どうしてここへ来たのかと問われれば、おそらく答えることは出来まい。
ただ、自分たちの手で滅ぼしてしまった村へ。
聖女の捕獲のためだけに切られ、焼かれてしまった無数の村人へ。
すべての責はこの自分にあるのだと。
そう告げたかったのかもしれない。
ただ心が告げるまま、この村の焼け跡に来ていた。
けれど、もしかしたら――
どこかでこの子に逢えるかもしれないと、期待してはいなかっただろうか。
腕のなかで震えるは、6年前に泣いていたあのときを思い起こさせる。
6年間、共に過ごしてきた日々を思い出させる。
いつもいつも笑っていたこの子は、だが、今はこうしてただ頬を濡らすばかり。
記憶をなくしても、なお、ルヴァイドが責められるそのことに、心を痛める。何も云えずに彼女をただ抱き寄せ、頭に手のひらをよせた。
幾方ぶりか。こうするのは。
いっそこのまま。
あらぬ考えが鎌首をもたげる。
このままを連れて、デグレアからも離れてしまえばどれだけ楽だろうかと。不可能だと承知していながら、思わずにはいられない。
この子が泣かずにすむのならと、そうしてしまいそうな自分がいる、その事実に誰よりも自身が驚いた。
けれど、それでも。
一族の背負った汚名があった。死して反逆者と罵られた父、連なる者として罵倒されつづけた母と自分がいた。
それを雪ぎたいと思う心がある。
そうしてどこまでもデグレアの騎士であろうとする己の心はまた、真実。
――真実なのだ。
たとえそう思う礎が、見えぬ糸によって繰られ続ける道化の舞台なのだとしても。
まだ、そのことに誰も、気づけてはいないのだから。
しばらくは、誰もことばを発しなかった。
ただ、のかすかな泣き声だけが、風にまぎれて梢を揺らしていただけの時間を経過して、
「……ルヴァイド……を返して」
トリスの小さな声が、全員の耳を打った。
はっとして顔を上げたの前に、泣き出しそうなトリスの顔。マグナの表情。
刹那の間をおいて、ルヴァイドの腕がゆるむ。
身体の向きを変えて彼を見上げると、黒の旅団の総指揮官は、ゆっくりと頷いてみせた。
「戻れ。今のおまえの在るべき場所は、あの者たちのところだろう」
「……ルヴァイドさん……」
知らないはずの過去が。記憶が疼いた。
心に突き刺さる刺。要らない。痛みをともなったこんな残滓は、要らない。そう、衝動的に思う。
早く返して。あたしの記憶を。
この人たちを、こうも慕う理由を、あたしに返して。
アメルへ感じるものは、今のあたしになってから。だから、礎はあるもの。
だけどこの人たちに感じる気持ちがどこからきているのか、あたしは知らない。知らないから、どうしていいのか判らない。判らないから、こんなにも突然の行動になってしまう。
だから今回も。ほら、トリスやマグナの前で、とうとう、こうしてしまったんだ――
そうしたことを、悔やんだりはしないけど。
記憶がある。いや、あった。
いつかこの村で何もかもが始まる前に、落としてしまった過去の気持ち。
気にするまいと思った。だけど。
これから先に自分が進んでいくためには、どうしてもそれが必要なのだ。そう、思い知らされた。
「……」
思い知らされた以上は、必要なものを、手にするしかない。
手にしよう。
取り返してみせよう。
この村に落とした、隠れてしまったあたしの一部を。
「――ルヴァイドさん」
もう一度名を呼んで、ぎゅ、と。ルヴァイドを抱きしめた。
彼の身体を包み込むことは出来なかったけれど、出来るかぎり腕を伸ばして、強く。
それから、マグナとトリスを振り返る。
「……ふたりとも、聞いてくれる?」
こぼれた涙は乱暴にぬぐって、ふたりを見た。
「あたしは、記憶がない。だから、どうしてそう思うのか、判らない。根拠がない」
だけど、
「あたしは、ルヴァイドさんを知ってる」
黒の旅団の彼らも知ってる。とても優しくなれる気持ちと一緒に。
「……あたしは、この人たちを、きっと知ってた」
だけどね、
「記憶をなくしてから出逢ったあなたたちのことも、きっと同じくらい大事。同じくらい好き。だから、守りたいと思う」
だからね、
「――今のあたしは、アメルを守りたい。みんなと一緒にいたい。……だけどこの人たちにも傷ついてほしくないんだ」
それが我侭でしかないのは、判ってる。
それでも。
この相反する気持ちをどちらも捨てたくない。
どちらも大事にしたい。
いつかみんなで幸せになるために。
「……ルヴァイド」
硬質なマグナの声に、はぴくりと身体を震わせた。
だけど。
ゆっくりとこちらに歩み寄り、をその腕のなかにとらえこむ彼から感じられる気持ちは、何より優しかった。
「俺たちは、おまえがレルム村を滅ぼしたことを絶対に許さない」
「マグナ……」
「だけど」、
の身体を包んだままのマグナの腕に、力が込められる。
「だけど……おまえは、を傷つけなかった。ほんとなら、アメルを捕まえるために俺たちを人質にしてもよかったのに」
そんなこと、この人はしないよと。
云いたくなったけれど、ただ黙って、ふたりの会話に耳を傾ける。
「くだらん」
目を伏せて、ルヴァイドが応じる。
「……俺はただ、これ以上この村で血を流す気はないだけだ」
それは。
やっぱり、彼がレルム村のこの惨状を後悔している証だと。思っても間違いはないよね?
