらしく、先を促している。
「……を」
ぴくり、と、紫の外套に包まれた肩が揺れた。
「あたしたちの友達を、知りませんか」
「何を――彼女は今」、
おまえたちのもとにいるのだろう、と、おそらくはつづけようとしたのだろう。
だが、アメルは普段見せない性急さでもって、イオスが何か云うより先に、ことばをすべて吐き出そうとしていた。
「どこにいるか、知りませんか。いないんです、どこにも。……いなくなってしまったんです……!」
それを聞いたときの、イオスの表情こそが見物だった。
秀麗な顔の印象が立ち消えそうなほど、目を丸く見開いた。発していた殺意さえも、あっという間に霧散する。
「……なんだと?」
力なく。誰に云うでもなくつぶやいて、今のアメルのことばを、頭の中で整理してでもいるのか、沈黙しばし。
そうして、一気に表情が険しいものになる。
「に何があった!」
「いたっ……!」
「おい、その手を放せ!」
ひどい剣幕でアメルの肩を掴んだイオスだったが、リューグの声に驚いたのか、掴みかかられる前に、自分から手を放した。
任務に忠実であろうとするなら、そのまま、彼女を連れ去ればよかろうものを。そんなことに頭がまわらなくなるくらい、今、動揺しているとでもいうのか。
……しかも。
今のイオスの口ぶりは、動揺は、を個人的に知っていると、知らしめているようなもの。
「……やはり、そうなのか?」
気に障るくらい淡々とした口調で、ロッカが小さくつぶやいた。
何だ。これは。
いつもどおりのやりとり、いつもどおりの展開。けれど、ただひとりの名前が、そうなる予想をくつがえしていた。
……なんだ、これは。
心なし青ざめて、こちらを見ている金髪の槍使い。デグレア軍、黒の旅団の部隊長。
この男は、敵でしかないはずだ。
なのに。
の名前を聞いたときの、のことを問うたときの、あいつの態度はなんなんだ……!?
「テメエ、なんでを……」
「待て」
つ、と。
アメルを後ろに下がらせて、横のリューグも押しのけて、代わりにロッカが前に出た。
「おまえたちは、あの人を知っているんだな」
「……のことか」
リューグとアメルの驚愕の視線くらい感じているんだろうに、それは故意に無視しているのか。ロッカはこちらを見ようともしない。
すでに確認の意しかない、イオスの問いへ、沈黙したまま首を上下させている。
なんだ、それは。
が――何、だと?
「……あの子の記憶は、戻っているのか?」
「いいや」
戻っていない。
そう告げるロッカの声は硬い。続けるそれも、また同じ。
「だけど、おまえたちのことを懐かしいと云っていた」
俺は知らない。そんなこと。
だけど、と、同じ接続詞を用いてロッカは告げる。
「あの人は今行方不明なんだ。――僕たちは、誰も、さんがどこにいるか判らない。おまえは知らないか?」
イオスが、首を横に振る。そして、問い返す。
「……その話は本当か」
「ああ」
「――」
険しいロッカの表情に、嘘はないと思ったのだろう。もっとも、こんなことで嘘をついてどうかなるわけでもないのだけれど。
たたえていた殺気をきれいさっぱり消しきって、イオスは槍をたたみ、しまいこむ。
そうして、くるりと身をひるがえした。
「……邪魔をしたな」
「……ひとつだけ」
足早に立ち去ろうとするイオスに向けて、ロッカが呼びかけた。
「おまえたちにとって、さんは……アメルの確保をふいにして行くほどの存在なのか?」
今。戦力のない自分たちを打ち破り、つれていくだけの実力。イオスには、それが十二分にあるだろう。
そのためにかける時間さえ惜しんで動こうとする、その理由は。
――つまりは、そういうことなのかと。
足を止め、イオスが振り返った。赤い双眸には、急いた感情。
「もしも僕があの子と同じように記憶をなくしたとしても」、
早口に。告げる途中ですでに、再び身を翻そうとしながら。
「きっと、何よりも、誰よりも、先にあの子を思い出す」
……思い出してみせる。
そう、強く宣言した。
――つまりは、そういうことなのだと。
何、だと云うのか。
今は行方不明の少女の姿にだぶって、炎に包まれた村が見える。数度刃を交えた、黒の旅団の幻影が見える。
そうして思い出したのは、旅装束に身を包み、村を見下ろせる山腹に立っていたの姿。
あれは――そのために来たのか?
記憶を失った少女。
あの日、もしも自分が声をかけなかったら。当然記憶喪失にはならなかったろう、。
もしも。
記憶をなくさずにいたら。
――だと、いうのか。
アメルをさらうために、村を火に包むために、あいつは、訪れたのか。
あいつは、敵だというのか?
