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-餅もちモチ-




 リィンバウムに、どうやら“モチ”はなさそうだ。

 がその結論に達したのは、夕食ついでにリプレにあれこれ訊いたあとである。
 正確に云うなら、その後さらにデグレアでの食生活を思い返してから、そこに至ったのだけれど。
 と、のしょうもない疑問がスッキリしたのはいいが、未だにスッキリしてない人たちがいる。
 工場区でのキムラン・マーンとの戦いから戻ったあと部屋に行って、ずっと顔を見せないでいるハヤトやトウヤ、それに、ナツミにアヤ。

 4人でいることの多い彼らは、今夜は何故か、バラバラの場所で時間を過ごしていた。
 ハヤトが屋根の上に登るところを背後に通りかかったし、トウヤが外に出て行く背中をこっそり見送った。
 ナツミが中庭で膝抱えてたところも目撃し、少し部屋を出てたらしいアヤが自室にため息つきつつ入っていくのも見てしまった。


 そうして、夜も遅くなったころ。
「……あ」
 どうしたものかと思いつつ、ふと目を覚まして水を飲みに向かった台所からの、帰り道。
 同じ目的でやってきたらしいアヤと、部屋に戻ろうとしたは、ばったり鉢合わせてしまったのである。
「こ、こんばんは」
「こんばんは……」
 無理につくってるアヤの笑顔が、にとっては痛々しい。
 ふたりきりで、いつボロを出すか判らない不安はあるけれど、それよりはアヤが心配だった。
「お水飲みに来たんですか?」
「ええ。ちょっと喉が渇いてしまって」
「だったら――」
 はくるりと身を翻す。
 台所を出ようとしていた足は、再び調理台の前へ。
 リプレの手伝いを何度かしたから、どこに何があるのか大体は把握している。
 両開きの棚を空けて、小さな手鍋を取り出して、買い置いてあったミルクを注ぐ。
ちゃん、そんなわざわざ……」
 ととと、とやってきたアヤが、背中からの手元を覗き込んで、そう云うけれど。
 ちゃっちゃと鍋を火にかけて、はにっこり笑ってみせた。

「疲れたときには、甘いものとあったかいものが一番です」


 それからしばらくは、ふたりとも沈黙を保った。
 アヤはに勧められるまま、椅子に大人しく腰かけたし、も実は、アヤにかけることばをうまく見つけられないでいて。
 それでも、ミルクがちゃんとあったまって、ふたり分のカップにそれが満たされる頃には、少し気持ちも凪いだのだろう。
 ぽつり、と。
 両手でカップを抱いたまま、アヤが最初に口を開いた。
「……わたしたち、思い上がってたのかもしれない」
「?」
 浮かべた疑問符と向けた視線は、先を促す意味もこめて。
 顔を伏せたままの彼女にそれが届いたかどうかは判らないが、アヤのことばはさらに続く。
「力が、ね。いつの間にか、わたしたちの中にあったんです」
 繁華街で助けに来てくれたから、ちゃんは知ってますよね?
「はい」
 サプレスの力だと、バルレルは云っていた。
 1年後の彼らに見ることの出来た、誓約者としての揺るぎないものではないけれど、確かにそれは、他に類を見ない大きな力。
 それにより、彼らは召喚術を使えるようになった。
 後で判明したことだが、四界のいずれの術をも、自由に使えるようになっていたのだ。
 通常の召喚師としては、まず、考えられない現象だ。
 そう云っていたのは、ソルたちのうちの誰かだったと思う。
「だから……」
 ぱたた、と。ミルクが一瞬、波立って。
「――わたしたち、あの人たちを助けられる、って……どこかで、自分たちなら出来るだろう……って」
「だから、飛び出していったんですね?」
 こくり。
 頭が上下に動いた拍子に、アヤの黒髪がはらりとこぼれた。
「本当なら、わたしたち、あまりこの世界に関っちゃいけないのかもしれない」
 いつかはこの世界から帰るのだから、元々は無関係な場所から偶然引き込まれただけなのだから。
「大人しく、ソルさんたちが帰す手段を見つけてくれるまで、待つべきなのかもしれない……」
「・・・・・・」
「でも」、
 アヤは顔を持ち上げて、真っ直ぐにを見た。
 涙に濡れているかと思った黒い双眸は、けれど、寸でのところでそれを堪えてる。
「この街は、フラットの皆さんは――わたしたちを受け入れてくれました。身元も知れないわたしたちと、嫌いなはずの召喚師であるソルさんたちを」
 つい最近なんですけど、商店街に馴染みのお店が出来たんですよ。
 今日のお昼にちゃんたちと逢ったのも、そのお店に出かけた帰りだったんです。
「……だから、何かがしたいって思ってました。でも、結局、わたしたちのしたことは――」
 無駄だったのかもしれないと、そう続けるより先に。
「頑張ったんですよね」
ちゃん……」
 そんなことない、と。
 アヤの目は云っていて。
 だけどもそれはあえて無視。
 残り少なかったミルクを一気に飲み干して、は、横のテーブルにカップを置く。タン! と、予想外に大きな音が響いた。
 その音に、当のも驚いたけど、それよりアヤの驚きが大きかったらしい。
 小さく肩を震わせたアヤを見て、は、云いようのない感情に襲われる。

