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第2夜 弐
lll 知る故の迷い lll



 ――名前は。年は16。
 6年前に、召喚術の事故でこの世界に呼ばれ、そのまま暮らすことになった。
 ルヴァイドを父とも慕っていた。
 ゼルフィルドとイオスを、心許せる友と思ってくれていた。
 デグレア軍、特務部隊・黒の旅団の情報収集担当要員、兼非常時限定戦闘員。
 秘密事項。目標は打倒黒の旅団総指揮官。


 そう、云えれば良かったのに。

「云えなかった……と?」
「はい」
 心なし肩を落として告げる部下に、ルヴァイドは苦笑してみせた。
 どうしているかと覗いてみれば、途方にくれて立ち尽くしているイオスと、それを不思議そうに見上げているがいたのだ。
 とりあえず、用事と称してイオスを連れてきてみれば、件のいきさつを語られた。
「実感を伴わぬ記憶は、いくら話して聞かされても、所詮は他人事と変わらぬからな……」
 むしろ。
 村を襲った旅団に対して、戸惑いつつも許せないと感じている今のに、彼女もその一員なのだと告げたところでどうなるやら。
 なんにせよ、ますます混乱するのは目に見えている。
「許せない、か」
「当たり前でしょ」
 返答など期待しなかったつぶやきに、返されることば。
!?」
 振り返れば少女の姿。
 いったいどこから聞かれていた!?
「……お気になさらず。何の内緒話か知らないけど、許せない、のとこからしか聞こえなかったから」
 少女は告げる。
 炎の中にいたときから、決して消えることのなかった、黒い瞳の奥のものが、勢いを増していた。
 激昂。
 それを、ルヴァイドとイオスは予感する。
「あたしは、記憶がないんだ。だから、自分を知りたい。だから、あたしを知ってるかもしれない、貴方たちについてきたけど――」
 だけど、その前に。
 答えてほしいことがある。
「どうして、村の人たちをみんな殺したの?」
「――!」
 ことばを失った彼らに、彼女はたたみかけた。
「殺す必要はなかった。確実を狙うなら、そりゃあ、これだって嫌な方法だけど、でも殺すより、生かして人質にして聖女に自ら進み出るようにしたほうが、ずっとずっと良かったはずよ!?」
 なのに。

「なのにどうして、あんな方法を選んだの!」

 叫びだった。それは。
 魂からの。
 記憶があろうとなかろうと、ならばきっと、そう云っていたに違いないとふたりは思う。

 だからこそ、それは、何よりも鋭い刃となって胸をえぐる。

 手を下したのは自分たち。
 ビーニャがどうだろうと議会がどうだろうと、事実はただそれだけ。

 ただそれだけの事実が、何よりも痛い。
 心臓が冷たくなって、指先までの感覚がすべて麻痺してしまいそうに。


 許せない――
 天幕をくぐって現れた、黒騎士の姿を見た瞬間、火花のように何かが飛んだ。
 衝動に突き動かされるようにして、悟られぬよう間をおきながら、彼らを追った。
 そうして、黒騎士がつぶやいているのが聞こえた瞬間、背筋が粟立った。
 そこで、感情を覆っていた霞が、一気に振り払われたような感覚に襲われた。
 許せない。
 その思いは変わらない。
 炎の中で倒れていた、たくさんの人たち。
 きっと忘れられない。きっとずっと脳裏に残る。
 ――許せない?
 目の前で、何も云わずに立ち尽くす、おそらくはトップの位置にあると思えるふたりを見ながらは思う。
 睨むようにを見ているふたりだけれど、

 ――泣いている

 鋭いその目の奥に、傷ついたものが見えてしまう。

 どうして泣くの?

 そんなもの見たら、一色だった感情に、別の色が混ざってしまう。
 混じったそれを、疑問という。

 人を人とも思わずに、だから、すべて殺していたんじゃないの?
 どうして。
 あなたたちがそんな様子なのを見てると、どうしてあたしまで悲しくなるの?

 ――不意に視界がにじんだ。

「泣くな……」
 苦しそうなイオスの声と、無言で頬をぬぐう黒騎士の動作に、初めては自分が泣いていたのだと悟った。
 嗚咽は不思議と漏れることなく、ただ、涙だけが堰をきって溢れ出す。
「泣くな、――」
 身体に回されるイオスの腕を、まるで他人事のように感じていた。
 それでも伝わるぬくもりに、安堵している自分がいる。

 ――許せない? 許せない。
 あの赤く染まった光景は、きっとずっと思い出す。

「俺を憎むのなら、憎めばいい。恨むというのなら、いくらでも受けよう」
 イオスに抱かれたままのに、静かに、黒騎士が告げる。
「俺は逃げぬ。……そうされて当然のことを、俺はした」

 憎めばいい? 恨めばいい?

