さて、翌朝である。
一行の中にいる蒼の派閥の召喚師3名が早朝から出かけているらしいが、それについては心配ご無用。少なくともはそんな気分。
本当ならも一緒に行くはずだったのだけれど、残された護衛獣4人の証言によれば、まだ日も昇らないうちからネスティが二人をひきずっていったらしい。
人気のない場所で話そうとしたんだろうけど、二日連続で早起きさせられた兄妹の方はたまったもんじゃないような。
昨日叩き起こしたとしては、一抹の憐憫を感じずにはいられないものの、同時に安心も感じていた。
ゆうべネスティと話していたことが寝ぼけたついでの夢でないなら、この件についてはきっとだいじょうぶだろうと思う。
ちなみに、消えたといえば、今朝になって気づいたのだが、アグラバインの姿も消えていた。
なんでも昨日、たちが出かけている間にレルムの村の方に戻ったらしい。
賑やかな街は、あまり性に合わないそうだ。またそのうち、様子を見にくると云っていたとのこと。
ってそれはいいんですが、あたしたちと逢わなかったからたぶんすれ違ったんだと思うけど、よもやルヴァイドさんと遭遇してないでしょうね。
……まあ、あのときの黒騎士の様子を思い出せば思い出すほど、戦いの心配はしなくてよさそうだというのが本音といえばそうなのだが。
そんなこんなで時間は過ぎる。
朝食が終わって、お日様がそれなりに中天に近くなってもマグナたちは帰ってこなかった。
話が長引いているのか、それとも――
考えていてもしょうがないので、今日は久しぶりに、リューグとロッカ相手に稽古をすることにした。
もっとも、昨日マグナとトリスにさんざん痛めつけられたきらいのあるロッカはもっぱら横からアドバイス役で、相手はリューグが主なのだけど。
「ほらほらリューグ、遅いよー」
「てめぇが身軽すぎるだけだろうがっ!」
判っていはいるんだけど、もしかしたら本気かもしれない勢いで振り下ろされる棒を、ひょいっと避ける。
身体を反転させて打ち込みに行くけれど、あいにく、すぐさま腕を引き戻して弾かれた。
「さん、かまいませんから召喚術で動きを止めては?」
「ロッカ、これは武術の特訓で、召喚術の特訓じゃないでしょ」
観戦しているロッカとアメルの声が飛ぶ。
ていうかそれ以前に、は召喚術が使えないし、リューグも得意だとは云いがたい。
ロッカはそれなりに使いこなすし、アメルにいたっては召喚師といってもさしつかえないくらい器用なのだけど。
「やっぱりさ」、
ふと思いついた、それを口にしながら、
「召喚術の得意不得意って……っと」
かけられる足払いを飛んでかわして、そこを狙って動かされた棒は上身をそらすことで避け切った。
勢いをつけすぎて、そのまま突っ込んでしまいそうな状態のリューグが、あわてて体勢を立て直そうとする。
が、それよりも、の動きの方が早かった。
ばねのように飛び起きて、棒を投げ捨てリューグに飛びかかる。
肩に両手を押し付けて庭に押し倒すと、ようやくそこで決着がついた。
「勝ちー!」
「……ちっ」
両手を持ち上げて喜色満面のを見て、舌打ちしながらリューグが身を起こす。
悔しそうだけど、本気でそう思ってるわけでもない。
だってこれは特訓だし、練習だ。何かを賭けたわけでもなし、まして殺し合いなんかでもないから、もリューグも、別に勝ち負けにこだわるつもりは皆無。
それからリューグは、さっきが何かを云いかけたのが聞こえていたらしく、ふっとこちらを見た。
「召喚術の得意不得意がどうしたって?」
「あ? ああ、うん、それね」
答える前に、
「、リューグ、おつかれさま。はい、お水」
ありがとう、と云って、横から差し出された水を受け取って飲み干す。
