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第24夜 弐
lll 王都襲撃 lll




 それからは、世間話や他愛のない会話をした。
 それらに紛らせて、とりあえず最初のうちは意識してそうしていたけれど、そのうち本気で『噂』のコトは頭の片隅に追いやられていった。我ながら単純。
 だもので、蕎麦を食べ終わってお代を精算して屋台を後にした頃には、たちはすっかりご満悦の表情だったり、した。

「さっきの大将、楽しかったね」
「そうですね。でもごまかさないでちゃんと答えてほしかったかも」

 と、ふたりが意味ありげに笑うのには理由がある。
 屋台での会話の途中、ふと。
 何がどういう経緯でそうなったのかは忘れたけれど、まあ雑談なんてそんなもんだろう、アメルとのどっちがシオンの好みだとか云う話になったのだ。
 さすがにあっけにとられたシオンの表情が予想外に楽しくて、ふたりで追及したものの、結局さらりとかわされてしまった一幕のコトである。
 まあ答えられたら答えられたで、外れた方はちょっとショックだったかもしれない。

 しんとした静寂に満ちた、蒼白い月の光に照らされている王都。その光景に目を和ませながら、たちはゆっくりと、屋敷に戻る道を歩いていた。
 ――その途中でのことだった。

「……!」
「アメル?」

 不意に、アメルが立ち止まる。
 どうしたんだろう、と、怪訝に思いながらも足を止め、
「――!」
 感じた。

 ざわり。と。
 静謐と静寂に満たされていた路地のその一帯に、瞬時にして発生する高密度の敵意と殺意。

 それはいつかどこかで、そう遠くない以前に感じた気配。
 そう察した刹那。

「危ないッ!」

 ガカカカッ!

 アメルを突き飛ばすようにその場から飛び退いた直後、ふたりの立っていた地面あたりを狙って投げつけられた短剣。――否。
 月明かりに透かしてその影をとらえ、第一印象を撤回する。
「……苦無?」
 それは、シルターンの巫女にしてエルゴの守護者であるカイナの武器に、よく似た形状をしている刃物だった。
 だからといって、カイナがこんなことするわけがない。まして、自分たちは見も知らぬシルターン縁の者たちに狙われる理由もない。
 だとすれば。
 今たちを取り巻く状況で、シルターンと敵、このふたつの単語を結び、導き出せる答えはひとつ。
「鬼、よね……」
 トライドラで相対した、鬼神使い。
「もしかして、キュラーの手下?」
 回答など期待していないつぶやきだった。けれど、
 ――ざわり。
 再び、空気がその身を震わせる。
 出所を悟らせぬよう、周囲の反射を巧妙に利用した声が、のつぶやきに、直接ではないものの答えを寄越した。

「我が主君キュラー様の御命令により、聖女を捕獲する。共の者よ、抵抗せぬなら命はとらん」

 は、と、は生ぬるく笑う。
「……信じる道理がドコにある」
 っつーか、そんな目的聞かされれば、抵抗するに決まっとろーが。
 口元を歪めたまま半眼になってつぶやき、アメルを背中にかばうように動く。
 アメルの後ろは壁だから、気配殺して隠れられていたりとかしない限り、そちらからの襲撃を心配する必要はない。
 代わりに、の動きに制限がかかるが――まぁ、正面と左右と頭上さえ警戒していればなんとかなるさ。なんとか。どうにか。
 ……たぶん。
 念のためにと持ってきていた短剣を、腰から抜いて構える。
 闇を通してそれを視認したらしい鬼たちが、じわりとその気配を明らかにし、包囲を詰めるのが感じ取れた。
「…………」
「だいじょうぶ」
 いざとなったら走って逃げて助けを呼びに行く心の準備をしておいてくださるとオッケーです。
 不安そうなアメルに、振り返るコトはちょっと場合が場合だから出来ないけれど。笑った気配だけは届いたはずだと思いながら、極力軽い声で答えた。
 実際、そんなのんきにしてられる状況ではないと重々承知していたが、だからってアメルを前に出すわけにはいかない。
 腕の一本二本、ちょいと犠牲にする覚悟を、が決めたときだった。

 ザァ、と。空気が大きく薙いだ。

「ぐウッ!?」

 かと思いきや、押し殺した断末魔が闇を震わせた。包囲を構成していた気配がひとつ消える。
 気配を消したわけではない。突然に、忽然と――命ごと、それは消えたのだ。
「……?」
 構えた体勢はそのままに、つと、そちらに意識を向ける。
 たった今の出来事に気をとられたか、周りの気配も声のした場所に注意を向けているらしく、がちらりと見せた隙にくらいつこうともしない。
 そして、気配がひとつ。
 先ほどとは逆に忽然と、たちの傍に現れる。

「なるほど……なかなか上手い尾行をするとは思いましたが」、
 緊迫した空気の只中、口調と表情だけはどこまでも悠然と。
「それもさもありなん――悪鬼へと成り果てたシノビでしたか」
 つぶやいたのは。

