――時間は、ほんの数分ほど遡る。
眼前に、フィズを捕えたカノンを見つけたが、思わず全力ダッシュして、脳天に踵落としをかましたところから。
「こぉんな小っさい子を人質!? バノッサさん何考えてんです!!」
「オレ様に指図すんじゃねえッ! だいたい手前ェこそ、なんでこんなところにわいて出るんだよ!!」
「人をボーフラみたいに云わないでください! ってか解放したげましょうよ、子供には酷でしょう!」
「うるせぇッ! こいつがふらふら荒野に出てきてる方が悪ィんだろうがよ! 利用できるもん利用して何が悪い!」
「悪くはないけど人選に問題があるんですよ人として!!」
さんざん怒鳴りまくってるようだが、これ、実はすべて小声の応酬である。
なんというか、器用な人たちだ。
いっそこのまま、云い合っている間に、あの人たちが通り過ぎてくれればいいんだけど……
踵落としをかまされた頭頂部をさすりながら思うカノンとしても、腕の中の小さな子をいつまでも抑えておくのにはちょっぴり罪悪感があるのだ。
だって、今捕まえているのは、自分がちょっと力を入れればすぐに首の骨くらい折れてしまいそうな、幼子だ。
いくら便利だからって利用したりするのは、あまり好きじゃない。
「ねえ、バノッサさん。見つかっちゃったことですし、今日は出直しません?」
「ふざけんな、カノン!」
「そうですよ、出直しましょうよ」
「フラット側の手前ェが云うな!」
正論である。
が、目の前の少女は、バノッサのガンつけにも怒鳴り声にも、ちっとも臆したトコロがない。だもんで、カノンも驚いてしまうのだ。
話に聞いてた戦いの腕は、まだ間近に見てないけれど、この肝の据わり具合はどうだろう、と。
自分がバノッサの義兄弟と聞いたときも、さして動揺してなかったし、サイジェントで恐れられてるオプテュスのリーダー相手に一歩も退かず渡り合い……もとい怒鳴りあい。
こんな人が、お姉さんだったらいいなあ。
そう考えて顔をほころばせたカノンに、バノッサが目ざとく気づいた。
「何へらへら笑ってやがる! この女捕まえろ!」
「……え?」
お姉さんにしてくれるんですか?
「バカ云ってんじゃねえ! このガキが使えねえなら、ソイツで代用してやるまでだ!」
「「…………」」
カノンは、少女と顔を見合わせた。
「バノッサさん、脳煮えました?」
一応、あたし、今のあなたとなら渡り合えるくらいには、腕に自信はあるんですけど。
頭の横で指をくるくる回しながら、彼女は云う。
実際、オプテュスのメンバーでは相手にもならず、先日のバノッサの夜襲の折にも、ためらわず飛び込んできたというし、云うことは間違ってないのだろう。
そんな人を、捕まえろって。
本気になって逃げられたら、たぶん、ボクじゃ手に負えませんよ?
が、この場合はバノッサに軍配があがることになる。
呆れた顔の少女と、眉根を寄せたカノンと、その腕のなかのフィズをじろりと一瞥し、
「ガキの命が惜しけりゃ、手前ェが代わりに人質やれ」
――とまあ、実に投げやりにそう云ったのだった。
閑話休題。
時間は再び、舞い戻る。
とりあえず現状としては、戸惑った顔のフラット一行。すでにぐずりはじめているフィズ。
相対しているとカノンは、実に複雑な表情。少し後ろに立つバノッサも、心なし遠い目だ。勢いで人質提案したものの、少し後悔してるのかもしれない。
そして、物陰からそれを眺める日陰者一行。
うちバルレルは、頭を抱えてしゃがみこんでいた。
「……あンのバカ……」
「いい突っ走りっぷりでしたよ」
クラレットのことばも、慰めにはなっていない。そのつもりがあるのかどうかも判らない。
「うん。いい踵落としだったよ」
そう付け加えるカシスに、ソルとキールの驚愕の視線が集中する。
たしかに剣技は目にしたが、そういう荒技までやってのけるというイメージは、正直なかったせいだ。
出るタイミングを逃した彼らの前で、話はちんたら進んでいた。
がぽりぽり頬をかいて、口を開く。
「……えっと、あたしの命が惜しかったら、大人しくしてろ、だそーです」
「だから手前ェが云うなッ!」
セリフをとられたバノッサが、とたんにツッコんだ。
「だって、誰も何も云わないし。沈黙は金て云いますけど、これじゃ日が暮れますよ」
「どう考えても、場面として成立しないことだからじゃないかな……」
「うむ。まさかここでこういう展開になるとは、ワシらも想像できんかった」
「ええ、ボクもですよ……」
レイドが剣を握った手をだらりと垂らし、力なくつぶやけば、エドスはがしがし頭をかいてそうつづける。
あまつさえ、カノンまでもがそれに同意する。
「とにかく!」
ビッ、と、バノッサがフラット一行を指差す。
「ここでケリをつけてやる! 一応この女は手前ェらの恩人だろうが、コイツの命が惜しけりゃ大人しく殺されろ!!」
