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第28夜 壱
lll …昔話をしよう lll




 禁忌の森から戻ってきた後輩たちがとんでもなく憔悴しているのを見て、ゼラムで待機していた先輩たちは、それはそれは驚いていた。
 生憎、説明するほどの心の余裕などないトリスとマグナは、事情を訊きたそうなミモザとギブソンを尻目に、部屋へ直行。そしてこもったきり、出てこない。
 自分たちの血が明らかになったこともそうだけれど、あの子を捜しに行くんだと半狂乱になっているのを無理矢理に連れ帰ったせいもあるんだろう。
 もっとも、その判断を間違っているとは思わない。
 悪魔や機械魔との戦いや、白日の下にさらされた真実のせいで、体力も気力もすでに限界だったのだから。
 
 なので、説明役の白羽の矢は、当然、ネスティへとまわってくることになったのだ。
 抵抗がないわけではなかったが、当の本人たちへ明かしてしまった事実があるせいか、彼は、森で起こった出来事と、それにまつわる数々の事情について、ギブソンたちの求めるまま口にしていた。

「……なるほど……まさかあの森にそんな秘密があったとはね……」

 ざっとした経緯、それからとバルレルが行方不明になっていることを聞いたギブソンの第一声は、それだった。
 今ネスティの前にいるのは、屋敷でこちらの帰りを待っていた人たち。それから、より詳しい説明を求めて集まってきた仲間たちだ。
 ミモザも、さすがに尋常でなさすぎる事態だと判断したのか、いつもの飄々とした笑みがない。
 エルジンとエスガルドは、云うまでもない。
 ――それから。
 ギブソンたちの知り合いなのだと紹介された、4人の男女もまた。
 どうやらカザミネやカイナ、シオンたちとも知り合いらしく、お互いに懐かしがっていたけれど、それも束の間。こちらの状況を聞き、改まった表情で何やら考え込んでいる。
「……ねえ、キール。クレスメントの一族のことは知ってた?」
 ナツミと云うらしい少女が、隣に座っているギザギザしたマントと跳ね髪が特徴の少年に問う。
「ああ。父上が調べていたからな」
「……うん、そうだったね」
 頷いたのは、カシスと名乗った少女。
「エルゴの王が現れるずっと以前に強大な魔力を誇った一族、か……」
「なんか変な感じだね。現役としちゃ」
 何やらつぶやくトウヤに、ナツミが笑いかけている。
 何が『現役』なのやらよく判らないけれど。

 そんな彼ら。まだ自分たちとそう変わらぬ年であろうに、どこか泰然とした4人組。何が起きてもだいじょうぶだと、相対する者を安心させる佇まい。
 それがどこからきているのか、今のネスティには判らないけれど――なんとなく。そんな目の前の彼らは、誰かを思い出させた。
 それがなんなのか判ったら、その人がその場にいないことがとても辛くなりそうで、意識的に目をそらす彼がいる。

 トリスとマグナのことも心配なのに変わりはない。
 なにしろ、結局、引き延ばしに引き延ばした挙句、不意打ちのような形で彼らに過去の罪を暴露して見せてしまったのだ。
 こうなる予想はしていたけれど、それが現実になるのとでは、心に感じる重圧が違う。
 それでも。
 知られてしまったことで、もう自分ひとりが抱え込んで行かなくてもいいのだと。そんなことを思うこの心が、醜いと思う。
 結局、祖先と同じようなことをしてしまった自覚があるからだ。
 大事な人たちの笑顔を奪い、これ以上ないほどの酷い事実を突きつけてしまった。
 これまで築いてきた立ち位置を、自分自身の手で壊してしまった。――だけど、だから。いつかそうなるのなら、他の誰でなく自分がそうしたかったのだと自覚している、この心が醜いと思う。