横に立つアメルをちらりと見ると、彼女は手のひらで口をおおい、震えながら立っていた。
「……ロッカ……それ、本当なの!?」
「……大平原で」
問いに答える意志があるのかないのか。
双子の兄からもたらされたことばは、いつぞや、夜にゼラムを抜け出したときの。
「大平原で、あの人は、黒騎士を見て泣いてたんだ」
いつか指きりしたことを思い出しながら、ロッカは弟たちに向き直る。
訊かずにはいられなかった。万が一の可能性にかけて、明かして尋ねた行方は、だが、見事に期待から外れた。
それでも、一粒の可能性でも問いかけずにはいられなかったのだ。
もしかしたら、望む答えが返ってこないのを承知の上で、本当に訊きたかったことは――
約束を破ったと、あの人は怒るだろうか。
……怒るだろうな。
なにしろ、ふたりきりならまだしも、リューグとアメルがいると判っていての、行動だ。
だけど、どうしても確かめずにはいられなかった。
今このときでなくてはならなかった理由はないけれど、事実、あちらの人間とまともに会話が成立する機会なんて、そうそうあることではない。
それに、アメルのことばに対するイオスの反応で、という存在が彼らにとってどういうものか、その一端を見せられてしまったのは否めない。
……今このときに。こんなときに。
あの人の心の半分を占める、黒の旅団への気持ちと、黒の旅団にとってのあの人。
「そのあと、笑った……こっちが泣きたくなるくらいだった」
自分のことばだけで、どれほどのものをリューグとアメルに伝えられるか判らなかった。
けれど思い出すその笑みは、どこまでも優しくて切なくて、だけど暖かくて。浮かべるだけで、きゅう、と、どこかが絞り上げられそうなほど。
想像など及ばぬ、深く強く。積み上げてきた感情を持っているんじゃないかと思うには、充分すぎるものだった。
「……なんで」
ギリ、と、リューグが歯をかみしめる音がした。
「なんで、黙ってた!」
衝動に任せて、リューグは兄の襟首を掴み上げる。
さすがに首をしめあげられる形になって苦しいのか、表情を歪めて、けれど視線だけはまっすぐに、ロッカはリューグを見下ろした。
「どうして、云う必要があった?」
「……な……!?」
パシッ、と、ロッカはリューグの手を振り解き、地面に足をつけ数度咳き込む。
だがすぐさま、視線をこちらに戻した。
そして怒鳴る。
「さんは記憶がないんだ! 自分が立っている場所も見えないまま、確りしてるのはその名前だけで!」
今共にいる自分たちへ感じてくれている気持ちには、最初の出逢いから築いてきた土台がある。真っ白な状態から、ひとつひとつ培ってきたもの。
だけど。
記憶を失う前に持っていた気持ちの残滓は、新しく生まれたものと同じくらいの重みを伴って、の想いの半分を占めている。
それを知っている。それを知らされた。
そうでなければ、あんな笑顔、出来ない。
だけど、それは欠片でしかない。
今の自身では判らない理由でもって、のなかに根付いているものの、たかだか氷山の一角。
その理由を訊いて。問い詰めて。
答えなど得られないと判っていて。
「それなのに、なんでそう思うのかなんて訊けるわけが――まして、人に云えるわけないだろう!」
の記憶がはっきりしない限り、どこまで行ってもそれはただの予想であり、予測であり、けっして事実ではないのに。
それをあっさり口にして確認を求めたトコロで、そんなのは詮無いことだ。意味のないことだ。判ってる。
むしろを追い詰めてしまうかもしれないことくらい――判ってる。
「だからってなぁ……!!」
「もうやめてっ!!」
なおつかみかかろうとしたリューグの腕にしがみついて止めたのは、呆然と成り行きを見守っていたアメルだった。
「あたしが、余計なコトをイオスさんに訊いたから……! ごめんなさい――」
「……アメルが謝ることじゃないよ」
悄然とうなだれるアメルの頭を、ロッカは、そっとなでた。
それから、未だ憮然とした顔で彼を見ているリューグへ、向き直る。
「リューグは、さんを敵だと思うのか?」
「さっきのアイツの反応見たら、アイツらの仲間だとしか思えねえだろうが!?」
強い語調で返されることばに、けれど、ロッカは自分の口の端がかすかに持ち上がるのを自覚する。
「今まで僕たちにしてくれたことが、みんな、嘘だと思うのか?」
「……」
今度は返答がない。
だが構わずにつづけた。
「最初に怒ってくれたときも、これまでに僕たちに見せてくれた笑顔も……みんな、嘘だと思えるか?」
