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-朝の川辺で逢いましょう-




 まだ日も昇らないうちに起きてアルク川に向かうのは、サイジェントに来て3日目のふたりの、すでに習慣になっていた。
 そろそろ満開になりそうな、アルサックの木の下をくぐり、流れの緩やかな場所へ。
 冷たい水で顔を洗い、目が覚めたところで、まずが水浴び。
 それが終わったところで交代したバルレルが、こちらは軽く水浴び。
 なんでも精神生命体たる彼らは元々、そういう習慣を持たないらしい。
 リィンバウムに在る以上、いくらかの制約は受けるが、それでも人間ほど毎日身体を洗う必要はないのだそうだ。
 ――もっとも、水浴び自体は気持ちのいいものだし、やって損はないというのがとバルレルのまとめた説だったりする。
 そしてバルレルが水浴びする横で、は服の洗濯。
 昨日ようやく現金が手に入ったおかげで、替えの服があるから出来ることだ。
 何せその前――つまり昨日の朝なんか、毛布にくるまって洗濯する羽目になったのだから。

 それが終われば、次には朝食の調達。
 別に買ってもいいんだけど、まあ、何があるから判らないから節約節約。
 パンと果物を買ってきて、それに釣った魚が焼き上がったところで「いただきます」。

「ま、野草に比べりゃご馳走だな」
「ううっ、でもシチューにしたら美味しいんだよ」
「……機会があったらな」

 食事の後片付けが終わったら、最後に川の水で喉を潤して、朝のしたくおしまい。
 その頃には水浴びで濡れた髪も乾いて、ふたりともすっきりさっぱり、ついでに満腹、ご満悦。
 食後の心地好い気だるさに負け、お日様がもう少し高くなるまでと、ふたりはそのまま川辺に寝転んだ。
 もう少ししたら、釣り人なんかが来るだろう。
 それより先に、おいとましないといけないんだけど、でも、もう少しだけ――


「……あ、やっぱりそうだ」
「え?」

 閉じた瞼の上から差し込む日の光が、ふと遮られた。
 こんな時間に誰もくるまいと、たかをくくったのがまずかったのか。
 はぱっと目を開けて、慌てて隣のバルレルを見る――食事が終わった直後に、魔公子姿に戻っていたことを思い出し、一安心。
 それから、影をつくった張本人に目を向けて、
「カ」
 あわてて両手で口を塞いだ。
「? おはようございます」
 そんなの様子に首を傾げたものの、その張本人は、にっこり笑ってそう云った。

「それから――たしか、はじめまして、ですよね? “通りすがりのフラットの味方”さん?」
 ボクはカノンって云います。バノッサさんの義兄弟やってるんですよ。
 丸っこい、赤燈の双眸を細め、一見女の子にしか見えない彼は、やっぱりにこにこ、自己紹介。

 ……ご丁寧に、ありがとうございます。


 別に、昨夜のバノッサさんのリベンジに来たとかじゃないですから。
 そうカノンは云って、おまけに手土産だとか云って手作りの菓子まで渡してくれた。
 料理が好きだという彼だが、バノッサはどちらかというと胃に入ればいいという感じで、腕の揮い甲斐がないそうだ。
 だもんで、喜色満面で食べるに満足して、また持ってきますねという約束まで発生したり。

 いや、それはそれとして。
「……でも、カノンさん、どうして、ここに?」
 妙に句点が多いのは、はむはむと、最後の一枚を名残惜しげに食みながらの問いだからである。
「いえ、本当は散歩してたんですよ」
 そんなを微笑ましく眺めて、カノンはにこやかに答える。
「バノッサさんがどうもぎすぎすしてるから、ちょっと気晴らしに河原でのんびりしようかな、って」
 そしたら、先客がいるじゃないですか。さんだなって思ったんですよ。
 赤い髪って遠目にも目立つから――
 そう云われて、やっぱもう少し地味な色にしとけばよかったかと、後悔しただった。
 もっとも、地味な色を選ぶと印象が普段の黒茶色とあんまり変わらないから、それはそれでマズイのだけど。
「ギスギスね」
 じんわり、少し嫌味をまぶしてバルレルが笑う。
「コイツに負けたのが、そんなに悔しいってか?」
 だったら云ってやれ。
 所詮、踏んだ場数が違うんだよ、ってな。
 かなり失礼なそのセリフに、けれど、カノンは笑みを崩さない。
「……あなたたちは、驚かないんですね」
「は?」
「たいていの人は、驚くんですよ。ボクとバノッサさんが義兄弟だって知ったら」
 あんまり性格が違うから。