 そう出来れば簡単だ。
 だけど。

 だけどきっと、それは出来ない――

 ふるふる、と、は首を振った。
 緩慢な動作でイオスの腕を押しのけると、ふたりに背を向けて歩き出す。
!? 何処へ――」
「寝る」
「は?」
 くるりと振り返って、真っ赤になった目で、総指揮官と特務隊長を見すえ、は云う。
 激昂はすっかり引いていた。
 あとは――
「頭のなか、整理したい。さっきの天幕に居るから、もし用事があったら呼んで」
 それだけ告げて返事も待たず、は歩き出した。


 さてはて、何を優先するべきでしょうか。
 この人たちに対するあたしの感情は、きっぱりふたつに分かれてしまい、互いが互いを責め苛んでいるのです。

 許せない。
 でも黒騎士の云うように、恨みや憎しみに変えてしまうには、あまりに彼らの悲しみが見えすぎてしまった。
 そうして彼らが哀んでるのを、良しとしない自分がいる。

「うー」

 ごろり。
 いかにも急作りのものです! と主張している質素な寝床に身体を預け、うなりつづけること小一時間。
「頭が煮える……」
 だいたいあたしは、頭脳労働には向いてないんだってば。消えた記憶分容量増えたわけでもなし。そもそも、その記憶がないだけで手一杯なのに、これ以上頭働かせたら絶対オーバーヒートするっつーの。
「どっちかなんて、決められるわけ、ないじゃないよ……」
 レルム村で出会った人たちの、助けになりたい。約束を果たしたい。
 だけど彼らに合流したら、黒騎士たちと戦うことに、きっとなる。
 でも、黒騎士たちが悲しいままなのは嫌だと思う。
 だからってココに残ったら、あの人たちと戦うことになるかもしれない。

 ……抱えた想いは、きっとどちらも大事なものだ。

 どちらかを捨ててしまったら、きっと後悔しそうな気がする。
 ああもう。
 こんなに、大事だって主張するふたつ、どちらか捨てなきゃならない必要なんて、本当にあるんだろうか――?
 不意にそう思って、そしてそう考えたとたん、はぱちくりと目をまたたかせる。
「そりゃそうだ」
 つぶやく。
「別に、誰かにどっちかに決めろって云われたわけ違うし」

 ………………………………

「はは」
 笑う。たったそれだけのことなのに、なんだか随分と、久しぶりに思えた。

「……うん」
 小さく、頷いた。
「両方とろう」

 欲張りだって云われてもいいや。

 記憶のないあたしを助けて、とても親切にしてくれた、あの人たちも。
 何故かとても懐かしい、思慕を覚える黒騎士たちも。

 きっと、みんなで幸せになれる道が、どこかに絶対あるはずだ。


「というわけで、まずあたしのことを教えていただきたく」
「……唐突だな」
「いつものことです。覚えてないけど」
 どきっぱり云いきるを見て、その人は、苦笑いしたようだった。

 結構時間が経っていると思ったのに、いざ談判に行こうと天幕を出たら、まだ太陽は中天に居座ってさんさんと輝いていた。
 ので、まず、そこらにいた兵隊(妙に皆さん好意的だった)から、昼食を奪取。
 黒騎士のいる場所を聞き、食事持参で訪れたの、食欲を満たしながらの発言に、ルヴァイドは苦笑する以外にすべがない。
 まったく、この子は。
 妙にすっきりした顔をして、さきほどの激昂は、いまや欠片も見られない。
 そういえば昔から、自分の感情をなだめられないときは決まって、ひとり部屋にこもっていたものだった。周りがどんなにか心配していても、出てきたときにはけろりとして。
 そう、今まさに、そうしているのと同じに。
「あぁ、その前に、あなたの名前は?」
 けれど自分たちの知っていたではないと、思い知らされるこの瞬間。
 姿も仕草も何もかも、変わった処などないというのに。
「……ルヴァイドだ」
「ではルヴァイドさん、あなたはあたしについて、何を知っています?」
 直球で問われる。
 何から話そうか――何処まで話そうか。
 少し、考えた。

「おまえの名前は、。年は16」

 結局、あたりさわりのないところから入る。
 たしか、もうすぐにでも誕生日だっただろうか、と、他愛のない記憶も引き出しながら。
 ふむふむ、とうなずいているを見て、また、考える。

 ――おまえはデグレアで暮らしていた。そして俺の部下だ。

 告げるのは簡単だ。
 けれど、聖女を得るためだけにレルム村を壊滅させた彼らの仲間なのだと、今ことばだけで云われても、彼女はきっと――
 ことばは簡単。
 けれど、それに含まれる真実を見極めようとするのなら、にはそのための基盤が足りなさ過ぎる。
 彼女が何を思いデグレアを離れたか、何を考えてレルム村に赴いたか、ルヴァイドはわかっているつもりだった。
 だがそれは、あくまで憶測であり、推測にすぎない。

 だましてしまった、と、思うのだろうか。おまえは。

 村を壊滅させた者たちの一員であることを、今のがどう受け止めるかも、悲しいことに、想像がついてしまう。

 だから迷う。
 逡巡する。

 今ここで、そのことをに告げるべきかどうか。

 ――迷う。

「それから?」
 さらり、が告げた。
 めったなことでは動揺しないはずの、己の肩が痙攣するのをルヴァイドは感じた。


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