ほうほうのていで逃げてくカムランご一行を見送ったのち、結局行き場をなくしてしまったと泣いてしまったモナティは、ハヤトたちによって当然のようにフラットに連れて帰られた。
驚いたのは、家計の事情とかで渋るかと思ってたリプレや、また煩いのが増える、とかうんざりしそうなガゼルが、何も云わずに彼女らを受け入れてくれたことだ。
あたたかいミルクと無言の頷き。
モナティとガウムが、そうしてどれだけ喜んだか――あえて云うまでもないだろう。
戻ってきたレイドやエドス、ジンガも、新しい住人を歓迎してくれた。子供たちは、遊び相手が増えたことに大喜び。
今度スウォンが遊びにきたら、彼にも紹介しよう。そう話した。
どこぞに出かけていたソルたちにしたって、「あ、そう」と、もう慣れっこぽいお返事をくれた。
ローカスはどうかなと思ったが、曰く「オレがどうこう云える身分か?」とつれないおことば。ま、彼にしては優しい対応ではなかろうか。
そうして、まーちゃんことバルレルは、モナティのおかげで子供たちの興味が自分からあちらに移ったことに、心からほっとしていたようだった。
「……いやマジで。助かった」
今度ばかりはタヌキに感謝だ。
でも、タヌキ呼ばわりはやめてあげようよ。レビットっていう種族なんだし、彼女。
一人と一匹が増えた賑やかな夕食を終え、もう夜もとっぷり暮れたころ。
すでに何人かは眠っていて、フラットは静か。
こっそり孤児院を抜け出したとバルレルは、猫の子一匹の気配もない、ただ月の光だけが降り注ぐ荒野の一角で向かい合っていた。
わざわざこんなトコまで出てきた理由は、ただひとつ。
――万一フラットの敷地内で暴走させたりなんかしたら、言い訳のしようがないからだ。
その点ここなら、とっとと逃げ出してしまえば後は知らぬ存ぜぬ結果オーライ。こないだから妙な儀式とか連発されてるし、噂に紛れてしまえるだろう。
ヤクザなコトをやっている自覚はあるけれど、フラットに迷惑かけるよりマシ。
はぐれに関しては心配ないだろう。なにせ、ここにいるのは狂嵐の魔公子。ちょっと賢い奴なら、近づきたいとは思わないはず。
そうして、その魔公子ことバルレルが口を開いた。
「やり方は前と変わらねえ。呼びかけりゃいい」
「う……うん」
「なんかに触ってたほうがやりやすいなら、地面にでも手ェつけな」
「うん」
どきどきどき。
身をかがめた拍子に、心臓が常にない速さで脈打ってるのが判った。
思えば、切羽詰った状況とか、高揚した状態じゃないときに、呼びかけるのは始めてだ。
できるかな。できるかな。
あたしは、世界に、力を貸してもらえるのかな?
