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第23夜 壱
lll 黒騎士の祈り lll




「とまぁそんなワケで、今日は3人水入らずでお散歩の予定など立ててみました!」

 まだ夜も白々しい早朝、無理矢理に叩き起こしたトリスとマグナを目の前に、は笑顔で云い切った。
 普段から寝起きの悪いふたりは、果たしての声が聞こえているのかいないのか、生あくびを連発中。
「おーい。起きてますかー?」
「うん……起きてるよ〜」
「ふあああぁぁぁぁ」
 寝ぼけ全開の声でトリスが返事すれば、それに重なるようにマグナのあくびが響く。
「あーもう、ふたりともあたしと一緒の時間には寝てるのに、なんでそんなに眠そうなの」
 もはや、この状態にも苦笑しか出ない自分も、けっこう慣れてきたんじゃないかと思うけれども。
 ちなみに護衛獣の皆さんは、お部屋で安眠中だ。
 なので文字通り、この場にはトリスとマグナとしかいないというわけ。
 昨日のモーリンのことばを鵜呑みにしたわけじゃないけれど、結局、マグナとトリス、ふたりはギブソンからも何も聞き出せなかったらしい。
 とりあえずネスティが蒼の派閥という組織の命令で、ふたりを殺そうと決意していたわけではない、というコトくらいしかはっきりしなかったんだそうだ。

 ……肝心のネスティは、あれ以来、部屋に閉じこもりきりらしいし。

 刺激するのもどうかと思ったのも事実だけれど、心配なのもこれまた事実。
 とは云っても、数度お伺いを立てて音沙汰がなければ、どうしようもない。数十回のノックを五秒間を置いて繰り返すこと10セット。さすがに腕も疲れたし。
 ならば先にこちらの兄妹の気を晴らしてあげる方が先決だな、と判断した上での、本日の行動だ。
 それにほら。
 マグナとトリスがいつもの調子になってくれれば、その勢いでネスティの方にも突貫できるかもしれないしね。
 ……まかり間違っても扉突き破らないようにとは注意しておくとしてだ。

 と。
 くん、と、マグナが何かのにおいに気がついたらしく、鼻をひくつかせた。
「……何? いいにおい」
 くんくんくん。
 自然と身体がかがんで、の持っているバスケットに引き寄せられたマグナの表情が、ぱぁ、と輝いた。どうやら目が覚めたようである。
「もしかしての手作り弁当!?」
「しー!!」
 くどいようだが早朝だ。玄関で騒いでいたら他の人たちが起き出してしまう。
 あわてて口の前に人差し指を立ててジェスチャーしてみせると、にへ、と、しごく嬉しそうに笑うマグナの顔。
 もしかしてさ、と、彼は云った。
「……俺たちが昨日泣いてたから、気遣ってくれてる?」
「うん、少しね」
 は正直にうなずいた。
 モーリンに云われたというのもあるけれど、たまには派閥とか見聞の旅とか、そういうものから離れた場所に連れて行ってあげたいなぁと思ったのもほんとうなのだ。
 そう話すと、マグナの笑みがなお深くなる。
「ありがと。やっぱり、、優しい」
 無邪気に抱きついてくるその様子からは、昨日の悲壮さなど欠片も感じられなかった。
 昨日就寝前、ざっと経緯を聞いた限りでは、ギブソンのトコロに押しかけたとき、云ってもらったことばがあるんだそうだ。
 それできっと、少しなりとも気分が持ち直したんだろう。
 それをまだまだ寝ぼけ眼で見ていたトリスも、何にかは知らないが負けられないと思ったのか、ぎゅぅっと反対側からしがみついてくる。
「兄さんばっかりずるいー……のおべんと、あたしも食べたいー……」
 そんなトリスの額を指で弾いて目を覚まさせ、は笑顔で云ってやった。

「だーかーら。3人でのお散歩用だっつーとるでしょーが!」



 ともあれ、やっとこ目を覚ましたふたり含む3人は、順調にゼラムを抜け出した。
 ギブソンとミモザには告げてあるから、あとのことも心配ないだろう。あのふたりに云っておけば、たぶんたいていのツッコミは受け流しておいてくれるはずだ。
 さて、気分を切り替えて、本日の目的地はフロト湿原である。
 以前行ったときには黒の旅団とのごたごたで、堪能したのが台無しになってしまった場所だ。とか云うとなんか嫌な感じ。
 だが今回はさすがに、そういうことはないだろうと思ったのだ。

