フラットの一員として受け入れられた綾たち、それからフラットのメンバーの間で話題になったのは、当然、“通りすがりのフラットの味方”のことだ。
繁華街で助けられたガゼルたちの証言に始まり、先刻初めてその姿を見た、レイドやエドスの補足も混じり。
予想はいろいろ飛び交うけれど、これとはっきりしたモノが見えるわけもない。
それでもとりあえず、今度見かけたら絶対つかまえて、お礼を云って、助けてくれる理由を訊くのだと、彼らは固く誓い合った。
「炎みたいな子でしたね」
リプレのつくってくれた、特製ハニーティを口に運びながら、綾がつぶやいた。
それを飲み終わったら寝なさいね、と云ったリプレは、もう部屋に戻っている。
食堂での会話は、このちょっと作りの古いフラットの壁越しに響いてしまうため、彼らは屋根の上に出てきていた。
――つい数日前まで暮らしていた世界とは違う、大きな銀の丸い月が、世界を、自分たちを、照らしている。
「僕は、風みたいだと思ったけど」
すでに空になった容器をもてあそび、籐矢も己の印象を口にする。
「いや、いっそ嵐かも」
「てゆーか、もうあれってばヒーローだよね」
ピンチのときに現れて、あたしたちを助けてくれるってヤツ。
夏美のことばに、戦隊ものの特撮番組が、4人の目の前に一瞬だけ浮かんで消えた。
が。
「でもそれ、やっぱりどうかと思う」
不意に勇人が首を振り、ぎゅ、と手のひらを握りしめた。
つい先刻、自分がエビルスパイクを喚びだす媒介にしたと思われる、紫のサモナイト石。
そんな彼を一瞥し、籐矢も頷いた。
「――まあ、そうだな。女性に助けられるっていうのは、男として少し情けない」
ましてや籐矢の場合、剣道など嗜んでいるものだから、その気持ちはよけいに強い。
勇人ほど表に出さないけれど、彼もいろいろ思うところはあるのである。
「でも……強いよ、あの子」
あたし、戦いとか全然素人だけどさ。
なんていうか、ホント、繁華街のゴロツキたち、てんで相手になってなかったもん。
さっきバノッサに突っ込んでいったときだって、ちっとも危なっかしいところはなかった。そう彼らは思い出す。
うん。あれは炎だ。
髪の色からの連想がきっかけだけど、綾のことばは的を得ている。
強く、剛く。――貴く。
「……決めた!」
がばっ、と勇人が立ち上がった。
「レイドまだ起きてたよな?」
「え?」
唐突な行動と発言に、さしもの籐矢も目を丸くする。
綾も夏美もぽかんとして、バスケ部の彼を見上げていた。
が、旧知の間柄である分、そんな勇人には慣れているのか、綾が真っ先に復活した。
「……たしか少し身体を動かしてから休む、って云って、アルク川まで出かけたそうですけど……」
さっきの戦闘で、バノッサに剣を弾かれたのが少しばかり沽券に響いたようだ。
さすがに鈍っていたのかな、と、苦笑した彼を、彼らは見ていた。
「よし! じゃ、俺もちょっと行ってくるから!」
「お、おい、新堂?」
さっさと中に引っ込もうとした勇人を、あわてて籐矢が呼び止める。
疑問符が盛大にまぶされた呼びかけに、勇人は一度だけ振り返った。
「俺、レイドに剣を教えてもらう! ――せめて、自分の身くらい自分で守れるようになりたいっ!」
それだけ告げて、彼はするりと窓をくぐりぬけた。
間をおかず、たぶん人々を起こさないようにだろう、でも急いでいる様子の足音が遠ざかっていく。
残された3人は、顔を見合わせる。
そして。
「僕も出かけてくるよ」
軽く口の端持ち上げて、籐矢がそう云えば、
「あっ、ねえ、綾。ちょっと女の子だけで話しない? ――庭とかでさ」
「え、ええ。そうですね。夏美ちゃん、たしかあのとき緑の石拾ったんでしたっけ?」
そんなことを話しつつ、綾も夏美も屋根から姿を消した。
・・・翌朝。
筋肉痛の勇人と、寝不足気味の籐矢と、苦笑してふたりを連れ帰ってきたレイドと。
何故か庭で仲良く眠っていた綾と夏美(+召喚獣数匹)が。
起き出してきたフラットの面々を驚かせることになるのは、とりあえず確定事項なのであった。
同じ頃、同じ街、だけど違う闇の片隅で、同じように頭を寄せ合う4つの影がある。
何者だ、あの子?
その問いに答えられる者は、この場にいない。
ソルは腕を組んでうなってるし、キールは何考えてるのかわからない無表情だし、カシスとクラレットは顔を見合わせて眉を下げているだけ。
「召喚術のことを知ってる……となると、一般人じゃないな」
先刻、バノッサという男とフラットの彼らが諍いを起こしたとき、繁華街での騒ぎと同じように、割って入ったあの少女。
「ただの浮浪者だと思ったんだけど――」
だからそれはやめてください(どこからか心の声)
ソルのことばもカシスのことばも、いまいち精彩に欠けていた。
まったく、予想外のことばかりだ。
儀式は失敗するし、喚びだそうとしていた対象の代わりに、自分たちと変わらないくらいの少年少女は出てくるし、あまつさえ、無関係なはずなのにしゃりしゃり出てくる浮浪者はいるし。
一部、本人が聞けば「無関係でも浮浪者でもないやい!」と抗議が降ってきかねないが。
「……どちらにしても、僕等は事態を判断するだけの決定的な根拠を、まだ持っていない」
再び下りた沈黙を破り、キールがつぶやいた。
「様子見、ということですか?」
クラレットの問いに、彼は首を軽く上下させて。
そんなふたりの横、カシスが大きく伸びをする。
「しょーがない、っか……」
「そう、しょうがないのさ」
「――ソル」
カシスのことばとは別の意味をはらんだそのことばに、クラレットが軽く眉宇をひそめた。
少しばかり非難の混じる彼女のことばに、ソルはけれど怖気づくはずもなく、肩をすくめてみせるだけ。
「しょうがないんだよ。――俺たちには、もう、他のどんな道も残されてないんだ」
こうして夜の闇に混じり、彼らに宿ってしまった儀式の残滓を、確認するまでは。
「……しょうがないんだ」
ただ巻き込まれただけの彼らに、どんなにすまなく思っていても。
自分たちがやるべきことは、それ以上に許されざる行為。
だから、しょうがない。
もう後戻りなどきかない場所に、自分たちはいるんだから。
しょうがない。
この一言ですべての気持ちを抑えこめるほど、自分たちが強くなくても。
そうしなければ、何もかも、瓦解してしまいかねなくて。
先の見えない世界に引きずり込まれた彼らと、それは同じなのかもしれない。
どこまでも続く闇のなか、ただ進むしかない自分たちは。
――それでも。
ふと閉じた瞼の裏、よみがえる炎の舞に、少しだけ心は慰められた。
そのころ。
やっぱり同じ街の片隅で、噂の本人はちびっこ抱えて毛布に包まり、すやすやと熟睡していたのであった。