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-だだっ子いじめっ子-




 ――舞い下りるのは奇妙な沈黙。
 バノッサはいつにも増して憎々しげな視線をたちに注いでるし、カノンはこないだ見せてくれた笑顔がすっかりかき消えて、痛々しい。
 たちにしても、そんな光景に出くわして、かけることばも見つからないのが現状だ。
「はぐれ野郎どもはどうした」
「は?」
「呼びに行ったんだろうがよ! 当の本人どもはどうしたって訊いてんだ!」
 疑問符さえついていない問いの意図なんて、つかめるわけがない。
 『は』現象を起こしたに、バノッサの怒声が浴びせられる。
 だけど実害はどうかというと、バノッサと初対面であるスウォンが少し身体を震わせただけだった。
「……呼びに行った、というのは、私たちをですか?」
「手前ェら以外に誰がいる!」
「だとしたら、行き違いだろうな」
 僕たちは、偶然通りすがったところをのサイジェント観光の道連れにされただけなんだから。
「ふざけんなッ! 敵がいるって判ってる北スラムに、わざわざ観光に出向くバカがどこにいやがる!!」

 ここにいます。

「出向くつもりはなかったんですけど、迷いこんじゃったんですよ」
「そんな都合のいい話があるかッ!!」
 手前ェ、人をなめるのもいい加減にしやがれ!

 ああああああ、とりつくしまもない。
 なんでこの人はこんなに神経尖らせて、ギスギスギスギスしてるんだろう。
 いったい、初めて逢うあのときまでに、この人に何があったんだろう。
 無事に帰れたら、そのへんを聞いてみようか。
 赤い髪と緑の目の女の子が、とイコールで結ばれることを、帰ったあとなら話してもたぶんだいじょうぶだろうし。
 いや、とりあえず未来の展望はさておいて、ここを穏便に切り抜けるにはどうすればいいのやら――
 考えかけて、ふと。
 引っかかったのは、さっきのバノッサのセリフ。
「呼びに行った、って云いましたよね?」
 それは、だれが、だれを、なんですか?
「ハヤトさんたちが……フラットの人たちを、です……」
 弱々しい声で、カノンがそれに答える。そして続けた。
「ごめんなさい……ボクは、これから、あの人たちを倒さなくちゃいけないんです」
「え!?」
「何驚いてんだよ。カノンはオレ様の義弟だぜ。これで正しいんだよ」
「その義弟を、殴っていたように見えたんだが……?」
 頬の痣を示して、キールが口を開く。
 義理でも仮でも兄弟を名乗る相手に、それは果たして正当な仕打ちと云えるのか。
 険を含んだキールの声音に驚いたは、バノッサを睨みつけるクラレットの眼差しを見て、二度驚くことになった。


 ずっと――きょうだいたちだけが、心の支えだった。

 生まれたときのことは、よく覚えてない。というか、知らない。
 祝福されたのか忌避されたのか、それさえ、誰も自分たちに教えてはくれなかった。
 ただ、父であるあの人は、自分たちのなかに宿る召喚術の素質に対しては喜びを見せていたと、後になって誰からか聞いた覚えがある。
 その頃には、そんな父の態度を嬉しく思うべきなのかどうかさえ、判らなくなっていたけれど。
 物心ついたときには、派閥の召喚師たちに囲まれて、召喚術の勉強をしていた。
 誰かの手のぬくもりを知るより先に、サモナイト石の硬質な感触を知った。
 誰かの笑顔を見るより先に、誓約の儀式のノウハウを知った。
 外に出て、太陽の光を知るより先に、手のなかで、零れる召喚の光を知った――

「兄弟である以前に、競争相手だと思え」

 そう事前に云われ、集い、自分たちは出逢った。
 誰に訊くでもなく知っていた。
 目の前にいるのは、半分だけ同じ血を持つ、自分のきょうだいたち。
 上手く出来れば誉められた。
 出来なければ比較され、けなされた。
 それでも、自分たちはきょうだいだった。
 半分の血が、競争相手であるという意識より先に、いちばん自分に近しい者だという意識を選び取ったから。

