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第24夜 壱
lll 夜のお散歩 lll




 そんなこんなで和やかに後半の遠足も終わり、無事にギブソン宅へ帰ってきたあと。
 トリスとマグナは公約どおり(?)ロッカを裏庭にひきずりだして、3人で稽古にいそしんだらしい。
 朝置いてきぼりにされたハサハが、主であるマグナについていきたそうだったけれど、「ハサハには刺激が強いから」と連れて行ってもらえなかったそうだ。
 ちなみに3人が引き上げた後、気になったが現場に行ってみたら、ぼこぼこと穴が空いてた。
 あげくに、そうとう体力消耗したらしく、彼らは夕食にも下りてこなかった。
 蒼の派閥の召喚師3人と、レルム村の双子の片割れがいない食卓は、やっぱりいつもよりちょっと静かだった。

 っていうか。
 は答えの出ないことを考えた。ほんの少しだけ。
 庭でいったい何したんだろう。

 知らぬが仏と天の声を聞きつつ、やっぱ訊きに行こうかと迷いつつ、訊いたら知らない世界を知ってしまいそうな妙な予感も均衡する。
 だもので、そのどれでもなく躊躇する自分の心に負けた形で、は部屋でごろごろと、枕を抱えて寝転んでいた。
 どれくらいそうしていたか、
「――」
 ふと壁の時計を見たは、枕を放り投げて身を起こした。近くにかけていたショールを肩に羽織りスリッパをはいて、ぱたぱたと階段を上って2階のテラスに直行。
 そこで、目的の人物を見つけて声をかけた。

「アメル、そろそろ部屋に入らないと冷えるよ?」

 日中はそれなりに暖かいのだけど。夜ともなるとさすがに外気はひんやりとしている。
 それを知らないはずもなかろうに、先ほど湯浴みから戻ってきたアメルが寝巻きにショールという格好でテラスに出ているままなのだ。
 の声に応えて、ふわりとアメルが振り返る。
 まだ髪にまといついている水滴が、月の光をかすかにだけど反射して輝いた。
「うん、判ってるんですけど……お月様が綺麗で……」
 示されて、見上げた先にはでっかい満月。
 黄色だったり白銀だったり、いろいろな表情を見せてくれるお月様が、今日は蒼白く世界を照らしていた。
 白亜の石でつくられたテラスがその光を浴びているというのは、なかなかに幻想的。
 だがしかし。
 アメルが惹かれる気持ちも判らないではないけれど、それで風邪でもひかれたら本末転倒というものだ。
「湯冷めしたらなんだし、そろそろ――」

 ぐう。一度。
 ぐう。重ねてもう一度。

「「……」」

 ふたりは、同時におなかを押さえて顔を見合わせた。
 アメルの顔も赤いけど、きっと自分の顔も赤い。口元が微妙に歪んでるのを自覚する。
 いやもう、幻想的な雰囲気台無し。
 そして、先にふきだしたのはアメルのほうだった。
「や……やだっ……ふたり同時に……」
「タイミングよすぎ……」
 夜ということもあって、声を殺しながらも笑いつづけること、しばらく。
 先に笑いを収めたのは、やっぱり先に笑い出したアメル。
「そういえば、、お昼にお弁当食べすぎたからってあんまり食べてなかったですね」
「あはは、散歩に行ったときちょっと作りすぎちゃって」
 それでも、実はトリスとマグナで大半をたいらげていたりする。
 夕食を食べに下りてこなくても平気だった理由は、案外このへんにあるのかもしれない。
 『稽古』で体力使い果たして動きたくなかった、というのがいちばん大きな理由なのはたしかだろうけども。
 ……ロッカは……あれは、もう、同情するしかあるまいな。
 リューグに、彼はどんな様子だと訊いてみたら、沈黙数十秒かましたあと、目がお魚になっていたくらいだったし。
「そういうアメルだって、最近食が細いよね?」
 の場合は、今日だけの話だ。
 だが、今目の前にいるアメルは、ここのところ数日、妙に食が細いようなのである。
 だからしての問いに、彼女はちょっとだけ苦笑した。
「うーん。何かいろいろ考えちゃって、食事が喉を通らないんですよね」
 そんなトコだろうな、とは思っていたけど。予想どおりの答えに、今度はが苦笑する番。