 経緯を語っている間なら、そんな闇からは目をそらしていられた。
 少なくとも、口を動かしている間だけなら、自責の念に沈み込む時間だけは与えられない。

 だけど――
 それでも心を締め付ける黒い雲は消えはしない。

「それでは……」
 黙って話を聞いていたシャムロックが、顎に手を当ててネスティを見やる。
「貴方たち融機人というのは、故郷である機界ロレイラルから戦争を避けて亡命してきた……異世界の人間というわけですね?」
 一度目にしてしまったものが気になっているのか、彼の視線はネスティの目ではなく、あのとき機械魔と接触するために自らさらした部分を彷徨っているようだ。
 ――もっとも、誰かと目を合わせられる心境ではないので、それは逆にありがたいけれど。
 ひとつ息をつき、シャムロックの問いに頷いた。
「おっしゃるとおり、我々融機人は人の肉と機械の鋼を併せ持った種族だ」
 それ故に、高度な機械文明を持ち――そしてそれ故に、進む方向を見誤って身を滅ぼした種族。
 連綿と続く血の記憶が、こうして語る間にも、当時の現実を生々しく伝えてくる。
「機界大戦ノコトダナ?」
 視界の端に映っていた、故郷を同じくする赤い機械兵士……エスガルドが云った。
 それに、もう一度頷く。
 エスガルドの隣にいたエルジンが、驚いた顔で彼の方を振り返った。
「知ってるの、エスガルド!?」
「えるじん……私ハ本来、ソノ戦争ノ切リ札トシテ、開発サレテイタノダヨ」
「……!」
 それは、エルジンも知らなかったことらしい。並の大人以上に機界ロレイラルの召喚術を操る少年は、驚いたように目を見張る。うまくことばが思いつかないのか、数度口を開閉させた。
 ――そうして、それでも。
「……だけど、僕の知ってるエスガルドは、僕を見つけて育ててくれたエスガルドだよね」
 彼は、にっこり笑って告げた。
 それに同調するように頷く、カイナ、カザミネ、シオン。それにギブソンとミモザ。
 長い間ともにいたからこそ。過去、ともに戦ったからこそ。彼らはただの兵器でないエスガルドを知っているのだと。
 それは信頼。
 普段なら笑みさえ浮かぼうものを、今はそれがひどく心を苛んだ。
 それを押し隠し、ただ、ことばを紡ぎつづける。
「……強力な機械兵器が用いられ続けた戦争によって、ロレイラルは死の大地となった」
 生き延びるためには、今の肉体を捨て完全な機械に生まれ変わるか、故郷を捨て別の世界に逃げ延びるか。
 ふたつにひとつ。
 前者を選んだ者もいた。
 けれど、自分たちは、
「貴方たちライルの一族は、後者を選んだのね?」
「ああ。だけど――」
 だけど、この世界の人々はロレイラルからの人々を歓迎しはしなかった。
 理由は、ひどく明快。ひどく、当然。……リィンバウムの人間なら、誰だって知っているコト。
 まだ年若い数名や、そのあたりにうとい数名を除いて、全員がそれを察したようだった。
「ロレイラルもまた、かつてリィンバウムを侵略するために機械兵士を送り込んできていたから……だな」
「ええ。ルウも、おばあ様からそう聞いたわ」
 機界と霊界の召喚術を使うらしいキールがつぶやいて、少し離れた場所にいたルウが、それを肯定する。
 それにしても、と、口を閉ざす合間に忍び寄ろうとする黒い何かを撥ね退けるべく、思考を逸らした。
 伝承を受け継いできたらしいアフラーンの一族であるルウはともかく、サイジェントからきた彼らの知識の豊富さはなんだろう。ここまでの会話で、それが並大抵の量と正確さではないことを、ネスティも感じている。
 ――何者、なんだろう。

「……」
 そんなネスティを見て、それからトウヤやナツミたちを見て、ミニスがちょっと複雑な表情になった。
 だけど幸いか不幸か、ネスティはそれに気づくことはなく。
「ライルの一族は、迫害されながら安住の地を求めてさまよった」
 彼の口から、その名前がこぼれる。

