「……」、
とてもとても困った声で、
「もう泣きやめよ、な?」
とてもとても困った顔で、
「本当に、どうしたんだよー……」
マグナが、を覗き込もうとする。
けれど、延々と溢れる涙が両目を濡らし続けて、たぶんウサギさん状態になってる今の顔を見られたくなくて、よけいに強く、マグナの腕に頭を押し付けた。
それは、こちらを追ってこようとしないイオスたちを背にして、再びレルム村へ歩きだしてしばらく経ってからだった。
なんの前触れもなく泣きだされれば、マグナでなくても途方に暮れるに違いない。
周りの人たちは何も云わないでいるけれど、理由を訊きたそうな視線がちらちら、感じられるし。
「おい、……だいじょうぶか?」
「さん?」
さすがに見かねてか、赤青の双子も声をかけてくれるけど。
「へーき。だいじょぶ」
不思議と声はうわずらないで、返事はできる。
その声の調子に、ちょっとは安心してくれたんだろうと思うけど。
「泣いてる、わけじゃないのかい?」
「ううん。たぶん涙が出てるだけ」、
――少し考えて、追加。
「あくびの拡大版」
「……」
一瞬沈黙が訪れた。
「身も蓋もない返答だな」
どこか脱力した声で云ってるのは、レナードだ。
「……ケッ、心配して損した」
「へぇ。バルレル、の心配してあげてたんだ?」
「うっせぇぞ、ニンゲン!!」
どうやら感情の昂りがの目を濡らしていたわけではないと判り、それに黒の旅団の襲撃も払いのけられていたことも相俟って、ようやく、ほわっとした空気が生まれる。
ただ単に充血した目を見られたくなかったんだとが告白すれば、何人かが失笑して、何人かは普通にウケていた。
そんななか、ぽてぽてと、の傍にハサハが駆け寄ってきた。くいっと裾を引っ張ってくる。
「ハサハ? どしたの?」
みんなと一緒にひとしきり笑っているうちにひっこんでしまった涙の残滓を指先でぬぐいながら、は妖狐の少女に目を向けた。
と、彼女の胸に抱えた水晶が、すい、と、の目の前に差し出される。
覗き込んだそれは、どこまでも蒼い輝きに満ちていた。
そして、どこまでも、寂しい色に満たされていた。
「……おねえちゃん……感じてたから、涙、でたんだね」
「?」
ハサハの専売特許である、首をきょとんと傾げて疑問顔。をしてみたり。
だけど。
内気なハサハが答えるより先に、
「! ハサハも! 早くこないとおいて行っちゃうよ?」
がばっとおおいかぶさってきたのは、トリス。
発言の機会を逃して、ハサハは再び口をつむぐ。
それに気づかないトリスは、にっこり笑うと、ぐいっとふたりの腕を引っ張ると、そのまま、道の先の方で待っている、みんなの処へ向かって走り出した。
「とととっ、トリス! あんまり強く引っ張られると転んじゃうって!!」
「あははっ、だいじょうぶだいじょうぶ!」
「……」
慌てると笑うトリス、ふたりのあとを、小走りについていくハサハ。
すっかり、腕を引っ張るトリスに気をとられていたは、だから、気づかずにいた。
ハサハが、ぽつりと、さっきのことばの続きを口にしていたことに。
「……金の髪のさっきの人……泣いてた……」
そのことばに応えるように、彼女の抱いた水晶の蒼が、よりその色を増したことにも。
そうして、いつかの夜逃げるように、っていやまあ実際逃げてたんだけど、ともあれすったもんだの末突っ切った大平原を、一行は戻っていく。
リューグが山越えしたときには数日かかったらしいが、やはり大平原を抜ける方が早かったようだ。
そうして、途中の野営もつつがなく過ごし、日中強行軍で歩きつづけたたちの前に、村は広がっていた。
かなり西に傾きかけた太陽に照らされて。あの炎の夜に燃え尽きてしまった村の――残骸が。
「……こいつぁ、ひでぇな……」
初めて村を見る面々は、だいたい、レナードと似たような感想を抱いたらしい。眉をひそめ、沈痛な面持ちで、目の前に広がる村であった場所を見つめていた。
双子やアメルはと見てみるけれど、もう覚悟していたのか、あまり表情には表れていない――出せるほど易しい感情じゃないからかもしれない、けれど。
「以前は、緑にあふれてのどかな村でした……あの夜がくるまでは……」
それでも。
炎の夜を思いだしているのか、アメルが沈痛なおももちで、告げる。
実際にあの炎に巻き込まれたマグナやトリス、ネスティ。それにフォルテとケイナは、ある程度は想像出来ていたせいか、こちらは実際のところの衝撃は少なかったのだろうけれど。
それでもやはり、荒涼感や虚脱感を覚えてしまうのは自然のこと。
しばらくは、全員が無言で、黒く焼け焦げたままの家の柱や、崩れ落ちたレンガを視界におさめたまま突っ立っていた。
そうしているうちに、ふと。