のお弁当ならいっぱい食べたかも」

 アメルは、いたって元気にそういうコトを云うけれど、
「残念でしたー」
 返すは、両手を持ち上げお手上げのポーズ。
 何をやっきになっていたのやら、残してもいいよと云ったのだけど。お弁当は昼間のうちに全部、マグナとトリスの胃におさまってしまっていたのである。
「……ちょっとお腹きつくても、ちゃんと食べればよかったなぁ……」
 アメルとは違ってとりあえず健康体のは、思わず、晩御飯を残したことが今さらながらに惜しくなってつぶやいた。
 ――で。
 食事の話題になったからだろうか。ふと、それを思い出した。
 散歩の仕上げにゼラムをぐるっと周っていたとき、目についた赤い暖簾と木の屋台。
 書かれた文字は『あかなべ』。
 もしかして、とマグナたちに訊いてみたところ、間違いなくシオンの大将の屋台だそうだ。
 もともと大将とは、ゼラムで知り合っていたらしい。ファナンにあるのは2号店だというコトも教えてもらった。
 ――ふむ。
 今度暇があったら挨拶に行こうね、と、そのとき話しはしたけれど。
 ……背に腹は、変えられまい。
 ちょっとくらい抜け駆けしても。まぁ、良いよね。
「ねぇ、アメル」
「何?」
 呼べば、がなにやら企んでいるのが判るのか、妙にわくわくした笑顔でアメルは応じた。
 触発される感じで、もまた、にんまり。
「シオンの大将のお蕎麦屋さん、ゼラムに帰ってきてるんだって。食べに行かない?」
 声に出しての返事の代わりに、にっこり、笑顔と肯きが返ってきた。


 とりあえず髪だけは念入りに水気を切って、ギブソンとミモザにひとこと告げて、屋敷を出た。
 テラスで感じた月の光が、余すところなく街中に降りそそぐなかを、アメルとふたりで足早に歩く。
 住宅街の路地に入り込んでしばらくすると、暖簾ごしの暖かい光が見えてきた。

「こんばんはーっ」

 夜更けのせいか、もうあまり――もとい人っ子ひとりいない屋台だったが、一応はまだ営業中らしい。
 『準備中』の札も『本日の営業は終了しました』の札もないし。
 いや、別にいつぞやファナンでお預けくらったコトなんて根に持ってないですとも。
「おやおや、いらっしゃい。今日はおふたりなんですね」
 裏手でなにやら取り込み中だったらしい大将が、いつもの人好きのする笑顔を浮かべて、顔を出した。
「えへへ、小腹が空いたので」
「お世話になります」
 云いながら、他のお客さんがいないのをいいことに、大将と話しやすい場所に腰かける。
 にこにこしながらそれを眺めていたシオンだけれど、ふたりが落ち着くのを待ち、真顔になって指を立てた。
「ごひいきにしてくださるのはうれしいですが、女性ふたりで夜の道を歩くのは感心しませんね?」
「あ、だいじょうぶです。は強いから」
 そんな懸念を打ち消して、あっさりアメルが答えれば、
「ちょっと待って」
 そこへあわてて突っ込む
 漫才めいたその動作がツボに入ったのか、シオンは口元をおさえて、何やら笑っているような素振り。
 バカにされてるわけじゃない、手のかかる子供を見ているような笑い。だけれどちょっと複雑です。
 気を取り直し、とりあえず注文を、と、壁のお品書きに目を移す。
 と、
「ですが本当に気をつけてくださいね? 何やら西の方で戦争がはじまるという噂も聞いていますから」
 さっきよりもっと、ずっと、心配の色を濃くした声で、シオンが云った。
「……へ?」
「噂、ですか?」
 妙な引っかかりを感じて記憶を掘り返してみれば、とりあえず祭りが終わるまでは、ということで、戦争の件は金の派閥において機密事項扱いになっているはずだった。
 もうお祭りも終わったし、後片付けもすんでいる頃だから、そろそろ――とは思うけれど。
 そういえば、昨日ネスティが済ませると云っていた用事の中には、その件についての金の派閥から蒼の派閥への親書を届けるというのもあったわけで。
 おそらくそれを見た王都の対応を待って、発表するつもり、だとは予想できる。

 ……けど。噂ですか?

 怪訝な表情になったとアメルを見て、シオンの表情が改まる。
「……どうかされましたか?」
「あ、いえ……あの、つかぬコトをお伺いしますが」
 そこまで話して、良いかな? とアメルを見ると、彼女は小さく首を上下させた。
 うん。だいじょうぶだよね。
 ただの勘だと云われればそれまでだけど、今目の前にいるこの人は、信頼するに足る人だと思うから。
「その噂って、どこかの公的機関からの発表があったんですか?」
「いえいえ」、
 そうであってほしい、というの願いとは裏腹に、シオンはかぶりを振った。
「あくまでも噂ですよ。ファナンでの祭りが始まる前からぽつぽつと、でしたけど」
「…………」
 ……いや、まあ。
 西の方への旅人はたちだけとは限らないのだし。
 ほとんど証拠隠滅状態のスルゼン砦はともかく、ローウェン砦の惨状を見た人がいないとは限らないのだし。
 あれを見て戦争が起こると判断してしまうのも、無理はない気がするけれど。
 でも、出来れば触れ回らないでほしかった。話していい気分のするものでも、ないだろうに。
 怪訝な顔から困った顔になって顔を見合わせたたちを見て、シオンは何かを感じたらしい。
「やはり、噂を裏づけるようなことが実際に……?」
 今ごろ実感するというのも間抜けだが、この人の真顔はけっこう迫力がある。
 有無を云わせずというかなんというか。
 それでも、本気で彼に話してはいけないと思ってれば、ふたりはそんな迫力にさえ抵抗しただろう。
 けれど、とアメルはそうせずに、もう一度顔を見合わせて、大将が蕎麦をつくっている前で、ぽつぽつと、『噂』の真相を話し出した。
 屍人使いだとか鬼人使いだとかそういう奇怪なことはさておいて、スルゼン砦とローウェン砦、それからトライドラ自体がデグレアの手によって陥落させられたことを。

