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第20夜 弐
lll 歩いてゆこう lll



 黒の旅団員のひとりひとりは、そう大した使い手ではなかったものの――いや一応名誉のためにイオスは除いておこう――、いかんせん数が多い。
 いや数が多いといえばこちらだって充分な大所帯なのだが、全員が戦闘に出るわけでもない。
 大平原というだだっ広い場所ではあったが、あまりに味方の数が多くても、人は混乱するものなのだ。
 第一、先日ちょっと野盗との戦闘に全員で出たら、そりゃあもう人様には云えない事態になったコトもあるし。
 ので。
 正面切って旅団とぶつかっていない人間は、自然と、狙われている立場のアメルを横からかっさらわれないための、ある意味護衛的役割となっていた。

「だから弓攻撃は卑怯だっつってるでしょうがー!!」
「敵に卑怯もへったくれもあるかッ!!」

 飛んでくる矢を叩き落としてトリスががなれば、横で同じく遠距離攻撃である召喚術を発動させていたネスティが、律儀にツッコミを入れてくれる。
 聖女を傷つけてはならないという意識があるのか、こちらへの攻撃は薄い。
 はっきり云って、わりと意気込みに実力が伴ないだしてきたこちらを倒すには、少々黒の旅団の対応は甘いと云えるような気がした。
 その隙に、フォルテやシャムロック、リューグにロッカが快進撃を繰り広げていく。
 この分ならば、イオスには多少申し訳ないけれどそう苦労せずにこの場は抜けられるな、と。

 気を抜いたのが、災いしたのかもしれない。

!!」

 警告の意を含んだ声で自分の名を呼ばれた。
 はっとして視線を正面に向け、
「ッ!!」
 ギィン!!
 すんでのところで、迫った長剣をはじき返して、は自分に向けて突っ込んできた旅団員から距離をとる。
 着地のときに体勢を崩して、しまった、と顔を歪めたが、何故か、その男は攻撃してこなかった。
「……?」
 体勢を整え、怪訝な目で見るを、男はじっと見返した。
 そして、

「……久しぶりだな」

 一言、に告げた。

「…………」

 どう反応していいか判らなかった。
 以前に旅団の野営地に連れて行かれたとき、たしかに旅団員たちに妙に親切にしてもらった記憶はあった。
 けれど、まさかここまであからさまに、自分のことを知っている人がいるとは。この場にきていたとは。
「覚えているか? と云っても、無理――か」
 低い声音で告げられることばは、たちのいる場所が主な戦場から離れているためか、幸い、誰の耳にも届いていない。
 敵と向かい合っているのに戦っていないふたりの姿を見て、イオスが怪訝な表情になったけれど、すぐ、得心したように頷き、目を伏せた。見ているのが辛いとばかりに、立ち位置を移動。視界から二人を外す。
 そうして、そんなことよりも。
 にとっては、目の前の男から寄越されたことばの、

「何故、戻ってこない?」
「――――」

 ……衝撃が、ずっと、ずっと大きくて。

 きらめく輝き。
「!」
 金属同士の衝突音が、つづいて響く。
 軽く打ち込まれた剣を、ほとんど条件反射でさばいていた。
 厳しい感情を向けられているのは判るけれど、それは殺意や敵意ではなかった。
 以前のルヴァイドのように、顔まで覆うつくりの兜を被ったその兵士の表情は、間近にあっても見えなかった。けれど、その隙間から、なんとか垣間見れる目。
 その双眸は怒っているようにも見えて。だけど泣いているようにも見えて。
「もう覚えてないのか」
「……え?」
 腹を薙ぐように動かされた剣を、横に持っていった剣ではじく。
 そうしてふと気がついたのは。自然と、身体が動いている感覚。慣れ親しんだ、その剣の軌跡。
「総指揮官殿と特務隊長を除くなら、おまえといちばん多く手合わせをしていたのは俺たちだった」
 そう、告げられて。
「……思い出せないか」
 そう、問われて。思考を探り、記憶を捜す。

 だけどやっぱり、記憶が戻ってくるわけではなく、代わりに襲ってきたのはいつかも感じた頭痛と焦燥。

 頭をもたげるのは不安。
 心が警告を発しているような。
 思い出すなと。
 自分がそうして鍵をかけたのだと。かけさせているのだと。

 ――また、囚われたくなければ。
 ――この最後を境になさい。
 ――これから先ずっと、もう、忘れたままでおいでなさい……

 ――嘆きつづけ、
 ――悔いつづけ、

 ――いつか奇跡という名の偶然が起き、
 ――貴女が戻るまでには、鎖の欠片も源も、すべて壊しておきましょう。

 ――すべてを。

 違う。
 これは、だけど、違う。そう反発するココロ。
 なくした記憶はあたしがあたしとして生きてきてた16年分で。
 でもその警告は、もっともっと奥の深い部分に対してのものに思えて。だけどそんなもの当然知らなくて。
 だからなんだろうか、この頭痛。この焦燥。遠い昔と近い昔に対するココロが正反対で、だから、矛盾に痛みを覚えてるんだろうか。