そんな不安と迷いとが、ぐるぐるまわる。
「・・・・・・」
バルレルは、何を云うでもなく、を見下ろしている。最初はサポートなしでやれるだけやってみろ、と云ってたそのとおりに。
「……」
「…………」
「……」
「……………………」
「……」
「…………………………へっぽこ」
「ひどッ!」
ぽつり。
半眼になってつぶやいたバルレルのことばに、はがばっと身を起こす。
そこに浴びせられる怒声。
「ほんとに集中してんのかテメエはッ! うんともすんとも云わねえじゃねえか!」
「してるつもりなんだってば、これでも!」
「してねえ! してたらオレのセリフに一々反応するかよ!?」
――う。
「ったく」
髪を乱暴にかき乱し、バルレルが、の前にしゃがみこんだ。
月を背にしているせいか、ほんのり銀色に彩られた輪郭がきれいだ。
「デグレアのときは、自分で呼び出したろが。忘れたのかよ」
「だってあれ、あの人がいたからできるって思ったんだもん」
「じゃ、こないだ出したときは、何思ってた」
「…………云わなきゃダメ?」
「云え」
「……バルレルをどついてやりたいって思ってた」
そりゃもう、心の底から一生懸命。
「――いっぺん殺すぞ」
とたんに不機嫌な顔になって、バルレルが不条理なことを仰る。まあ、ある意味当然の反応かもしれないが。
そうして表情はそのままで、彼は何ぞつぶやきだした。
回線は残ってるはずなんだよな、とか、感情昂ぶらないとタガが飛ばないのか、とか、コイツ集中力なさすぎ、とか。何気にいろいろ失礼だ。
「やってること自体は、召喚術とそう変わらねえはずなんだけどな……」
呼びかける対象がこの世界で、特に詠唱も要らないって点を除けば。
「その、心のなかで呼びかけろっていうのが……やっぱホラ、あたし、いろいろ雑念あったりするし……」
できるのかな、とか、ちょっと怖いな、とか。
美味しいもの食べたいなとか、眠いなとか。
そういうのが呼びかけに混じっちゃうっていうのも、うまく応えてくれない理由じゃないのかな。
怒ったり切羽詰ったりしてるときって、切実にそれだけしか考えてなかった、ってことなんだし。
もしもバルレルが名も無き世界だか鬼妖界だかの文化に詳しければ、「出家しやがれ」的ツッコミなどいただけたかもしれないが、生憎彼はサプレス出身、ここはリィンバウム。
「んじゃ、詠唱があればいいのか?」
「ちょっとはマシになると思う。ネスティが云ってたけど、呪文と動作って、もともとそういう集中のためにも使うんでしょ?」
「ニンゲンて、めんどくせぇなァ……じゃ、なんかテキトーに詠唱つくれ」
さらりとバルレルは云うけれど。
「即席でできるかそんなことー!」
「いちいちめんどくせえなテメエはッ! 『来い』とか『手ェ貸せ』くらいでいいんだよ、呼びかけ程度なら!」
「来いー!」
「叫んだだけじゃ意味がねえんだよ、このバカ!」
とにかくだ。
バルレル、わっしとの手をつかみ、地面にぐりぐり押し付けて。
「念じろ。とにかく。オレをどつくとかなんでもいいから、一旦道に馴染んどけ」
「う……わ、わかった……」
バルレルをどつくバルレルをどつくバルレルをどつくバルレルをどつく……
「……マジで思ってんのか、コイツ……?」
どつくどつくどつくどつくどつくどつくどつく……
「…………ま、いいか。集中してっし」
「――――――――」
手のひらには大地。
頭上には月と空。
髪や頬をなぶって過ぎる、少し冷たい夜の風。
とくん
小さく、ひとつ、鼓動が聞こえた
とくん とくん
それは自分のもののようで、だけど、自分のものじゃなくて。
とくん とくん とくん
それは自分のものと重なって、ゆっくり同調していって。
染み込んで、身体に馴染んでく。
――なつかしい。いつかどこかで知った感覚。いつも誰もが知ってる感覚。
これは リィンバウムの鼓動だ。
ちからを かしてくれますか ?
あたしはこの世界の人間じゃないけど、ついでにこの時間の存在じゃないけど。
帰りたい場所があるんです。
遠い時間の果てだけど、戻りたい場所があるんです。
まだ、そのときじゃないけれど。
いつかそのときが訪れたなら――
ちからを かしてくれますか …… ?
