TOP


第26夜 九
lll そして見失われたもの lll




 それはおそらく、あとで考えてみたらほんの一瞬のコトだった。
 少なくとも、それを見ていた周囲の人たちには、またたきするかしないかの間だったらしいとあとで聞いた。
 だけどやっぱり、当事者たちにとっては、とてもとても長い時間だったように思う。
 時間も場所も何もかも、隔てた場所に、そのときはいたんじゃないだろうか――いや、いたのだ。曖昧な錯覚でなく、確固とした実感を。そのとき、抱いていた。

 変えられ、歪められた哀れな存在に、触れながら。

 だけどおまえはここにいる。
 だからおまえもひとつの命。おまえもひとつの、リィンバウムに在る魂。
 だいじょうぶ。
 おまえもこの世界に生きる命なら、あたしの声、届くでしょ?
 だいじょうぶ。
 ――ほら、そこに輪廻の流れが見えるでしょ?
 戻れるよ。その忌まわしい身体を捨てて。本来の魂に。

 だから、あたしに預けて。少しの間。
 力と意志と魂を、わたしは解いてあげられるから。

 ――いつでも、貴女の望みになら……

 そうして。世界は応じた。

『……1』


 手のひらに感じたのは、膨大な熱。
「――ッ!!」
 まるで、誰かに頭のなかをかきまわされているような云い知れぬ感覚。
 それは一気にの身体の中を通って、弾けるように外界に飛び出る。
 想像したこともないその不快感に、思いっきり顔をしかめた。
 そうしてそれを間近で見る羽目になったアメルとネスティが、それまで以上に表情を苦痛に染め上げた。

 引き金は、結局それだったのかもしれない。

……!」
「いや、だめ――!!」

 最後に聞こえたのはふたりの声。
 それから、それまでのものとは全然別の、流れ込んでくるふたつの奔流。
 いや――ふたつは、よっつの。ちから?

 否。それらはすべて別のもの。
 ひとつの暴力、ふたつのちから、よっつのかがやき、

 ――そしてひとつのしろいひかり。

 見えたのは光だった。
 スルゼン砦で見たそれに似た、光の奔流。白い――純白の。

 それらが、一箇所に集ったのだ。
 最後の最後に感じたのは、とてつもない衝撃。
 そして当然のように、意識が、すぅ、と遠ざかる。不快ではなかった。ただ、静かな気持ちに満たされていた。

 そうして、祈る。
 どうか、皆が無事でいますように。
 この訳の判らない力を、どう説明しようか迷いながら。祈った。
 大平原のときみたく、判らないけど使えた、で納得してくれるかな。
 何もかも、とりあえず起きてからだけど――途切れる寸前、そう思って。それから、意識を手放した。


 次に目が覚めたとき、自分のいる場所のことなど、とんと考えずに。



 光が。迸った。
 衝撃が。身体を襲った。
 その瞬間、五感すべて働いていたはずなのに、感じとれたのはそれだけだったように思う。
 少しずつ感覚が戻る。
 自分の身体がそこにある実感を取り戻す。
 光は。
 爆発の光。
 衝撃は。
 爆発の衝撃。
 そう思っていたのだけれど。

「……俺……?」

 あの世に吹っ飛んだしては、背中に感じる草や地面の感覚が、どうにも現実じみていた。
 そのことが、意識を覚醒させる。
「……生きてる……?」
 目の前に手をもってきて、握って開いてを繰り返し、これはたしかに自分の肉体なのだと実感した。
 がばりと身体を起こす。
「アメル! ネス! !」
 爆発の寸前、いちばん中心地に近い場所にいた人たちの名前を呼んだ。
 呼ぶと同時にあたりを見渡す。
 名前を呼んだ相手を見つける前に、ぼすっ、と。
 勢いよく、背中から抱きついてくる、云い得て妙だが軽い重み。
「おにいちゃん……!」
「ハサハ……大丈夫か?」
 振り返って頭をなでてやると、涙目でこくりと頷く、マグナの護衛獣。
 もうひとりの護衛獣は、どうやら機械魔に銃をぶっ放すつもりだったらしく、構えを解かずに立っていた。
「レオルドも。もう大丈夫だぞ」
「判リマシタ、主殿」
 マグナのことばに応えて、レオルドが銃を下ろす。
「ご主人様〜〜〜〜!!」
 その横をすり抜けて、たった今硬直の解けたらしいレシィが、トリスに向かって特攻していた。
 それを真正面から受け止めたトリスは、ちょっと咳き込みながらも抱き上げてなでてやっている。
 ……生きてる。
 もう一度、実感した。
 たしかに爆発は起こったはずなのに、自分たちは死んでいない。
 まだ、この身はリィンバウムに……禁忌の森に存在している。
 そのことに安堵し、その直後。
 さっき名前を呼んだ人たちの返事がまだないことに気がついて、あわてて、再度周囲を見渡し、
「――――」
 ぎくりと骨が固められたように、そこで動きは止まってしまった。

「……よかった」

 その人の姿が視界に入ると同時。
 その人は、そう云ってくれたのに。

「……アメル……その、羽……!?」

 驚いた、トリスの声。
 それからざわついているみんなの声が、ようやく耳に届く。

 見覚えがある気がするのは、彼女が今まとう光が、いつかスルゼン砦で見たそれに、酷似しているから。
 だけど、あのときとは確実に違うことが、ひとつ。
 あのときは、あんなものなかった。
 それは、その背から生え、まるで彼女自身を守るように輝いている。羽。