「そして、クレスメントの一族と出逢ったんだ」


「……調律者……クレスメントの一族か」
 名前だけは知っていたのか、感慨深げにつぶやかれるギブソンのことば。
 それに反応して集まる視線に応えるように、彼は改めて口を開く。
「エルゴの王が現れる以前に、最強とされた召喚師の一族だよ」
 その魔力は運命すらも自在に律するとされ、故に、調律者の異名で呼ばれていたというのだと。
「……その伝説も真実だったってコトね」
 ふう、とミモザは息をついた。
 ゲイル。悪魔。そして融機人、天使。――調律者。
 まるで堰をきったように、目の前で明らかになっていく伝説の数々。
 一年前の事件で、まさかと思うような伝説の再来を目にした自分たちだけれど、再びこうしてこんなことにまみえる日がくるとは思わなかった。
 ……と、そこまで考えて、素直に驚いた顔になっているサイジェントからの客を見る。
「――――」
 そして少しだけ、呆れた。

 あの子たちも、自分が伝説だって自覚がとんっとないわよねぇ――

 唐突にやってきた彼らは、当然ながらここに帰ってきた彼女の後輩と仲間たちと自己紹介を交わしていたけれど。
 誓約者のただ一文字たりとも口にしていなかったのを、ミモザはしっかり目撃していたのだ。
 無用な騒ぎを嫌って意図して隠そうとしているのか、それともただ単に何も考えていないだけなのか。
 この場でキールとトウヤはともかく、ナツミとカシスは絶対後者だ。
 思わず口の端を持ち上げかけて――ダメダメ、それどころじゃないわとミモザは自分を戒める。
 なにしろ、ネスティの話は、まだ続いているのだから。


「彼らは、ライルの一族を庇護する代償として、ロレイラルの機械技術を求めてきた。攻め来る侵略者に対抗するために」

 そして、度重なる迫害に疲れ果てていたライルの一族は、それを受け入れた。
 それを因とし、その結果が、あれだ。

 つい先日、禁忌の森を訪れた一行の前に、現れたものたち。

 重苦しい雰囲気が、その場を覆った。
 それを目にしてはいないサイジェントからの客人も、また、尋常ではないその空気に固唾を飲む。
 果てなくつづくかと思われた沈黙を、けれど、打ち破ったのはアメルだった。
「最初は、攻めてきた悪魔たちを捕獲して実験が行われました」
 そう。彼女もまた、当時の記憶を抱く者として。


 思い出す。禁忌の森で見た、あれら。
 あれらすべては、悪魔を素体としてつくられたものたち。
「でも……人間の手で捕えることの出来る悪魔では、召喚兵器の素体として不充分だったのです」
「道理だな」
 自分たちで捕獲できる悪魔では、自分たちの捕獲できない悪魔には対抗できない。
 決定的な切り札としては使えない。
 それさえ見透かすようなトウヤのつぶやきに頷いて、アメルは先を続ける。
「思いあぐねた調律者たちは、とうとう、ある恐ろしいことを決断してしまったんです」
 それを口にするため、目を閉じる。手のひらに、心に、ぐっ、と力を溜める。
 それでも思い出したくないけれど、浮かんできて欲しくないけれど。
 脳裏に浮かぶ、遠い姿。

「……それは、共に悪魔や鬼神たちと戦っている、天使や竜神を素体として利用することでした」

「そんなッ!?」
「ひどいよっ、そんなの!!」

 ひどすぎる。
 そんな感情を真っ直ぐ浮かべた目で立ち上がる、ミニス。ユエル。
 彼女たちだけでなく、全員が、驚愕と悲哀を露にする。
 だって、と、彼らの目は云っている。
 この場にいる召喚獣たち。
 護衛獣の子たちも、旅の途中で一緒になった子も、仲間としてともだちとして。
 力を貸してくれた。共にいることを選んでくれた。
 そうして、当時もきっと、彼らは彼らの意思で、人間たちに手を貸してくれていたのだろうに。

