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第27夜 四
lll 呼びかける声 lll




 感じたのは魔力の流れ、そして爆発。
 いつかの夜に感じた、膨大な魔力の奔流に、似ているような似てないような。
 ――だけども。もっと。それよりも……そんなの以上に、それは。
 ひどく懐かしい感覚に誘われて、アヤはソルを伴い、その場所にやってきていた。
 フラットから南に抜けた城壁の穴をくぐりぬけ、ぐるりとまわって辿り着いた場所を見て、ソルがちょっと顔をしかめる。
 実は、アヤもあんまりいい思い出がない。

 そこは、最初に自分たちが召喚された場所。
 そこは、魔王召喚の儀式が試みられていた場所。

 自分たちにとって、すべてが始まった、この場所。

「……たしかにここなのか? アヤ」
「ええ」

 問いかけにうなずいて、手でひさしを作り、周囲を見渡してみる。
 心を澄ませば、たしかに、真新しい魔力の波動――残り香のようなかすかなものだけど――が判る。
 それはソルも感じているのか、一度確認したあと、再び問いかけたりはしない。が。
「……誰もいないな」
「いませんねえ……」
 見渡すかぎりどこまでも、赤茶けた地面と青い空、吹き渡る風。
「……騎士団の奴らもいないな」
「いませんね……」
 見渡すかぎりどこまでも、人っ子ひとりいやしない。
 一年前、すべてが終わったあとたしかに、ここには騎士団の見張りがおかれると聞いたはずなのだけど。
 だものでしばらく、どうしたものかとふたりして突っ立っていた。
 ――けれど、ふと。
「誰だ!?」
 背後に生まれた人の気配に、ばっとソルが振り返る。
「どちらさまですか?」
 同じ気配を感じたアヤが、おっとり問いながら振り返る。
 そうして、姿を現した気配の主を見て、まったく違う反応をしたふたりは、まったく同じ名前を口にした。

「「バノッサ(さん)?」」

 どうやらここまで走ってきたらしく、少々息を荒げて立っているのは、間違いなくその名の主。
 はぐれ召喚獣と戦ってでもいたのか、抜き身の大剣をぶらさげている。目つきも普段の五割増しで険しく、もしここに騎士団がいたら、間違いなくお縄だろう。
 同じようにアヤとソルの姿を認めた彼は、視線をさらにさらに、剣呑なものにした。
「手前ェら、何しにきやがった?」
 おそらく普通の人間なら――並の騎士ですら怯えそうなほどの、いっそ殺気さえ感じさせる。そんな声音でのバノッサの問い。
 だが、一年前にさんざんやりあったアヤたちにしてみれば、こんなの普通の会話と同義だった。
「たぶん、おまえと同じ目的だと思うぜ」
 ちらりと背後の大穴に目をやって、ソルが答えた。平然と。


「……なんだと?」

 こいつらもそれを感じたのかと意外に思い、次に、それは当然かと考えなおす。
 目の前の女も男も、一年前の戦いのおかげで尋常でないほどの魔力を行使する存在になっているのだ。
 魔王の依り代となり喰らわれた自分を打ち倒し、あまつさえ蘇生させたほどの力。もっとも、蘇生に関しては、彼らと別に疑わしい存在が二名ほどいる。
 ……いや、それより。
 過去への思考を打ち切って、目の前の現実に意識を戻す。
 ふたりの背にある、大きな穴。
 風に乗って流れてくる、かすかだけれど新しい魔力の波動。
 それは、さっき、北スラムで惰眠をむさぼっていた自分を叩き起こしたそれの残滓だとはっきり判った。
 ――苛々する。
 以前の夜の魔力も、いつかの耳鳴りも。今日の魔力も。
 いい加減原因を突き止めたくて、彼は、ここまできたのだ。


「バノッサさんも、ここに魔力の流れが出現したのを感じたんですよね?」

 いぶかしげに問うたバノッサへ、逆に問いかけるアヤ。
 ほとんど確認の意味しかない彼女のことばに、バノッサもまた不承不承頷いて――ふと、何に気づいたのか、その場にしゃがみこんだ。
 つられて、アヤとソルも地面を注視する。
「……騎士団の連中の足跡か?」
 かすかにへこんだ地面を指でなぞり、バノッサがつぶやく。
 大勢の人間がいたらしく、よくよく観察してみたところ、そこら一帯に無数の足跡が見てとれた。
 さらによく見てみると、どうやらひととき、ここに留まった後、ある方向に向けて歩いて行ったらしかった。
 ――方角は、サイジェントへの街道だ。

