とりあえず、これからどうするか。
禁忌の森の遺跡というのが気になってはいたし、デグレアがそれを手に入れる前にどうにかしなければいけないという意見が複数から出された。
だがその前に、金の派閥から預かっていた親書の件や、トライドラの騎士であるシャムロックの報告の件といった、ゼラムで済ませなければならない用事もある。
しかも、それらがそれなりに急を要していたため、たちはひとまず王都に戻ることにした。
いつかの夜別れたっきりの、ギブソンやミモザのことも気になっていたし。
あとで追いつくというアグラお爺さんにひとまずの別れを告げて、歩きつづけた一行の目の前に、やがて見えてきたのは懐かしい風景。
聖王国の都、ゼラム。
それから――
先に用事を済ませていくというネスティとシャムロックとも別れ、今一行が立っているのは、なんだかずいぶんと懐かしく思える、ギブソンとミモザの屋敷の前だ。
おとないを立ててしばらく待っていると、やがて、家の奥からパタパタと足音がした。
ガチャリ、扉が開く。
いったいどういうタイミングのよさか、はたまた虫の報せでもあったのか。家の住人ふたりともが玄関にはいて、外に立つこちらを見て目を丸くした。
「ミモザ先輩、ギブソン先輩っ!」
「ただいま戻りましたっ」
そんな彼らへ真っ先に、トリスとマグナが挨拶を述べる。
手紙も何も寄越さずに唐突に帰ってきた後輩たちを、ふたりははじめのうちこそ信じられない顔で見ていたけれど、それを聞いて笑みを浮かべた。
「おかえり。よく無事で帰ってきたね」
「うんうん、なんだか見違えたわねー」
ギブソンの微笑みとミモザのことば。
「とトリスなんか、ちょっと色っぽくなったんじゃない?」
「えぇぇ!?」
「そ、そうですか?」
ちなみに前者が、後者がトリスの反応である。云われたふたりは、ふっと顔を見合わせて、お互いの姿を凝視。頭から爪先まで。
……いまいち判りません。
微妙な表情になったところへ、
「バーカ。お世辞に決まってんだろが……って、いへへへへっ!?」
何やってんだか、と言外に云いつつツッコんできたバルレルのほっぺを、トリスが無言で引っ張った。
「黙ってればいいのに……」
哀れみの視線を投げながらつぶやくマグナ。うなずいている他一同。
なんてすばらしい仲間への思いやりだろう。これがギブソンの云った絆なんですね、って違う。
少々マグナのセリフに引っかかるものはあったけれど、トリスがバルレルを引っ張っている以上、こちらにはがツッコミ入れてみるべき――なんだろうけど、それはしなかった。
トリスVSバルレルで気が削がれたし、身長差がそれなりにあるのを、わざわざ乗り越えるほどのもんでもないなと思ったし。
おかげでマグナは、知らないうちに一難を逃れたわけである。
新米召喚師と護衛獣のじゃれあいは放っておく方向で、フォルテがギブソンに向き直った。
「いや、旦那たちも無事で何よりだぜ」
「ゼラムを出るときには、すっかりお世話になってしまって……」
続けられたケイナのことばに、ギブソンは笑みを深くする。
「気にすることはないよ。目的がかなったのなら、手助けした甲斐もあるというものさ」
「そう云ってもらえると、気が楽になります」
「おかげでおじいさんとも再会出来ました、ありがとうございます」
他のことならまだしも、よりによってデグレアの軍隊に関らせてしまったことを、少し悔いていたのはたしかだった。
ギブソンのことばがうれしくて、とアメルはにっこり笑顔で応じる。
と。
何か気に入らないコトでもあったのか、リューグが少し眉をしかめて、ずいっとギブソンとの間に割り込んだ。
「……アンタたち、やっぱり相当の使い手だったんだな」
「ははは、まあそれなりに場数は踏んでいるからね」
「特に一年前なんか場数踏みまくりだったものねぇ」
ほがらかに応じるギブソンとミモザのことばに、数人がぴくりと反応する。
「先輩!」
バルレルを放したトリスが、ぐぐっ、と割り込んできた。
「それって『無色の派閥の乱』でのことですか?」
「そうだよ。……ん? 私たちがそれに関っていたのは、君たちに話したことがあったかな?」
「あ、ネスから聞いたんです」
「あらららー。あんまり公にしていいコトじゃないのにあの子ったら」
これはお仕置きが必要かしら?
