実は、ウィゼルが素直に見つかるとは思っていなかった。
見つかればいいな、ぐらいの気持ちでは飛び出したのだし、見送ってくれた4人も同じようなものだろう。
だけど、市民広場から少し離れた道の端。
サーカスへ向かう人々はあまり使わないだろう、ちょっと寂れた街角。
――そこから入り込める、路地で。
盛大に咳き込む音が聞こえた瞬間、「ビンゴ」と思ったことは否めない。
「ウィゼルさん! ……って、それ……!?」
怒涛の勢いで駆け込んだ路地では、やはり、ウィゼルが背中を丸めてしゃがみこんでいた。
その背中に、一瞬、黒い淀んだものが重なって見え、は眼を見張る。
が、ウィゼルが振り返ると同時、それはあっという間にかき消える。
「……っぐ、げほっ、がっ……おまえさん、なぜ……」
「なぜって……、今の影……はあとで訊くとして、えっと、云い逃げはずるいです!」
第一声がそれかい。
などと自分ツッコミを入れつつ、駆け寄って、背中をさする。
実際その行為にどんな効果があるのかよく判らないが、この際気休めだってかまやしない。
まだ市民広場からそんなに離れていなかったせいか、サーカスの口上が、かすかに風に乗って届く。
しばらくしてそれも聞こえなくなったころ、ようやく、ウィゼルの咳もおさまった。
「……すまんの。心配をかけるのもいかんと思ってな」
「病人は、心配かけてナンボですよ?」
壁に背を預けるウィゼルに手を貸しながら、安堵も混じった笑みを返す。
ふと、市民広場の方向に目を向けて、ウィゼルがつぶやいた。
「サーカスに行くつもりだったのじゃろう? いいのか?」
真っ先にそれを案じてくれたことに、今度は、おかしくて笑みがこぼれた。
「云い逃げされたことのが、どっちかていうと重要です」
「やれやれ、心配の代わりに余計な手間をかけさせてしもうたの」
それで、云い逃げしたワシに、何か云いたいことがあるのか?
問われ。
熟考、しばし。
「……あたしからは何もないです」
「こらこら。それではおまえさんが追いかけてきた意味がなかろうが」
さすがに呆れたウィゼルの声に、はぽりょぽりょ頬をかく。
いや、なんていうか。
あたしがウィゼルさんを追いかけようとした理由と、綾姉ちゃん達が追いかけようとした理由って、たぶん違うし。
あちらの理由を推測するのは、出来なくもない。
が、予想でモノを云うのは、あまり好きじゃない。
「んと……まあ、あちらからはまた機会を見つけて追及してもらうとして」
「……それもどうかと思うがの」
ちょっぴし遠い目になったウィゼルの背を、は、じっと見下ろした。
さっき、ほんの一瞬見えた影は、今はそれこそ影も形もない。
一瞬だったけれど、いや、一瞬だったから、よけいに強く目に焼きついたのかもしれない。
黒く。深遠に黒く。そして淀んだ、何かの影。
視線を戻したウィゼルが、のまなざしに気づき、髭に隠れた口の端を持ち上げた。――自嘲気味に。
「見えたのかね?」
「影ですか?」
「……そうか、見えたか」
出来れば気のせいであってほしかったけれど、も、たぶんだけどウィゼルも、嘘はあまり好きではない。
正直に答えれば、同じく、正直なため息が返ってきた。
「古き、魔の影じゃよ」
「魔の影?」
「うむ。ちと、無理が祟っての。とり憑かれてしもうた」
「・・・・・・」
無理に明るく笑うウィゼルを、けれど、はそれ以上追及できない。
追及するなと、彼の仕草のすべてが云っている。
嘘だ、と、直感的に思ったけれど。
それを問うことが、出来ない。
魔の影。
そんな禍々しい印象のモノ、いくら無理したり弱ったりしたからって、唐突にとり憑いたりなんかするものか。
でも。
彼は、それを問うなと云っている。
「……だいじょうぶじゃよ」
あまつさえ、安心させるようにの頭を軽く叩いて。――立場が逆だろうとか思ったけれど、は黙ってそれを受け入れた。
「こやつは、そう強いものではない。肺腑にとり憑いてたまに悪さをするが、それだけじゃ」
人の調合する医薬で、充分抑えることが出来る。
――んじゃ、もっと強力なのがいるんかい、と。
それこそ、詰問しそうになったけれど。
「それにな」、
ちょっぴし。
いたずらっぽく、ウィゼルは笑って。
「ワシがここを訪れたのは、こやつを祓ってもらうためじゃよ」
知り合いが云うには、ここらにエルゴの守護者とかいう強力な召喚師がおるそうでな。
……それってやっぱし、三つ編みに紅袴の、あの鬼道の巫女さまのことでしょうか?
かなーりどぎまぎしたには気づかず、いや、この人なら気づいてて黙殺してそうだが、ウィゼルは小さく息をついて、
「マーン三兄弟とかいう顧問召喚師どもかと最初は思ったが、どうも違うようでなあ……」
「――でしょぉね」
ガゼルとかリプレ、フラットの人たち、それにサイジェントでの領主を含む彼らの評判を聞いただけでも、それは明らかだ。
っつーか花見のために河原一帯占領しちゃうよーな兄弟を、あたしはエルゴの守護者だなんて思いたくないぞっ。
エルゴの守護者――カイナ。
今はまだ、鬼神の谷にいるはずだ。
はそれを知ってる。はそれを知らない。
でも、このままアヤたちと一緒にいれば、それを知ることが出来るはず。
「……えっと、じゃあ」、
だから。
約束くらい、別にいいよね?
「あたしもその人、探します。もし見かけたら、ご連絡します」
「そうか。すまんの」
ゆーびきーりげーんまん、うそついたらはりせんぼん、のーます。
他愛のない約束事を最後に、とウィゼルは路地を出て、それぞれ別の方向に歩き始めた。
は当然サーカスへ。ウィゼルは……宿だかなんだかに戻るのだろうか。
ふと振り返れば、あたたかな陽光のなか、彼の背中にはそれと正反対の黒い影がうっすら見えた。禍々しい――魔のもの。
「・・・・・・」
思い出すのは、いつか、同じように魔のものを屍にとり憑かせ、思うままに操っていた悪魔たちのことだ。
今はまだ、彼らもデグレアで日々――
暗躍とかなんとか思い出すより先に、笑いかけて笑ってくれたことを思い出すあたり、自分でもどうかと思うけど。
「元気かなあ、“”」
そうつぶやいてみると、まるで、本当に別人になったみたいで。
おかしくて、思わず笑みがこぼれた。
――へ。元気ですか? は元気だよ――