そうして夜は更けてゆく。
満月の見守る世界の中、それぞれが、それぞれの思惑を抱いて、今のこの夜を過ごしていく。
――それは、黒の旅団さえも例外ではなく。
「……云うべきことはあるか、イオス」
ルヴァイドの声は厳しい。厳しくならざるを得ない。
偵察だけですますはずの部下が、勝手に部隊を率いて聖女たち一行に戦いを挑んだのだから、当然のことだ。
勝利していれば、多少は目をつぶるということも出来たろう――己の性格を考えるに、可能性は低いものの――が、結果はあいにく、こちらの負け戦である。
死んだ兵士はいなかったようだが、手傷を負わされ損害を与えられたことに変わりはない。
「申し訳ありません」
それはイオスも重々承知しているのか、それ以上、弁明も弁解もなし。
ルヴァイドの傍に控えたゼルフィルドもさすがにあきれているのか、一言も発しなかった。
とは云え――
ふぅ、と。ルヴァイドは息をつく。
「……まぁ、終わってしまったことだ。何を云っても始まらん」
「ルヴァイド様?」
罰を与えられるかと思っていたイオスが、怪訝な表情になって、足元に落としていた視線を総指揮官へと向けた。
すぐに顔に出る、存外素直な性格の部下を見返して、ルヴァイドは穏やかに告げる。
「あまり思い詰めるな、イオス」
一瞬、何のことを云われたのか判らなかったらしく、イオスは数度目をまたたかせていた。
それでも鈍いわけではないのだから、すぐに思い至ったらしく、はっ、と表情を改める。
その覚悟をしているはずなのに、こう、何度も聖女を守ろうとする彼らに負けつづけている理由。
戦いになる以上、それは命のやりとりなのだと理解しているはずなのに、普段どおりに動かない身体。
。
万一の覚悟もした。自分の手を紅く染めるかもしれない予感を抱いた。
それでも。
それを覆しかねない感情が。いつもいつも、ついてまわる。
――自分も持つそれを、部下の感情を。推し測れぬようでは上官失格だ。
ことばをさがしていたイオスが、ふっとルヴァイドに目を戻した。
「思い詰めるなと仰いますが……」
そんなこと、出来るわけがない。
いつもいつまでも、その逡巡はついてまわる。
そう云いたげなイオスの眼は、揺らぎながら。それでもまっすぐにこちらを見ている。それが救いか。
「……こうまでして」、
もしもこの場にがいたら。
見たことのない彼らの表情に、もしかしたら――きっと。涙さえ、流したかもしれなかった。
「こうまでして――進まねばならない道なのですか……! 大切な人間をこの手にかけるかもしれないと、それでも我らはこの道を進むしかないのですか……!」
表情を歪ませたイオスの叫びに、
「ならば、おまえものもとに行くか」
「……!」
感情を押し殺して、淡々と、ルヴァイドは返した。
「止めはせん。罰しもせん。それをおまえが選ぶなら」
それは本音。
もしもイオスがそうするというなら、おそらく自分は止めまい。のときと同じように。
あの子も、目の前の部下も。まだ彼らには、選ぶ余地があるのだ。
他に選ぶ道を持たぬ自分と違って。
そう。
反逆者の汚名をかぶせられた一族の雪辱をぬぐうため。
デグレアに仕える騎士として。
この道だけを、進むと決めた。
それがどれだけの傷をこの身にもたらすことになろうとも。
炎に囲まれたレルム村を踏みにじったとき、もう。後戻りは出来ないのだと感じた。取り返しのつかないことを、この手は行なった。
だからその分。
彼らが彼らの望む道を進もうとするならば、止めるつもりはないのだ。
その結果ぶつかるのならば、全霊をもって排除するとも決めている。
――心にぱっくり開いた、ふさがらぬ傷口から流れる血など、他人事。
傷には慣れている。痛みにも慣れている。いやさ、当然の道に、そんなものあるはずがない。
痛みなど。殺してしまえ。
「……いいえ……」
どれほどの時間、沈黙していたのだろうか。
ぽつりとイオスがつぶやいた。
「貴方の選ぶ道が私の道です」
同じような傷口から、同じように血を流し。
「……そうか……」
それに目を向けまいとしている自分の部下に、おそらくは自分にこそ向けられるべきなのかもしれぬ、憐れみを感じながらうなずいた。
そうして。
それまでの会話などなかったかのように、ルヴァイドはゼルフィルドに向き直る。
「これからの予定はどうなっている?」
「現時点デハ、マダ本国カラノ伝令待チノハズダ、我ガ将ヨ」
何を感じていないわけでもないだろうに、さきほどのルヴァイド以上に淡々と返されるゼルフィルドのことばに、ルヴァイドは小さく首を上下させた。
「伝令がくるまで、しばらく軍を留守にする。――あとは任せるぞ」
「将?」
「ルヴァイド様? どちらへ?」
怪訝な顔になって問うてくる部下たちに答えを寄越すと。
彼らの片方は実に複雑な表情になり、もう片方は無表情のまま、同じように沈黙した。
夜は更けて行く。
いつか朝陽はのぼるものなのだけれど、
その夜は、まだ、始まったばかりなのかもしれない――