――かなり無茶苦茶、というか自棄ぱちなセリフではあったが、とりあえず意味は通っていた。
通っていた、が。
聞いた相手にも通用したのかっつーと、それはそれで、別の問題なのである。
「でもバノッサさん、この人じゃ人質の意味あんまり――」
「おまえは黙って捕まえてればいいんだよッ!」
突進する手下たちを見送ったカノンのことばに、バノッサは怒鳴り声で返す。
そのまま腰の剣を一本引き抜くと、切っ先をの喉に突きつけた。
「手前ェの誤算は、カノンの力を見くびったことだな」
『殺されろ』
そうバノッサが発した直後から、は、なんとかカノンのくびきから抜け出そうともがいていたのだ。
けれど、細身の外見からは想像出来ない、それどころか人間離れしたその力に、思いもしなかった苦戦を強いられていた。
ギラリ。
刀身に跳ね返された陽光が、の目を灼く。
一瞬白く染まった世界に、元々色素の薄いバノッサの姿が、完全に飲み込まれた。
反論も出来ず、はそのまま口篭もる。
ふい、とそっぽを向けば、弾みで切っ先が皮膚をひっかけた。そこに生まれる小さな痛み。零れる熱。
それ自体は、別にたいしたことじゃない。
軍の訓練で、もっとひどい怪我を負ったこともある。
以前の戦いで、もっと強い痛みを味わったこともある。
ただ気になるのは、の首筋に目を落としたバノッサが、小さく笑みを浮かべたことだ。
零れるその赤い雫は、バノッサの嗜虐心をかきたてるには充分だった。
悪党、非道、そう云われながらも、バノッサはこれまで女を相手に凶行に及んだことはない。
おそらく人に話せば意外に思われるだろうし、そのあたりを知っているのはカノンくらいだ。
自分の戦闘衝動に耐え切れるような相手は、女のなかにはまずいない。
長いとは云えないまでも、これまでの人生でそう培っていた彼は、仮に女を獲物としても、手下たちに投げうっていた。
それがどうだ。
バノッサを目の前にしても、こうして剣を突きつけられても、震えもしない少女の身体。揺らぐことのないその双眸。
怖れよりも前面に押し出された怪訝な表情は何を含んでいるのか、それは読み取れないけれど。
――口元が吊り上がるのが、わかった。
それが。
偶然目を向けた、そのひとが。
そんな光景を見たのが、おそらく、引き金――
「だめええぇぇぇぇッ!!」
「ッ!」
「うわっ!」
「わわ!?」
一触即発のその場の空気を、放たれた叫びが霧散させた。
それだけじゃない。
叫んだ人物を中心に発された、見えない衝撃波のようなものが、バノッサやカノン、の身体を突き飛ばす。
直撃して、改めて判った。これはサプレスの力。
発した源は……身体は未だ宙を舞いながら、目だけを動かせば、荒い息で座り込む綾の姿があった。
彼女に襲いかかろうとしていたゴロツキも巻き添えを食ったらしく、飛ばされている。そこに籐矢が追い打ちかけて、脳天に一撃。
「行くぞ!」
状況を見てとったレイドが、剣を抜き放つ。
解放された人質ことは、結果、バノッサともカノンとも離れた場所に着地していたのだ。
すぐさま立ち上がろうとした首根っこを、誰かがむんずと掴む。
「……バルレル」
「テメエ、傍観するっつーのはドコ置いた? エェ?」
ああ、怒ってる。
これはとんでもなく怒ってる。
でもバルレル。
あなたあたしの性格知ってるんだから、早晩置いた場所忘れるのなんて、目に見えてたんじゃないですか?
「いいから隠れっぞ!」
ずりずりずり。
が何か云うより先に、首根っこを掴んだまま、バルレルは岩陰に移動する。
人質という枷がなくなったガゼルたちが反撃に出ていて、荒野の一角はまたたくまに小戦場と化していた。
飛び交うナイフ。打ち交わされる斧や剣、放たれる召喚術。
……って、召喚術?
召喚術に触れて短い綾たちには、そんなにぽんぽん連打する余裕なんてないはずだ。それはガゼルたちも同じ。
じゃあ、今、戦場のそこかしこでひらめいて、さくさくオプテュスメンバーを撃沈させている召喚術は――?
源を探して動いたの視線が、それを見つけた瞬間、固定される。
「……ソルさんたち」
「ああ。なんかもう見てられねえって、とうとう出やがった」
ま、奴らは何かしらきっかけつくって、もっと近くであいつらを観察しなきゃいけなかったらしいけどな。
何気なくつむがれたバルレルのことばに引っかかりを感じて、は、自分より背の高い魔公子を見上げた。
「きっかけ、って……」
問いに返ってきたのは、まずでっかいため息。
「ああ」、
それから、ある意味での最後通牒――
「オマエだよ」
観念しやがれ、この突っ走り捕獲され野郎。
オレたちゃとうとう、この騒ぎの渦中に片足踏み入れたんだ。
「……こうなりゃ四の五の云ってられっか。オマエ、覚悟決めろよな」