TOP


-護衛獣は漫才屋?-




 忘れよう。
 要らん知識は忘れよう。
 未来の記憶は置いておけ。

 知っているのは、この先いつか、誓約者たりえる人たちが、目の前にいるということ。

 ただそれだけを、覚えておこう。
 他はすべて、しまい込め。

 自分たちは護衛獣。この人たちを、護るのが役目。


「……まあ、別に、俺たちにいちいち従わなくてもいいぜ」
 ソルたちにあてがわれた部屋に、現在、とバルレルはいる。
 ちなみに隣の部屋が、ふたりの寝室。護衛獣ならば、と、自然、部屋割りがそうなったのだ。
 こっちもあっちも男女ごった煮状態だが、彼らは兄弟だし、自分たちだってどう間違っても睦みごととはほど遠い性格だ。
 それに、ひとつ部屋のほうが何かと都合がいい。
「ありがとうございますー」
 へこり、は頭を下げた。
 その隣で、バルレルが、
「元々、ンなつもりもねぇけどな」
 と、要らんことを云う。
 肘鉄炸裂。
 みぞおち押さえてのたうつ魔公子を横目に、はもう一度、目の前の彼らに礼を云った。
「テメ……っ、こっち来てから凶暴になってねーか……?」
「誰かさんに影響されたんだよ」
「真顔でオレを見ながら云うなッ!」
「誰もまーちゃんとは云ってないじゃない。……ははーん、自分が凶暴な自覚はあるんだ?」
「そりゃ自覚ぐらいあるだろが! オレを誰だと思ってんだッ!」
「“まーちゃん”」
「……コロス」
「…………」
 ソルとキールは、突然目の前で繰り広げられるどつき漫才に、目を白黒させていた。
 ひとりは手にしていた書物の頁が進まず、ひとりは何がしかのレポート作成がピタリと止まる。

 いや、君たち。
 提案を呑んだ礼をしにきた、っていう意図は、一応伝わったんだけど。
 漫才しにきた、とは、ひとことも云ってないよな?

 こんな、あけっぴろげな喧々轟々としたやりとり、自分たちに経験はない。
 したことも、見たことも。
 ――こんな人種がいることも、たぶん、知らなかった。

 なんで?

 俺たちと、僕たちと。
 同じように、たぶん、大きな何かを抱え込んでいるんだろうに。
 だから、こうして、微妙な共同関係が出来たのだろうに。

 なのに、どうして。

 君たちは、そんなふうに、背負ったもの感じさせずに笑ってる?

 ふと、が首をかしげたのは、ひとしきりやりあったあとだった。
「そういえば、カシスさんとクラレットさんはどこに行ったんです?」
「――当座必要なものを買いに、繁華街に行ってる」
 疑問に答えるのは、なにやら放心気味だったキールだ。
「必要なモノ、って……リプレさんに云えば、揃えてくださるでしょうに」
 何かと世話好きな彼女のこと、ソルたちが入れた生活費もあることだし、それくらいなら惜しみはしないだろう。
 だけど、ソルもキールも首を横に振るばかり。
「いつかは出て行くんだからな、あまり関わらない方がいい」
「……そんなもんですか?」
「ああ。君たちもだ。お互い、なるべく不干渉でいこう」
 だから僕たちは、君たちにあれこれ指示や命令をする気はない。
 護衛獣として表向きの契約は結んだけれど、あとはどうしようと自由だし、こちらもそのつもりでいくから。

「…………」

 いや、忘れるつもりだよ?
 未来の光景は、あくまで、この日々を越えた先にあるものなんだから。
 いちいち驚いてちゃ、やっていけないってことは、判ってるつもりだよ?

 ――だけど。
 だけどさ。

 やっぱり、少し、さみしいじゃないか。


 思うことは多々あれど、何を云うべきかつかめないでいたの耳に、廊下を歩く軽い足音が届いた。
 足音はだんだん近づいてきて、やがて、とバルレルに当てられた部屋の前で止まる。
 ――トントン。
 少し遠慮がちなノックに、応答はない。当たり前だが。
 ――トントン。
 しばしの静寂。
 それから、足音が再び動く。やってくるのはひとつ隣……すなわち、この部屋。

 ――トントン。

「……どうぞ」

 とりあえずは部屋の主であるキールが、少し面倒そうに応じた。
 一拍の間をおいて、ノブがまわされる。――室内と廊下に響く、金属音。
「ああ、やっぱりこちらにいたんですね」
「綾……さん」
「おはようございます、ソルさん、キールさん。それにちゃん、まーちゃん」
 微妙に口篭もったに気づかず、綾はにっこり笑っている。
 リプレが仕立てたという、赤いフレアスカート。薄いピンクのアクセントや、彼女の黒髪とも相俟って、いかにも女の子らしい格好だ。
 籐矢も夏美も勇人も、それぞれ、リィンバウム風の衣服をリプレに用意してもらっていた。
 お気に入りなのだろう、そういえばが正式に再会したときも、その服を着ていたはずだ。

 ……既視感。

 “まーちゃん”呼びを本気で再検討しようかと顔をしかめているバルレルの横で、はこっそりため息をつく。
 幼馴染みとして馴染んだ呼びかけを使えないのが、ここまで不便で息苦しいとは、正直思っていなかった。

