それはおそらく、あとで考えてみたらほんの一瞬のコトだった。
少なくとも、それを見ていた周囲の人たちには、またたきするかしないかの間だったらしいとあとで聞いた。
だけどやっぱり、当事者たちにとっては、とてもとても長い時間だったように思う。
時間も場所も何もかも、隔てた場所に、そのときはいたんじゃないだろうか――いや、いたのだ。曖昧な錯覚でなく、確固とした実感を。そのとき、抱いていた。
変えられ、歪められた哀れな存在に、触れながら。
だけどおまえはここにいる。
だからおまえもひとつの命。おまえもひとつの、リィンバウムに在る魂。
だいじょうぶ。
おまえもこの世界に生きる命なら、あたしの声、届くでしょ?
だいじょうぶ。
――ほら、そこに輪廻の流れが見えるでしょ?
戻れるよ。その忌まわしい身体を捨てて。本来の魂に。
だから、あたしに預けて。少しの間。
力と意志と魂を、わたしは解いてあげられるから。
――いつでも、貴女の望みになら……
そうして。世界は応じた。
『……1』
手のひらに感じたのは、膨大な熱。
「――ッ!!」
まるで、誰かに頭のなかをかきまわされているような云い知れぬ感覚。
それは一気にの身体の中を通って、弾けるように外界に飛び出る。
想像したこともないその不快感に、思いっきり顔をしかめた。
そうしてそれを間近で見る羽目になったアメルとネスティが、それまで以上に表情を苦痛に染め上げた。
引き金は、結局それだったのかもしれない。
「……!」
「いや、だめ――!!」
最後に聞こえたのはふたりの声。
それから、それまでのものとは全然別の、流れ込んでくるふたつの奔流。
いや――ふたつは、よっつの。ちから?
否。それらはすべて別のもの。
ひとつの暴力、ふたつのちから、よっつのかがやき、
――そしてひとつのしろいひかり。
見えたのは光だった。
スルゼン砦で見たそれに似た、光の奔流。白い――純白の。
それらが、一箇所に集ったのだ。
最後の最後に感じたのは、とてつもない衝撃。
そして当然のように、意識が、すぅ、と遠ざかる。不快ではなかった。ただ、静かな気持ちに満たされていた。
そうして、祈る。
どうか、皆が無事でいますように。
この訳の判らない力を、どう説明しようか迷いながら。祈った。
大平原のときみたく、判らないけど使えた、で納得してくれるかな。
何もかも、とりあえず起きてからだけど――途切れる寸前、そう思って。それから、意識を手放した。
次に目が覚めたとき、自分のいる場所のことなど、とんと考えずに。
光が。迸った。
衝撃が。身体を襲った。
その瞬間、五感すべて働いていたはずなのに、感じとれたのはそれだけだったように思う。
少しずつ感覚が戻る。
自分の身体がそこにある実感を取り戻す。
光は。
爆発の光。
衝撃は。
爆発の衝撃。
そう思っていたのだけれど。
「……俺……?」
あの世に吹っ飛んだしては、背中に感じる草や地面の感覚が、どうにも現実じみていた。
そのことが、意識を覚醒させる。
「……生きてる……?」
目の前に手をもってきて、握って開いてを繰り返し、これはたしかに自分の肉体なのだと実感した。
がばりと身体を起こす。
「アメル! ネス! !」
爆発の寸前、いちばん中心地に近い場所にいた人たちの名前を呼んだ。
呼ぶと同時にあたりを見渡す。
名前を呼んだ相手を見つける前に、ぼすっ、と。
勢いよく、背中から抱きついてくる、云い得て妙だが軽い重み。
「おにいちゃん……!」
「ハサハ……大丈夫か?」
振り返って頭をなでてやると、涙目でこくりと頷く、マグナの護衛獣。
もうひとりの護衛獣は、どうやら機械魔に銃をぶっ放すつもりだったらしく、構えを解かずに立っていた。
「レオルドも。もう大丈夫だぞ」
「判リマシタ、主殿」
マグナのことばに応えて、レオルドが銃を下ろす。
「ご主人様〜〜〜〜!!」
その横をすり抜けて、たった今硬直の解けたらしいレシィが、トリスに向かって特攻していた。
それを真正面から受け止めたトリスは、ちょっと咳き込みながらも抱き上げてなでてやっている。
……生きてる。
もう一度、実感した。
たしかに爆発は起こったはずなのに、自分たちは死んでいない。
まだ、この身はリィンバウムに……禁忌の森に存在している。
そのことに安堵し、その直後。
さっき名前を呼んだ人たちの返事がまだないことに気がついて、あわてて、再度周囲を見渡し、
「――――」
ぎくりと骨が固められたように、そこで動きは止まってしまった。
「……よかった」
その人の姿が視界に入ると同時。
その人は、そう云ってくれたのに。
「……アメル……その、羽……!?」
驚いた、トリスの声。
それからざわついているみんなの声が、ようやく耳に届く。
見覚えがある気がするのは、彼女が今まとう光が、いつかスルゼン砦で見たそれに、酷似しているから。
だけど、あのときとは確実に違うことが、ひとつ。
あのときは、あんなものなかった。
それは、その背から生え、まるで彼女自身を守るように輝いている。羽。
ドクン、と。
心臓が大きく跳ね上がる。
この云い知れぬ罪悪感。慙愧の念。
機械遺跡で感じていた嫌な感覚が、再びマグナに襲いかかる。
トリスに視線を転じると、それは彼女も同じコトらしく、レシィを抱きしめる肩が震えていた。
何が。どうなっているのか。
「……ネス……?」
トリスの声に誘われるように、妹が見ている方に視線を投げた。
「……ネス、その身体……!?」
夢じゃなかった。
あの鋼色。鉄色? あらざる肌の色。
アメルのときと同じほどの衝撃と、罪悪感が、また、心を苛んだ。
何が。どうなっているのか。
判らない。
判れない。
……判りたくない、だけ?
