ふたりは荒野を疾走する。
「かっ、顔見られた! ぜーったい見られたー!」
「なんでアイツがこんなトコいるんだよ!? たしか街の方であいつらと悶着起こすんじゃねーのか!?」
「でもそれって夜って聞いたよ、悶着起こす前に散歩してたんじゃない!?」
「そういうタマに見えるか、アイツが!?」
「人間見た目によらないって云うし!」
全力疾走しながら、この会話。
――なんだかんだ云って、案外余裕なのかもしれない。
ずざざああああぁぁぁぁぁッ!
大きく地面を削りながら、ふたりは、横手に見えた岩場の陰に飛び込んだ。
えぐられた土くれが風に吹かれて舞い上がるが、すぐに、荒野は何もなかったように静まり返る。
――息を潜めて、見守ることしばらく。
声をかけた相手が追ってきていないことをたしかめて、とバルレルは、大きく息を吐き出した。
「……どうしようバルレル。目が合った」
「……思いっきり叫んだな」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
はあああああああああ。
超絶でっかいため息こぼし、ふたりは、ずるずるとその場にへたりこむ。
それから、バルレルが小さく舌打ちした。
「ちっ……しょうがねえな、あんまりやりたくねえんだが……」
「どしたのバルレル……って、わあ!?」
「色気のねぇ声」
色気ってオイ。
地面に尻餅ついたは、出ない声で、とりあえずそれだけツッコんだ。
何の前触れも無く、隣のちびっこが魔公子姿に戻ったのだ――驚かずしてなんとする。
いや、ていうか。
「……トリスと誓約しなおしてなかったわけ?」
「あー、デグレアで弾き飛ばしたまんま忘れてたんだよ」
いや、判っててそのままにしてただろ、君。
「えーと、まあ、それはいいとして……いきなり変身した理由は?」
「こっちの方が、魔力使いやすいからな。あと、この恰好ならやつらに逢っても不自然じゃねえだろ」
たしかに。
魔公子姿のバルレルを見たのは、今も昔も、あのとき一緒にいただけ。
別に、みんなに隠すつもりもなかったのだけど、改めて説明する機会もなく、こうして時が過ぎていた。
そして本人が云うとおり、今しばらくは魔公子姿に戻る予定もなかったのだろう。
なんだかんだ云いつつも、ちびっこ姿でトリスの護衛獣やってるんだから。
――たぶん、自分たちが事切れるまで、付き合ってくれるつもりなのだろう。何の根拠もないけれど、そう思う。
顔をほころばせたを、バルレルのデコピンが見舞う。
「何にやけてんだよ」
「えー、別にー?」
魔公子の舌打ち、再び。
さっきのそれはかわいかったのに、今のそれは、なんてゆーか、かっこよさげ。
「あ、でも」
「ん?」
「服着ない?」
剥き出しの肌を示して、はそう云ってみた。
いや、まあ、動物タイプの子とかなら、別にいいのだ。服着てたら逆におかしいし。
でもバルレルってば、思いっきし人間に酷似している。いくつか違う部分はあるけど。
しかも子供じゃなくって青年姿だし。
我侭かなあと不安になって見上げたけれど、意外にも、難色らしい難色を、バルレルは示さなかった。
「そーだな。しゃーねぇか」
云うなり、空中で手をひとふり。
黒い布のようなものが、そこから音もなくわいて出て。
またたきひとつの間に、その黒いなにかは衣服の形をとって、バルレルの身体を覆っていた。
魔力って便利だ。
ぱちぱちと手を叩いて感心するに、バルレルの軽い一瞥。
「――で、問題はテメエだが」
「あたしだね……」
本気で、白い陽炎、返却しなきゃよかったと思ってしまうだった。
いっそバルレルにサイジェント行ってもらって、変装セットでも買ってきてもらうかとまで考え出したの頭上から、再び声が降ってくる。
「変身はムリだが、テメエの姿がやつらの目に映らないようには出来るぜ」
「……透明人間?」
「いや、幻術の一種だ。姿を消すんじゃなくて、別人の映像を重ねる感じだな」
「……着ぐるみ?」
「の、魔力版だと思え」
バルレルの説明はこうである。
を中心として、薄い魔力を張り巡らせる。
人の視線はではなく、その周囲の魔力が映し出す人物の姿を実像として捉えるようになる。と。
「おー」
拍手再び。
魔力ってやっぱり便利だ。
「で、どんなんがいい?」
「……は?」
唐突な問いに首をかしげれば、魔公子はがしがしと頭をかいた。
「だから。どんな姿がいいかって訊いてんだ」
「……え?」
あたしが決めるの?
