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第26夜 弐
lll 禁忌の森 -2- lll




 追いかけてくる足音も気配もないのをしつこいくらいに確認して、息を整える間、全員が無言のまま、それを見つめる。
 ごくり、と、生唾を飲み込む音も幾つか。緊張しているのか。
「これが、アグラ爺さんの話に出てきた遺跡……」
「……ずいぶんでっかい建物だねぇ……」
 どんなものか想像していなかったと云ったら嘘になるけれど、少なくとも、の予想よりは遥かにでっかいその遺跡。
「表面に草がからまって、森の風景に溶け込んでいたんでしょうね」
 遺跡の壁を覆っている草を指先でつまみながら、シオンが云った。
 シオンはさらに草をかきわけて指を潜らせ、用心深く、草を取り除く。
 見たこともない材質の、おそらく、これが本来の遺跡の壁面なんだろう。さらに草を取り除くと、ところどころに傷跡のようなものが見受けられた。へこんでいる場所や欠けている箇所もある。
「かなり損傷が激しいでござるな……」
 草を取り除いた場所だけでも、傷のない面積の方が少ないくらいである。
「悪魔たちがやったのでしょうか?」
 カザミネのことばに、シャムロックが、おそらく数人は思ったであろう予想を口にするけれど、
「……いえ、なにぶん、傷そのものがずいぶんと古いように思えますけれど……」
 いぶかしげに首をかしげているカイナのことばに、否定された。
「まあ、ぼけっと突っ立ってても始まらねーんだ。とにかく中に入ってみようぜ?」
「入るって云っても、どこが入り口なのか見当もつかないのに?」
「だったら、まずはそいつを見つけることからだな」
 気をとりなおすように云われたフォルテのことばにケイナがつっこむけれど、さらにそれをかわしてフォルテのことば。
 呼吸がぴったりと云うか、なんと云うか。
 もっともそんなこと、ふたりの目の前で云ったら大笑いされるかどつかれるかのどっちかのよーな気もしますが。
 ある意味感心してフォルテとケイナを見ていたの耳に、ロッカの声が聞こえてきた。
「じゃあ、手分けして遺跡の周りを調べましょう」
 ついでにリューグのため息も。
「ちッ、めんどくせえデカブツだな……」
「こら。ぼやかないの」
 けっこう近くに立っていた縁も手伝って、ぺしっと後頭部をはたく。
 さすがに、文句までは云われなかったけど。ちょっと痛かったのか、うらめしげにこっちを見られてしまった。
 ごまかし笑いで切り抜けようとしたら、ミニスまでもが頷いて、
「まったくだわ」
 とかのたまってくれるものだから、リューグの表情がますますうんざりしたものになる。
 で、それを見かねたらしいパッフェルが横からフォローを入れてくれたものの、それがまた、仏頂面度倍増になるにちょうどよいもので。曰く。
「頑張りましょうよー。意外と掘り出し物が見つかるかもしれませんよー?」
「……こんなトコロにどういう掘り出し物があるっていうんだ……」
 に始まってパッフェルで終わった3コンボに精神的に疲れたらしいリューグは、舌打ちひとつもらして、それでも遺跡の周辺を調べにその場を離れた。
 単に、これ以上要らんちょっかい出されて気力を消費したくなかったのかもしれない。

 さて、気配に敏感な数人に、悪魔がこないか見張りを頼んで、本格的に調査開始。
 調査と云っても、遺跡の草をひっぺがして壁を剥き出しにしてみたり、周囲の地面に何か埋まってないか掘り返してみたりといったもの。
 単純な作業だけど、ついついのめりこんで周囲が見えなくなるくらいまで集中してしまったは、しゃがんで地面を掘りながら後退している途中、とうとう人にぶつかってしまった。
「ごっ、ごめんネスティ……だいじょうぶ?」
「……」
 すぐに謝ったのだが、ぶつかった拍子にへたりこんだらしいネスティはそのままで、反応がない。
「……ネスティ?」
 もしかして、さっき悪魔と戦ってたときに怪我したとかじゃありませんよね? ぶつかったときにピンポイントでそこに当たったとかじゃないですよね?
 前科ありなので、妙な信憑性つきでそういう考えが浮かんでしまった。
 不安をにじませておそるおそる問えば、幸い、ネスティは首を横に振る。
 それからようやく顔を上げて、こちらを見てくれたのだけど、
「……本気でどうしたのなんですけど……」
 汗びっしょりだよ? そう指さしてしまうほど、ネスティの顔色は悪かった。特に暑いわけでもないのに、汗びっしょり。
 見ているのほうが、その壮絶さに思わず冷や汗浮かべたくらいだ。
 ネスティは、まるで睨みつけるようにの指を凝視していたかと思うと、