一緒に渡されたタオルで、汗をふき取ってから、いざ中断した会話のつづき。
「召喚術は本当はみんなが使えるものだって云うけど、あたしみたいに素っ頓狂な結果が出る人とか、リューグみたいにどうしても効果が薄い人とかいるじゃない?」
かと思えば、召喚師としての教育を受けてもいないのに、アメルのように召喚獣の力を最大限引き出してやれるような使い方の出来る人もいる。
「それって生まれつきの魔力も関係してるんだろうけど……」
「けど?」
それ以外に何があるんだろう、と、怪訝な顔になったのはロッカ。
一卵性のくせに、性格は大違いでその抱えた魔力も差異のある双子を見て、さっき考えたコトを口にした。
「なんていうのかな……自分の力だけでなんでもやってやるぜー! って戦士肌な人ほど、召喚術苦手っぽい気がするなと思って」
「……俺のことか、それは」
うん。
こっくりうなずいたを見て、盛大なため息をもらすリューグ。
ロッカとアメルは顔を見合わせて、どうやら、仲間内で誰が召喚術得意で不得意だったか思い出している様子。
しばらく見ていると、どうやらの話にヒットする部分があったらしく、ふたりで笑い出した。
「そうですね、フォルテさんやシャムロックさんみたいな剣士タイプの人たちって苦手にしてますよね」
「でもマグナさんやトリスさんは、直接の戦いも召喚術もそれなりに頑張ってますよ」
「あ、あの二人はけっこう器用にそのへん立ち回ってるよねぇ。あぁいうのはやっぱり血筋なのかな」
「……ていうか、召喚術が誰にでも使えるなんてことが公になったら、絶対暴動が起きるぜ」
わきあいあいとした会話のなかで、嘆息混じりのリューグのそれだけが、ちょっと異彩を放っていた。
けれど、実質、今の仲間内で召喚師としての立場を確立しているのはマグナにトリス、ネスティ、ミニス。それに派閥の一員ではないけれど、ルウ。エルゴの守護者であるカイナ。
これくらいのものだ。
他の面々は思いっきり『一般人』であり、本来なら召喚術を使う能力も資格もないはずである。
『召喚術を使う=召喚師』
この図式はどこまでも崩れるコトはないのだけれど、まあ、例外はどこにでもあるというわけか。
というわけで、
「ばらさなきゃよしっ! 知ってるのはあたしたちだけ!」
「うーん、それがそうじゃないんだなー」
が胸張ったと同時、その声は、不意打ちのように背中から聞こえてきた。
一同、当然驚いた。それから振り返り、声の主を発見する。
そこにいたのは、いったいどのへんから聞いていたのか、にこにこ笑っているエルジンとミモザ。
「実はね、ちゃんに話したサイジェントの知り合いの彼らも、そのことを知っているのよー」
「そうなんだよ。第一発見者じゃなくて、ちょっと残念だった?」
いたずらっぽいエルジンのことばに、双子とアメルとは顔を見合わせ「まさか」と笑った。
「でも、今の仮説ってけっこう面白いね……そうかぁ、物理的な攻撃力を優先して鍛えてきた人は召喚術にあまり効果を感じないんだ」
ちょっぴり得意げなミモザと、なにやら得心してうなずいてるエルジン。
ふたりは、似通いつつも別々のコトを話題にしているわけだが、聞いているこちらはどちらに反応すればいいのやら。
「そうそう、それでね」
こちらの返事も待たず、がさごそと、ミモザが数枚の便箋を取り出した。
それを「はい」とに持たせて、
「その知り合いに手紙を書いたんだけど、一応読んでもらおうと思って」
見れば、とレナードの事情がざっと書かれた文章の末尾に、ギブソンとミモザの連名。
で。
その下にある、おそらく署名なんだろうと思える、二行ほどの短い文字の列は何だろう?
