サーカスが準備されているのは、市民広場のすぐ傍にある広場。
結局最後の一人はで埋まり、総勢8人のフラット一行は、ぞろぞろと市民広場脇の道を歩いていた。
ここまで来ると、賑やかな声が風に乗って流れてくる。陽気な音楽や、動物たちのざわめきも。
市民広場にいる人々がいつになく多いのは、開演を待つ間の時間つぶしだろうか。
設置された時計が合っているなら、あとしばらくもすれば開演。
たちも例にもれず、始まるまで市民広場で時間を潰そうと、歩く方向を少し修正。
――した先に。
「おお、おまえさんたちは……」
いつかどこかで聞いた声。の持ち主が、いた。
「ウィゼルさん!」
「「おじいさん!」」
「あっ! いつかのじいちゃん!」
上から、、ハヤトたち、アルバ。
それぞれ老人に向かって呼びかけたあと、「ん?」と顔を見合わせた。
運良く空いていたベンチに腰かけて、とハヤトたちは、共通の知人となっていた老人――ウィゼルと知り合ったきっかけについて話し合う。
「ウィゼルさん、肺を患って……?」
ハヤトたち側の事情を聞いたあと、は表情を曇らせた。
それを見たウィゼルは小さく笑って、首を横に振った。
「そう、騒ぐほどのものでもない。たまたま、薬を飲むのを忘れておった矢先に、彼らと逢っただけじゃよ」
「とか云ってるけど、結構真っ青だったのよ」
あたしたちが通りかからなかったら、どうなったと思ってるのかな、もう。
ちょっとむくれて、ナツミが告げる。
彼女の様子から察するに、遭遇した当時のウィゼルはかなり容態が悪く見えたのだろう。――今は調子がいいのか、顔色も普通だし、会話に支障が出る様子もないが。
はは、と、呼気にも似た笑い声を漏らすウィゼルは、どこから見ても極々普通の好々爺。
「それにしても、ちゃんも知り合いだったなんて……やっぱり、ウィゼルさんがお薬で困ってるときに?」
「あ、いえ。あたしは――ちょっと、あの子たちからまーちゃん共々かくまってもらったんです」
あの子たち、ということばと、持ち上げた指の先には、アルバたちがいる。
さっきまでブランコに乗ってたはずなのだが、いつの間にか滑り台に移動してる元気なちびっこたちである。
まーちゃんが翼いじられて嫌がってた、というと、さもありなん、と、同情の視線がフラットの方向へと一瞬向いた。
「――っくし!」
……誰のくしゃみかは推して知るべし。
ウィゼルには聞き上手、というスキルがあるのだろうか。
それぞれの遭遇事件を話したあと、ふと気づけば、あれよあれよとここ数日のことを、たちはウィゼルに話していた。
……いや、もしかしたら。
ハヤトたちにしてみれば、無関係な誰かに自分の心情を吐露したい気持ちもあったのかもしれない。
いまいちすっきり笑えずにいたハヤトたちへ、ウィゼルが、何があったのかと問うたのが、そもきっかけ。
それに。
なんとなくだけど、こればっかりは本当にの主観なんだけど。
ウィゼルという人は、信じてもいいかなと。そう思わせる何かを、持っているようで。
現に今だって、半ば愚痴めいたハヤトたちの話を真顔で聞いてくれている。
「――なるほどのう」
この間の騒ぎの裏で、そんなことが起こっとったか。
ハヤトたちが話し終えたあと、ウィゼルは、顎鬚を軽くしごいてそうつぶやいた。
「おまえさんは、どう思うね?」
「あたしですか?」
「そうじゃ。――その話を聞いたとき、どう思ったね?」
「……えぇと」、
いつかアヤと話した夜。
そのときのことばをひとつ、ウィゼルに告げる。
「がんばったなぁ、って」
行為の成功不成功はともかくとしても、だ。
ただ逃げ惑う街の人たちのなか、騎士団に向かっていったと聞いたとき、よくやれたものだと思ったことも覚えてる。