 よりによって。それを。

「……では、アメル、おまえは……」
 アグラバインが、まさかという表情になってつぶやいた。
 彼は一度山に帰っていたものの、やはり気にかけてくれていて、様子を見に来てくれていたのだ。
 それは、問いかけという形でこそあったけれど、確認の意味合いを多く含んでいた。
「そうです、おじいさん」
 そうしてそれに対する答えは頷きを以って。

「あたしは、最初に素体にされた豊饒の天使アルミネの魂の欠片。それが人の形をとって、生まれてきたものなんです」


 ざわり、と。
 声にならないうめきが、居間のそこかしこからもれ聞こえた。
 そんななかでも、性格故にか憤りを隠し切れない様子で云うのは、モーリン。
「悪魔を追い払う手助けをしてくれてた天使たちを、実験の材料にしちまったって云うのかい!?」
 それが自分に向けられているわけではないと判っていても、ネスティは、身体をこわばらせずにはいられない。
 この先を話す気持ちが大きく傾いで――それでも。
 ここで口をつぐんでしまうわけにはいかなかった。
 仲間たちがうやむやにすることを良しとしないせいもある。だけど。もう、自分でも限界だった。
 隠しつづけていくはずだった禁忌の記憶の一端が、暴かれたときに、おそらくはすでに。いやもう、その前から。ずっと以前から。流れる血が語りつづける罪の記憶は、身を破って飛び出しかねない密度にまで膨張をつづけていた。
「……裏切りの報いはすぐにやってきた」
 再び口を開いたネスティに、視線が一斉に集中する。
「アルミネが召喚兵器に造り変えられたことを知った天使や竜神たちは、激しい怒りと失望によって、自分たちの世界へと引き上げてしまったんだ」
「……当たり前でござろう!」
「次は自分たちの番かもしれませんですし……」
 結果として素体となった天使はアルミネだけだと、ネスティに流れる血の記憶は伝えている。
 けれど、もしも他の天使や竜神たちがこの世界を見限るのが遅かったら――そのときこそ、パッフェルのことばどおりになっていたかもしれなかった。
「以来、彼らは――」
 かつて友として、この世界の人々と在った存在たちは、
「召喚術による強制的な呼び出しによってしか、この世界に姿を見せることはなくなってしまったんだ」
「つまり、おまえさんの先祖がやっちまったことが原因で、リィンバウムからは神にあたる存在が消えちまったことになるのか」
 俺様の世界にも神は実在してねえが、と、レナードは続ける。
 精神的な寄る辺になる対象でさえ、この世界は失っているのか、と。
 ゆえに。
 目に見える力である召喚術に、人々は神性を見出さずにいられなかったのだろうか。……定かではないけれど。
 ないけれど――たぶんそれは事実であり、だから、頷くしか解はない。

 そこでこの話は終わりと、誰かは思ったろうか。けれど、まだだ。まだ続くのだ。友愛を断ち切っただけでおしまいにはならなかった。この悲劇はまだ続く。
 いや、おそらくここから。

 ――召喚兵器を生み出した理由は、ただひとつ。リィンバウムを狙って攻め込んでくる異界の侵略者たちに対抗するためだった。
 戦いは、まだ続いていたのだ。
「天使たちが去ったこの世界を、悪魔たちが見逃すはずはなかった――」
「狡猾な大悪魔のひとりが、軍勢を率いてこの世界に攻めてきました。人間たちは自分の力だけで、これと戦うことになったんです」
 異世界の友の力をなくした身の上で。
「……はっ、当然の報いってヤツだな」
「リューグ!」
 ロッカのたしなめる声に、あまり力が入っていないのは。
 きっとどこかで、彼もそう思っているからだろうか。いや、誰もがそう思うだろう。