 すでに遠い場所にいた父でなく、きょうだいだけが、自分たちにとって、支えだった。

 誰かの手のぬくもりも。
 誰かの笑顔も。

 ぎこちないながら、知れたのは、きょうだいたちがいたからだ。

 あの儀式。
 あの日行われた、ひとつの儀式に臨んだときも。
 きょうだいと、一緒だったから、その場に立てた――


 ゆっくりと、バノッサが口の端を歪めて笑う。
「それがどうした? オレ様のもんをどうしようが、オレ様の勝手だろうが」
 たぶん、それは、不意に敵意を剥き出しにした、キールとクラレットへの挑発。
 見せつけるように、片手でカノンの襟首を掴み、持ち上げる。
 相当息苦しいだろうに、カノンは抵抗ひとつしやしない。
 バノッサが腕を持ち上げたのが見えないわけではないはずなのに、目を閉じて、訪れるだろう衝撃を待っているようにさえ見えた。
「っ、やめなさい!」
「うるせぇ!!」
 鈍赤色の小手、その上に数多く巻かれた黒いバンド。
 それらをまとったバノッサの腕が、クラレットの制止を振り切り、うなりをあげてカノンに迫る。

 ――衝撃は、カノンにまでは届かなかったけれど。


「え? え?」

 たった今まで隣にいたはずの、赤い髪の少女の姿が一瞬にして消えたことに、スウォンが驚きを隠せないでいる。
 きょときょとと、目を見開いたまま、が立っていたはずの場所と、バノッサたちの方を交互に見るばかり。
 バノッサたちの方――
 やっぱり苦しかったのか、げほげほと、荒い息を繰り返しているカノンと、振り下ろした拳が空しく空を切ったバノッサと。
 それから、そのカノンをバノッサから奪いとったを。
「……いつの間に……」
 呆然と、キールがつぶやいた。
 挙句、

「バノッサさんのいじめっ子!!」

 ビシィ、と叫んだのことばに、その場の緊迫感は脆くも崩れ去ってしまったのである。

「だっ……誰がいじめっ子だ手前ェ!」
「バノッサさんですッ!!」
 何があったのか知りませんけど、身内にまで手をあげるなんて、いじめっ子以外のなにものでもないじゃないですか!
「……せめて、だだっ子とか」
「それもそれでどうかと思うが」
 いや、云いえて妙かも。
 スウォンのつぶやきに、真面目な顔してキールが応じる。
 お互い小声のやりとりだったため、バノッサたちのほうまで、彼らの声が届くことはなかった。
 届いていたら、それこそ今度はキールとスウォンに向けて刃がきらめいたに違いない。
 予備動作もなし、無造作に引き抜かれて振り下ろされた剣は、だけど、一瞬遅れで刀身を現したの短剣に防がれる。
 カノンを片腕にとどめたまま、は軽くそれを弾く。
 力で敵わないのは先刻承知だけれど、バノッサの振り下ろし自体に、これまで見てきた勢いがなかったから、受け止めるのは可能だった。
 故意か、偶然か。
 どちらかというと、カノンに配慮したんだと考えて前者の方をとっておきたい。
「……、さ……」
 もういいです、と、言外に含むカノンの呼びかけ。

 応じるか、応じざるべきか。
 考えた一瞬が、バノッサの行動した瞬間。

「うわ!」

 ゴッ、と、鈍い音が響いた。

 ぱらぱら、と、の頭上から、壁の欠片が零れ落ちる。
 頭上には影が一本。
 ……が背にしていた壁を殴りつけた、バノッサの腕のものだ。
 とっさに身体をずらしたけれど、たぶん、ずらさなくてもだいじょうぶだっただろう。
 拳の打ちつけられた位置は、の頭があった位置より手のひらひとつほど上だった。狙いを間違えたわけでもないだろうし。

