とうとう頭が真っ白けになったの援護のため、バルレルが、ふたりの間に身体を割りいれた。
肩をつかまえたままのウィゼルの手を払いのけ、三つ目で睨みつける。
「……オイ、ジジイ。テメエが何勘違いしてるか知らねーが、オレの知る限り、コイツとテメエはどう考えても初対面だぞ」
こくこくこくこく。
真っ白になった脳みそに、それでもバルレルのことばは届き、は全力で頭を上下させた。
それで、やっと、老人――ウィゼルの興奮もおさまったのらしい。
まだ思案顔ではあるものの、一応、適度な距離を保ってくれる。
……微妙に、やバルレルの体格から予想できる間合いの外であったりするのは、偶然だろうか。それとも、もしかして昔は名のある戦士だったりしたのだろうか。老体とはいえ無駄のない身体運びに、おそらく後者だろうかと予想が生まれる。
だが、それを追及するよりも先に。
ほう……と、何やら達観したようなため息が、ウィゼルからこぼれた。
「そうか……あれは、戯言なのではなかったのだな」
「いや、本名はエトランジュなんたら違いますが」
「そうではない」
低く喉を鳴らして、老人は笑う。
「そうか……それならば、たしかに……今ならば、時を再び重ねることが出来るか」
「おい、ジジイ。ひとりで納得すんな」
少しばかり苛ついたバルレルの口調さえ意に介さず、老人はひとしきりの間、笑みをこぼしていた。
なんだか、懐かしそうな。
遠い、昔を思い出しているかのような。
そうして。
穏やかだった老人の双眸が、唐突に、強い光を宿す。
「――あいわかった。どうやら、お主らにとっては、本当に初対面なのじゃな」
「だから、最初からそう云ってんだろ」
それ以上グダグダぬかすと、食うぞ。
うんざりした顔で、バルレルが応えた。
はというと、やっと相手が納得してくれたことの方がありがたく、安堵の息などこぼしてみたり。
そこに、低いウィゼルの笑い声がかぶさる。
「のう……足止めをした詫びと云ってはなんじゃが、お主、剣術を得意にしておるじゃろう?」
「え? はい」
どうして――とは問わない。
この老人が、おそらくは一級以上の戦士として名をあげていたとが予想できたように、相手もそう予想することは別に意外でもなんでもない。
いつか記憶喪失だったころ、知らないうちに癖が出て、フォルテに見透かされていたくらいだ。
もし、ウィゼルがの予想どおりの経歴を持つのなら、肉体は加齢で衰えていたとしても、目はまだ健在なのだということだろう。
「シルターンに古く伝わる剣術のひとつに、『居合』というものがある。それは知っておるか?」
「おう」
どっかの色ボケサムライが使ってたな、と、これはバルレル。
「なら話は早い。……居合とは、刀に己の気を走らせ、瞬間的に鉄をも両断する硬度と切れ味を持たせる術。神速のそれは、まさに一撃必殺というにふさわしいじゃろう」
「はい。大砲の弾たたっ斬ったり、城門真っ二つに斬る知り合いがいますから、それはよーく判ります」
シルターンに伝わるそれらは、良い意味で、の生まれ故郷である日本の古い時代のものに酷似している。
サムライやシノビ、巫女。鬼や物の怪――ついでに蕎麦とか。
「その居合を使う相手を倒すには、どうしたらいいと思うかね?」
「え……?」
「居合なんて所詮、剣の間合いが限度じゃねーか。召喚術でぶっ飛ばしゃいいだけの話だろ」
さらりとバルレルが云うが、それじゃ身も蓋もない。
ウィゼルも苦笑して、首を横に振る。が、理由は少し違っていた。
「稀にな、おるのじゃよ。それこそ、銃の間合いであるような場所にまで、居合の刃を放つことのできる者がな」
「――げ。」
「それ、無敵じゃないですか!?」
「うむ……まあ、相当の鍛錬が必要な技ではあるし、使い手も限られておるがな」
ワシの知る限りでも、2人しか、世に名を見たことはない。
しみじみとウィゼルは云うが、おそらく、そのうちのひとりは彼当人ではなかろうか。そして、もうひとりはおそらく彼の師匠だか何か。
でなくば、そこまで詳細に仕組みを説明してくれたりなどしないだろう。
「そういう人を倒すためには……ですか?」
「そりゃ、召喚術だと唱えてる間にブチ殺されるな……」
は首を傾げ、バルレルは腕を組み、それぞれうーんと考え込む。
「……とりあえず囮を用意して、ソイツがやられてる間に背後からってのはどうだ?」
「人道的に却下」
「じゃあ、オマエならどうすんだよ」
「えーと……まあ、使い手限られてるっていうなら、大人数用意して囲んで……それで、使わせないようにドカドカ波状攻撃……?」
そりゃ、数の暴力って云わねーか。
囮使うよりマシだと思うよ。
「うむ。1対1の戦いにおいてもな、実はそれが有効なのじゃよ」
「あぁ? おい、ジジイ。1対1じゃ、近づく前にやられるだろ?」
当たらずと云えど遠からず。の答えを聞いたウィゼルは、満足そうに頷いていた。
「勿論、召喚師などでは論外じゃ。だが、優れた剣の使い手ならば、居合の前の一瞬――溜めの間に懐に潜り込むことも可能じゃろうて」
あとは、嬢さんの云ったとおり。
使わせぬよう、隙を与えず、連続攻撃で押し切ることが出来れば、真価を発揮できずにそやつは果てることになるじゃろう。
「それにしたって、相当バイタリティ要りますよ、それ……」