 ――誓約者。
 そのことばを知ったのは、デグレアで、買い与えてもらった絵本のなか。
 その存在を目の当たりにしたのは、このときから1年後、目の前の彼女たちと再会したとき。
 悠々と、常では難しいだろう召喚術を行使して。
 落ち込んでた自分たちに、あれこれ助力してくれて。
 強い……強い人たちだって、思った。
 だけど。
 元いた世界からいきなり、こんなトコロに放り出されて。得体の知れない力が、裡に存在して。
 ――誓約者。
 そう呼ばれるようになるまでに、彼らが越えてきた道を、はここに来るまで深く考えたことがない。
 間の抜けたことだと、自分でも思う。

 誰であれ、最初から、揺るぎない強さを持つ者などいない。

 自分が元いたあの時間、あの場所。
 笑って過ごしてる大好きな彼らだって、そこに辿り着くまでにどれほど、辛酸を舐めてきたか。
 この人たちがそうじゃなかったなんて、誰も云っていないのに。
 ・・・こんなふうに。
 悩んで、泣いて、それでも歩きつづけて。
 そうしてひとつの標に辿り着いたあとの彼らをしか、はそれまで知らずにいた。


 ――彼らは、最初から誓約者だったわけではないのだ。


 けっしてそれは明かせないけど、幼馴染みのお姉さんの肩に、そっとは手を添えた。
「アヤさんたちは、頑張ったって聞いてます」
「でも……」
「ガゼルさんたちもソルさんたちも、そう云ってましたよ」
 だから、それは、
「上手く云えないけど、そう思ってくれたってことは、みんなにとってアヤさんたちのしたことは、無駄には映らなかったんだと思います」
「・・・・・・」
「0より1です、1より10です、だけど0か1かしか結果がないわけじゃないです」
 現に、ローカスさんのことはフラットに引きずってこれたじゃないですか。
 赤と白でレッツ紅白餅、おめでたい証拠ですとも!
 ――もはや、自分でも何云ってるか判らなくなってきた気がする。
 けれど、揺れていたアヤの目が、うっすらと細められたのを見て、本当に安堵した。
「……ふふっ」
 零れる笑い声は小さかったけれど、それは、少しだけでも、彼女の背負ってた陰が払拭された証で。
「ありがとうございます、ちゃん」
「あ、……いえ、あたし、今回何にもしてませんし」
 それどころか難を逃れて、路地でカニとかうさぎとかで爆笑してましたし。とはさすがに云えない。
 手をぱたぱた振って後退するを見て、アヤは何を思ったか、ふと首をかしげてみせた。
 そうして彼女が何を思ったかは、そのすぐあとに判明することになる。

「でも、ちゃん……よく、紅白餅なんて知ってますね」
 お餅なんて、リィンバウムにはないって思ってましたけど、もしかして、やっぱりあるんですか?


「……」

 うわっちゃあぁぁぁ。


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