唐突に自分の名を呼ばれ、驚いた顔で、その人は、視線をイリアスからの方に転じ、
「――え」
やっぱり、と同じように、目を丸くした。
しばしの硬直。
たしかに、それが誰だか判るのだけど、たしかに、目の前にいるのが誰か判るのだけど。
……なんで、彼女がココにいるのだろう。
はそう考え、アヤはそう思った。
最後に逢ったのは、最後にことばを交わしたのは、あちらの世界での日常の一幕。
直後はこちらに召喚され、そして現在に至る。
数年後――今日より一年前、アヤはこちらに召喚され、そして現在に至る。
もちろんそんなお互いの事情、今呆然としているふたりに判るわけはない。
恐る恐る、そんな感じで足を踏み出したのは、まず、アヤの方。
「……おい、知り合いか?」
いぶかしげに問うソルのことばは聞こえるが、それに返答しているだけの余裕がない。
高鳴る心臓に手を当てて、彼女の目の前まで歩いた。
数年の間に、当然だけどずいぶん成長してるけど。
面影がある。覚えてる。
何より、アヤのどこか深い場所で、この子はなのだと実感してる自分がいた。
「…………ちゃん?」
震える声で、呼びかけた。
とたん。
「ちょっと待って何が何どうなってこうなって――――――――ッ!??!?」
緊迫しきって硬質だった、その場の空気を思いっきり瓦解させる絶叫は、アヤの目の前の少女の口から放たれたのだった。
アヤを見て、バルレルを見て。それから、アヤの傍の男性ふたりを見て、呆然としているイリアスとサイサリスを見て。
そして、もう一度バルレルを見た。
「……テメェ、記憶が戻ったのか?」
護衛獣(仮)からの問いには、頷きを返したものの、……ことばが出ない。
言語能力とか行動能力とか、そこらへん全部、思考に総動員してしまっていた。
ちょっと待ってちょっと待ってちょっと待ってよ考えろあたし。
あたしはで、はあたし。10歳まで暮らしてた世界から唐突にデグレアに召喚されてルヴァイド様に拾われてちょっと前に聖女を捕まえろって指令が出てでもそれはすごくすごくいやな予感がしたから捕まる前に逃げてもらおうと思って最悪時間稼ぎしつつとか思ってて、でも気がついたらリューグがいてアメルたちのトコロにつれていかれてマグナとかトリスとかネスティとかと逢ってルヴァイド様に襲われて?ゼラムに行ったり夜逃げしたり召喚術暴走してたりファナンに行ったり禁忌の森に行ったり屍人がいたり鬼人がいたりああぁぁキュラーさんとかガレアノさんとかビーニャと戦ったり!?っていうかレイムさんなんで詩人の真似してそのへんほっつき歩いてたんだ!?それとも本質が変態なのかいやその前にもしかしてルヴァイド様やイオスと戦ったってことはあたしってばデグレアに背を向けた反逆者=ルヴァイド様のお父さんとおんなじですか!?
だが回転空しく情報はぐちゃぐちゃ、思考はごった煮状態から抜け出せない。
「え? え? ええぇぇぇ!?」
ともあれ、以上を踏まえて現実把握。
今自分がココにいるのはどうしてか? 禁忌の森で吹っ飛ばされた。
どうして禁忌の森に行ったのか? デグレアの求める機械遺跡と、アメルの出生の秘密に関る何かを求めて。
なんでそんなものを調べようとしたのか? デグレアにアメルが狙われてるから、始まりのその場所に手がかりがないかと。
なぜアメルはデグレアに狙われる? 禁忌の森の封印を解く鍵として。
……で。
どうしてあたしはココにいる?
……アメルたちと一緒に行動していたから。
どうしてアメルたちはココにいない?
……禁忌の森で自分とバルレルだけが吹っ飛ばされたから。
……で。
「どうして、綾姉ちゃんがココにいるの……?」
その他のうずまく記憶の混乱は、どうにかして自分で整理しなければいけないことだと判っていたけれど。
唯一、自分では判らない――相手に訊かなければ答えは得られぬその問いだけが、なんとかことばになった。
「えぇと……」
アヤは、おっとりと、口元に指を当ててつぶやいている。
幼い頃の面影をそこに見て、は胸が詰まるのを感じた。
「……わたしは、1年ほど前に、ちょっとした経緯があって、こちらの世界に召喚されたんです」
ちゃんこそ、どうしてここに?
