――最初に見えたのは、闇。
どうやら、倒れているらしい。妙な気だるさを訴えている身体に力を入れて、なんとか起こす。
身体の下にあったのは、なにやら金属の……床、だろうか。改めて手のひらで触れると、ひんやりした感触を伝えてきた。
ぎゅぅっと目を閉じて、開く。
暗闇に慣れてきた視界に、うすぼんやりと、何かの輪郭が見えた。
「……おにいちゃん……おにいちゃんっ……!」
「ハサハ!」
「ご主人様〜〜っ」
「レシィも……じゃあ」
「オレならここだぜ」
「生体反応ヲ当機以外ニ8名確認……イズレモ外傷等ハ見受ケラレマセン」
まだ意識を失っているらしいマグナを起こそうとしているハサハ。その横で同じように、わたわたしながらトリスを揺すっているレシィ。
壁に寄りかかった形で、片手をあげてバルレルが応え、律儀にレオルドが状況を解説してくれる。
「、無事か?」
「だいじょうぶ?」
「ネスティ。アメル」
一足早く起きたのか、それとも意識を失わずにいられたのか。
少し離れた場所に立っているのは、ネスティとアメルだった。
「……うん、あたしは平気」
彼らの声にも、特に怪我など負った様子はない。安心しつつ、も己の無事を告げた。
どうやら、あの光はマグナとトリスの周辺にいた人間をひとまとめにこの場所に転送してくれたらしい。
そう考えたとき、
「ん……」
「……っ」
その兄妹も、目を覚ましたようだった。
「ふたりとも平気?」
「あ、うん……俺たちはだいじょうぶだけど……」
よほど驚いたのか、裾にしがみついて離れようとしないハサハの頭をなでてやりながら、マグナが応じた。
そうして話しているところを見るに、あちらも、特にダメージを受けたと思わせるものはない。
その横で、トリスがぐすぐす云っているレシィに抱きつかれている。彼女も、うん、だいじょうぶそう。
とりあえず、この場の全員の安全はこれで確認できたとして――だが、だからと云って、それだけで今の状態の理解は出来ない。
で。理解したいのはやまやまだが、誰に訊けばこの疑問の回答をくれるんだろうか。みんな一緒にいきなりこんな処に飛ばされたのに。
「……遺跡の内部だよ、ここは」
全員が怪訝な表情を浮かべている中、ネスティが冷静にそう告げた。
「ネス?」
「さっきの光は、転送を行う装置が照射したものだ。害はない」
トリスの呼びかけには応えず、ネスティは淡々と告げる。早口に――まるで何かから逃げるように。
「眠っていた遺跡のシステムが、君たちの声紋と魔力に反応して起動したんだ」
君たち、と云われて視線を向けられたマグナとトリスは、ことばの意味を理解して飲み込むだろうまでの間、しばらく、硬直していた。
そして、数秒の間を置いて、ぎょっとした顔になる。
「ちょっと待てよ!? なんで俺たちの声なんかで反応するんだよ!」
それは、抱いて当然の疑問。
もアメルも護衛獣たちも……ネスティ以外の全員が、説明を求めてネスティを見た。
ネスティはひとつ息をつき、説明しようと口を開き――かけたけれど、
『回答を、申し上げます』
それより先に。
『それは、貴方がたが調律者であるクレスメント家の血を引くからです』
さっき遺跡の外で、いきなり転送しますとかのたまってくれた『声』が、マグナの問いに答えていた。
この場の誰のものでもない『声』。
「誰っ!?」
アメルが気丈に誰何する。
けど返答はない。
だからといって引き下がるつもりはないらしく、どこから聞こえるか判らない声に向けて足を踏み出そうとしたアメルの腕を、は、そっと押さえた。
こちらを見る彼女に、首を横に振ってみせる。
「たぶん、この遺跡が……」
「この遺跡が、あたしたちに話しかけてる……?」
のことばの語尾に重なって、トリスのつぶやきがもれた。
『そのとおりです、調律者よ』
今度は即座に応じる『声』……遺跡。トリスとマグナ以外のことばには反応しないつもりかこいつ。
『私は当研究所のナビゲーターシステム。調律者たちによって作成された……【ゲイル計画】の運営ならびに、データ管理のプログラムです」
またしても、一行の間に生まれる怪訝な空気。
ただ、ネスティだけが彫像と化したように無表情のまま、動かない。
「はーい、先生しつもーん。ゲイル計画てなんですかー」
返事がくるのか怪しく思いながら、手を上げてすかさず問うてみる。
心なし半眼になっているを見て、レシィがびくっとしているけれど、それは後で謝ろう。怖がらせてごめん。
『ゲイル計画とは――』
おや。
どうせ答えはこないだろうと思っていたら、遺跡はあっさり応じてくれた。
そうして、遺跡は告げた。
『ゲイル計画とは、召喚術を超えた召喚術を作り出すためのプロジェクト』
……遺跡は続ける。
『召喚された対象に ロレイラルの機械工学技術による強化改造を施すことによって――』
……遺跡が、