 ドクン、と。
 心臓が大きく跳ね上がる。

 この云い知れぬ罪悪感。慙愧の念。
 機械遺跡で感じていた嫌な感覚が、再びマグナに襲いかかる。
 トリスに視線を転じると、それは彼女も同じコトらしく、レシィを抱きしめる肩が震えていた。

 何が。どうなっているのか。

「……ネス……?」

 トリスの声に誘われるように、妹が見ている方に視線を投げた。
「……ネス、その身体……!?」
 夢じゃなかった。
 あの鋼色。鉄色? あらざる肌の色。
 アメルのときと同じほどの衝撃と、罪悪感が、また、心を苛んだ。

 何が。どうなっているのか。

 判らない。
 判れない。

 ……判りたくない、だけ?

 立て続けに起きた出来事に硬直していた仲間たちが、こわごわと、爆心地に程近いこちらを、伺っている。
「何が……どうなったんだ?」
 フォルテの声。
「あなたたち、……その姿は……」
 ケイナの声。
 それが聞こえていないのか、ネスティはただ、マグナとトリスの方だけをじっと見たまま、口を開いた。
 浮かぶ表情は、笑み。自嘲的な。

「……君たちには、この姿を見せたくなかった」

 それから、つと、仲間たちを振り返り、

「僕は……この世界の人間ではない」

 その瞬間、一帯を満たした動揺も、驚愕も、まるで感じていないように。感じなくしているように。
 淡々と。
 諦めた故か。覚悟を決めた故か。

「僕の本当の名前はネスティ・ライル」

 もう、いい。と。
 悲鳴をあげる心。
 得体の知れない不安と怯えが、実体さえ伴って喰らい尽くしかねない勢いで増殖する。

「――召喚兵器……ゲイル開発に関った、ロレイラルの融機人、ライル家の末裔だ」

「……」

 ぱく、ぱく、と。

 トリスの口が声を出さずに動く。マグナには判った。なんと云いたかったのか。
 自分も同じコトを……『ウソ』だと、云いたかったから。

 目が。ネスティから誰かを捜すように勝手に動く。
 誰を捜しているのか、自分でも判らないのに。勝手に。求めるように。
 ――だいじょうぶ。
 そう云って笑ってくれた子は……どこ?

 だけどその子を見つけるよりも先に、光をまとって立つ、聖女の姿が視界に入る。
 視線がぶつかる。
「……あたしも、思い出しました」
 ネスティに視線を移し、それから哀しく微笑って、アメルは告げた。

 もう、いい。
 そう云いたいのに身体が動かない。

「あたしのこの身体は、天使アルミネの魂のかけら……召喚兵器となることで、戻るべき世界を失くしてしまった、魂のかけらなんです」

「そして」、
 ネスティとアメルが、同時に、自分たちを見た。
「……マグナ……トリス」

 もういい。

「君たちは……」

 もうやめて、

「……やめて、くれ……」

 大好きな仲間たち。
 大好きなネスティ。
 大好きなアメル。

 その声が、自分たちを追い詰める。
 知らず後ずさった身体が、誰かにぶつかった。
 過剰な反応を示して振り返ると、そこには、自分と同じ色の双眸が、涙をたたえてこちらを見上げていた。

 昔そうしたように。
 魔力を暴走させて派閥に連れてこられた、最初の数日、そうしたように。
 世界に頼るものは兄妹、お互いしかいなかったあのときのように。
 抱きしめるけれど、震えは止まらない。

 ――そうしてアメルの声がする。
「……ゲイルを生み出した調律者の一族」

 ――そしてネスティの声がした。
「クレスメント家の末裔なんだ……」

 ――そしてそれをかき消したくて、喉は勝手に叫んでいた。
「もうやめてくれえぇッ!!」
「いやああぁぁぁッ!!」

 聞きたくなかった。
 知らされたくなかった。
 感じていた不安も怯えも何もかも、このことばを予感していたのとはっきり判った。

 だけども叫んだところで、発されたことばは消えない。この血に流れる罪もまた。
 忘れかけていた、よどみのような黒い感情が、ふくらみだす。
 妹の震えつづける身体は、いくら抱きしめていても止まらない。
 強く目を閉じる。
 もしかしたら、心のどこかで期待していたのかもしれない。

 だいじょうぶ。

 そう云って、どんなときでも伸ばされた手を。その手に救われることを。

 ……だけど。

 離れた場所で、沈黙を以ってこちらを見守っていた仲間たちのざわめきが、大きくなった。
 自分を保てているのが不思議なほど、渦巻いて混乱した意識に、途切れ途切れにことばが届く。

「……おい。は!?」
「さっきの爆発でもしかして……!」
「ちょいと、バルレルの姿も見えないけど……」

 だいじょうぶ。
 そう、微笑んでくれた子は。

「……どこに行ったんだあいつら……!?」


 ――ねえ。

 何処に、いるの。


 ……何処に、行ったの?


 ……


←第26夜 八  - TOP -  第27夜 壱→