ド ク ン
「……ッ!?」
優しかった鼓動が、大きく跳ねた。
ばね仕掛けの人形よろしくその場から飛びのいたに、バルレルが胡乱げな視線を向ける。
「オイ?」
「バ……バルレル……」
鼓動と一緒にに伝わったのは、黒い、真っ黒い何かの意志。
合わない歯の根を根性入れて噛みしめて、は身体を起こす。
そのまま、崩れ落ちないよう砕身しながらバルレルのもとへ。
辿り着くころには、彼もそれを感じたのだろう。狂嵐の魔公子。まさにその名に相応しい形相で、ある方向を凝視していた。
距離としては、サイジェントの街の端から端までとほぼ等しいと思われる。そこから流れ出している、黒く、深く、淀んだ闇。
そして、
「哭いてる……」
・・・嘆き。
ド ク ン
今度は、ふたり同時にそれを感じた。
「サプレスの――召喚術」、
「……これが?」
がそう問うのと同時、いや、その一瞬前に、当のバルレルはかぶりを振っていた。
「いや違うな。コイツは召喚術なんてモンじゃねえ。門が開くのさえ待たねえで、無理矢理引きずり出してやがる」
「そ……っ、そんなのありなの!?」
ふたつめの問いは、半ば悲鳴だった、
「召喚兵器なんてモンがあったんだ。旧い時代の産物でなら、どんな反則モノがあったっておかしくないのかもしれねえ」
現に、オマエの力だって、その旧い時代に培われたモノなんだからな。
――召喚兵器。
その単語に、また、身体が震えた。
純粋な存在を壊して融合させて、心を消して嘆きを封じて、ただ命令のままに動かす、遠い過去の忌まわしい産物。
そういえば、今はまだ禁忌の森と呼ばれるその場所で、あの人たちが訪れるのを待っているはず。
「まさか……」
「それはねえな。あのとき、天使オンナが反応して初めて、アレは開いたんだ。あれとこれとは無関係だろ」
「でも――」
似ている。
この、黒い鼓動は。
禁忌の森に満ち満ちていた、憎しみ、怒り、嘆き、――凝った淀み。
たしかに規模こそ違えど、その質は、どこまでも、あの森を連想させて。
「……あ」
「消えたな……」
そして。
どう動くべきか躊躇していた間に、それは霧散した。
ぶるっ、と、また身震い。
感じることさえ忘れていた夜の冷気が、再び肌を突き刺してくる。
風が少しそれを和らげてくれるけど、たってしまった鳥肌はなかなかひかない。
それは今の寒気のせいか、それとも、一瞬前までたしかにあった、黒い黒い淀みの故か。
「……極上」
風にさらわれる直前、残滓に手をつけたらしく、バルレルの口の端が持ち上げられる。
悪魔としての本質を剥き出しに笑う彼よりも、さっきの名残が未だ怖い。
声もなく、は、発生源と思しき方向を見つづけ――ようとしたとき。
「行くぞ」
唐突に腕を引っ張って、バルレルが歩き出す。
「え?」
「テメエが今のを感じたんなら、回線繋がってた証拠だ。そりゃいいんだが――」
苦々しい顔で、狂嵐の魔公子はつぶやいた。
「開通してたってこったから、あっちにも勘付かれた可能性が高ェ。厄介ごとになる前に戻るぞ」
そうして、同じ夜の違う場所。
「……なんだァ? 今のは?」
「どうしたのだ?」
「いや。なんでもねえ。――――」
「些細なことでも、いつなんどき命取りになるか判らん。何を感じた?」
「…………炎みてぇな……白い影だ」
「――……、なんだと……!?」
「知ってんのか?」
「……それが、真実白い焔だというのなら、そうだ」
「あ? なんだってんだ? そいつは」
戸惑いを浮かべ、闇を凝らせた真黒き宝玉を手に己を眺める青年の視線を、彼は受け流した。
く、と、低い笑い声が喉からこぼれる。
「そうか――奴が……」
まだ生きておったか。忌々しき我が仇敵。
「……心躍る祭りになりそうだ……」
なあ……我が子たちよ……?
呼びかけはことばにせず、彼は笑う。低く――低く、重く、昏く。
その笑い声こそが、世界を呪う言霊であるかのように、男は肩を揺らしつづけた。
白い陽炎――白い焔。
えにしの糸、またひとつ。
知らずたぐったその絡みを、たぐった本人が解いて知るのは、この地での旅路を終えたのち――