「……怖いんだ」

 ぽつり。
「え?」
 とても小さな声でつぶやかれたことばを、なんとか拾う。
「覚悟してきたはずなのに……逃げ出したいくらい怖いんだ……ッ」
 何に対して、そんなに恐怖を感じているんだろう。そう訊こうとしたものの、ネスティの様子はほんとうにひどかった。
 答えられるような雰囲気でも、そも、問いかけられる雰囲気でもない。
 開きかけた口を閉じ、代わりに、下草をつかんだまま震えているネスティの手を握った。
 いつか手をつないだとき以上に低い体温と、じっとり汗ばんだ手のひらが、彼の焦燥の一端を物語る。
 しばらくそうしていると、小刻みな震えを伝えてきていた手が、今度は反対にの手を強く握る。
 何も云わずに。ただ。救いを求めるように。
 ネスティの表情が、泣き出しそうな幼いこどものように見えた。
、どうしたの? ネスティさん具合悪いんですか?」
 みんなと一緒に遺跡の周囲を調べていたアメルが、こちらの様子を見咎めてやってくる。
「あたしの力で治るなら――」
「いや、いい。気にしないでくれ」
 云いかけたアメルのことばを性急にさえぎって、ネスティの返事。
 本当にだいじょうぶなんだろうかと思いつつ、こうまできっぱりはっきり云うときのネスティに、これ以上何を云っても無駄なのは、いままでの旅で経験済みだ。
 まだ納得できかねる表情のアメルは、だが、ややあって気を取り直し、の方に向き直る。
「……は何か感じる?」
「っていうと?」
「前も、懐かしいって思ったんだけど……ココにきてから、その感覚がもっと強くなってるの」
 音はもうしないけど、呼ばれてる気がする。そう告げるアメルへ、は、ふと思いついたことを口にした。
「もしかして、アメルが拾われた場所に近いのかもね」
 禁忌の森で拾ったとアグラおじいさんは云ったけれど、それがどこかまでは聞いていない。確認のしようもないだろう。
 だけどアメルがそう思うのなら、もしかしての可能性もあるわけだ。
「……そうかな」
「そうだよ、きっと」
 ほのぼのと笑いあって、それから、どうしたろうかとネスティを見る。
 泣き出しそうな表情は相変わらずだったけれど、彼は、とアメルを見て苦笑していた。それならば。
 もう平気? そう問おうとしたとき、

「トリスっ、マグナ! ネスティにルウも来てっ!!」

 少し離れた場所で土をひっくり返していたミニスが、ボロボロの石版らしきものを前にして何人かの名前を呼んだ。
 とはいえ、単純作業の最中に、ようやく見つかったかもしれない手がかりだ。全員集まるに決まっている。
 も、ネスティの手を握ったまま、ある意味引っ張ったとも云えるが、ミニスのところへ移動した。

 集まった一同が見守るなかで、ミニスが、石版らしきものの土をはたく。
 崩れ落ちた土くれのなかから現れたのは、掘りこまれたらしい何かの模様――いや、かなり磨り減ってはいるものの、文字のようだ。
「これって、召喚師が使ってる文字だよね?」
「本当。でも、あたしたちが使ってるのと違わない? ずいぶん古い文字みたい……」
 しゃがみこんでそれを眺めながら、トリスがつぶやいた。
 召喚術を正式に学んだことのないたちからすれば、古かろうが新しかろうが意味不明な文字の羅列にしか見えないのだけど、そこはさすがに現役召喚師。
 で、現役召喚師のなかでも先輩格であるネスティに、自然と視線は集中する。
「なあ、ネスティ。おまえなら楽勝で読めるんじゃねーか?」
 誰もがそう思ったことを、フォルテが口にした。
「……」
 のだけれど、ネスティは口をつぐんで俯いたまま動かない。果たしてフォルテのことばが聞こえているのかも、怪しい。
 さすがに変だと思ったか、怪訝な視線が幾つも向けられる。が、それにも気づいていないのだろうか。ネスティは動かない。
「顔色が悪いようですが……大丈夫ですか?」
 だいたいの薬の類なら、常備していますが。
 シオンが気を遣ってそう云ってくれるけれど、やっぱり聞こえていないらしい。
 傍で見上げたに見えたのは、青ざめた顔で、ひたすら恐怖に耐えているというか、泣き出しそうなのを堪えているというか、自分の思考に沈んでいるというか――そんな、彼の表情。
 マグナとトリスが顔を見合わせて、同時に、
「「ネス?」」
 そう聞いたとき。
 それまで、横手のやりとりもそれこそ意識の外にして、黙って石版とにらめっこしていたルウが、ふっと顔を上げた。
「……やっぱり、ルウも知ってる文字だわ。これなら読めそう」
「え!?」
 全員の注意が、一気にルウと石版に移動する。
 の手を握ったままのネスティの手のひらが、びくりと一度、大きく震えた。