「やっ……」
 頭の痛みにではなく、心を騒がせる、締めつける、その感覚に耐え切れずに声がこぼれた。
 自覚せずにいた。
 ここまでに。この場所にくるまでに。
 あのとき無くした記憶の鍵に符合する、いくつもの欠片を本当は得ていたコトを。自覚せずにいた。今自覚した。
 ルヴァイド。イオス。ゼルフィルド。感情として認めたくないけれど、ビーニャやキュラーやガレアノ。レナードから貰った、『日本』というその名前。それから、目の前の兵士のことば。
 それでもなお。
 最後の欠片がまだ、この手のなかには存在しない。

 これだけは、存在できない。
 これだけは、取り戻せない。

 リィンバウムという、この世界では。

 ――そういえば、明日お誕生日だったんですね。ふふ、一足早いけど。おめでとう、

!!」

「わっ!?」
 頭の痛みに動けないでいたを、横から抱えてかっさらったのはマグナだった。
 普段召喚術ばっかり使っててあまりそういうイメージなかっただけに、当のも驚愕ものである。
 やっぱりマグナも男の子なのかと、頭痛から気を逸らす自己防衛なのか、こんな状況なのに思わず考えてしまった。
 だけど次の瞬間、
「鬼道の巫女が此処に祈願し奉る……」
 聞こえてきたカイナの声に、そんなのんきな考えは吹っ飛んだ。
「おいでませい!!」
「だわわわあぁッ!? 待ってカイナさ……!!」
「いざや向かえよ! 鬼神将ガイエン!!」
 紅い光がほとばしる。中空を紅の輝きが一閃し、そこに現れたのは鬼界シルターンを郷とする召喚獣。
 ギブソンたちの屋敷で一度読んだ本の、『確認されている召喚獣一覧』という部分で名前と絵が載っていた。シルターンの鬼神のなかでもトップクラスの実力者。
「だいじょうぶだよ? 俺たちのコトまで巻き込んだりしないから」
 こちらの心配とは的外れのことばを返し、マグナはをひっ抱えたまま、相対していた兵士から大きく距離をとった。

 いや、こちらの安全も大事と云えば大事なんですけどあたし的にはたぶん仲が良かったかもしれない黒の旅団の兵士さんの身の安全も気になるんですが――!?

 口にしたいのはやまやまだった。
 が。
 口にしたら最後、問い詰められるのは判っていたからそう出来なかった。
 そう思う根拠と理由をまだこの手にしていないのに、それを表に出すコトが出来るほど、みんなからの質問に答えられないと判っていて、波紋を投げかけるようなコトが出来るほど。
 まだあたしは強くない。そしてあたしは、
「ぐあああぁぁッ!?」
 ――卑怯だ……!
 聞こえてきた兵士の悲鳴に耳をふさぎたくなって、それでも、そうしないように心を保つコトが、今出来る精一杯のコトだった。
 鬼神の操る鋭い刃に全身を切られ、それでも息がある彼を見て、どうしようもないほどに、胸の内側が悲鳴をあげた。

 そうして、それが最後のぶつかり合い。
 安全らしい場所に運ばれて、ようやく地面に足をつけて周囲を見渡せば。
 黒の旅団との戦いは、こちら側の勝利で幕を下ろしていたのである。


「……何故だ? どうしてとどめを刺さない!」

 倒れ伏す兵士たちは重傷軽傷の差はあれど、とりあえず絶命している者はいなかった。に声をかけてきたあの兵士も、仲間らしい誰かが助けに入ってダメージを和らげたようで、傷は予想したほどではなさそうだ。
 おそらくこちらのやり方によっては、命を絶つコトも出来ていたのだろう。けれど、誰もそうしなかったことに、は、ほう、と安堵する。
「だって、あたしたちは軍隊じゃないよ。イオス」
 昔のあたしはそうだったかも知れない。でも、今こうしているあたしは違う。
 言外のそれを感じてか、イオスが眉をしかめる。――やっぱり、どことなく哀しそうな印象を受けた。
 だけどそれをはっきり確かめる前に、つっとマグナがの前に出る。
「俺たちは、自分や仲間たちのコト守れれば、それでいいんだ」
「人殺ししてまで、目的を果たそうなんて、思ってないの」
 その横に並んだ、トリスが続けた。
 つい忘れがちになるけれど、この旅はアメルを守ってみんなで逃避行だイエーイ、とかいうわけではなくて、蒼の派閥の新人召喚師であるトリスとマグナの見聞の旅だ。かなりの割合、前者っぽいが。
 いやまあ、つまり、これは彼らが決める旅。
 だからと云ってなんでもかんでも従うつもりは誰もないだろうけど、今のこのことばには、全員が同意を込めて頷いた。
 刀を鞘に収めたカザミネが、口を開く。

「どんな大義のためであろうと、不義非道にて剣を振るうことは許されはせぬ」


 名も知らぬ剣客のことばで、痛みが走る。傷ではなく、イオスの身の裡に。
 それは正論。ほんとうに、痛いほどの正論。
 実際――聖女奪回のために邪魔するものはすべて排除しようと決定している、自軍の方針。
 
 つい最近までともにいた、あの子の命さえもと。自分もまた、その覚悟を決めねばと、ずっと己に云い聞かせていた。
 そのことに。どれほど痛みを覚えていたか。
 あの方がそのことを考えて、どれだけ辛い気持ちを抱えていたか。
 どれだけ。どれほど。
 ――知らないくせに!