 ――道に迷わなければ、それは目論見どおりだったろう。



「あははははははは、地図持ってくれば良かったね」
「うーん、これも大自然の不思議ってやつだな」
「きっと妖精さんのしわざね」

 トリスとマグナと
 この3人しかいないと、当然、つっこんでくれるべき立場の人間がいないわけで。たとえば兄弟子とか双子の赤い方とか霊属性の護衛獣とか。

 ――――ひゅうううぅぅぅぅうううぅぅぅぅ。

 北風が肌に染みる。
 つい昨日抜けてきたばかりのレルム村への山道を目の前に、たちはしばし無言で佇んでいた。額に冷や汗を浮かべつつ、貼り付けたような笑顔で。
 だが、そこはどこまでもポジティブ思考の蒼の派閥の新米召喚師とどこまでも能天気だと思われているという自覚はあるである。

「じゃあ、このまま山登りとしゃれこんでみようか?」
「そうだな。今から頂上目指せばちょうど昼くらいに着けるよな」
「ついでに挨拶もして行こうね」

 吹き付ける北風など物ともせずに、あっさり爽やかに今後の方針は決まったのだった。


 そうして、山道を登り続けること、しばらく。木々に覆われていた風景が、ぱっと広がった。
 眼前に見えるはアグラお爺さんが建てたお墓がぽつぽつと点在しているレルム村の焼け跡。
 真っ直ぐ頂上に向かう道からは外れてしまっているけれど、やはり最初はこの場所にこなければいけないような気がした。3人の誰がそう云ったわけではないけれど、自然、足はここに向いていたのだ。
 カイナが、この場所に怨念によって繋ぎとめられている魂はいない、と云ってくれたせいだろうか。
 後悔と慙愧の念よりも、むしろ敬虔な気持ちでそこを眺めるコトが出来る。

 を真ん中にはさんで、少しの間、彼らは黙って村跡を見つめる。
 そのうちにふと、マグナが口を開いた。
「……考えてみたらさ」
「何?」
「あの日――あの夜、ここから何もかも始まったんだよな」
「……そうだね」
 静かにトリスが同意する。
 思い出すのは炎の記憶。
 あの日の前日、はここにきた。
 あの日、トリスとマグナたちはここにきた。

 そしてあの夜、この村は赤い炎に包まれて――そうしてすべてが始まったのだ。

「考えてみたら、俺たちが今こうしてここにいるのって、すごい偶然の積み重ねだよな」

 視線は木々の向こうに固定したまま、マグナがつぶやく。
 とトリスは、無言でもってことばの先を促した。
「アメルと逢って、と逢って、黒騎士たちと戦うことになって――こんなに仲間も増えてさ」
 もしかしたらギブソンの屋敷で今頃騒いでいるかもしれない仲間たちを思いだして、3人はちょっと笑う。
 ギブソンとミモザと言いだしっぺのモーリンがいるから、怒られたりはしないと思うけど。

「……ここでアメルと逢ったことが、たぶん俺たちには、この件が始まる引き金だったんじゃないかと思うんだ」

 静かなことばに、ただうなずいた。
 の場合はリューグに拾われたことが、引き金だったと云えるんだろう。
 そしてそのあと、彼らの家に行ってアメルと逢って。みんなにとても親切にしてもらったこともだ。
 だって、その出逢いが、その事実が、守る気持ちに繋がったのなら。
 ――すべては。
「そういえば、最初にアメルに逢ったときね、なんだかすごく懐かしいような気がした」
「トリスたちも? あたしもだよ」
「え、も?」
 それは優しく懐かしく、遠い想いと近い気持ち。
 だけど同時に一抹の楔を思わせる。
 それは不思議な感情だった。

 は遠く記憶の霞む向こうに置いてきてしまった、家族と同義だった人たちを。
 では、トリスとマグナは――?
 答えはまだ、誰も持っていない。
 も、そしてマグナもトリスも。
 各々の感情の答えが出る日は、きっと近いのだけれども。
 まだそれすらも、自覚にはいたらずに。