ハヤトたちは「そんなことない」と首を振るけれど。
「……ワシもそう思う」
ただ、
「人が一人でやれることには、限界がある」
いかにおまえさんたちが常ならぬ力を誇ろうと、それはサイジェントという街の、たった一欠片の力でしかない。
それですべてをひっくり返すには、あまりにも及ばない。
「おまえさんたち、そうして暴動を煽動した奴等の思惑は、ただ、その限界にぶち当たっただけじゃろう」
「・・・限界・・・」
「越えるには、個人の力ではなく、もっと大きな力が必要なんじゃろうよ」
そのときはまだ、それが足りなかっただけのこと――
「・・・・・・」
「己が無力であると自覚したとき、人はその真価を問われる」
そこから再び歩き出せるか、そこから動けないまま伏しつづけるか。
「――ワシは、そうして、強い輝きを持つに至った魂を知っておる」
目を閉じてそうつぶやくウィゼルの表情は、どこか遠い時間の果てを思い出しているかのよう。
いや、そのものだったのかもしれない。
最初に逢ったあの路地で、判じ物めいたことばをに投げかけてきたときのそれと、今のウィゼルの表情はよく似ていた。
「ウィゼルさん……」
ふ、と。
呼気とも声ともつかない音をこぼして、ウィゼルは目を開けた。
めぐらせた視線の先にいるのは、戸惑ったままのハヤトたち。
「それは特別なことではない。……そうじゃの、ワシはおまえさんたちにもそれを期待させてもらうとしようか」
「え゛。」
「おまえさんたちは、己が無力だと悟ったのじゃろう?」
さて、そのままいじけて屈するか、はたまた、次の機会に立ち上がるか。
「ワシはまだまだこの街におるからの、楽しみに見せてもらうとしよう」
笑みをたたえてそう告げるなり。
ハヤトたちの返事も待たず、ウィゼルは立ち上がって歩き出した。
「ちょ……っ、じいさん!?」
制止の声にさえ振り向かず、市民広場の出口に向かって。
本当に肺を患ってるのかアンタはと、思わずツッコミたくなるくらい、ウィゼルは難なく進んでいく。
だけども。
云い逃げはずるいぞ、ウィゼルさん!
5人の思いは共通していた。
殆ど同時に立ち上がり、今にも道の雑踏に紛れそうな老人を追おうと、足を踏み出す。
……が。
『長らくお待たせいたしました! これより入場開始いたしまーす!』
そんな陽気な声が、広場の方から聞こえてきて。
「兄ちゃんたち、どうしたんだ?」
「……おじいさん、行っちゃったの?」
「ねえ、入場始まるって。行こうよ!」
その声を聞きつけるや否や、遊びをさっさと切り上げてやってきた子供たちの無心の問いに、彼らは足を止めざるを得なかった。
だけど5人は負けない。
子供たちにはわからないよう、一瞬のアイコンタクト。
それが済むやいなや、すぱっとは手を上げた。
「そんじゃ! あたしちょっと忘れ物したので一度フラットに戻ります!」
とたん、子供たちのブーイング。
「えー!?」
「ちょっと、ってば間抜けー!」
こら、フィズ。ぐさっとくるからそんなに大声で云わないで。
「……サーカス……始まっちゃうよ?」
「うん、だから、は後でくるって。中入って待ってようね」
「、これを」
トウヤが、自分の持っていたチケットを、うまく裂いてに渡す。
「入場係にことづけておくよ。この半分を持った子が来たら、入らせてやってくれって」
「うん、ありがとうございます」
「じゃあ、ちゃん。行ってらっしゃい」
「あとは頼んだからねーっ!」
すたこらさっさと走り出したの背に、お見送りと応援のことば。
返事代わりに一度振り返り、大きく手を振って、は、サーカスへと向かう雑踏を逆流するためにそこへ飛び込んだ。