トリスもマグナがそう感じてくれていればいいなと思って、は訪れた沈黙に身をひたす。
そうして誰もが、しばらくは、そうしていたけれど。
「……さらばだ」
「待って!!」
身をひるがえしたルヴァイドに呼びかけると、彼は、歩みを止めて顔だけをこちらに向けた。
何を云えばいい?
さようなら? またね?
いろいろと思いつくことばは、なんだか、どれも別れに繋がっているような気がして、云えなかった。
だから、代わりに。
精一杯。そう見えるといいなと思いながら、微笑んだ。
「だいじょうぶ。きっと」
ルヴァイドが目を丸くして――それから、何も云わずに向きを直す。
そして、もう彼は振り返らなかった。
けれど正面へと向き直る刹那、見せてくれた口の端だけの笑みはきっと、幻じゃないと思いたい。
そうして、完全にルヴァイドの姿が見えなくなって、それでもしばらく、マグナはを腕のなかに閉じ込めたままだった。
トリスはトリスで、横からの手を握っている始末。
いやなんというか……動きにくいですよこれ。
そろそろ解除しないかと、が提案しようとするより先、
「……それでも」
「え?」
ほんの小さな声を、ぎりぎりで拾って、発した本人の方を振り向いた。抱かれたままだったから、首だけ頑張ってひねって。
「それでもさ、が黒の旅団とどんな関係があっても……今は俺たちと一緒に戦ってくれてるから」
だから、いいんだ。
そう云って笑うマグナの表情は、ことばが上辺だけのものではないと雄弁に語る。
「うん」
こくりとうなずいて、トリスのことば。
「が、あたしたちと一緒にいるコト選んでくれてるから、それでいい。……それに」
一拍おいて、兄妹は顔を見合わせた。
思い出すのはさっき見たルヴァイド。
後悔と慙愧、それから死者への追悼。
あのことばに嘘は感じられなかった。
誰もいないと思っていたからこその、きっと、あれは彼の本音。
――そう思うと、少しだけ、がルヴァイドを慕っていたということも、納得行くような気がした。
少しだけ、彼らへ抱いている印象が、変わったような気がした。
血も涙もない人でなしだと思っていたけれど、少しだけ、そんな印象が払拭された。
なくしたというの記憶。理由のないという黒の旅団への感情。
それから容易に導き出せる答えは、ひとつ、あるけれど。ちょっと悔しいから、まだ口にはしない。
それに、自身が見つけることだと思うのだ。
そして、は今、自分たちと一緒にいてくれる。
「待つよ」
ふたりがそう云うと、の目が丸くなった。
それが可愛くて、そのまま、体勢の不都合もなんのその、ふたりで彼女に抱きついた。
「いつか記憶が戻ったとき、話してくれるまで待つから」
怖いのは、そのときに、彼女が自分たちと出逢ったコトを忘れないかどうか。
怖いのは、が自分たちから離れていってしまったりしないかどうか。
どうしよう。こんなに大切になってしまってる。
ふたりの不安には気づかないまま、ことばを聞いたは、ふわりと笑ってみせてくれた。
「……ありがとう」
「……ん」
頷きながら、思う。
どうしよう。その笑顔を見れなくなる日がきたら、泣いてしまいそう。
――ただ、君を大切に思う。それだけの気持ちなのに、それはどこまでも大きくなっていく。いつ溢れるか判らないのに、器までもが大きくなってるみたいに、際限なく。
そしてふと、
「だけど……これってしばらく内緒だよね」
小さくトリスがつぶやいて、マグナとは同時に頷いた。
「あ、でも」
頬に人差し指を当てて、ちょっとだけいつもの調子に戻ったが云う。
「ロッカにはばれてるから、ロッカとなら話せるかも」
「「え?」」
トリスとマグナ、お互い顔を見合わせて。
しばらく兄を見て妹を見て。それから同時にに向き直る。
「「なんでロッカが知ってるの?」」
まったく同時に発された疑問に、がひきつって後ずさろうとするけれど、マグナががっちりつかまえてるから逃がしません。
「えと……大平原で一緒に走ってたとき、ルヴァイドさんが人形みたいに見えたけど違ってたから安心して、それで笑ってたみたいなのね」
しどもどしつつも彼女は答え、
「で、それをロッカが見てて、なんでって訊かれて……そのときはうやむやになったんだけど、ロッカたぶん何か勘付いてるはず」
「ふんふん」
「へー」
にこにこにこにこにこにこ。
これはどう見てもわざとらしいなぁと思いつつ、白々しく笑顔をつくると、は、じりじりと逃げ出そうとする。
でもだめ。逃がさない。
「じゃあ、帰ったらロッカと一緒に稽古しような、トリス」
「そうだね兄さん。ふたりがかりでこてんぱんにしちゃおうね」
ふふふふふふふふふふふふ。
それ、稽古って云いません。
はそう、云いたかった。すごくすごーく、云いたかった。
しかし、つっこんだら自分にまで火の粉が飛びそうで、はひきつった笑顔を浮かべながら、ロッカ暗殺計画を練っている兄妹を眺めているしか出来なかったのである。
……ちょっとだけ、普段どおり(怖さ3割増)の自分たちに戻ったことに、感謝さえ覚えながら。
それが普段どおりなのかどうか、答えを出すのはやっぱり避けた。