返された、問いに。向けられたアヤの視線に。応えるべく、まず深呼吸。
それから、同じように首を傾げた。
「あたしは6年……ううん、もう誕生日過ぎてるから、7年前だ。綾姉ちゃんと別れたあと」、
遠い幼い日。幼馴染みの家。
誕生日会のお誘い。夕暮れの道。
――ほとばしったひかり。
「……こっちに召喚された」
――要するに。
とアヤは、ほぼ同時にその結論に達した。
要するに。おおよそ6年の間を置いて、ふたりはふたりとも、リィンバウムに召喚されていたと。いうことらしい。
呆然と。お互いはお互いを見つめる。
何を云えばいいのか判らない。
もう二度と逢えないと思っていた人を目の前にして、まさか気安く『久しぶり』なんて、云っていいものかどうか不安はあったけれど――でも。
他に、云うべきセリフはないような、気がした。
だから、
「……久しぶり、綾姉ちゃん」
「ええ……お久しぶりです」
ぎこちなく、笑みをつくって。そっと手を伸ばし、アヤの肩に触れてみる。
あたたかいぬくもり――生身の身体。
夢でもなく幻でもなく、7年前に別れたきりの幼馴染みが、同じ世界に立っていた。
同じように、アヤが、の肩に触れ……そっと、その手で頭を撫でる。
昔よくやったのと同じように。手を水平に動かして。
「……身長、伸びたんですね。ちゃん」
「……うん。綾姉ちゃんも」
「でも、わたしよりちょっと小さいのは変わってないですね」
「……いつもそうだったね」
1年の差もあったかもしれないけれど、は一度も、アヤの身長を追い抜けたことがなかった。
それが今でも変わっていないというのは、うれしがるべきかくやしがるべきかよく判らない。
「……ふふ」
微妙な表情をどう見たのか、アヤが僅かに口元をほころばせた。
「万が一は、起きたんですね」
「え?」
「……ううん、わたしの話です」
嬉しそうに笑うアヤ。
優しいお姉さん。大好きな幼馴染み。
思い出す。
この世界にきたばかりの頃、まだ、元の世界にいつか帰れるんだと思っていた頃。
――ねえ、あたしがいつか元の世界に帰れたら、ルヴァイド様たちのこと、友達のお姉さんに話してもいいですか?
――……信じるかどうかは別だが、構わんぞ。
思い出す。
優しい微笑みと、あたたかい声。大好きな人。
思う。どうして。と。
どうして。忘れていたんだろう。
どうして。こんなことになってしまったんだろう。
どうして、あの優しい手から遠く離れた場所に、今、あたしはいるんだろう――
デグレアを出たまではたしかに、頭のなかで描いていたことどおりだった。
レルム村に辿り着くまでも、予定通りだった。
だけどそこでイレギュラー。
もしもの話は無意味だけれど、もしもあのとき記憶喪失にならなかったら、こんな、にっちもさっちもいかない事態にならずにすんでいたんだろうか。
どうして、あたし、忘れてしまってたんだろう――
「……綾姉ちゃん」
「なんですか?」
これまでのことが、頭のなかでぐるぐる回る。
デグレアで過ごしたこと、記憶をなくしたこと、そうして今は離れ離れになっている仲間たちとの旅のこと。
……大切な大切な、捨てられない気持ちのこと。
「話したいことが、いっぱいあるんだ……」
それだけを云って、抱きついた。
抱き返してくれたアヤが、頭を上下させるのが伝わって来る。
「……ええ、わたしも。ちゃんに話したいこと、いっぱいあるんですよ」
大切な大切な、仲間のこと。
この世界でのたくさんの出逢い、優しい奇跡。語り尽くせぬ物語。
と、幼馴染み同士の再会は、そこで途切れる命運となった。
「オンナ同士でいつまでもくっつきあってんじゃんねぇよ、うっとうしいッ!」
「……」
声量こそそう大きくないものの、さっきのの絶叫以上の迫力でもって、しんみりした空気を吹き飛ばした人がいたのである。
その人こそ、とアヤのやりとりを、不機嫌な顔で眺めていた色白のお兄さんだった。
「あ、すみません」
何がうっとうしいのかよく判らなかったけれど、ふと感激の嵐から立ち戻ってみれば、彼も含めた周りの人たちに全然事情が通じてないのは明らかだった。
慌ててアヤの手を放し、ぱっとその人に向き直って頭を下げる。
「えぇっと、あたしはって云います。お兄さんのお名前はなんて仰るんですか?」
「手前ェに名乗る名前なんざねぇ!」
ぷいっとそっぽを向かれてしまっては、この下げた頭をどうしていいものやら、非常に困るところである。
が、一度はたしかに明後日の方向を向いたその人は、軽く舌打ちして、再びに向き直った。
上体をかがめて視線を合わせ、こちらをのぞきこんでくる。
「……手前ェか?」
「は?」
「ずいぶん前とちょい前とついさっきの魔力と耳鳴りの原因だ!」
「……は!?」
それだけで何が訊きたいのか判ったら、あたしはエスパーになれますよお兄さん。
だけど、それだけで何が訊きたいのか判ったらしい人がいる。
「おい、バノッサ。俺も気になってるし気持ちは判るが、初対面の人間を脅す癖はどうにかしろ」
……ヤな癖ですな。
苦々しい表情で割り込んできたのは、さきほどイリアスに問いかけていた茶色の髪のお兄さんである。
ケッ、とか云いながら、バノッサと呼ばれた人は再びそっぽを向く。
まったく、とか云いながら、茶色の髪のお兄さんは、再びに向き直った。
「驚かせてすまないな。俺はソル。そっちはバノッサだ。……アヤのことはもう知ってるのか?」
「あ、はい。綾姉ちゃんとは、向こうの世界で幼馴染みで……」
「君も、アヤたちと同じ世界の人間だったのか!? じゃあさっきはどうして――」
が答えかけたとき、驚いた顔でイリアスが割り込んでくる。
さもありなん。
ついさっきまで、記憶喪失真っ最中だったのだから。
で、そのことを正直に告白すると、
「ちゃん、いったい何があったんですか!?」
「えー、それは話すと長くなりまして……」
冗談抜きに長いのは当然だけれど、あんまり他人の耳に入れたくないことではある。
お茶を濁す目的もあって、にへっと笑いながら云っていると、途中から事態を静観していたバルレルが、ぼそっとつぶやいた。
「どーでもいいけどよ、何が哀しくていつまでも荒野のど真ん中に突っ立って世間話してなきゃいけねーんだよ」
――正論。