彼は叫んだ。強く、それこそ血を吐くように。
それこそ――自らの存在が、それに賭けられているとでもいうように。
バノッサは叫んだ。
力が要るのだと。
自分たちを捨てた世間への感情が、その発端。
そうして、力とは、召喚術。
そうして、召喚術を操る、綾や勇人たち――自分と同じ、はぐれた存在のくせに。
だから。
おまえたちを叩き潰すと。
絶対に諦めない、と。
バノッサは――叫んだのだ。
力。
強さ。
絶対のモノ。
それらを求める叫び。
結局、あの場は、それが最後のことばのやりとりになった。
まだ耳に残ってる。
バノッサの叫び。
まだ手のなかにある。
カノンの重み。
「……つか、いつまで寝てんだろな、ソイツ」
瓦礫の上に腰かけたバルレルのつぶやきに、は途方に暮れてかぶりを振る。
すっかり日も暮れてしまった、ここは北スラム。
結果として痛み分けになってしまった小競り合いの名残は、もうどこにもない。
ぶち抜かれた家の壁が、寒そうに隙間風を通している程度。
もちろん、フラットの人たちはもうみんな帰宅した。スウォンも、今晩はフラットに泊まるらしい。……残っているのはとバルレルだけだ。あと、こんこんと眠りつづけるカノン。それから、少し離れた場所に佇むキールとクラレット。
まさかしがみついたままのカノンをフラットにつれてくわけにも行かなかったし、フラットの面々が北スラムに居残るのも悶着起きそうだったからだ。
だから、妥協案。
たちがここから動かない(カノンが起きたらとっとと帰る)代わり、北スラムの人間はたちに危害を加えない。
かなり苦々しい顔で、それでもバノッサがオプテュスの面々に半ば脅すように云い含めるのを確認したあと、念のため残ると云い出したのが、キールとクラレットだ。
バルレルは、当然のようにそのとき、の傍に腰をおろしていた。
「テメエらまで残らなくたって、別によかったんだがなァ」
てゆーかいねえほうが楽なんだが、オレら。
ふと、キールとクラレットに視線を移し、半眼で告げるバルレルのことば――主に言外のそれに、もちょっぴり同意。
不干渉で行こう、って提案していたのが彼らの側だったから、疑問も少々含んでいるけれど。
「ええ……そう思ったんですけどね」
小さく笑って、クラレットはバルレルのことばに頷いた。それから、ちらりとキールに視線を移し、
「……北スラムに迷い込んだ責任の半分は、私たちにもありますから」
「云いだしたのは、クラレットだろう」
少し早口に、キールが云った。
視線が明後日を向いてるのは、もしかしなくても照れてる?
ぽっと浮かんだの考えを裏付けるかのように、キールはさっさと話題を変えた。
「それにしても……よく抑え込めたな。本当に、君は何もしてないのか?」
「してませんてば」
ただ、
「なんとなく――獣ってほら、怖いと威嚇するじゃないですか」
身体膨らませたり、爪を立てたり、一生懸命に。
そんな姿と、カノンが、あのとき重なって見えた。
「だから、ただ単に、安心させてあげたらだいじょうぶかなって思っただけなんですよ」
怖くないよって。
誰も君を傷つけないよって。
少なくとも、あたしは君を傷つけないからって。
「ま、それを示すには、こーするのが一番早かったってだけでして」
だから、別にそんなたいしたこっちゃないですよ。獣使いなら、それこそたしなみって感じじゃないですか?
まあ、リィンバウムに獣使いとかいう職業の人がいるかどうか、が、まず問題ではあるのだが。
けれども。
そういう些細な問題よりも、もっと別のものに目を奪われて、キールとクラレットは口を閉ざした。
「おまたせ。晩飯持って来たぜ」
月光の生み出す影のなかから、ゆっくりと歩いてきた人影――ひいふうみい……6つ。
うちの3人ほどが大荷物、残り3人が小荷物。
1:1のその比率は、きっちり男女で区別出来るあたり、皆様なかなかしたたかなようだ。
「うわ、勢揃い」
ちょうど背中側からの声に振り返って、はぽかんと口を開ける。
バルレルが、「マジか、オイ」とつぶやいて額を押さえた。
今日は省エネモード諦めろ、バルレル。
その代わり、よけいな労力は使わないことにしたのか、ずりずりとその場に寝転んだ。
「こら、まーちゃん。行儀が悪いよ」
笑って云いながら、夏美が、とバルレルの傍に食事をふたり分持ってくる。
もっとも、実力行使も強制もするつもりはないらしく、自分もそのまま、たちの周囲を囲むようにして各々座り込んだ。
カノンがしがみついてるおかげでちょっと不自由ではあるけれど、もなんとか手を動かして、料理を口に運んだ。
作り立てを速攻で持ってきてくれたのだろう。少し冷めてはいるけれど、まだほんのり暖かい。
「……ちゃんとまーちゃんには、お花見の分の取り返しですね」
「え?」
にっこり綾が微笑んで、疑問符浮かべたを見て、籐矢が小さく声をたてて笑う。
「ほら、この間、アルク川に行ったときだよ。まー君の具合が悪くて、ふたりとも留守番していただろ?」
だから、リプレが、せっかくだからみんなで賑やかにやってきてくれ、って、食事を持たせてくれたんだ。
今度はまー君かよ……そんなつぶやきが聞こえたが、ここはあえて無視。
てゆーか、もう、実は結構呼び名に馴染んでるんじゃないだろうか、バルレルって。
にしても、と呼ばれることにあんまり違和感を感じなくなってきていたりする。
「賑やかにやれ……って、ここ、一応北スラムですが」