「……、思えねえから……癪に障るんじゃねぇかよ」
手のひらで顔をおおったリューグが、くぐもった口調で返答する。
こんなときばかり、弟の気持ちがあっさり判ってしまうのが、なんとも可笑しく、そして居心地が悪かった。
――怖いのだ。弟も。たぶん、自分と同じように。
記憶を無くしている間、これまで、自分たちに向けてくれた、彼女の笑顔とその気持ちを。記憶を取り戻してしまったら、もう、見せてくれなくなるのではないかと。
たぶん、同じ不安。
だけど口に出すのは怖い。出したら最後、真実になりそうで。
だけどいつかは知らなければならない。いやさ、知りたいのだ。
そんな、靄のような気持ちに決着をつける方法はただひとつ。
――が帰ってくること。
だけど、彼女がいったいどこに飛ばされたのか、そもそも生きているのかさえ定かではない。後者はありえないでほしいと願いながらも、可能性はないのだと、自分のどこかが冷静に云っている。
それに捜しに行きたくとも、禁忌の森で消耗しきった一行の回復には、まだ時間がかかるのだ。
アメルしかり、ネスティしかり――何より、この旅を率いている立場である、マグナとトリス。
自分たちに事態の大きさがどれほどのものなのか判っているのかと云われれば、首を傾げるしかない。
けれど、兄妹のようにして、いや、そのものとして育ったアメルが召喚兵器の魂の欠片だという事実。
それを行ったのがネスティの祖先であり、また、マグナとトリスの祖先であるという事実。
知っていたらしいネスティはともかく、あの時初めてそれを知った彼らは、どれほどの衝撃を受けたんだろう。
初対面は騒動からだった。
でもいつの間にか、心許した笑顔を浮かべあうようになった。
そんな相手を、遠くとはいえ己に連なる者が、深く傷つけたという事実。
……どれほどの慙愧を、彼らは覚えたのだろうか。
「……あたしは、いいの」
「アメル?」
ぽつりとつぶやいたアメルに、双子は図らずも、同時に彼女へと目を向けた。
そこには、まだリューグの腕をつかんだままだけど、しっかり立っている聖女の姿。
「あたしはもう決めてる――」
真っ直ぐに、目の前に広がる街並みに視線を固定して、
「……憎めないもの。こうしてあなたたちと一緒に生きていたレルム村のアメルも、天使アルミネも……結局、この世界が好きなんだもの」
アメルは、微笑んだ。
たしかに自分の出生を知って、暗い穴に飲み込まれそうな感覚に陥った。
自分がどのようにして捕えられ、どのような手段を用いて召喚兵器にされたか思い出した。
それはとても暗く、重く、ここに立つ自分を押しつぶしそうなほど、辛く、哀しく、逃れ得ぬ痛み。
強く感じる過去の嘆き。だけどこの世界を好きでいる気持ち。
過去につらなる気持ちと今ここに在る気持ち。
相反する、ふたつ。そのどちらを選ぶかと自問して、浮かんだのは。
「だいじょうぶって……はいつも笑ってる」
何がなくても何をなくしても、今そこにあることを、今抱いている気持ちを、いつも選んで歩いてきた人。
どちらを選ぶか、どちらも選ぶ。
そう云って、その願い、譲ってなるかと立つ彼女。
じゃあ、あたしは?
過去への悲しみと今在る愛しさを。
どちらをとるかと自問して――アメルもまた、選んだのだ。
あたしは、アメルの生きるこの世界を愛している。
「だから、あたしはだいじょうぶなの」
笑って見せると、リューグとロッカが実に複雑な表情になった。
「……じゃあ、どうして元気がなかったんだ?」
「だって」、
心配してくれてたふたりが怒るかな、と思いつつも、嘘はつかない。
「のことが心配だから」
それに、マグナさんとトリスさんのことも、気になるから。
「――まだ、ふたりは、選択肢を見つけることさえ、出来ないでいるから……」
自分のことは二の次か! とつっこまれるかと思ったけれど、意に反し、アメルのことばを聞いた双子は、揃ってため息をついた。
「そうだな……」
苦い顔でロッカが云えば、
「やっぱりがいねえと何も始まらねえよな……」
似かよった表情でリューグが云う。
うん、と、アメルもうなずいた。
の気持ちも、の立ち位置も。
あの子が戻ってこないと、あの子の記憶が戻らないと、結局何も訊けやしないのだ。
……今は、いい。
今までのの気持ちを、信じる。信じてる。
それだけの絆を、築いてきた自負くらい、持ってもいいと信じてる。
だから……急にその絆の先が見えないところに行かれてしまうと、どうしようもなく不安になる。
それはきっと、誰もが同じ気持ちで……
――どこへ行ったの?
。