マグナの返事に、キュピーンと擬音のつきそうな笑顔を浮かべたミモザを見て、あわてて両手を振り回して否定する弟妹弟子。
「そうじゃないんです! なんかイロイロあって、その経由で説明しなくちゃいけなくなったっていうか!!」
「アメルのお祖母さんちを捜しに禁忌の森に行ったらエルゴの守護者に逢って、そのときにサプレスの悪魔が――あ。」
「兄さんー!!」
「……ふぅん? 禁忌の森、ねぇ?」
トリスの悲鳴もどっちらけ。ミモザのメガネの輝きが増したのは気のせいだろうか。
気のせいであってほしい。
ようやく自分たちの失言に気づいた後輩ふたりが固まったのを楽しそうに眺めているミモザの様子を見るに、派閥の機密事項を余人に知られたコトに怒りとかは感じていないようだけど――むしろ、たった今見たメガネの輝きが怖い気がする。
苦笑して、ギブソンが仲裁に入った。
「あまりいじめるなよ、ミモザ。――まぁ、そのへんの理由はおいおい聞かせてもらおうかな」
「なんとなく、そのへんの経緯の想像はつかなくもないけどねぇ……見知った顔が若干混ざってるコトだし?」
なにやら含みのあるミモザの視線の先にいるのは、カイナにカザミネ。
「悪かったでござるな」
なんだか拗ねたような顔でカザミネが答えている。
ケーキ配達で何度か訪れていたらしいパッフェルが、「そんな、つれないですよ〜」と苦笑いしてつぶやいていた。
カイナがちょっと首をかしげて、
「私たちがここにいることを、不思議だとは思われないのですか?」
トリスとマグナは便りも寄越さずいきなり帰ってきたのだから、当然、知り合いであるというカイナやカザミネが一緒に行動していることは知らなかったはずだろうに。
それにしては、ギブソンもミモザも平然とこちらを迎えてくれていた。
そのあまりの自然さ、違和感のなさにそんなことも気にならなかったのだけど。
すでに失言のコトは放ってしまったらしい後輩たち含む、複数の疑問まじりの視線を受けたギブソンが、ふと、屋敷の奥に目をやった。
「事前に、彼らから聞いていたからね」
なにやら楽しげなことばが合図だったのか、直後、ぱたぱた、と、軽い足音。
それから、ぎっちょんがっちょんと、レオルドのそれに近い足音。
「やあ、みんな。おかえりなさい!」
「イズレモ無事ノヨウデナニヨリダ……」
「エルジンくん、エスガルドさん!?」
いつぞや禁忌の森でカイナと同時に知り合って、そのときはそのまま別れた彼ら。
機界のエルゴの守護者だという少年と機械兵士が、並んでたちの前に姿を見せたのだった。
「おふたりとも、どうしてこちらに!?」
まさかこんな処で再会するとは思っていなかったらしい。カイナの声はめずらしく、普段よりも大きかった。
答えたのは目の前のふたりではなく、ギブソンの方だったけれど。
「先日連絡をとったときに、私たちの調べていることと彼らの調査していることに、ちょっとした接点が見つかってね」
「協力体制ヲトッテ調査スルコトニシタトイウワケダ……」
「接点…?」
ていうか、何の調査をしていたんだろう。
エルジンとエスガルドは、たしか禁忌の森で出逢ったときに、悪魔の異常な出現の理由を調べていると聞いていた。
けれど、ギブソンとミモザ。彼らもまた何かを調べていたというのは、にしてみれば初耳だ。
派閥の秘密事項なら聞いてなくても当然かなと思ったけれど、ギブソンたちは、どうやらここまできた以上、別に内緒にしておくつもりもないらしい。
「マグナとトリスには話してたわよね。召喚師の行方不明事件」
「あ、ハイ」
こっくりうなずくふたりを見て、「よく覚えていたね」とギブソンのお褒めのことばが飛ぶ。
で、トリスとマグナはうれしそうに笑うんだけど……あんまり誉められているように思えなかったのは、ただ単にの感性の違いとかゆーやつだろうか。
ざっと話してくれたところによると、なんでも、金の派閥蒼の派閥問わずに召喚師が連続で行方不明になっているそうだ。
短期間に、それも明らかに召喚師だけが、というその事態を放っておくことは出来ず、行方不明になった人たちの捜索を命じられたのがギブソンとミモザということらしい。