「そりゃ、テメエの映像だからな。テメエが決めた方がいいだろ」
いやバルレル、妙なところで配慮見せてくれなくていいから。
しかしいきなりそう云われても、じゃあこんな姿がいいです、なんて云えるわけもない。
腕を組んで考え出したものの、さらに追い打ちがかけられる。
「あ、未来永劫金輪際、やつらに逢う可能性のない奴の姿にしろよ。間違っても、トリスや寝坊男やそっちの関係者なんて選ぶんじゃねーぞ」
ついでに云うなら、今の姿から極端に離れたやつも却下だ。ボロが出る。
「うわー、よけいに選択肢せばまるし!」
「想像力ねえのな、オマエ」
「そういう問題違うと思うっ」
だいたい、あたしの知り合いって殆ど綾姉ちゃん達とつながりあるじゃない!
そうなのだ。
ルヴァイド然りイオス然り(いや、この辺の人たちになる気はないんだけど)、トリスやマグナ然り――
知り合いといわれてぽんと浮かぶ顔ぶれは、どれもこれも1年前、いや1年後の戦いで綾たちと顔を合わせたことのある人ばかり。
かと云って、デグレア時代の知り合いを持ってくるにしても、記憶はかなりあやふやだったり。
薄情なと云われそうだが、彼らとの思い出はちゃんとずっしりあるのだから、それでいいのだとは思っている。
つまり何だといわれても困るが、はしょってしまえばただ一言。
“そんなにあっさり候補が見つかるか”である。
そんなこんなで頭から湯気さえ出しそうなを見かねたのか、バルレルが大きく息をついた。
それで思考から引き戻され、は、きょとんとバルレルを見上げる。
「……判った」
「え?」
「テメエにそーいう臨機応変さを求めたオレがバカだったてのが、よーく判った」
何気にどころか激しく失礼なことを云いつつ、バルレルの手がの頭に伸ばされる。
「まぁいいさ。女なんざ、髪の色とか目の色とかで、結構印象変わるもんだしな」
てなわけで、それでいく。
何色がいい?
「え……、……赤」
実は、どちらかというと紫系が好きだ。
元々の趣味だったのか、それともデグレア軍の統一カラーに染まったせいかはわからないけど。
だのに口から出た単語はというと、たしかに紫を成す一色でありながらまったく違う、鮮やかなその色の名前。
視界に入ったバルレルの髪の色に、目を奪われたからかもしれなかった。
そうして、さすがにその返答は、バルレルの予想の範疇外だったらしい。
どちらかというと鋭い印象のある双眸が、きょとんと丸くなる。
「マジか?」
「え」、
ぽろっと零した一言のフォローをしようと、が口を開くより早く。
「――いや、案外いいかもな」
テメエの髪の色は地味だし、それっくらいかけ離れた色の方が、気づかれ難いかもしれねー。
「……せめて、落ち着いてるって云ってよ」
ぶうたれるに、質問ふたつめが降る。
「じゃ、眼はどうするよ? これも赤にすっか」
「いやー、それはさすがに悪目立ちしそう……」
「それなら……そうだな、青か緑だな。どっちがいい」
「二択ですかい」
さっさと決めるバルレルに、それでも、自分だけならきっと小一時間かかったはずだと思いなおして。
赤い髪の自分に、それぞれ眼の色を当てはめてみる。
……
「あたし、本当に想像力ないのかなあ……」
がっくり。
うなだれたその頭上から、でっかいため息がひとつ。
「・・・情けねえヤツ」
じゃあ翠な、翠。もうやり直し効かねーぞ。
やっぱりさっさと決定したバルレルの手のひらから、ふわりと魔力が降るのが判った。
頭のてっぺんからつま先まで、それはゆっくりとを覆っていく。
・・・ああ、覚えてる、この感覚。