「あ、そうだ……にお願いがあるんだけど」
 ふと思い出したように、トリスが云う。
 なんだろうと視線を向けると、昨日ギブソンのところに行ったあとの、ふたりの顛末が語られた。
 曰く、禁忌の森に関するコトは、蒼の派閥でも最上級の機密だということ。
 曰く、現在の総帥は、例えどんな理由であろうと死を持って刑罰とする人ではないこと。

 ――つまり、ネスティのことばは蒼の派閥とは理由を異にする部分から出たということになる。

「本当は、今日、ネスのトコに押しかけるつもりだったんだけど」
「え!? うわ、ご、ごめん!?」

 早朝から引っ張り出したにとっては、マグナのことばは青天の霹靂。
 いや、良かれと思ってやったコトに変わりはないんだけど、先にふたりの都合くらい聞いておくべきでしたか。
 大慌てのを見て、くすりと笑う兄妹。
「でも」
 あわてるをなだめるように、マグナが云った。
「今日ココに来て、なんか出発点に帰ったような気持ちになってさ。ネスに逢うのはちょっと不安だったけど、それが、このおかげでふっ飛んだから」
 だからにはありがとう。
「うぅ、そう云ってもらえるとありがたいです……」
 今度からは相手の予定も聞いてから引っ張り出そうと、深く決意するだった。
 つーか引っ張り出すコトには変わりないんだな。
 それでね、と、そんなの服をトリスが引っ張って気を引いた。
「明日行こうと思うんだけど、良かったらにも一緒に来て欲しいなって」
「え?」
 あたしもですか?
 自分を指差してみせれば、ふたりは、こくりと同時にうなずいた。
 でもそれって、蒼の派閥の機密に関するなのでは、つまり、部外者同伴なんていうのはもってのほかなのでは――
 そう、が云おうとしたときだった。

「……あれ?」

 右手でひさしをつくって、トリスが、改めてレルム村を注視する動きを見せる。
「どうしたの?」
「あそこ……誰かいるよ?」
「え?」
「どこどこ?」
 もともと山奥に位置し、主要な街道からも外れているレルム村。
 焼け落ちてからは、たずねてくる人間など、それこそ自分たちくらいしかいるはずはないのだけど……
 身を乗り出して、とマグナもまた、トリスの示した方向に視線を向ける。
 ――見えた。
 自分たちのいる場所が木々に囲まれているせいか、まぎれた姿はよく見えないけれど、たしかに動いている人影。
「あぁ、いるいる。何してるんだろ――」
 云いかけたマグナのことばは、そこで途切れた。
 変わりに彼の口を突いて出たのは、驚愕混じりの意味をなさない一語のみ。
「――って……!?」
「ちょっ、あれ……!?」
 目に映ったのは、まず、赤紫の髪。漆黒の甲冑。
 目に映ったのは、供も連れず馬もなく、たったひとりでそこに佇んでいる、

「ルヴァイド――さん」
 この村を滅ぼした、黒の旅団の総指揮官。

 名をつぶやいた。
 逢えてよかった。元気そうでよかった。
 イオスにはファナンで逢えたけれど、ローウェン砦以来だったから。

 そう、思ったのは事実。けれど。

 思い出してしまう。この場所は。

 何よりも、ここでは強く。思い出すのは炎の記憶。
 紅く染まった夜の空、焼け焦げる家、木々。
 聞こえてきた断末魔の悲鳴。
 炎に混じって流れてきた血のニオイ。
 人の燃えるニオイ。

 思い出すのは――炎の記憶。

 不意にバランスを崩したを、後ろにまわったマグナが支える。
「……ごめん」
「大丈夫?」
 問いには、なんとか首を縦に振るコトが出来た。
 克服したと思ったのに、場所と相手が揃うとここまでなるというのは、もはや記憶の深い部分にそれが刻まれてしまっているからなんだろうか。
 敵対している軍隊の総大将が目の前にいる状況でか、たちの身体に緊張が走る。
 ルヴァイドは強い。それは事実だ。
 リューグが力で圧し負け、シャムロックさえ圧倒していたルヴァイドの剣技。
 素早さはそこそこ自慢出来ても力はないと、もともと召喚師としての教育を受けているマグナとトリスなど、今戦いになったら、あっさり斬られておしまいだろう。