達人だというのなら、相手が息を整えるなり手を止めるなりした一瞬に、気を溜めることぐらい出来るだろう。それさえさせずに攻め続けるには、相当の力量――もしくはその間を埋めてくれる相方が必要になる。
そんなん、いったいどこの世界の誰が・・・
とつぶやきかけ、は口を閉ざした。
出来そうな知り合いに、ここぞとばかりに心当たったせいだ。
どっかの養い親とかどっかのサムライとかどっかのトライドラの騎士さんとかどっかの冒険者さんとか――まあ、無傷でってわけにはいかないだろうけれど、彼らなら、不可能ではないはずだ。
「……人外なヤツばっかだな」
の思考に気づいたか、バルレルがしみじみつぶやいた。
って、あんたはそもそもからして人外だろーが。
云いかけて、ふと。
「でも……どうしてそんなこと、あたしたちに教えてくれるんですか?」
浮かんだ疑問を、はウィゼルにぶつけてみた。
まるでそのうち、あたしたちが、そういう人と戦うみたいな云い方なんですけど……
だが、ウィゼルは目を細めただけで。
その次に彼がつむいだことばも、答えとはほど遠いものだった。
「さあな……ワシにもまだ、よう判らんのじゃ。あやつと知り合っておらねば、無理矢理に納得することさえ出来なかったと思っとる」
だが、のう。
「卵が先じゃろうが鶏が先じゃろうが――お主のことばが戯言ではなかったと思うたからこそ、ワシはワシの為したろうことを為しただけに過ぎんのじゃよ」
それは判じ物。
解くための、ヒントさえない、ことば遊び。
だけど。
そう告げるウィゼルの表情は、とても穏やかで。優しくて。
なんとなく、おじいさんに見守ってもらってるこどものような、そんな気持ちをに起こさせた。
「……ウィゼルさん」
「ここでお主に逢えたことも、何かの縁じゃろうな。実に奇妙なものじゃが」
「だーかーら、その自分だけ判ってるみてぇな云い方をどーにかしやがれ」
「ふふふ、いずれ判るじゃろうよ」
それ以上答える気はないのだとばかり、ウィゼルは笑う。それから、ゆっくりと身体の向きを変えた。
「おい、ジジイ――」
まだ納得いかなそうなバルレルが、それを呼び止めようとするけれど。
それよりも先に、ウィゼルが顔だけをたちへと向けて。
「長居しすぎたようじゃな、ワシはもう行くが――向こうから聞こえる声は、おまえさんたちの知り合いかね?」
「へ?」
云われて、とバルレルは耳を澄ませた。
――聞こえる。
この数日で、ずいぶん聞き慣れた……ついさっきも聞いた声。
アルバとフィズ。
どうやらまだ、バルレルの羽や尻尾を触って遊びたい衝動はおさまってないようだ。
とまーちゃんの名を呼んで、探して歩いているらしい。
バルレルでさえ気づかなかった距離から、ウィゼルはそれが聞こえたのか。
だが、その事実に驚嘆するより先に、ざぁ、と、バルレルの顔から血の気が引いた。さもありなん。
「……ふむ。難儀しておるようじゃの」
そんな魔公子を見たウィゼルが、白いひげを揺らして笑った。
「まあ、じっとしておるがよい」
云うなり、少し心もとない足取りながらも、声のするほうへと歩いていく。
そして聞こえてくるのは、アルバとフィズを交えたことばのやりとり。
三つ目の男を見なかったか、とか、赤い髪の女の子を知らないか、とか。
そんなふたりの問いかけに、老人の返答はすべて否定。
何をするでもなく、ふたりは、ぽけっとその場に留まってそれを聞いていた。
やがて、声も止む。
アルク川の方向へ駆けていくふたつの足音、それから、おそらく商店街の方へ向かうのだろう、ゆっくりとした足音が遠ざかっていった。
「・・・・・・」
んで、さ。
なんだか、どこかに動こうって気が起きなくて。
は、ちょっぴりヒビの入った壁に背を預けて、バルレルを見上げた。
「あのおじーさん……結局、なんだったんだろね?」
「さーな。ワケ判んねーよ」
がしがし。
髪を乱暴にかきむしって、バルレルも、の隣に背をもたせかける。
・・・ひとつだけ、バルレルには見えたことがある。
あの老人と、の、歩む道の糸が、ここで触れ合ったことだ。
接点から生まれた小さな光が、道を辿るようにしてどこかへと向かったことだ。
だけど、それが何を示すのかということまでを読み取ることは、さしものバルレルにも不可能だった。
だからバルレルは、見えたそれを脇に置く。
さしあたってそれは、自分たちの障害というようなものには、発展しはしないだろうと思ったから。
「ま、ジジイなんてモーロクしてなんぼだしな。案外、そういうクチかもしれねーぜ」
「ちょいとバルレル。その何十倍も年くってる君が何ほざくよ」
それに、さっきの居合の授業は勉強になったよ?
「何十倍でも、まだ若い方なんだよオレは! 悪魔とニンゲンを一緒にすんな!!」
軽口をたたいての気を逸らし、とりあえず、その頭を軽くひっぱたいてみたのだった。
糸が通じた。
道が触れ合った。
まだ、かすかな影でしかないけれど。
ひそかにひそやかに……糸が触れ合う兆しが、その背に迫っていた。
今はまだ、かすかにひそやかに。
それは、フラットの誰にも内緒で荒野へと赴いた、彼らにおいても例外ではなく。
辿る道は違えど、それでも、彼らの中にも少しずつ、兆しが頭をもたげていた。
それぞれが辿るは、それぞれの道。
いずれ彼らが彼らの道を歩いて誓約者となるように。
もバルレルもまた、此処で歩く道のただ一歩として無意味なものではないのだと。
……そう開き直れる日は、実はそう、遠い日のことではないのかもしれない。