「判ったような口をきくな!!」

 それでもそうせざるを得ない、この状況。状態。
 デグレアという国の宿願。デグレアという国のために動くべき立場の自分たち。
 他に。選べる道はないと。

「貴様らの云っていることは甘い幻想だ! 現実を見ていないきれいごとだッ!!」

 溜まっていたものが、堰をきったように溢れ出す。
 誰にも云えないでいた。
 ルヴァイドもゼルフィルドもイオスも。そう感じてはいても、口に出しはしなかった。そうと確認したくなかった。
 けれど。
 口にして吐き出してしまいたかった、胸にうずまく矛盾。痛み。
「ひとつの利を得ようとするなら、必ずどこかで害が生じる。ならば、誰だって己を利しようと考えて当然だ」
 もしかしたら、それは。
 にこそ聞いて欲しかったのかも、しれない。
 聖女を得ようとするならば、彼女を失う可能性が見えている。
「貴様らとて、例外ではないだろう。理屈が違うだけでやっていることは同じだ!」
 聖女を守るために。自分たちのトコロから離れて行ったあの子。今敵として向かいあっているあの子。
 それがどれだけ苦しいか。
 君の気持ちを信じて、信じたくて。だけどすべて忘れている君の気持ちが、どうしようもなく不安になった。
 どこまで。この道を進めばいい。
 もう本当は、こんな道。

「……違うか!?」

 叫んだ。
 夜色の、あの子の双眸が、激情の混じったイオスのことばを耳にして、大きく見開かれていた。
 それを視界の端におさめながら、息をつく。その瞬間に感じていた後悔も、そのときだけは。ようやく吐き出せた少しだけの本音に飲まれて、すぐに消えていた。


 いつになく強い調子でこちらに向けられたイオスのことばに、心が呆けてしまった。
 普段冷静に見えるわりに、感情的になるとけっこうこどもっぽく見えるんだな、とか考えてしまったのは余裕なんかじゃない。
 たぶん、彼の放ったことばを、深く考えたくなかったからだ。
 考えたら、たぶん、慙愧と後悔にさいなまれそうな予感がしたからだ。
 前に進もうと決めたのに、足が止まってしまいそうな気が……したからだ。
「……そのとおりだな」
 黙ってイオスのことばを聞いていたネスティが、静かな声でつぶやいて、の思考を打ち切った。
「ネス!?」
 まさか同意を返すとは思っていなかったらしいマグナとトリスが、同時に兄弟子を見た。少しだけ非難の混じった声で呼んでいる。
 他の数人も、同じようにネスティを振り返る。
「君のことばは正しい……その点では評価しよう」
 その点では、という、いかにもネスティらしいことばに、は苦笑をもらした。
 いつもどおりの彼のことばを耳にして、なんとか自分を取り戻せたような気分。
「だが、それを口にした時点で、君に僕達の行動を非難する資格はない。理屈はそれぞれ違うと、君は自分で宣言したのだからな」
「――!」
 それはかなりの詭弁に思えたけれど、本質の一部をついていた。
 だからは納得出来たし、マグナもトリスも、ネスティの頭の回転ぷっりにちょっと笑うことが出来たのだ。
 だからして、イオスも反論を封じられた。
「ですよねぇ?」
 便乗してか、ちょっと皮肉っぽく笑いながらパッフェルが追い打ちをかける。
 ぎりっと歯をかみしめて、一行を睨みつけてくるイオスに、マグナがもう一度、ことばをかけた。

「……黒騎士に伝えてくれ。俺たちは、俺たちの望んでるコトを絶対に諦めない」
 アメルを守ると決めたコトを。
「たとえデグレアを敵にまわしても、絶対に」
 ひとつの国家とぶつかるコトになっても。

 それは自分たちの気持ちの出した結論。だから、どこまでも貫ける。

 気持ちのままに。思うままに。
 動けるのなら、たとえどんな大きな障害がそこにあっても、立ち向かって行くコト、きっと出来るよ。

 ――そう。ただ動け。選んだ道を、貫くために。
 後悔の予感を覚えていても、悔いるのは振り返ってからにしよう。

 そうしなければ、予感に怯えて進めない。それだけは、してはならない。
 そう、思うから。


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