『圧倒的な戦闘力を持つ召喚兵器【ゲイル】として、運用するための計画です』
のたまい終えたのは、訊かなければよかったという実にでっかい後悔を、の胸に植え付けるに充分すぎるほど、衝撃的なものだった。
「……」
ことばはたしかに頭に入ったはずなのだけど、まるで木の葉みたいにぐるぐるまわる。
単語と単語がバラバラになって、まるで、理解するのを拒んでいるような感じ。
だけど。
呆然としている間にも、の頭は実に正確に、告げられた文章を組み合わせて――意味を。理解していた。
同時に脳裏に浮かんだのは、トリスとマグナの護衛獣の彼らのこと。
召喚獣――だ。彼らも。
「……ざけんじゃねぇぞ……」
「……そんな……ひどいですっ……!」
憤りを隠そうともせず、低い声でバルレルがつぶやいた。目に、剣呑な光が生まれている。
レシィが、さっき以上に涙目になって。
ハサハなんかもう、ぽろぽろ、泣いている。
「やめてって……なきごえがきこえる……」
レオルドは無言だけれど――見ているうちに、どうしてか、周囲の空気が帯電しているような。そんな感覚に見舞われた。
それから思いついたのは、アグラバインの話のことだ。
「それじゃ……おじいさんの云っていた、召喚術を超える力っていうのは……!」
同じコトを思いついたらしく、驚愕の表情を隠そうともせず、アメルが叫んだ。
それ以上はことばにならず、喉を詰まらせた彼女の代わりにつづきをつむぐのは、ネスティだった。
「そう……ゲイル計画によって生み出される召喚兵器と、そのノウハウだ」
淡々と語っているように見える、ネスティだけれど。
その実、握りしめた手のひらは真っ白で、誰とも目を合わそうとしない。ちょっとつついたら倒れてしまいそうに。
――このこと、だったんだろうか。
いつか、主旨をほとんどすっ飛ばして話してくれた、彼の抱いてる罪の記憶というのは。
でも、ネスティはクレスメントの一族じゃないはずだ。だって遺跡が反応したのは、トリスとマグナの声なのだから。
でも、無関係ではないはずだ。でなければ、遺跡に取り込まれた理由やなんかを、説明出来るはずがない。
じゃあ。
ネスティは、『何』だと云うんだろう。
どんな形で、この忌まわしいものに関っていると云うんだろう。
「ちょっと待って!」
思考の海に沈みかけたの意識を、トリスの叫びが再び現実に引き戻す。
「……そんなこと……召喚された子の身体に機械なんかつけて兵器にするなんて……そんなことして、その子の意志はどうなるの!?」
『心配はありません、調律者よ』
どこまでも平坦な遺跡の声に、また、途方もなく嫌な予感を覚えた。
『ゲイルとしての強化改造の過程で、素体となる召喚獣の意識はプログラム制御下におかれ、完全に抹消されます』
つづけられたネスティのことばにも、同じように。
「ゲイルとなった時点で、素体となった召喚獣は本来の生き物ではなくなる……苦痛も喜びも感じない兵器として、破壊されるまで稼動しつづけるんだ」
『自動制御の兵器として、まさに理想なのです』
そうして告げた遺跡の『声』に、ありえぬはずの感情を――誇らしげなものを感じた理由は、嫌悪以外のなにものでもなかった。
「なんて、ことを」
頭の奥がぐらぐらする。
何を云えばいいのか判らない。
ひどいとか、残酷だとか。
そんなことばじゃ追いつかないくらい、沸騰しそうなこの感情を。なんと云うのか判らない。
「……これなのか? ネスが隠してた派閥の機密っていうのは……」
「――」
霞がかったような視界の端で、ネスティが深く俯くのが見えた。
「ひどすぎますっ! 召喚獣さんたちを、そんな、道具みたいに使うなんて……っ!!」
アメルの非難は、誰に向けられているのだろう。
機械遺跡? ネスティ? それとも――
そうして涙をにじませるアメルの横、同じように泣き出しそうな顔をしたトリスがいる。
「こんな……こんな研究、間違ってるっ!!」
どうしようもない、憤りと哀しみとが、空間を満たす。
けれど。
『調律者よ』
そう。遺跡は、トリスとマグナをそう呼んでいる。
『それは矛盾しています。なぜならこの計画は、融機人であるライルの一族との技術提携によって、調律者である貴方がたクレスメントの一族が作り上げたものなのです』
その一族なのだと、告げているのだ。
ことばもなく。ただ。マグナとトリスは、立ち尽くす。
――バルレル――レシィ――ハサハ――レオルド――
ふたりはそれぞれの護衛獣を見て、泣き出しそうな顔になる。
声も出ない。出せない。
そんなの嘘だと云いたいのに、心のどこかがそれはまぎれもなく事実なのだと云っている。
心のどこかが認めている。
嘘ではないと。真実なのだと。この身に流れる血が云っている。
でも、知らない。
そんなこと、自分たちは知らない。
認められない……認めたくない……!
