「……って、知ってるわけなんだけどさ、あたし」
「バラしてねえだろうな?」
「してないよー」
リプレと、昼休みをはさんでようやっと薪割りを終えたガゼルも交えた午後のお茶を早々に抜け出して戻ったのことばへの、バルレルの第一声はそれだった。
アヤたちはどうしてもモナティのことが気になるらしく、道中のサーカスの話も、午後のお茶の会話もちょっと上の空。
もっとも、帰り道にせよリプレたちへの話にせよ、子供たちがあれこれ話してくれたので、その点においての心配はないのだけれど。
「で、とりあえずこれ」
まーちゃんにお土産。
「……あ?」
ちびっこ姿でベッドにもぐりこんで顔だけ出していたバルレルが、のかかげた包みに応えて手を伸ばす。
さっきまでは青年姿で寝ていた彼だけれど、が戻ってからはちびっこ姿。
誰か来たら、そのまま毛布に包まって、がテキトーに追い返せばオッケーというわけだ。
でも、それは小手先の解決にはなっても、結局、事態の改善にはならないのが現実だ。
今自分たちのいる時間が時間である以上、それはある程度しょうがないと割り切らないといけないのかもしれないけど。
「……バルレル。きついなら、あたしにかけてる術、解いてもいいんだよ?」
今ならお金もあるし、髪は染め粉とか買えばなんとかなるし……
がさごそと毛布のなかで包みを開けるバルレルを眺め、ふと思ったままに云えば。
「あ?」
と、さっきと同じセリフで、しごくバカにした声音で、バルレルはお返事をくれる。
「何云ってんだ、テメエ。ンなあっさり解ける術をオレがかけるかよ」
つーか、もうかけ終わった術には後付け魔力は消費しねーの。心配するだけムダ。
「え?」
ちょっと待て。
「これ、解けないの!?」
「誰もそこまで云ってねえ!」
勢いよく起き上がり、デコピンかまそうとしたバルレルだけれど。
……とたとたとた。
部屋の前を通り過ぎた軽い足音に、それ以上の勢いで毛布に転がり込んだ。
「……アブねえアブねえ……」
ため息まじりにそうごちて、くるりとに目を向ける。
「つか、なんでいきなりそういう話になるんだよ?」
「仮にも魔王レベルっていう魔公子が、こんなこそこそしてるの見てたら、なんか哀れになっちゃって……」
「余計な世話だ」
すこーん。
ちょっぴし青筋立てたバルレルの投げた飴玉は、見事にの額にヒットした。さっきのデコピンの代わりだろーか。
食い物を粗末にするなとばかり、落下するそれを両手でキャッチ、そのまま口に運ぶ。
なんとかサーカス、と、ロゴの入ったレモン味の飴玉である。要するにまーちゃんへの土産。
ちなみに見繕ったのは子供たちで、リプレたちにも小遣いの届く範囲で買った土産を渡してあったりする。
開けたばかりの袋から、バルレルは飴をもう一個取り出し、同じく口に放り込んだ。
ちんたら舐めるのは性に合わないのか、ばりぼり、盛大に噛み砕いてるあたりがいとおかし。
そうして飴玉噛み砕きつつ、バルレルはを一瞥する。
「別に、気にするこっちゃねえ。時間跳ぶってのがどれだけ力使うか判らねえから、今のうちに節約してるだけだ」
「うう……ごめんね、いつもいつもバルレル任せで」
しょんぼりうなだれたところに、また飴玉ヒット。今度は脳天。
「いちいちしょぼくれんな、うっとーしー。単に、オレがそれを出来るからするってだけだろが」
つか、しねえとアイツらのところに戻れねーだろ。
……もっとも。
そうバルレルが付け加えたのは、の口にある飴玉が2個になってから。
「――テメエがアレを使う気になるってんなら、ま、オレもここまで節制生活しねえでいいかもしれねーけどな?」
……う。
にやりと笑って告げられたそれに、今度こそは絶句した。
“アレ”は陽炎。白い焔。
あの戦いの終わりに、彼のところへ行く彼女の魂が、本来は持っていた力。
――それは、白い焔。
――リィンバウムへ喚びかける、具現。