 そうして、絶望的な戦いに勝利をもたらすために、調律者たちは賭けに出た。

「あたしを」
 アメルは静かに、己の胸に手を当てた。
「召喚兵器となった天使アルミネを使い、軍団を率いる大悪魔を倒そうとしたんです」

 頭を倒して、敵を混乱させ、その隙に各個撃破するという……その策が成功していれば、敵に一矢を報いるくらいは出来たろう。
 ――あくまでも、一矢。

「異界の友の助力を失うきっかけを作ってしまった彼らには、その代償として得たゲイルの力を示すことによってしか、他の人々を納得させる方法がなかったという理由もありました」

 けれど、結果は、一矢どころではなかった。
 アメルの脳裏に浮かぶのは、機械遺跡で見せ付けられた映像。
 そして、それを自分の視点で見た記憶。
 召喚兵器となって自我も心も失っても、それでも、魂に刻まれたもの。

 ――暴走の結末。

 召喚兵器となることで歪められ、大破した天使の魂の欠片は転生の資格さえ奪われ行き場も失った。
 自分自身の作り出した結界のなかを、様々な姿にうつろいながらさまよいつづけた。
「……それを、わしが見つけてきたのか」
「はい」
 ひとつ息をついて、彼女は全員を見渡した。
「これが、あたしのなかにあった天使アルミネの記憶のすべてです」
 この先を自分は知らない。
 砕け散った時点でその魂のカタチをなくしてしまったのだから、それも当然。
 自然と視線を動かしてネスティを見ると、それを受けた彼は、ゆっくりと首を横に振った。

「僕の中に遺伝として継承されている記憶は、ここから先はひどくあいまいになっているんだ」
 融機人として、本来ならありえない現象だが、それは事実。

 けれど、
「はっきりしているのは、この戦いを境にして召喚兵器に関する知識だけが、一族の記憶から完全に消えたということだ」
 もちろん、その後に積み重ねられてきた記憶は、歴然と、確固と、ネスティの中にある。
 けれどその境に関することが。
 知識を失うことになったくだりだけが。
 伸ばした手の先も見えないような濃い霧に包まれているような感覚を覚えるのみで……輪郭さえも見えずに。
「そして同様に、クレスメントの一族はその魔力を失っていた」
「……失った……って」
 そんな簡単に、生来持っている魔力を失うようなことがあるのかと。
 ひとりふたりならともかくも、一族と呼ばれるだけの数の人々が、一斉に魔力を失うようなことがあるのかと。
 そう云いたげなルウのつぶやきだけれど、そのことはゆるぎない事実だった。
 だが、ルウの口にした疑問は、当時の誰ももまた、思ったことだ。
「呪いだろう、と、居合わせた召喚師らは口にしていた」

 滅びゆく天使の最後の意志が、呪となって彼らへと降りかかり、二度とゲイルを創造できぬように記憶や魔力を奪ったのだ、と。

 カシスとナツミが顔を見合わせ、
「……天罰?」
「て、ことなのかな」
 と、複雑な表情でつぶやいた。
 事実どうなのか判らない。もう遥か昔のことで、しかと伝えられてきたわけでもない歴史だ。
 血によって記憶を受け継いで行くはずの自分も、当時を思い出したというアメルも、はきと覚えていないそれについて、断定するだけの材料を持たない。
 ただ、魔力と知識を失ったことは事実であり、呪いというのもあながち間違いではないのではないかと。思うけれど。
 ……面と向かってアメルにそれをたしかめるほど、神経が丈夫なわけはない。
 代わりに思い浮かべたのは、人の手によっても罰せられることになったふたつの一族。
 歪んだ三角形、その一辺についてまだ触れていなかったことを思い出し、ネスティは再び口を開いた。
 曰く――
 クレスメントの一族は北の果てへと追いやられ、ライルの一族は召喚師たちの監視下に置かれ、自由なき生を送ることになったことを。