「それで、共通点って?」
「ああ、それはね――」
ルウの問いかけに答えようとしたギブソンが、ふと、口を閉ざした。
どうしたんだろうと見る一同を、ミモザが見渡して笑う。
「いつまでも立ち話ってのもなんだし、とりあえずお茶しながら自己紹介といきましょっか」
もちろん、反対する人間なんていなかった。
わらわらと大勢が上がりこんでもなお、この家のだだっ広さ感というものが失われないというコトに、は少々感嘆の意を覚えた。
モーリンの家とつい比べてみるものの、あちらと面積はほぼ同じで2階があって書庫があって――甲乙つけがたし。
「みんな、こっちが居間だよっ」
「うーん勝手知ったる人様の家」
ギブソンでもミモザでもなく、ミニスが先頭に立って案内する後ろをついて歩きながら、そんなことばが口をついて出る。
「モーリンの家も広かったけど、このおうちも広いわね」
「ありがとう。部屋数と面積だけは無駄にあるからね。あと何人か増えても大丈夫だよ」
ルウのことばに軽く応じているギブソンだが、後々そのことばが真実になるとは、このとき誰も想像できなかったにちがいない。
未来はまだまだ闇に包まれている、この段階では。
そうして、お目当ての居間にはそれなりの人数がくつろげる用意がしてあったけれど、さすがに今回はこちらの数が増えすぎていた。
ので、急遽各部屋にあるソファや椅子を寄せ集めるコトになり、落ち着くまでにまたひと働き。
ミモザとアメル、カイナがお茶とお菓子を用意して、ようやく腰をすえたところで、ギブソンがふと一同を見渡した。
「そういえば、ネスティはどこかに行っているのかい? さっきから姿が見えなかったけど」
「あ、シャムロックさんって騎士の人と一緒に、先に用事を済ませてくるって云ってました。挨拶してからでもいいだろって云ったんですけど」
マグナが答えたそのとき、噂をすればなんとやら。
コンコン、と、居間と玄関の距離がそれなりにあるせいか、ちょっと小さかったけれど、たしかにノックの音がした。
「ちょうど終わったみたいだね」
「あたし迎えに行ってきます」
いちばん出口に近い位置に座っていたせいも手伝って、はすかさず立ち上がると、玄関の方に向かった。
ついさっきも通った廊下を小走りに抜けて、たどりついた玄関先にはネスティとシャムロックの姿。
後ろからついてきていたギブソンが、
「久しぶりだな、ネスティ。それからそちらの方には初めまして。蒼の派閥の召喚師、ギブソン・ジラールです」
そう云って、にっこり笑みを浮かべる。
「ご挨拶が遅れてすいません、先輩。お久しぶりです」
「はじめまして、トライドラの騎士でシャムロックと申します」
ネスティとシャムロックも、各々頭を下げた。
「お城に報告に行ってきたんですよね? どうでした?」
トライドラを落とされ、要となる三つの砦のうちふたつまでも落とされているこの状況下で、そのトライドラの騎士であるシャムロックがどう応じられたか、というのが不安でもあったので訊いてみる。
シャムロックは、ギブソンに向けていた笑みを苦笑に変えて、に向き直った。
「やはり、相当の衝撃だったらしい。現状把握だけで手一杯といった感じだった。後で議会に出席するように、だそうだ」
「そうですか……」
「八つ当たりの標的にされなければいいのですがね」
「……正に、そうなりそうですよ」
報告に行ったときの様子を思い出したのか、シャムロックがギブソンに答えている。
「うあ。なんですかそれ、シャムロックさん悪くないのに」
正直な感想が飛び出したを見て、シャムロックの苦笑が深くなった。
「仕方ないよ。責任の一端は、たしかに私にある。それに彼らは結果をすべてとして判断するのが仕事なのだから」
「そのことで整理をつけて、早急な対処を検討するのならそれに越したことはないんだがな」
その光景を見ていたらしいネスティが、ため息とともに云うけれど。
彼の様子からして、それが実行に移される望みはあんまり持たない方がよさそうに思えた。