「おっはよ!」

 そんなの思考を打ち切ったのは、綾の後ろからひょっこり顔を出した夏美の声。
「あ、おはようございます。夏美さん」
「夏美でいいってば! 、同い年くらいでしょ?」
 再び頭を下げたの肩を、夏美がぺしぺしと叩く。
「それに敬語も要らないよ。たちはソルたちの護衛獣なんだから」
「……そ、そですか?」
「ほら、また!」
 夏美の笑い声に、少しだけ救われるがいる。
 カシスもそうだけど、夏美という少女は、とにかく場を盛り上げるのが得意だ。
 こんな異世界に吹っ飛ばされて不安だろうに、いや、だからこそなのか、綾と一緒に、今日も朝からリプレの手伝いなどして頑張っていた。
 籐矢と勇人の姿がないのは、散歩がてらアルク川まで出かけたせいだ。
 手に剣を持っていたところを見ると、どうやら訓練のためもあるのだろう。

 ちなみに、稽古をつけろと誘われた記憶は新しい。

 腕を買ってくれるのはありがたいのだが、の戦い方では、男性の持ってる筋力なんかを生かせないからと丁重にお断りしたのが今朝のこと。
 まだ『おはよう』が通用する時間帯ではあるのだが、太陽はそれなりに高い位置に昇ってる、そんな時間である。
「何か用か?」
 和気あいあいとした雰囲気が漂い始めたところに、ソルの無表情な声が割り込む。
「あ、そうそう。一緒に散歩に行かない?」
「散歩ォ?」
 おうむ返したのはバルレル。
 ついていた肘が崩れた彼を横目にしつつ、綾がこっくり頷いた。
「はい、お散歩です。リプレさんのお手伝いも終わったから、外に行ってみようかなって思いまして」
「……それでどうして、僕らのところに?」
「だってさ、キールたちって今朝食事に来た以外、ずっと部屋にこもったままじゃない。お日様浴びないと不健康だよ」
「オレたちまで一緒にすんな」
 ぽつりとバルレルがつぶやいた。
「お出かけの予定があったんですか?」
「あー、うん。お昼食べたら、ちょっと出かけようかなって相談してた」

 日銭稼ぎ、もとい野盗潰しに。

 とは、けっして口にしない心のセリフ。
「ふぅん? それじゃソルたちは?」
「僕らは、特に予定はない。……君たちと出かけるつもりもないよ」
「ちょっ……」
 いかにも『迷惑です』と顔に書いたキールの答えに、さしもの夏美も鼻白む。
 ツッコミ入れようとしたのことばも一瞬遅く、キールはそれだけを告げると、さっさと机に向き直ってしまった。
「ま、そういうわけだ」
 つづいて、ソルも再び手元の本に視線を落とす。
 それは明らかな拒絶。
 綾も夏美も、も、どうしたものかとしばし逡巡した、その空白に。

 ガタン、と音を立ててバルレルが立ち上がる。

「ケッ、じめじめじめじめ、湿っぽいたらありゃしねえ。おい、行くぞ」

 そう云って、を振り返ったときだ。
 ばたばたばた、と、廊下を走る足音がして、ばん! と部屋の扉が開けられたのは。

「あ、新堂くん」

 バルレル曰くの『じめじめ』を吹き飛ばした勇人に、安堵したような綾の視線が向けられる。
「樋口たちもここにいたのか。ちょうどよかった!」
 アルク川から、全力疾走でもしてきたのだろうか。
 手ぶらだが、朝持って出かけた剣はどうしたのだろうか。
 そんな疑問を誰かが口にするより先に、

「花見に行こう!!」

 ………………

「「は?」」

 たった一言で、勇人は、『は』以外のことばを一同の脳から消去することに成功したのであった。ほんの一瞬のこととはいえ。


 余談だが、その日の午後は、花見の準備(主に大人数用の弁当)のために費やされたことをここに記しておく。




「あいたたた……」
「調子にのって千切り連打とかやってっからだ、バカ」

 弁当に入れるおかず(揚げ物)用に、野菜を切っていたの左手には、ファーストエイドがぺったり。
 例によってちびっこに戻ったバルレルのことばどおり、野菜を刻む腕を誉められて調子にのった結果だったりする。
「うっ、でもホラ、笑いはとれたし」
「とるな。」
 意外にざっくり切れたことがおかしくて笑ったら、流血沙汰に大騒ぎしてた台所のメンバーもつられて大笑い。
 これを、果たして『笑いがとれた』といえるのかは激しく疑問な今日この頃。
 それでも、少なくとも台所メンバー……すなわち、リプレを筆頭とする女性陣たちが意外に和やかに作業を進めていたのは、にとっては嬉しい光景だった。
 秘密がどーのこーのとなければ、結構女性陣は仲良くなったんじゃないだろうか。
 料理にあまり手慣れたふうでないカシスやクラレット、それに夏美を、リプレと綾とで指導もどきするのは結構楽しかった。
 つまみ食いに来る勇人やガゼルを撃退するのはバルレルと籐矢の役目で、それを見て大笑いしたのも楽しかった。
 こどもたちがちょこまかとお手伝いしてくれるのも目の保養だったし、エドスがでっかい魚を釣ってきてくれた瞬間なんか、そりゃあ大喜びしたものだ。

 ……願わくば、この雰囲気を明日まで持ち越していきたいものである。

 そんなことを考えながら、はバルレルと一緒にベッドにもぐる。
 もともと、部屋に備え付けてあるベッドはひとつ。
 だから、リプレが毛布をちゃんとくれたのだけど、あいにくそれは活用されていない。
 昼間の青年姿を維持するために、夜はこうして節約モードのバルレルとなら、ベッドひとつで充分事足りるからだ。
 もっとも、そんな光景見られるわけにはいかないから、朝は自然と早起きが義務付けられているのだが。
 ついでにそれを促進するかのように、フラットの消灯時間は早い。
 灯りに使う費用の節約もあろうが、基本的にここの人たちは、生活が実に健康的なのだ。
 夜更かしなんてする人は、


 ――コンコン。
「夜分すまない。起きてるか?」

 ……まあ、居候くらいなもんだろう。


←前 - TOP - 次→