その力は判ってる。
戦いの日々に、ほんの何度か用いただけだけど、そのたびに使った自分が驚いた。
自分が望んで手にしたわけではないけれど、ただ慣らされて開いた回線が残ってる結果だけれど、たぶん、この世界においては切り札中の切り札。
・・・でも。
「あの人の……ものだよ?」
それに、これはリィンバウムを護るために揮われていた力。
「あたしみたいな、自分と自分の周りのことしか考えない人間が、使っていい力だなんて、思えない」
「誰が決めんだ、そんなこと」
「――……」
いつの間にかベッドの上に身を起こしたバルレルが、真摯にを見てそう云った。
誰に見られてもとの予防か、ここ数日ですっかり見慣れた三つ目の青年が、の目の前にいる。
「オマエが云っただろ?」
決めるのは自分の意思だと。
どうしたいか、その先を決めるのは、いつもその心だと。
「……アイツらにそれを教えたオマエが、なに、あいつにおもねるみてえなこと考えてんだよ」
第一、テメエの意思で使える以上、そりゃ間違いなくテメエの力だろが。返品しようにも、あいつ、もういねえし。
「使いたきゃ使えばいい。使いたくねえなら、今のまんまほっとけよ。力持って変わる奴もいりゃ、変わらねえ奴もいる。それが怖いってんなら、それこそバカバカしい。オマエが自分でやりたいようにすりゃいいんだよ」
「・・・・・・」
「それに、最初から云ってるだろうが。時間跳躍、オレ一人でもなんとかなるとは思うんだよ。節制してんのは、単に、使う力がどれくらいか判らねえからだって」
・・・・・・
「……判った。使う。勉強する」
「そっか。んじゃ、心置きなくオマエ云うところの一般人の道を――」
・・・・・・
「踏み外すんかッ!?」
「うん!」
だん! と床に片足落とし、素っ頓狂な声で叫んだバルレルに、負けず劣らずも叫ぶ。
それから、一転して笑顔をつくり、
「考えてみたら、あたし、ここじゃ立派に召喚獣だったりサプレスに飛ばされた人間だったり、とっくに人外だしね!」
だったら多少妙な力使ったって、たぶん笑って見逃してくれるさ!
実に朗らかな笑みで云いきれば、バルレルの肩ががくりと落ちた。
負の感情をエサにする彼には、真夏の太陽もこれほどではなかろうという今の朗らかっぷりでさえ、毒だったのだろうか。
「一旦思い切ると、次々思い切るなァ、テメエは……」
「フッ。伊達に、トリスたちと一緒に旅してなかったってことよ」
「いや、そりゃ絶対生まれつき。」
ここにどっかの自由騎士団の、主要3人あたりでもいれば、こくこく頷いたかもしれない。特に某黒騎士と某特務隊長。
「んじゃ……ま、今夜から始めっか」
「うん」
ご指導、よろしくお願いします。
と頷いて、ふと、置き去りになっていた問題を思い出す。
「で、バルレル」
「ん?」
「あたしにかかったこの術、そんなに頑丈なの? 解くのも難しいの?」
目の前に落ちてきた赤い髪を、指でつまんでくるくるまわす。
最初のうちこそ違和感がなくもなかったけれど、数日するうちに、慣れてしまった色。
鏡に映る赤と緑の色彩も、今となっては何も思うことなく見れる。
でも。
はやっぱり、あの色じゃないと。
「いや」
そう思うの前で、バルレルは、意外にも首を横に振った。
「鍵は二つ設定した。かなり条件が限定されっから、ンなあっさり解けねえって云っただけ」
「……というと?」
「ひとつは、元の時間に戻るこったな。“”を知ってるヤツのところに、帰ること」
「は?」
この時間で唯一、を“”と呼ぶ当人が何を仰るのやら。
だけどもそれは、予想済みの問いだったらしい。
「あのな。最低でも、オレは除外するに決まってんだろーが」
呆れた顔になってそう云われ、う、とばかりにふたつめの条件を訊いてみる。
「ふたつめは、オマエが“”だと宣言すること」
「…………?」
それこそ、わけが判らない。