いつか白い陽炎に包まれたときみたいに、暖かくて優しくて。
悪魔であるバルレルが、こんな力を持っていたなんて意外だけれど、もしかしたらそれは、のために調整したのかもしれない。
目を閉じてそんなことを考えているうちに、どうやらすべて終わっていたらしい。
「ほら、見てみろ」
声に応えてまぶたを持ち上げれば、いったいどこから取り出したのか、鏡が目の前に用意されていた。
「・・・うわ・・・」
黒に近かった眼は、深い森の色。
こげ茶色だった髪は、少し暗めの赤。
少しいじったのか、肩の下まで伸びていたはずの髪は、何故だか腰の下あたりまで長さを増していた。
さらさら流れる髪の感触まで実感できる。本当に魔力の効果なんだろうか、これは。
「髪がうざったけりゃ、それで留めな」
さらにオプション、淡く輝く白い髪留め。
「……」
本当になんでもなく渡されたそれを、けれど、は、受け取ったあとしばらくの間眺めていた。
「おい?」
白。
輝く白。
その向こうに仄見える銀。
――彼女と彼の色。
「・・・」
の沈黙をどうとったのだろう。
呼びかけに返答しない彼女をいぶかしげに見ていたバルレルは、やがて、口の端に小さな笑みを乗せた。
「どーせ持ち主不在なんだ。誰からも文句は出ねえよ」
「……いーの?」
これはもしかして、あなたが彼女に渡したかったものじゃないの?
「時効。」
問えば、あっさり返されて。
彼の笑みにもそのことばにも、それ以上の意味は感じられなくて。
だからはうなずいて、懐に入れていた紐でまず髪をくくる。その上から、髪留めでおさえた。
「よし、別人」
満足げなバルレルの声が、他愛も無く嬉しい。
「名前も変えたほうがいいかな」
すっかりノリノリになっている自分を自覚しつつ問うと、
「そうだな」
と、バルレルも頷く。
だけれど、彼はそれに続けて、
「オレはそのまま呼ぶけどな」
「それじゃ偽名の意味がないッ!」
「バーカ。誰もいねーときだよ。テメエの名前呼ぶ奴いなかったら、テメエ、忘れそうじゃねーか」
「忘れないよ。あたしはあたしだもん」
「どうだか」
「バルレルっ」
思わず繰り出した裏拳は、かなり悔しいことに、片手であっさり止められてしまった。
ついついいつものちびっこ相手のノリだったが、今のバルレルはれっきとした青年だ。元々、それが本来の彼の姿。
やはり元の姿でいるのは開放感があるのか、何気にちょっぴりご機嫌のよう。
「そーだな、ってどうだ?」
「……あ、うん。じゃあそれで」
さっきネーミングセンスがないと云われたばかりだ。
何か云ったらきっと類似のセリフで攻撃されそうで、ついでにやっぱりぽんと偽名が浮かぶわけでもなく、はそれを受け入れることにした。
それから、なんともいえない表情になって首をかしげる。
「うわ、なんだか本当に別人になったみたい。変な感じ」
「ま、名前はある意味そいつの本質だしな。それでいいんじゃねーの」
そうフォローしてくれるバルレルを、は改めて見上げた。
「で、バルレルのことは人前でなんて呼べばいいの? バルっち?」
「ふざけろ」
えーと、それじゃ。
「バルぴょん」
「喰うぞオマエ」
「バーちゃん」
「年寄りにすんな!」
「バルーん」
「風船かよ!」
「バルルん」
「それじゃエンジン音だ!」
ことごとく撃退。それでもはくじけない。
「えーと」、
魔公子から一文字とって、
「まーちゃん」
「別人だろそれじゃ!」
……
…………
やっぱり即座に撃退されたかと思いきや、
「別人ならいいじゃない」
「それもそうか」
そう諭すもなら、あっさり頷いたバルレルもバルレルだったのかもしれない。