 たぶん、あの人はそんなコトしないだろうけど。

 を知っているからというだけでなく、きっと、あの人はあの人だから、そんなことしないだろうけど。
 それでも。
 もしも周囲に軍隊が待機しているのだとしたら、そんな悠長なことは云っていられない。
 けれど、幸い、そういう気配はないようだった。
 そのおかげで、はひとまず落ち着いて、ルヴァイドを眺めることが出来た。

 どうしたんだろう。
 あんなに辛そうな顔をして。

 そう思ったとき、それまで緊張していたはずの空気が、霞と消えた。
 ルヴァイドの表情に気づいたトリスとマグナが、戸惑い混じりにこう云ったからだ。
「……もしかして、お祈りしてるの……?」
 彼の立つ場所が何なのか察したトリスが、いぶかしげにつぶやいた。
 ルヴァイドが立ち、そして見下ろしているのは、幾つもの村人の墓。
 アグラバインが傷をおして、弔いのために建てたものたち。
 それを、黒の旅団の総指揮官は、苦痛を感じているのにも似た辛い表情で、じっと見ていた。
 たちは、黙ってそれを見守る。
 今動いたら気づかれるというのもあるけれど、ルヴァイドの様子が気になった。

「……許せとは云えぬ」

 ……?

「恨まれるだけの、呪われるだけのことを、俺はしたのだからな」

 3人は、顔を見合わせる。
 風に乗って流れてくるルヴァイドのつぶやきは、驚愕に充分値するものだった。

「だが、これだけはおまえたちに約束しよう。――俺は逃げぬ」

 それは、淡々とした、出来得る限りの感情を排した声。
 けれど、それだからこそ、よけいに伝わるルヴァイドの苦痛。
 あり得ないと振り切るならば、簡単だ。
 だって村を滅ぼしたのは彼自身のはずだから。――はずなのに。
 あんなふうなあの人を知っている。は。

「存分に俺を恨むがいい。呪い続けるがいい。それだけのことを、俺はした」

 旅団の陣営に連れていかれた、あの日と同じように。
 どうして、そんなに辛そうなの。

「俺は、逃げぬ――自分のしたことからは、絶対に」

 悔いているの? 村を滅ぼしたことを。

 問いつつも、それは半ば確信だった。だって、そうでなければ、今のことばの説明はつかない。
 しかし、村を滅ぼす指揮をとったのはルヴァイド自身のはずなのに。どうして。

「……」

 ことばをなくしたまま、ただ、とトリスとマグナは、お互い顔を見合わせていた。
 そうしたところで何の答えも出ないのだけど、他にどうするすべも知らなかった。
 3人、同じコトを考えているのを感じる。
 ルヴァイドのことば。表情。
 それは何よりも雄弁に、彼の後悔を語っていると、彼らは悟っていたからこそ。

「――――」
 黒い甲冑に覆われた肩が、僅かに震えた。

「そこの木の陰に隠れているのは誰だ!!」
「――!?」

 うわっちゃあ。
 響く怒声に飛び上がりかけ、は額を叩く。
 あまりのコトに気が動転して、気配を殺す真似事すらも忘れていたことに、今さら気づいたためだ。
 このまま隠れてたら諦めてくれないか、と、一瞬思ったが、

「出てこい……さもなくば、こちらにも考えがあるぞ」

 剣呑な響きをこめたそのことばに、たちは再度、顔を見合わせる。
 諦めて、こくりと頷きあうと、そのままルヴァイドから見える位置に場所を移した。

「おまえたちか……」

 最初にを見て、次にトリスとマグナを見て。
 意外そうに見開かれた瞳だったけれど、次の瞬間には無表情に戻る。
 ぎり、と。
 の隣で、マグナが歯を噛みしめる音。

「どういうつもりだ、ルヴァイド――」
 どうして、おまえが村の人たちのお墓になんてくるんだ。

「自分たちが皆殺しにしたくせに……!」

 激情のままに突きつけられるそのことばに、ルヴァイドの表情が歪むのが見えた。
 辛そうで、苦しそうで。
 けれど何も云わないのは。
 そうされて当然だと。責められてしかるべきと。すべての責は自分にあると。
 ローウェン砦のあのときと同じように。