「シオンさん!?」

 肯定の意を含めた、静かな声が響く。
「大事なお得意様にこのような狼藉を働かれては、私としても見過ごすわけにはいきませんからね」
 そう云ってとアメルを背に庇うように立つ彼には、隙がない。
 その背中はシオンの大将――ついさっき、たちがお蕎麦をご馳走になった屋台の店長さん、そのひとだった。
 ――ただし、そのときとは格好が違っている。
 面当てのようなものをつけた頭巾に、動きやすさを考えた衣服。
 手にしているのは、苦無。
 背にさしているのは、カザミネのものと似た刀。ちょっと長さは短いけど。そして苦無と逆の手に複数所持しているのは、とげのついた平たい金属の円盤みたいなもの。
 ……この格好を見て、彼が蕎麦屋の大将だと信じる人間は皆無に違いない。
「シオンさん……その格好はいったい……」
 しかも状況からして、キュラーの手下を一人片付けたのは、この人だろう。
 あっけにとられるとアメルを、ちらりと肩越しに振り返り、けれど油断なく構えたまま、シオンが答える。
「説明は後で……まずはこの場を切り抜けましょう。助太刀いたします」
 ひとり減ったとはいえ、それでも、相手はこちらのゆうに倍以上の兵力だ。だというのに、この人にかかると、そんなのまるでなんでもないコトのように聞こえてしまう。
 けれど、それが逆に相手の気分を逆撫でしたらしい。
 一気に殺気が膨れ上がった。
 とアメルだけの時の比ではない。
「大将!」
 闇にはらまれていた殺気が二つ、シオン目掛けて襲いかかる。

 危ない。そう、云おうとしたのことばは、けれど途切れた。

「……甘いッ!」

 風が動いた程度にしか感じなかった。
 夜にも強いの目だから、ぎりぎり残像がとらえられたくらいで。きっとアメルは見えなかったんじゃないだろうか。

「ぐがあぁぁぁッ!?」

 押し殺す暇もなかったのか、さっきよりも大きな悲鳴。断末魔。
 ……ふたりぶんの。
 直後、一度たちの横から動いたシオンの気配が、再び傍に戻ってくる。
 彼の動いた風に乗って流れてくる、血の匂い。
 冷たい声で、シオンが云い捨てた。
「心を磨くことを捨て、闇に堕ちた時点で貴方たちの揮う刃も地に落ちたのです」
 それでは、本物のシノビを倒すことなど出来ませんよ。
「ってことは」、
 ごくり。いつの間にか乾いていた喉を湿らせたは、けれど驚愕までは消し去れず、それだけつぶやくのが精一杯。

 ってことは――シオンの大将、あなた『本物のシノビ』なんですか。

 そうと判れば、その格好も動きの良さもなんとなく納得はいく。けど。
 さん記憶喪失中。
 つまり、
「……シノビって何ですか?」
 状態なのである。
 さすがにシオンもそこまでは考えていなかったのか、がくりと力の抜けた様子でを振り返った。それでも笑みをたたえたままで。
「シルターンに伝わる職業のひとつですよ」
 それでも律儀に説明してくれるあたり、やっぱりこの状況は彼にとってはなんでもないコトのようだ。
 場合が場合とはいえ『職業』のひとことで解説を終わらせるのもどうかと思うが。
 が、現状包囲は続行中。
 とてもとても、そんなことを追究している暇は、なかった。

 残った殺気が、一斉に膨張する。
 もはや姿を隠していても無駄だと悟ったのか、月明かりの中に姿を現したのは、異形のシノビたち。
 服装の印象はシオンに似ているものの、その目の濁りや額のツノなどを見てしまうと、存在は非なるものなのだと思わずにはいられない。
 同時に、包囲がじわじわとせばまりはじめた。

さん」
「はい?」

 こちらにギリギリ聞こえる声が、頭上……シオンから降ってきた。
「アメルさんのことは貴女にお任せしますよ」
 そのことばの意味するところは。
「……大将ひとりで、アレ全部片付けるつもりなんですか?」
 一応云われたとおりに、アメルを壁に張り付かせて、自分はその前に立ちながら訊いてみる。と、こっくり、シオンは頷いた。
「奴らに前線を抜けさせる気はありませんが、万一のときはお願いします」
 貴女の腕はそれなりに見込んでいますから。
 そのことばに、素直に喜んでいる自分がいるのはたしかだったけれど、同時に生まれた疑問がひとつ。
「あたし、大将に、そういうこと話しましたっけ?」
 戦ってたコトはたしかに一度持ち出されたけれど、どんな戦いかとか、自分の腕がどれくらいかとか。見込まれる根拠が判らない。
 答えようと、シオンが口を開きかけた刹那。
 ヒュ、と風を切る音。
 迫ってきていたシノビがひとり、気負い無く揮われたシオンの刀の前に倒れる。
 実力の差、雲泥。天と地。
 任せると云いながら、なんかこのまま彼だけで、全部終わらせてしまいそうな勢いだ。
 敵方も、まずはシオンを叩くコトにしたのか、たちの方には全然こないし。……彼に庇われる形のため、来たくても来れないのかもしれないが。

 そうして複数の敵を相手にしているというのに、どこまでも余裕綽々な蕎麦屋の大将は、敵の攻撃が途切れた一瞬にこちらを振り返り、にっこりと微笑んだ。

「戦うことでしか守れないものがある」
 いつかの云ったことばを、そのとおりに繰り返した。

「そう仰ったときの貴女の目が、理由と云えば理由ですね」


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