「万一、オレの全力と今のオマエの出せる力、儀式の魔力かっぱらったのを足しても時間跳躍できないときのための保険」
これもの反応を予想していたのか、首をかしげただけで解説を始めてくれる親切っぷり。
しかし、親切な悪魔ってのも、悪魔としてはどうかって感じじゃないのだろうか。変態な悪魔よりすごくありがたいけど。
「オマエの魂が“”である以上、“”と世界に認識されてる状態で揮える力はタカが知れてるってこった」
「また判らない。偽名ってそのへんでも問題が出るの?」
「たまにいるだろ。召喚獣で、喚び出されたのと違う名前つけられて、ヘコんで力出なくなるヤツ。それと同じだ。名前は本来、そいつの本質を示すもんだからな」
オレも、まーちゃんまーちゃん連呼されてっけど、そのおかげで本来の魔力が覆われて、ある意味隠れ蓑になってっし。
「……要するに、偽名って一種の着ぐるみ?」
「例え方がすげぇアホっぽいが、そんなもんだな」
着ぐるみのなかで叫んでも、外に出る声はそれより小さいだろ。力の発現もそれと同じ。
で、宣言するってのは、着ぐるみを脱ぐってことだ。
「早い話――この世界に対して、“”がここに存在するぞって意志表示する感じだな」
今の状態じゃ当然ンなことは出来ねえから、この鍵もまず解けるもんじゃねえけど。
「最後の最後、本当に足りないときには、宣言させるぞ」
「でも、“”でも使えるんでしょ?」
「ああ。だが、半分以下になる。もっともそのおかげで、サプレスの霊気にかき消されてるんだ」
で、最後で全力解放したとしても、すぐにこの時間から離れっから、まず問題はなし。
元の時間に戻れば、もう、オマエがあれを行使したって事実をリィンバウムは知ってっから、うだうだちょっかいかけられる心配もネェ。
だから鍵はこのふたつにした、と、バルレルは告げる。
「それでも、その気になったんなら今から慣れとくにこしたこたねえ。今はもう、アイツはいねえんだからな」
眠っていたとはいえ、その使い方を知っていた彼女はもういない。
引き込んだ力は、自分の意思で使えるようにならなきゃならない。
「それって、難しいかな?」
「なんだって最初はそうだろうよ」
「……そうだね」
最初から、なんでもうまくいく人なんて、そうそういやしない。
「うん。がんばる!」
バルレルにばっかり、負担かけてるわけにいかないもんね!
ちょっとぐらい平凡を踏み外したって、あたしはあたしだし!
つーか、今までのテメエの人生のどこがどう平凡だったのか、一度じっくり話しあう必要があると思うんだが。オレは。
失礼な。あたしはいつでもどこでも平凡を望む一少女ですとも。
だからそのへんの意見の違いを小一時間といわず、つきつめてみようってんだよ。
とかなんとか。
そのまま語り合いモードに突入するかと思われたとバルレルの視線が、同時にぱっと窓の外に向けられる。
「あれ、綾姉ちゃんたち……?」
壁にかかった時計は、すでに夕刻近いことを示していた。
まだ空は青いし太陽もそこそこ高いけど、お出かけとしては遅い気がするし、夕食の買い物に出かけたとしても少し早い。
第一、リプレに買い物を頼まれたなら、リヤカーくらい引いていくはずだ。
それに、ちらりと見えた彼らの表情が。
何だか妙に深刻そう……というか、真剣で。
どちらともなく、ふたりは顔を見合わせた。
「どうしたんだろ?」
「さーな。またなんかやらかすんじゃねーか?」
未来の誓約者ってゆーのも、オマエに負けず劣らずトラブルに好かれる体質らしいしなァ。
なんとなく、深い深い実感のこもってることばを紡ぐバルレルを横目に、はぱっと立ち上がる。
「オイ?」
「行こっ。なんか気になる」
「……またカルガモやる気かよ」
まだこそこそしてたころ、荒野を進みながらのつぶやいたことばを、バルレルはちゃっかり覚えてたらしい。
それでも、億劫そうながら身体を持ち上げると、の後について部屋を出たのである。