「見てみたかったわね……こうなる前に」
ルウが、自分の住んでいた森を考えてか、少し遠い目をしてそう云った。
「……でも、とてもきれいな空気です。……そんなひどいことがあったとは、思えないくらい」
続けて、ゆっくりとカイナがつぶやいた。
そのことばに、幾人かがカイナに目を移し、それからもう一度、焼け焦げた村を見た。
ケイナやルウが小さくうなずいている。ストラの使い手であるせいか、気の流れを読めるモーリンも。それから、もなんとなくだけど。
「恨みの念などといった負の感情がまったくありません……魂はすべて、輪廻に帰れているようですね」
つづきを口にして、カイナは目を伏せ、黙祷する。
きっとアグラお爺さんが、村人ひとりひとりを丁寧に弔ったおかげだろう。そう思いながら、も、また他の面々も、カイナに倣った。
しばしの後目を開き、ふと、リューグに視線を動かせば、
「……行くぜ。こっちだ」
それが合図であったかのように、くるりと身をひるがえして彼は歩き出す。
ロッカとアメルがまず続き、そのあとから一同がついていった。
たどり着いた先は、村はずれのアグラバイン宅だった。
やはりあちこち焦げていて、焼け落ちた部分に補修のあとが見られるけれど、きちんと家の形を保っている。
アメルが緊張した顔になっていることに気づいて、は笑って肩を叩いてやった。
「……だいじょうぶ」
「うん」
にっこりと笑うアメル。ここにくるまでに、相当考えたんだろうと思わせる笑みだった。
たぶんそれを乗り越えて、今、彼女はこの場所に立っているのだ。
いつか、強くなりたいと願っていたアメル。は、そのときのことを思い出した。
誰に促されるでもなくロッカが扉の前に立ち、ひとつ息をつく。
コン、コン。
彼の腕が持ち上がり、木でつくられた、頑丈な扉を数度叩く。
待つことしばし。
家のなかで人の動く気配。
静かで、だけど雄々しい。にとっては、いつかの朝、一緒に食事をとったときに感じていた気配だった。
それから、アメルと双子にとっては、それ以上に慣れ親しんでいただろう、その人の気配。
ギィ、と。
木のきしむ音がして扉が開く。
「……」
立派な体躯を誇る、自称きこりのお爺さん、でもその実態は炎の夜にルヴァイドに向かっていって軽傷で済んでいるというすごい経歴を誇るお爺さんこと、アグラバイン。
リューグから話を聞いたときにはまさかと思ったけれど、こうしてぴんぴんしている姿を見るだに、信じざるを得ない。
アグラお爺さんは、ふと、表情を和ませて、たちを見渡した。
「そうか……無事に生きておってくれたか……」
それはこちらのセリフだと思う。
れっきとした現役の騎士であるシャムロックすら、ルヴァイドには苦戦していたというのに。
鎧もなく、なおかつ剣よりも重量のある斧で、しかもかなり行動の制限される、炎に囲まれたあの状況をくぐり抜けてなお健在な、アグラバイン。
なんでこんなに平然としてるんだろうね、この人は。
と、そんな疑問が瞬時に頭を駆け抜けたものの、ココまできてそんなもので家族の再会を邪魔するほど、野暮なつもりはなかった。
「お爺さん……」
最後の心残りだった人の無事をようやく確認できたアメルが、瞳に涙をたたえて駆け寄ろうとした。
けれど。
「近づいてはならぬ!」
「……え……?」
アグラバイン自身の声で、その歩みは止められた。
差し伸べてくれると思っていた手の代わりに拒絶まがいのことばを投げられて、アメルの涙が別の意味のものに変わりかける。
それを心なし辛そうに見て、アグラバインは目を伏せた。
決意をしているのだと。
それまで一言として形にすることのなかったものを、今、そうしようとする心を鼓舞しているのだと――なんとなく、判った。
そうして、アグラバインが口を開く。
「ワシは、おまえにそう呼んでもらえる資格などないのだ」
これから話すコトを聞けば、なおさら。
長い嘘をついていた。
伝えようとする決意が出来ずに、ただ沈黙を守ってきた。
「おまえたちの思っているとおり、ワシはアメルの肉親ではない」
扉の前に立ち尽くしているアメルと、双子。それから、彼女のために危険な旅に身を投じている、仲間たちを見て。
もう一度、アグラバインはアメルを見た。
「ワシは、ずっとおまえに嘘をついていた……小さなおまえがさびしい顔をするのが辛く、ついてはならぬ嘘をついてしまったんじゃ」
そこまで語ったとき、アメルが、ほのかに笑みを浮かべた――それは、どことなく、哀しい笑みではあったけれど。
「おばあさんのいる村のお話のことですね?」
「ああ。リューグから聞いている……あの森に行ったのだな?」
「はい」