 あなたは何もかもそうして、自分ひとりですべてを背負い、その道を進むのか。

「ルヴァイド、答えてよ……!」

 沈黙を保ったままのルヴァイドに、マグナと同じくらい厳しいトリスのことばが飛ぶ。
 それでも、彼は、口を閉ざしたままだった。
 視線だけは真っ直ぐに、こちらを見ているのが、とても痛い。そして、とても哀しい。

 そして――だから。
 は、傍らのトリスとマグナを、そこで意識から除外した。

「……やめて!」
――!?」

 ――知られるわけにはいかないと思っていた。
 少なくとも、この感情の説明が出来るまでは。この感情を持つ理由を、記憶を、取り戻すまでは。
 問われても説明出来ないことだから、自分の中ではっきりするまでは、隠しておこうと決めていた。

 ――だけど。

 ルヴァイドの前に立って、彼をかばうように両手を広げる。目頭が熱くて、心臓がじくじく痛みを訴える。身体が震える。
「……やめて」
「どうしたんだよ、!? そいつはこの村を滅ぼしたんだぞ!?」
「判ってる! でも!」
「アメルを狙ってる敵なのよ!?」

「でも! この人は哀しんでる――!!」

 前にも思った。前にも感じた。
 背後で戸惑っている、ルヴァイドの気配を感じながら、思い出す。
 貴方たちが辛そうだとあたしも辛い。貴方たちが哀しそうだと、あたしも哀しい。
 この村を滅ぼしたコトはきっと許せないけど、それでも、あたしの心は、彼らがそうして哀しむのも苦しむのも良しとしないんだ。
 みんなにも彼らにも、悲しんだり傷ついたりなんて、してほしくないんだ。

「これ以上、この人、責めないで……」


 ぽろぽろと、頬を濡らし始めたを、ふたりは信じられない思いで見た。
 ――判ってる。
 さっき見せたルヴァイドの悔恨、慙愧、それはすべて本当の感情だって、判ってる。
 それでも消えない炎の記憶が、自分たちをしてあんな言動に走らせた。
 それを取り消す気はない。
 だけどは優しいから。
 たとえ彼が敵であっても、目の前で辛そうなのを放っておけなかったんだろうと……思うのに、思えない。

 それは、それ以上の感情。
 が黒の旅団の総指揮官をかばうのは、もっと、遠く深く、優しい気持ちからではないのかと。
 この場限りの同情ではなく、憐憫ではなく、哀れみではなく。
 もっともっと、長い時間をかけて培われた信頼のために、は、今、そうしているのではないかと。

 こぼれる涙が、そう、ふたりに告げていた。

 なくしたという記憶の欠片の一端が、トリスとマグナにもその姿を見せる。

 それは。

」、
 彼女の名を呼ぶルヴァイド。

「――泣くな」
 彼女を腕に抱くルヴァイド。

 それを。そうしてるふたりを。
 表現するに適切な単語を。――知っているけれど、それは、マグナとトリス。ふたりには得られなかったものだった。
「……」
 握りしめた拳は、けれど、やはり眼前のふたりから生まれる空気がほどかせた。
 だって――それはとても優しく、そしてとても暖かい。
 涙のにじんだ声で、がようやく、ことばを発した。
「だって……!」
「……すまんな」
 それ以上ことばにならないの感情を汲み取ったのか、即座にルヴァイドが頷いてみせる。
 それは、優しくて暖かい光景。
 後ろからまわされたルヴァイドの腕を、ぎゅっと両手でつかんで、は顔を押しつけていた。
 小刻みに震える肩。
 だいじょうぶだよ。そう、いつも自分たちに明るく強く告げてくれてた彼女が、本当はまだ年下の女の子なのだと思い知らされた。
 漆黒の鎧にはらはらとまといつくの髪は、注ぐ日光に透け、鎧の黒をぬぐう、明るい茶色に輝いている。
 それを、何の脈絡さえなく、ただ、きれいだと思った――


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