 そこまで話したとき、ミモザが血相を変えて立ち上がる。
「まさかネスティ! ひょっとして、それは今も……!?」
「……そのとおりです」
 そうと知らずに自分たちに親切にしてくれていた先輩は、けれど、ことここに至っても変わらない。
 そのことに、少しだけ安堵を覚えていた。
 けれど、だからこそ、多くを語るわけにはいかなかった。
「現在、ライルの一族を監視しているのは蒼の派閥です」
 もっとも、今生き残っているのは自分だけなのだから、すでに一族と呼ぶことすらおこがましいのではないかと思ったけれど。
「そうか……」
 いたましげに、ギブソンが云った。
「だから君は、派閥の人間である私たちには何も相談することが出来なかったんだな……」
 変わらずに、今も昔も。
 同じように心配してくれている。
 ようやく話せたことに安堵していいのか、とうとう話してしまったことに自省するべきか、判らない。
 フォルテが、普段はあまり見せない真剣な表情でつぶやいた。
「そして……呪いで魔力をなくしたはずの調律者の末裔が、ふとしたきっかけで魔力を取り戻した事実が判明しちまった、と?」
「……それが、トリスとマグナなのね?」
 続けられるケイナのことばへの解は、肯き。

「彼らは何も知らずに生まれた」
 遠い北の街で、孤児として――だけど兄妹いっしょに、ささやかなしあわせと共に暮らしていけるはずだった。
 だがふたりは、魔力を発現させてしまったのだ。
「そして、蒼の派閥においても、何も知らされずに育ってきた。クレスメントの報復を恐れた派閥の判断で」
 けれど、それ以上に、
「保護者のラウル師範が、彼らに、人並みの幸せを与えたいと願ったから……」
 きっとそれは、北の地へ置き去りにされた、兄妹が歩んでいたかもしれない道。
 穏やかに自分たちを導いてくれた、優しい養父の顔を思い出す。
 同じ街にいるのに逢いに行かないのは――行けないのは、そのために派閥に赴かなければいけないからかもしれない。
 派閥に行けば、養父だけでない、他の召喚師も――あの師範もいるから。
「……あの御方は優しい人だから……」
「だが、それが今、こうして裏目に出てしまったのか……」
 同じくラウルを知るギブソンとミモザの、それぞれのことばを受けたシオンが、かすかに眉をひそめた。
「……残酷ですね」
 たしかに、と思う。
 誰も。こんな今日がくることを、予想し得ただろうか。
 遠い昔の大罪に関るみっつの要素。調律者、融機人、そして豊穣の天使。
 彼らが揃い、そうして、禁忌の封印が解かれ、いちばん避けたい形で真実が明るみに出たことを。
 ……予感しなかったわけじゃない。
 だけど。
 そんな可能性はほとんどゼロに近いと。思っていた自分が甘かったのか。
 自分が。
「……もっと早くに、彼らに真実を伝えられていたら……」
 そんなことは出来なかったと判っていても。
「問いかけに、答えてやってさえいれば……っ」
 そんな勇気をもてなかったことを、今、悔いても詮無きことと知っていても。

「こんなことにだけは、ならなかったかもしれないのに……!」

 そう、考えずにはいられない。
 最悪の形で、彼らを傷つけてしまった。
 彼らがとても大切にしていた、あの子を失わせてしまった。

「……ネスティ……」

 気遣うような誰かの声に、もう顔を上げることも出来ず、ただ黙って首を振る。


 あの子。
 あの子は、どこに、行ったんだろう。

 あつかましいと判っていても、こんな状態になった今ほど、傍にいてほしいときはない。
 だいじょうぶ。
 そう云って笑って、差し伸べてくれる手のひらを。
 自分だけでなく、あの兄妹も渇望しているんだろうに。

 どこに。

 こうして話していても、そのことばかりは消えはせずに。


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