「えぇっと……」
 ルウが、文字をなぞりながら読み上げ始めた。
「禁断の智を……封印する……調律者……クレスメント……」

 ひっかかりひっかかり、途切れ途切れにつむがれていく単語。文章。
 調律者?
 首をかしげたのはだけではなかった。
 最初に禁忌の森に踏み込んだあの日、一緒になって悪魔から逃げていたマグナも同じように首をかしげている。
 そう。
 あのとき、マグナに向けて悪魔が云ったことばだった。
 ――調律者。その一族。
 目が合って、そのことを確認しようとしたけれど、ルウの読み上げる文章にはまだ先があった。とりあえずそれに耳を傾ける。

「……なになに? 異界人……ライルの一族…………」

 指で辿りつつ呼んでいたルウの動きが、ふと止まる。
 しばらく悩んでいる風だったけれど、やがて、また口を開いて。

「……ル……ギトス……? で? いいの?」

 めっちゃめちゃ疑問符つきまくりですな。

 それを最後に、ルウは石版から顔をあげた。
 ところどころが欠けているせいか、読めるのはどうやら今ので全部らしい。
 ……なんか、謎かけだけされて、よけいにこう、頭悩まされる羽目になってるような気がするんですが。
 そんな不条理を感じつつ、一同がうなっているところ、マグナがこそっとの傍らに近寄ってきた。
「なぁ、。覚えてるか?」
 云わんとするトコロを察して、もこくりとうなずいた。
「うん。あのときのだよね?」
 果てない恨みと怨念のこもった、悪魔の声。つむがれたことば。
 話しこんでいるふたりに気がついて、トリスもこちらにやってきた。
、兄さん。どうしたの?」
「あ、トリス」
 妹へ目をやって、うなずくマグナ。
「――うん、前にここにきたときさ、悪魔に襲われたじゃないか。そのとき、俺ととバルレル、今ルウが読んだことば聞いてるんだよ」
 なあ、バルレル。
 話を振られたサプレスの少年(外見だけ)悪魔くんは、一瞬視線をこちらに向けたけど、すぐにそらす。
 ことばにして否定しないところを見ると、一応覚えてくれてはいるようだ。
 マグナもそうとったらしく、特に追求はせずに「つれないなあ」とか苦笑いしてる。
「それって……調律者とかクレスメントとか?」
「うん。あのときは、調律者、ってのしか聞かなかったけどな」
 それは傍から見ても主観的に見ても、兄妹のなんでもない会話だった。
 だから誰も気に留めていなかったし、耳に入っていたとしても、『そんなことがあったのか』くらいにしかとらえていなかったと思う。
 もっとも、マグナに対しての呼びかけだったというコトを口にしていれば、もっと対応は違ったろうけど。
 事実――それは、なんでもない会話だった。少なくとも、その場にいた全員にとっては。


 ただ、その存在にとってはなんでもなくない会話だった。
 だってそうでなければ、

「っ!?」

 不意に、傍らの空間が光り輝いたりは、しないだろう。


 一瞬、疲れが視界をおかしくしたかと思ったが、違う。
 まぎれもなく、それは、光。
「何、これっ!?」
 いっせいにざわめいた一同の間を照らす、光の道。
 出所は、と。たどった先にあるものは、ついさっきまで一生懸命に調べていた……機械遺跡そのものだった。

『声紋チェック、ならびに魔力の波動……すべてライブラリと一致しました』

 この場にいる、誰のものでもない声が、何やらを照合したらしい。
 ことばから察するに、照合した対象は、声。そして――身にいだく魔力?

 ――光が輝きを増す。

「わわわっ!?」

『貴方様を――貴方様方を、クレスメントの一族であると認めます。当研究施設へ転送いたします』

 そのことばは、問答無用。
 こちらに選択権なんか与えようともしていない、強制力に満ちたことば。
 前もって定められた行動を、実行する条件が整ったからと、ただそうしようとしている。これは、機械の『声』。
 だが、そんな分析したところで、何になるのか。

 ひかりが。視界を埋め尽くす――

「きゃあぁ!?」「うわっ!!」
「トリス、マグナ!?」
「だーっ!?」
 急に、身体に感じる無重力感。浮遊感。
 最後に聞こえたのは、いきなりの事態に右往左往している仲間たちのざわめきだった。


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