頷くアメルの横、迷うように刹那だけの間をおいて答えたのは、いつか、リューグが拾ってきた……たしかという少女。
「だけど、村はありませんでした。そこは悪魔が封じられた森で――」
「人間が、暮らせる場所じゃなかったんです」
のことばのあとに、もうひとりの少女――トリスが続ける。
この子のきた次の夜、そうして、蒼の派閥の召喚師だという彼らがきたその夜に、すべては始まっていたのだから、印象が強い。
――否。
おそらくすべては、自分からだろうと、彼は考えを打ち切った。
「そうだろうな……ワシが最初に訪ねたときも、そうだった」
「え?」
仲間のひとりであろう少女が、きょとんとした顔でアグラバインを見た。
「ワシはな、昔、あの森の中へ入ったコトがあるのさ」
何のために、という疑問の視線が向けられたが、それにはあえて応えずにつづける。
「そこはおまえたちの見てきたものと変わらない場所だ。ワシは、襲われるまで悪魔の潜む森であることを知らんかった」
あの森。禁忌の封じられた森。天使の力によって悪魔の封じられた森。
けして人が踏み入ってはならない、禁忌の地に。
そうだと知っていたら、入らなかったか。
何度か繰り返したその自問。答えは常に否。入った理由は、ただひとつ。覆せぬほど強い理由。
「ともに入った仲間が次々と倒れていくなか、ワシだけがなんとか命を拾って逃げたんじゃ」
今でも脳裏に焼き付いている。
大樹の根元、淡く優しく輝く光。
誘われるようにそこへ向かい、見つけたものは、
「精も根も尽き果てかけたとき……ワシは、信じられぬものを見つけた」
木の葉に包まれて眠る、赤ん坊だった。
今こうして目の前に立つ姿を、そのときは想像も出来なかったけれど。
「それが、あたし……?」
「ああ」
目を驚愕に見開いて、つぶやくアメルに向かって、首を上下させる。
「だから、おまえには祖母などおらぬ。父も母もいたのかさえ判らんのだ」
……嘘を、ついてきた。
自分との繋がり。いないはずの祖母の話。
嘘を――ついてきた。
「……これが、ワシがずっとおまえに隠しておったことじゃ。今更、こんな形でしか告げられなかったが――」
続けようとした自分の顔が固まったのを、アグラバインははっきりと感じた。
微笑っていたから。
瞳に涙をたたえて、それでも、目の前の娘は笑みを浮かべていたから。
「そっか」
むしろ嬉しそうに、彼女は云った。
「だからあたし、あの森の景色を見て懐かしく思えたんだ……」
「アメル……?」
「あのね。お爺さんがあたしに謝る必要なんてないんですよ?」
ゆっくりと。
告げられる、ことばへ、
「しかし、ワシはおまえに……」
過去に馳せた名からは信じられぬほどの動揺とともに、
「――嘘でも!」
続けようとしたアグラバインのことばは、それまで口をつぐんでいたアメルのことばで遮られた。
「嘘でも……それでもあたしは幸せだった。この村で、アメルとして育って」
ゆっくりとことばになる、それは。本当の気持ち。彼女の真実。
たとえ血のつながりがなくても、たとえ自分が身寄りのない子供だったという事実をひた隠しにされていたのだとしても。
たとえ、いるはずのない祖母の存在で、ごまかされていたのだとしても。
アグラバインがアメルを大切に育てたこと。
とても大事にしていたこと。
それは嘘じゃない。
与えてくれた気持ちは嘘じゃない。
嘘をついたそのときにも、アメルのことを思っていてくれた気持ちは、きっと嘘じゃない。
だから。
ゆっくりと。が微笑んでいるのを、視界の端でとらえて。
アメルは、今度は止まらずに、アグラバインに抱きついた。
「……ありがとう、お爺さん」
本当は、ショックだったし辛かった。欺かれたのかもしれないと思うとかなしかった。
でも。
そのおかげで、あたしは幸せに暮らしてこれた。お祖父さんがいる、どこかにお祖母さんがいる、お父さんとお母さんもいたのだと。信じて、リューグやロッカと、お爺さんと、この村で幸せに暮らしてこれた。
炎の地獄に包まれたときも、やみんながいたから。逃げ切れた。
弱くなって泣きたくなって、それでも。
みんながみんなを想い合ってる気持ちを、少しずつ育んでいたから。それがあたしを強くしてくれた。
今なら云える。今だから云おう。
「あたしを見つけてくれて、育ててくれてありがとう」
――嘘を、ついてくれてありがとう。
そのために感じた哀しみよりも、今この手にある気持ちから感じる優しいものを、あたしはかけがえのないものだと思う。
それはきっと、お爺さんが嘘をついてくれなかったら得られなかった。
「だから」、
「……ありがとう」
「ありがとう――」
静かにアグラバインが告げて、アメルの声が重なって。アグラバインが、アメルの身体に腕をまわした。