「ああ、これね?」
不思議そうな顔になったを見て、ミモザが説明してくれた。
「ちゃんは記憶がないから判らないだろうけど、レナードさんはあっちの文字も覚えてるわけでしょ。だから、同郷の証拠ってことで二人の名前をあっちの文字で書いてもらったの」
「……名もなき世界の文字ですか? これが?」
そうだよ、とうなずくエルジンの視線を受け、はじっと、その文字の列を見つめた。
異世界の文字と聞いて、アメルたちも興味を持ったのか、手紙を持っているの上から横から、覗きこんでくる。
ミモザの指が上の一文を指差し、
「これがレナードさんの」
続いて下の一文を。
「これがちゃんの」
それぞれの、あっちの世界での表記の仕方らしいわよ?
示された、自分の名前だというその文字列を、はじっと見る。
なんていう文字なのか判らないし、どこまでが一文字なのかも判らないけれど、
「……そうなんだ」
これがあたしの名前なんだ――
えへへ、と笑って、手紙を見ているを、レルム村の3人が、さらにじっと見つめた。
何か云いたそうに、でも云いたくなさそうに。
それを発見したエルジンが、「どうしたの?」と訊かなければ、きっとそのままだったろう。
そうしてそれがきっかけだったか、アメルが、つつっとにくっついた。
「ね、」
どことなく不安な表情で、彼女はの名を呼んだ。
呼びかけに応えて目を上げたは、それを見て少し首をひねる。どうしたんだろう。
けれど、アメルは、ことばのつづきを要求されたと思ったらしい。
「……もしも」、心なし早口に、「記憶が戻って……還る方法が見つかったら、はその名もなき世界って処に帰っちゃうの?」
「へ?」
「だってそうですよね? にとっての故郷って名もなき世界ってところで、そっちの世界には大事な家族とかいて――」
「ちょ、ちょっと待ってアメル!?」
堰を切ったようにまくしたてるアメルのことばを遮ってあげたの声は、半ば悲鳴じみていた。
マグナとトリスの件が片付いたと思ったら、今度はこっちでもめごとかい。
が、その名もなき世界とやらへ還るのがよっぽどいやなのか、アメルの瞳にみるみる大粒の涙が溜まる。
が、ちょっと待て。
「ちょっと待ってお願いだから」
手紙をミモザに返して、はどうしようかと思いながら双子とアメルに向き直った。
えーと、と、つぶやきつつことばを探す。
「……あたし、ほら、記憶がないしさ。だから、故郷がどうとかって、そういうの、今はまだ考えたことないんだけど」
「でも……」
それでもまだご不満らしく、ぐすぐす云いだすアメル。
どうしようかと双子に視線を向けても、彼らは困ったように首を振るばかり。
困ったながらもアメルをなだめようとしないのは、自分たちも同じようなことを考えたからなのだけれど、そのあたりの心情など、には判らない。
だって。
今は、まだ、はここにいるのだから。
アメルを守りたいし、ネスティの背負っていた罪も、マグナとトリスの進む先も、見届けたい。
出来るなら、黒の旅団の彼らとも笑って一緒にいれるようになりたい。
そして、記憶を取り返したい。
ここにいる。ここで多くを得、より多くを求めてる。
「――今、あたしのしたいコトは、この世界に、あるんだ」
ぽつりとつぶやけば、アメルが、ばっと顔をあげた。勢い余って、栗色の髪が宙に舞う。
それが落ち着くのを待って、
「だめかな、これじゃ」
困ったように笑いながら、は頭をかいた。
でも、正直、それ以上の保証はできない。
今自分がここにいる。今自分は生きている。
でも明日どうなるかなんて、そんなの誰にも判らない。死ぬかもしれない、また事故が起こって別の世界に飛ばされるかもしれない。
でも、今、ここにいることは事実だ。
それから、みんなで幸せになりたいと思っていることはほんとうだ。
「それだけじゃ……だめかな?」
「…………」
ことばにしての返答はない。
ふるふる、首を振って、アメルはそのままに抱きついてきた。
その動作に、昨日のマグナとトリスの様子を思い出し、図らずもちょっぴり遠い目になる。