それにしても、と視線を転じれば、覚悟はしていたらしいけど、やっぱり疲れている様子のシャムロックが目に入る。
うーむ。相当気を張り詰めていたとみた。
「シャムロックさん」
呼んで、ちょいちょいと手招く。
「なんだい?」
身長差があるせいでか、上身をかがめるようにこちらを覗き込んだシャムロックに「失礼します」と手を伸ばした。
そうして、
ぽん。ぽんぽん。
ちょっとかわいらしい音と一緒に、の手はシャムロックの頭を軽く叩いていたのである。
さすがにこういう行動に出られるとは予測していなかったらしいシャムロックが、頬を染めてがばっと身体を起こす。
「なっ…!? さん、何を!?」
……フォルテの友人のくせに、なんでこういうトコロは全然正反対なんだろうか。
訊いてみたくなったけれど、むしろそんなだからフォルテと仲良くやれているのかもしれない。
だから、返事の変わりににっこり笑ってみせた。
それを見てますます赤くなるシャムロックが、なんとなくかわいいなあと思いながら。
「おつかれさまですよ」
動揺しまくって真っ赤だった、トライドラの騎士さんが、そこできょとんとを見直した。けっこうレアな表情かもしれない。
それから、ことばの意味を確かめるように、数度またたきして。
それから、口の端に笑みを乗せて。
「……ありがとう」
ただ頭をなでられただけだった。
そうしたのは、妹とも思えるくらい年の離れた女の子だった。
それだけなのに、どうしてか、とても優しくて暖かいものが心に生まれるような感覚があった。
最初に逢ったときも、彼女のおかげで助けられたようなものだったことを思い出す。
強い意志、強いことばを思い出す。
今こんなふうに、優しくことばをかけてくれているこの子からは想像も出来ないくらい、強い光を宿していた、夜色の眼を思い出した。
「どういたしましてっ」
シャムロックの笑顔が、本心からのものだと判って、も自然と表情がほころぶ。
それを面白くなさそうに眺めているネスティを、ギブソンがちらりと見、何やら思いいたったらしく、くすりと笑った。
「先輩?」
見咎めたネスティのことばには、なんでもないよと手を振った蒼の派閥の先輩は、改めて、玄関にいる彼らを見渡す。それから、つと、身体をずらして居間へ通じる廊下が見えるように動いた。
「とりあえず、みんな待っている。奥へどうぞ」
「では、お邪魔します」
ギブソンに伴われて、シャムロックが歩いて行く。
が、
「ネスティ……?」
てっきり一緒に行くと思ったのに、その場から動こうとしない彼に気がついて、は進みかけていた身体を反転させ、玄関に戻った。
「どうしたの? 行かないの?」
「ああ。僕の方はまだ済ませておく用事があるんでね」
どうやら、シャムロックの方が片付いたので、案内がてら、とりあえず顔見せに寄っただけということらしい。
「少し休んでいけばいいのに」
せっかくネスティの分もお茶もお菓子も取り分けてあるのに。
とっておきだと云いつつ、ミモザが奥から取りだしていた、おいしそうなクッキーの絵がかかれたお菓子の箱詰めを思い出しながら云ってみたけれど、
「いいや」
ネスティは、行動予定を変更する気はないらしい。彼らしいといえば、そうなのだが。
「それは君が食べるといい。僕の方の用事は、まだ時間がかかりそうだ」
「そ、そう?」
実はかなり心惹かれることば、ではあったけれど。
ふるふるっ、と、首を左右に振って。
「いや、でも、ちゃんととっとく。だから早めに帰ってきてね」
そう云うと、すでに身体の向きを変えかけていたネスティが、振り返ってこちらを見、ゆっくりと笑った。
「判った。――ついでに、ひとつ伝言を頼んでいいか?」
「いいよ。誰に、なんて?」
居間でくつろいでいるだろう、仲間たちの顔をひとりずつ思い浮かべながら、気楽に答えた。
の返事に頷いて、ネスティは『伝言』を口にする。
「トリスとマグナに。今から一時間ほどしたら、導きの庭園までふたりで来てくれ、と」
――3人で話したいことがある、と。