 話していくうちに、シオンの表情がだんだんと鋭さを帯びたものになっていく。浮かべた微笑は変わらないものの、彼のまとう気配が鋭くなったのが感じ取れた。
 普段は笑顔の向こうに隠してる何か。それが、今はちらちらと見えている感じがする。
「……『聖王国の盾』が、すでにデグレアに陥落させられていたとは……」
「はい……」
 そのときを思い出しているのか、アメルの表情が心なし落ち込んだものになっている。
 だけど、救われる光景があるコトを、は覚えてる。アメルもきっと、それを覚えていると思う。
 忘れない。
 トライドラで倒した人々の魂が、輪廻に戻るひかりをこの目にしたことを。
 悪夢のような只中で、それを見れたから、救いを感じるコトが出来た事実を。
 ――忘れないよ。覚えてる。
「あ、それでですね」
 ふっと意識が過去に飛んでいたのをあわてて引き戻して、はシオンに向き直った。
「まだ正式に発表ってことにはなってないので、良かったらそれまでは内緒にしておいてもらえませんか?」
 客商売柄、お客さんといろいろ話をすることもあるだろう。
 噂という形で、また、こんなふうに話すこともあるかもしれない。
 でも。
 たとえただの噂でも、それが真実と全然かけ離れているものだったとしても、そんな話が一度広がったときの混乱は、容易に想像出来るものだった。そして、どうしてもそれは避けたい。
 そうしてこちらの願いどおり、シオンは首を縦に振ってくれる。
「ええ、もちろんですよ」
 と、太鼓判を押してくれた、の、だけど。
「しかし……驚きましたね」
 顎に手を当てて、何やら考える素振り。
 その表情から何を思ったか、アメルが小さく頷いて、
「トライドラが陥落させられるなんて、あたしたちも信じられませんでした……」
「あ、いえいえ、そうではないんですよ」
「え?」
 それでは何に驚いていたんだろう、と、首をかしげたたちの前に、出来上がった蕎麦を出しながらシオンが告げる。

「今貴女方から伺ったお話と、私の聞いた噂……それが、ほぼ完璧に符号しているんですよ」

 ――え。
 まず頭のなかに生まれたそれを、
「「……えぇッ!?」」
 と、二人揃って吐き出した。
 自分たちでも予想しなかった大声が、鼓膜を打つ。今が夜なのを思い出し、あわてて口を手でふさいだ。
 シオンは、そんなふうに騒音かましたふたりを特にとがめだてもせず、
「ただの偶然なのか、それとも事実を知る者が流したせいなのか……」
 いずれにしても、民衆に余計な動揺が起きなければいいのですがね。
 そうつぶやき、話を終わらせたつもりだったのだろうけど。
 とアメルにしてみれば、そこで終わらせられる話じゃない。
 蕎麦を食べるのすら忘れ、顔を見合わせる。だけど何を云うコトも出来ないまま。
 シオンの大将は、こんなことで冗談なんか云う人じゃないだろう。
 となると、流れている噂っていうのはそれなり以上に事実に等しい信憑性を備えていると思って間違いないはずだ。
 それが、伝わるうちに誇張や想像の混じった結果だとしても、符合が合いすぎるというのは――
「……なんか、ヤだなぁ」
 それ以上考えてもしょうがないのを悟って、とりあえず割り箸をアメルに手渡しながら、は渋面でつぶやいた。
「そうですね……あたしたちの知らないトコロで、得体の知れない何かが動いてるみたい……」
 パキン。
 アメウの語尾に重ね、小気味いい音を立てて割り箸を割る。
 それから、
「ま、今いろいろ考えてもどうしようもないよね」
 だから、今はとりあえず。
 まだ考え込んでいるアメルに、にっこり笑ってみせた。

「シオン大将のせっかくのお蕎麦だから、冷める前においしくいただきませう」


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