立て続けに起きた出来事に硬直していた仲間たちが、こわごわと、爆心地に程近いこちらを、伺っている。
「何が……どうなったんだ?」
フォルテの声。
「あなたたち、……その姿は……」
ケイナの声。
それが聞こえていないのか、ネスティはただ、マグナとトリスの方だけをじっと見たまま、口を開いた。
浮かぶ表情は、笑み。自嘲的な。
「……君たちには、この姿を見せたくなかった」
それから、つと、仲間たちを振り返り、
「僕は……この世界の人間ではない」
その瞬間、一帯を満たした動揺も、驚愕も、まるで感じていないように。感じなくしているように。
淡々と。
諦めた故か。覚悟を決めた故か。
「僕の本当の名前はネスティ・ライル」
もう、いい。と。
悲鳴をあげる心。
得体の知れない不安と怯えが、実体さえ伴って喰らい尽くしかねない勢いで増殖する。
「――召喚兵器……ゲイル開発に関った、ロレイラルの融機人、ライル家の末裔だ」
「……」
ぱく、ぱく、と。
トリスの口が声を出さずに動く。マグナには判った。なんと云いたかったのか。
自分も同じコトを……『ウソ』だと、云いたかったから。
目が。ネスティから誰かを捜すように勝手に動く。
誰を捜しているのか、自分でも判らないのに。勝手に。求めるように。
――だいじょうぶ。
そう云って笑ってくれた子は……どこ?
だけどその子を見つけるよりも先に、光をまとって立つ、聖女の姿が視界に入る。
視線がぶつかる。
「……あたしも、思い出しました」
ネスティに視線を移し、それから哀しく微笑って、アメルは告げた。
もう、いい。
そう云いたいのに身体が動かない。
「あたしのこの身体は、天使アルミネの魂のかけら……召喚兵器となることで、戻るべき世界を失くしてしまった、魂のかけらなんです」
「そして」、
ネスティとアメルが、同時に、自分たちを見た。
「……マグナ……トリス」
もういい。
「君たちは……」
もうやめて、
「……やめて、くれ……」
大好きな仲間たち。
大好きなネスティ。
大好きなアメル。
その声が、自分たちを追い詰める。
知らず後ずさった身体が、誰かにぶつかった。
過剰な反応を示して振り返ると、そこには、自分と同じ色の双眸が、涙をたたえてこちらを見上げていた。
昔そうしたように。
魔力を暴走させて派閥に連れてこられた、最初の数日、そうしたように。
世界に頼るものは兄妹、お互いしかいなかったあのときのように。
抱きしめるけれど、震えは止まらない。
――そうしてアメルの声がする。
「……ゲイルを生み出した調律者の一族」
――そしてネスティの声がした。
「クレスメント家の末裔なんだ……」
――そしてそれをかき消したくて、喉は勝手に叫んでいた。
「もうやめてくれえぇッ!!」
「いやああぁぁぁッ!!」
聞きたくなかった。
知らされたくなかった。
感じていた不安も怯えも何もかも、このことばを予感していたのとはっきり判った。
だけども叫んだところで、発されたことばは消えない。この血に流れる罪もまた。
忘れかけていた、よどみのような黒い感情が、ふくらみだす。
妹の震えつづける身体は、いくら抱きしめていても止まらない。
強く目を閉じる。
もしかしたら、心のどこかで期待していたのかもしれない。
だいじょうぶ。
そう云って、どんなときでも伸ばされた手を。その手に救われることを。
……だけど。
離れた場所で、沈黙を以ってこちらを見守っていた仲間たちのざわめきが、大きくなった。
自分を保てているのが不思議なほど、渦巻いて混乱した意識に、途切れ途切れにことばが届く。
「……おい。は!?」
「さっきの爆発でもしかして……!」
「ちょいと、バルレルの姿も見えないけど……」
だいじょうぶ。
そう、微笑んでくれた子は。
「……どこに行ったんだあいつら……!?」
――ねえ。
何処に、いるの。
……何処に、行ったの?
……