 要するに、行き違ってしまったということだろう。

 そして、それを察したあとの彼らの行動は素早かった。
 とっさに走り出そうとしたバノッサを、ソルとアヤが押さえ込む。
「何しやがる!」
「おまえこそ、その人を見つけて何をするつもりだよ!?」
 っていうか抜き身の剣手に下げたままで走りだすんじゃない。
 何が悪い、という顔になったバノッサを見て、アヤがちょっぴり嘆息した。


 とはいえ、実はバノッサはことばに詰まってもいた。
 別に何かをしようとか、考えていたわけではない。
 今まで何度かじらされた、わけのわからない魔力だの耳鳴りだのの正体をつきとめたくて苛々していたのも、当然あるけれど。
 ――ただ。
 見てみたく思った、それだけ。
 逢ってみたいと思った、それだけ。
 その後のことはその後決める、そのつもりだった。
 だからことばに詰まったのだけど、生憎、ソルはそうは考えなかったらしい。
 『とても口には出来ないようなこと』をするつもりなのだとでも思ったのか(ていうかバノッサなら口に出しそうなもんだが)、
「その人を探すなら一緒に行こうぜ。その方が安全だ。その人が。」
 余計に気負った表情で、がっしりバノッサを掴んだまま、きりっと真摯にそう云った。
 そうして、ぽん、とアヤが手を打って微笑む。

「そうですね、旅は道連れと云いますしね」

 ちがう。(×2)

 まったく同じタイミングでツッコミを入れかけた血縁上義理の兄弟は、まったく同じタイミングで開こうとした口を閉じた。
 誓約者たちと護界召喚師たちを合わせたなかで、誰が最強なのかと云う問いには、絶対、今手を打ち鳴らした少女の名前が挙がるからである。
「じゃ、行きましょうか」
 もはや彼女のなかでは、バノッサの同行は確定済みらしい。
 とっととメイトルパから数人が乗れる大きさの、鳥にも似た召喚獣を喚びだしつつ、にこやかに、そう云い放った。

 ――さわさわと、風が吹いていた。


 さわさわ、さわさわ。世界が騒ぐ。
 目覚めのときだよと彼女を喚ぶ。おかえりなさいと喚びかける。
 けれどその声は届かない。
 届かなくさせた人がいる。
 届かなくてもいいと思ってる人がいる。
 ……どちらも、人ではないけれど。



 さわさわ、さわさわ。
 風が騒いでいるような気がして、ふと、顔を上げた。
「どうかしたのかい?」
 隣を歩いて、いろいろと気さくに話しかけていてくれたイリアスが、の急な行動に疑問を投げてくる。
「……えっと……何か騒いでるみたいな……?」
 しばらく話している間に、すっかり仲良しさんになってしまった気安さも手伝って、は顎に指を当てると、ちょっと首を傾げてみせた。
 その隣では、バルレルがもう少し詳しい部分で、何かを感じたらしい。
 怪訝な顔になって、と同じように空を見上げている。
「イリアス様?」
 こちらのやりとりが聞こえたらしいサイサリスも、足を止めてたちを振り返っていた。
 最初は無表情の印象が強かったけど、髪につけてる猫の髪飾りがかわいくて、うらやましがったら売ってるお店を教えてくれた親切な人だ。
 そして、イリアスがサイサリスへ何かを云おうとしたとき、

 ――バサァ、と。
 大きく、空気が薙いだ。

 同時に、それまで降り注いでいた日光が、一気にさえぎられる。
 雲は出ていなかったはずだけど、と、は、イリアスに向けていた視線を再び空に戻そうとする。

「……あ」

 真っ先にそれに気づいたのは、でもなくバルレルでもなく、さりとてイリアスでもなかった。
 彼らの周囲にいた、名も知らぬひとりの騎士だった。
 騎士は空を見上げ、一点を指差し、
「イリアス様、鳥です!」
「鳥?」
 その声を聞いた全員が、一斉に、その騎士の指差す方を見上げ――