立っていられないほど、身体がゆらぎを感じる。
支えを求めて手を伸ばそうとして――『誰』に?
ネスティにも、アメルにも。ましてや、護衛獣の子たちにも、許されないことを犯した血が、この身のなかには流れてる。
今までどうやって立っていたのかさえ、忘れそうだ。
視界が急速に昏くなる。闇に包まれる。
――だけど。
「…………?」
ふわりと。トリスとマグナに向けて差し出される、手のひらの持ち主の名を。つぶやいたのはどちらだろう。
表情は哀しいけれど、その手のひらは。これまでに何度も差し伸べられてくれたものと同じだった。
誘われるように上体をかがめて、の手の動きに従って――それぞれ、の左右の肩に頭を押しつける。
ほのかに感じる人肌の暖かさに、困惑に覆われていた心が少しずつ凪いでいった。
「マグナさん、トリスさん……」
心配そうにこちらを見ているアメルに、だいじょうぶだよと首を振る。
口に出してもそう云おうとした矢先、
『理解していただくために、映像記録を再生します。ご覧下さい』
またも、遺跡が勝手に話を進める。
これ以上何の追い打ちをかけるつもりか。
だが、誰かが制止を云うより先に――そもそれで遺跡が止まる保証もないが――、ブゥン、と、空間のきしむような音がして、たちの目の前になにやらの映像が展開していた。
マグナとトリスも緩慢な動作で身体を起こし、視線をそちらへと移動させる。
最初のうちは、いまいち画質が粗く、よくは見えなかった。
だが、ジッ、ジッ、と、バラバラに動き回る粒子がだんだんと整っていくにつれ、それが何かの戦いの記憶なのだと見てとれる。
小刻みに視点が変わるのは、この映像を記録した機械が複数設置されていたことを示しているらしい。
ややあって、粒子はようやく、映像としての役割を果たすまでに調整された。
――木々に囲まれたなかに、大勢の悪魔がいる。
そしてその奥、画面中央に、悪魔たちとは違う存在が映っている。
神々しささえ伴う光をまとい、重力のくびきから逃れた位置に浮かぶ……天使なのだろうと思わせる、その存在。
悪魔たちが一斉に、それに向かって攻撃をしかける。
その瞬間、映像が切り替わる。
『天使』の顔が見える位置に。
『これが、調律者が最後に手がけられた最高のゲイル……』
遺跡の声が遠く聞こえた。
「……なにを」
つぶやく声は、己の喉を震わせているはずなのに、それより遠い。
……何を云っている? そう云いたかった。
だって、これは。この顔は。
『豊饒の天使アルミネを素体とした召喚兵器の戦闘記録です。たった一機で、この数の悪魔たちを圧倒する機能性があります』
見たくない。そう願うのに。
ありえない。そう思うのに。
まるで操られているかのように、視線が映像からそらせなかった。
さらに数度、視点が切り替わる。そしてまた、『天使』の顔を映し出す。
間違えようもない。この顔を、自分たちは知っている。
これは、
「……アメル……!?」
「いやああぁぁぁぁぁっ!!?」
かすれた声でマグナがつぶやくのと、頭を抱えたアメルが絶叫するのは同時だった。
かしいだアメルの身体を、はとっさに伸ばした腕で支える。気を失ったかと思ったけれど、幸い――とも云い切れないが、意識はまだ保っているようだ。
反対にの腕をつかみ、アメルはふらふらと……けれど自分の足で立ち、虚ろな目で中空に浮かぶ映像を――『自分の顔』を見た。
『しかし、この数分後――首領である大悪魔との戦闘により、召喚兵器アルミネは暴走。同行した調律者たちも帰還されず、当施設は機能停止に入りました』
遺跡が云うと同時、映像の森に、光が炸裂した。
ひときわ激しい閃光が、画面を埋め尽くす。
ザザアァァッ!