「オレ様のこともカノンのことも、何も知らねえ奴が、知った顔して云ってんじゃねぇッ!!」

 ――見上げた先に、紅い双眸。
 紅玉を彷彿とさせる紅は、だけど、憤りに歪んで。それよりもっと深い、とどめようのない感情に揺らいで。
 ・・・哭いていた。
「……」
 打ちつけられた拳の勢いよりも、その声の大きさよりも。
 何よりも。
 怒声というよりも、悲鳴として、の耳に聞こえたそのことばが。
 ……痛かった。
 その裡に抱えた闇が垣間見えて。
 ……怖かった。
 もしも、あの遠い未来のこの人を知らなければ、きっと、そのまま動けなくなっていただろう。
 でも。
 知ってる。
 “”は知っている。
 訪れる、遥か遠い明日、手を貸してくれたこの人を。誘いに応えてくれたこの人を。
 呆れて怒って少しだけ柔らかい眼を見せてくれた、この人を知ってる。
 その隣で穏やかに微笑んでた、この人の義弟を知ってる。
 だから、
「じゃあ……」
 ゆっくりとことばを紡いだ。
「……教えてください」
「あぁ?」
「バノッサさんとカノンさんのこと、知らないであれこれ云うなって云うなら、教えてください」
「ふざけんな!」
 拳が、壁から離れて振り上げられる。
 キールの制止とクラレットの悲鳴が、少し遠くで聞こえた。

 ……また、ぱらぱらと、崩れた壁が剥げ落ちる。
 響いた鈍い音は、拳と壁の接点から。
「なんで避けねぇ……」
「避けたら、負けになりますから」
 否定するために奮われた拳から、逃げたら。
 さっきのことばを撤回することになってしまうから。
「…………」
「……おねえさん……」
 赤橙色の眼差しが、横から。
 深紅の双眸が、真正面から。
 逸らすものか揺るがすものか。
 遥か、遠い明日を知っているから。
 “知って”る事実と未来と、ついでにあたしの意地にかけて、絶対に、ここで退いたりするもんか。

「…………」

 ふ、と。
 バノッサの口から、小さな小さな呼気が零れた。
 それはため息だったのか、それとも別の意を含んでいたのか――
 そのとき、知ることは出来なかったけど。

!?」

 何かを紡ごうとしたバノッサの声をかき消して、響いた声の源に。
 ばっ、と、もバノッサもカノンも、弾かれたように振り返る。

「キール! クラレットまで、こんなところで何してるんだ!!」
「スウォンもどうして!?」

 ばたばたと、足音も高く駆け寄ってきた一同が、口々に問いかけていた。
 無事を確認するものから、観光に出かけたはずのたちが、何を間違って北スラムにいるのかまで。
 ……忘れてた。
 そもそもこの事態の元凶って、何か知らないけど勇人兄ちゃんたちがここでもめたからだった。
 呼んでこい、の対象は、さっきバノッサ自身も云っていたように、フラットの面々。
 倒さなくちゃならない、とカノンが告げた対象は、上に同じく。
 それなら、今から何が起こるか。答えは、火を見るより明らかだ。
「――来やがったか」
 先刻の。
 小さな呼気の残滓を、きれいさっぱりかき消して、バノッサが立ち上がる。
 彼の高揚が、こちらまで伝わってくるような錯覚。いや、現実?
 持ち上げられた口の端や、握りをたしかめるように、柄に添えている手のひらや。
 一挙手一投足、それは戦いのために自らを高めているような。
 ・・・実際。
 バノッサという人は、根っから、こう、戦闘民族というかなんというか、そんな感じだ。(髪が金色になったりはしないが)

 だけど。
 どうしてだろう。

 今の、この人の戦いは、何かを振り切ろうとしてもがいてるみたいだ――


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