 ・・・だって、もう、驚き“済”だもん。

 とバルレルは、どちらからとなく顔を見合わせ、肩をすくめる。
 それを見て、カノンはまた首を傾げ、
「よっぽど神経が太いんですねー」
「あ、あはは」
 無邪気に告げられたそのことばには、さすがにふたりとも表情がひきつった。
 そこに畳みかけるように、カノンが口を開く。
「あの、さん。さんは、召喚師ですか?」
「違うよ」
 ――即答。
 それだけは、いつだって、どこだって、自信を持って答えられる。
 情けないような気もするが、やっぱりは、召喚術という、そのわざ自体にいまいち馴染めていないから。
 今までもそうだったし、これからもきっとそうだろう。
 召喚師というものを否定するつもりはないし、だからこそ今のリィンバウムがあるのだと知ってはいるし。
 それでも。
 自分はきっと、召喚師と呼ばれる存在には、ならない。
 予想でも希望でもなくて、それは確信。
「じゃ、こちらの……えっと」
 云いよどむカノンを見て、あ、とは思い出す。
 さっきの自己紹介の折、自分はだと名乗ったけれど、バルレルは見事にそのやりとりをスルーしていたような。
「“まーちゃん”」
「え?」
「このひと。“まーちゃん”っていうの」
「・・・・・・」
 なんとも形容しがたい空気が、3人の間に流れた。
「……ま、まーちゃん、ですか」
「そう」
 バルレルはすでに何も云わず、遠い目をして明後日を眺めている。
 そしてまた、沈黙しばし。
 やがて、やっと気を取り直したカノンが、実に微妙な表情でバルレルを見た。
「えっと……そちらの方は、召喚獣、ですよね?」
 ケッ、と、よけいにそっぽを向くバルレルの横、はこっくり頷いてみせる。
「あなたが召喚したんじゃないんですか?」
「ううん、違う。そーいうんじゃ、ないんだ」
「じゃあ……“はぐれ”?」
「違う違う」
「それじゃあ……?」
 ことばを交わすごとに、疑問符がカノンの頭上に増えていく。
 そんな彼の様子から、このサイジェントには召喚術のなんたるかが欠片程度にしか伝わっていないことが推察できた。
 もちろん、それが普通なのだろう。
 けして悪意ゆえではなくとも、蒼の派閥も金の派閥も、一般人に情報を流したりはしないようになっているんだから。
 だからは、そのあたりのことを説明できない。いや、しない。
 その代わりに、にっこり笑ってバルレルを指した。
「友達なんだ」
「え?」
「あたしと、まーちゃんは、友達なの」
 きっぱり云い切って、は笑った。
 疑問符。
 増えるかな?
 ――そう、思ったけれど。

 ふわり。
 カノンは笑った。とても嬉しそうに。
「……そう、なんですね」
 誓約に縛られてない、召喚獣と人間の対等な関係って、たしかにあるんですね――


 まだ、ふたりは知らなかった。
 カノンの身に流れる血が、如何なる所以のものなのか。
 だからさっきと逆転して、今度はとバルレルの頭上に疑問符が浮かぶ番。
 けれどそれを問おうとしたとき、カノンが不意に真剣な眼差しでもって先手を打った。
「ボク、さんたちのこと、本当にいい人たちだって思います」
 バノッサさんがご機嫌斜めになったこと、差し引いても。
 唐突なその発言には照れ、バルレルは苦虫を噛み潰したような顔でそっぽを向く。
 悪魔の彼にとって、そういう誉めことばはじんましんが出るようなものだろう。だからって態度があからさますぎるぞ。
 が、カノンは気にした様子もない。
 ふたりの反応を見て、楽しそうに口元をほころばせるばかり。
「でも」、
 だけどふと、真剣な眼差しを取り戻し、再度ふたりを見つめた。
「はい?」
「まだこの街に留まるつもりなら、『金の派閥』のマーン三兄弟には、気をつけてくださいね」
 ついでにバノッサさんにも逢わないように気をつけてほしいトコロなんですが、“フラットの味方”って云ってる以上、それはしょうがないとして。
「マーン三兄弟て、あのふざけた名前のか?」
「たしか、サイジェントの顧問召喚師の……」
「はい」
 直前のと同じことば、けれど疑問符はなしでカノンは応じた。
「なんていうか、選民意識の強い人たちなんです。さんならいいけど、“まーちゃん”さんが見つかったら、きっと騒ぎになります」
 誓約を離れた召喚獣がいるなんてこと、たぶん、受け入れないような人たちですから。
 そんなカノンのことばは、やけに実感がこもっていて。
 も、そしてそっぽを向いてたバルレルも思わず向き直り、まじまじと彼を見つめ返したのである。



 長居しちゃいましたね、と、カノンが踵を返したのは、そのすぐ後。
 朝陽に向かって逆光になった背中を見送り、とバルレルも立ち上がる。
「――いろいろ、あるんだね」
 最初逢ったときには、なんていうか、ああ優しそうな人だなってくらいにしか思わなかったんだけど。
 考えてみれば、あのバノッサの義弟なんかやってるのだ。
 あまつさえ、義兄をやりこめることが出来るのもある意味カノンだけだというのだ。
 それだけの土壌が出来る何かも、また、さっきのことばを発するに至った背景も――それこそ、いろいろ、あったのだろう。
「テメエだって人のコト云えねーだろ」
 しみじみつぶやいたに、呆れきったバルレルのツッコミが入ったのは、まあご愛嬌。


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