同時に画面は大きく乱れ、もはや映っているのは滅茶苦茶な粒子の嵐ばかり。
『ですが今――こうして、クレスメントの一族である貴方がたを迎えることが出来ました』
プッ、と。現れたときと同じように唐突に、展開していた映像は消え去った。
同時に、ガクリとアメルが膝をつく。
「アメル……」
糸の切れた人形のようになってしまった彼女を助け起こそうとしたの横で、マグナとトリスが同じように膝をつき、崩れ落ちていた。
――その名はクレスメント。
――その一族は調律者の名を戴く者。
「……」
焦点の合わない目で兄を見、妹を見る。
同じ髪の色、同じ目の色。
同じ血。一族。クレスメント。調律者。ゲイル。召喚獣。召喚兵器。アメル。アルミネ。豊穣の天使。マグナ。トリス。ネスティ。
頭のなかを、所狭しと、幾つもの単語が舞い踊る。
吐き出さなければ頭が破裂してしまいそうだ。
「調律者の一族……? 俺たちが……?」
「あんな恐ろしいものをつくりあげた……?」
期せずして同時にこぼれた兄妹の声を聞き、アメルが身体を震わせた。
『理解いただけましたか。新たなる調律者よ』
遺跡が一行に語りかける。
いや、正確には一行ではなく。呼びかけられているのは、そのなかの――
ふたりは、アメルと同じように身体を震わせて、声の源であると思われる方向に顔を上げた。
驚愕で自失している彼らの意識に、それでも、『声』は語りつづける。
『ご命令をどうぞ』
「……イヤ……」
トリスがぶんぶんと首を振る。もはや飽和状態まで溜まっていた涙が、空間に軌跡を描いた。
『ご命令をどうぞ?』
「……ウソだ……」
硬く握りしめられたマグナの手のひらから、ぽたりと、赤いものが滴った。
彼らにとって、遺跡の『声』は、
『ご命令を――』
断罪を叫ぶ苛烈な刃。
「やめてえぇぇぇっ!!」
「ウソだああぁぁぁッ!!」
「トリス! マグナ!!」
何も云えずに傍観していたネスティの目の前。
駄々をこねるこどものように両手を振り回し、身体全部で『声』を拒否しているふたりに抱きついてそれを抑えたのは、だった。
彼女に今まで支えられていたアメルが、代わりに崩れ落ちる。
けれど、アメルは数度首を振り、涙をぬぐうとすぐに立ち上がった。
そちらを見ていたネスティと、視線がぶつかる。交差する。
――微笑。
深い、深い哀しみをたたえ、それでも彼女はそうして笑んだ。
それを見せられた瞬間、今の彼女がどんな状態なのか、ネスティも察した。
思い出したのか。君は。
自分が何であったのか……思いだした、のか。
驚きながら、驚愕に染められていない思考の一部が、我ながら卑怯だと自嘲する。
こんな事態に陥るコトを何より恐れていたのに、その重荷の一端を吐き出した。弟弟子と妹弟子の真実を、明かした。
そのことに、抱えていたものの重みが少しまぎれたように思う自分が、本当に狡いと思う。卑怯だと思う。
「……」
にしがみついて震えているふたりを見て、を見た。
夜色の目は、ネスティの視線に気がつくとすぐに、こちらを見返してくる。
――それでも。
問いかけはことばにならず、ただ視線に乗せた。
――それでも、今のこの状態を見ても、君はこの道を選んだというのか?
それを受け止めたは、ちょっと首を傾げて。
何かを云おうと口を開き、
刹那。
ブツッ、と。
「?」
一度は途切れたはずの映像が、再び宙に像を結んだ。
『侵入者を確認しました。これより排除に入ります』
すわ、悪魔でも寄ってきたかと目を移して、は仰天した。
同じようにそちらを向いたネスティ、アメル、護衛獣の子たち、それに顔を上げたマグナとトリスの目も見開かれる。
「ちょっと待て!!」
驚きをそのまま声量に変えて、は叫んだ。
「……侵入者って……あれはあたしたちの仲間だよッ!?」