「気にしない気にしなーい。こっちにはカノンっていう人質がいることだしっ」
あはははー、と、笑うカシス。
冗談のつもりなんだとは思うけど、そこはかとなく本気っぽい感じがしちゃうんですが。
「そのカノンて……召喚獣とのハーフだって云ってたよなあ」
ぽつり、勇人がつぶやく。ほんのり湯気をたてる料理を、スプーンですくったまま、動きを止めて。
それに呼応するように、一同、一斉にカノンを見やった。
……ずっ、
まるでそれが引き金だったかのように、カノンの腕が――延々とにしがみついていた腕が解ける。
もっとも、まだ目は覚まさないまま。抱っこが膝枕に変わっただけだが、とりあえず、にとっては上半身の自由が確保できただけでかなり嬉しい。
「そういうのって、よくあるの?」
カノンが起きないことをたしかめて、夏美がそう問うた。ちょうど横にいたキールが、それに答える。
「ないとは云えない……。ことばが通じるのなら当然、意志を通わせることも出来るわけだからな」
事実、シルターンから訪れた人間たちでつくられている自治区では、そういった話は稀じゃないと聞く。
――けれど。
「でも、カノンさんは……」
「うん……」
綾と勇人の視線の意味は、ここにいる誰もがたぶん、承知していた。
母親に捨てられた、と、バノッサが告げたそのことばの意味も。
なんともいえない沈黙がおりて――けれどそれは、ほんの数秒。
「ケッ、勝手に暗くなんな。テメエらがそーしたトコロで、ソイツの境遇、変わるわけじゃねえだろ」
「まーちゃんっ……」
「外野がいくら騒いだところで、幸せだの不幸だの決めんのは、テメエ自身だろが。違うかよ」
「…………」
「だいたい、オレは負の感情は好物だが、そういう辛気臭ぇのは苦手なんだ」
どうせなら、盛大に誰か呪うなり怒り殺すなりそれくらいのでっかいのを用意してみろってんだよ。
「本音はそっちかい!」
ビシ、とツッコミ入れたのは、ではなかった。
がっくり脱力した一行の中で唯一、勇人が元気一杯裏拳を繰り出していたりして。
しかも、本来なら空を切るはずだったそれは、隣にいた籐矢が軽くうなだれたことで、その頭に命中する。
「うわっ」
痛みよりもむしろ衝撃に驚いた籐矢の手から、まだ料理が載ったままの器が離れる。
当然それは、重力に従って落下しようとした。
「あー!」
もったいない! とばかりに、がそこに滑り込む。
膝の上のカノンは、当然その場に放り出された。
だが、それだけの犠牲を強いただけあって、横から伸ばしたの手に、見事食器はキャッチされる。
される……が。
「ちょ、ちょっと!?」
教訓。
車は急に止まれない。
そんな故郷の標語を、が思い出したときにはすでに遅く。
「ごめんなさいー!」
「きゃああぁっ!!」
進行方向にいたカシスが、あわてて食器を抱えて逃げた。
「――あ。」
「あ。」
ついでとばかりに、隣のクラレットに蹴躓いて、つんのめる。
「わ、わ、わ、わわわっ!!」
「こらえろカシスっ!!」
「きゃ……!?」
「クラレット、アヤ、動くな! カシスに当たる!」
「そんなっ! 逃げさせてください〜!」
に食器を奪われたため、両手がフリーになった籐矢が、カシスの手から食器を確保。
「……ありがと、トウヤ。あたし、もう悔いはないよ……っ」
ほう、と安堵の息をつき、カシスは、足一本で身体を支えることを放棄した。
――どさ。
落ちた先は、ちゃっかり、まだ地面に転がっていたの上。
「むぎゅう。」
うめいたの手から、籐矢さん、今度は自分の食器を確保する。
そしてめでたく、一件落着。
「……新堂。」
かと思いきや。
両手に食器を携えた籐矢が、月明かりの下、うすーく微笑んで勇人を振り返った。
ずざッ。
その笑みを直視した全員が、思わず数歩あとずさる。
向けられた勇人なんか、瞬時に数メートルを後退した。
「ごごごごめん! 悪気はなかったんだ!!」
「……ああ。それは判ってるさ」
「そ……そっか?」
安堵の表情を浮かべた勇人に、けれど、続けられたセリフはというと。
「だが、悪意の不在と行為の結果は必ずしもイコールで結びつかないことくらいは……判るな?」
「〜〜〜〜〜〜!!」
怖い!
怖いです籐矢さん!
とかなんとか慄く一同の背後で、バルレルがふと、何かを取り込む動作を見せた。
「・・・ごっそさん」
「……ん?」
そんなバルレルのつぶやきと同時、籐矢が、まるで憑き物が落ちたかのように、いつものポーカーフェイスちっくな表情に戻る。
「食ったのか……」
いち早く現象を察したソルが、感嘆の吐息とともに、答えを口にした。
そこはかとなく、安堵が漂っているのは……まあ、この場の全員に共通した気持ちってことで。
「こういうときには便利なのかもしれないな……」
キールのことばに、間一髪で命を永らえた勇人が全力でうなずいた。
当の籐矢はというと、勇人にお説教(プラスアルファ)する気が失せてしまったようで、とりあえずカシスに彼女の分の食事を返して。
それからふと、まだ突っ伏していたを覗き込んだ。
「僕とカシスの食事は、君のおかげで助かったけど……君のは?」
・・・・・・
「ここに、ありますよ……?」
・・・・・・
・・・・・・・・・・・・
「あ゛。」
こんこんと。
眠りつづけていたカノンが、いつの間にか目を覚ましていた。
……まるでいつぞやのキノコ騒動を思い出させるかのように、頭からの使ってた食器(中身残留)をかぶって。
ごめんカノン。今日の被害大将は、間違いなく君だヨ。