「……鳥だな。とりあえず」

 半眼になってバルレルがつぶやいた。
 鳥は小さいものだという一般的な観念をぶち壊すべく、一瞬にしてその一帯を影で覆ったばかでかいものを鳥と云うなら、であるが。

 一行が見守るなか、その鳥はたちから少し離れた場所に着陸した。
 着陸のときに強い突風が吹いて、思わず吹き飛ばされそうになったのを必死で踏みとどまる。
 しばらく耐えていると風がおさまって、鳥の背から、3つの人影が滑り降りた。
 最後の、ひらひらした服を着た人――離れてて顔は判らないけれど、たぶん女の人だろう――が、鳥の頭を撫でて何事かささやいた。
 ――刹那。
 見慣れた光に包まれて、その鳥は、瞬時に姿を消す。
「……やっぱ召喚獣かよ……」
 タネが判ればなんとやら。
 あれは送還の光だ。
 見知らぬ土地での見慣れた光に、ちょっと親近感を覚える
 どうやら召喚師らしい。――そして、召喚獣への接し方も、どこか、今ははぐれた人たちを彷彿とさせる。
 だが、隣に立って、同じようにその光景を眺めていたバルレルが、じゃり、と一歩下がった。
「バルレル?」
「……なんだ、アイツら……」
「どうしたの?」
 いったいどうしたというんだろう。
 敵意とかそんなのじゃないけれど、某詩人に対するものでもないけれど、警戒心というか、強張っているというか。
 そんなバルレルと戸惑うを見て、イリアスが笑う。
「ははは、大丈夫だよ。……そうか、君は召喚獣だから、そういうのに敏感なんだな」
「何がだよ?」
 ほとんど睨みつけていると云っても良い目つきで騎士団長を見やり、バルレルが問うた。
 せっかく調書だけで済ませてくれると云っているのに、ご機嫌損ねて牢屋送りになったりしないかと、としては気が気じゃないというのに。
 けれど、イリアスはすでに、鳥からおりてきた人たちのところに歩き出していて、こちらの声は聞こえていないらしかった。
 スタスタ、と、彼らの顔が見えるくらいまで近づいた騎士団長は、後ろ姿からでも判るくらい顕著に、首を傾げる。

「珍しい取り合わせだな。どうしたんだ?」

 たぶんそうじゃないかと思ったけれど、どうやら、彼らはイリアスの知り合いらしかった。
 とバルレルは顔を見合わせて、とっくに歩き出していたサイサリスの後を追い、小走りに前方へ進む。
 他の騎士たちはその場で待機するつもりらしく、たちの後ろに留まっていた。

 そうして近づくにつれて、だんだんと、鳥から降りた人たちの顔がはっきり見えるようになる。

「好きで来たわけじゃねぇ! こいつらに無理矢理同行させられたんだよッ」
 仏頂面でつぶやいているのは、なんだか異常に肌の白い(イオスより白そうだ)、目つきの鋭い人。
 腰に下げた二本の大剣が、とっても物騒。

「もしかして、儀式跡に行ったのはイリアスたちか?」
 そう問いかけているのは、ちょっと跳ね気味の茶色の髪をした、丸っこい目の人。
 手にした杖が、召喚師なんだろうことを教えてくれる。

 そうして視認しながら、たちはとうとう、彼らの目の前にまで辿り着いた。

「あの魔力の持ち主さんが、イリアスさんたちということは……ないですよね」
 茶色の髪の人のことばに頷いたイリアスに、再度、つぶやくように問うたのは。
 黒い、長い髪。対照的な赤を基調とした服の。
 おっとりと微笑む――

 ――お誕生日、おめでとう。

 重ねて見えた遠いひと。
 重ねて聞こえた遠い声。

 目を見開いた。零れ落ちそうなくらい、まん丸く。
「……あ……」
 今自分の目の前にいるのが誰なのか、判ってしまった。知ってしまった。

 霞が晴れる。
 その人の存在は、最後の鍵。

 10歳の誕生日の目前まで、過ごしていた世界へ繋がる、たったひとつの鍵だった。
 10歳までのをつくった、の礎のひとつ、もう手は届かぬはずの鍵だった。

 ……鍵は揃った。思い出せ。ひとつめの覆いを取り外せ。

 さわさわ、と、優しい風が吹いていた。

 ……思い出した。

 さわさわ、さわさわ。世界が騒ぐ。
 目覚めのときだよと喚びかけていた。

「綾姉ちゃん……!!」

 さわさわ、さわさわ――世界が騒いだ。


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