駆け込んできたハヤトたちは、その光景にことばを失った。
森の入り口に布陣していた悪魔たちを倒したあと、ソルたちの案内に従い、ひたすらにこの場をめざして走った彼らの息は荒い。
だが、その荒れた呼吸を整えることさえ忘れるほどの情景が、彼らの目の前に展開されていた。
吹き荒れる魔力。
飛び交う悪意。
満たされた霊気は、圧迫感さえ伴ってハヤトたちを苛む。
だがそれは、ある程度なら予想していた。
この森の在り様、そうして、魔王という存在の召喚。
どんなに強烈な悪意でも魔力でも、どんなに強力な敵でも――倒すつもりだった。
だが。
「ま、まーちゃん?」
「……ちゃん?」
吹きすさぶ、魔力のその中央――
佇むふたつの人影は、ちょっと、彼らにとっては予想外、目にしても信じられない光景だったのである。
びくり、と身を震わせたのはカノンだ。
ハヤトたちがやってきた瞬間、傍目にも判るほどうろたえた彼は、すぐさま義兄を見上げた。
魔王と少女の視線を追って振り返っていたバノッサが、新たな乱入者をその双眸にとらえたことを察すると、身体ごと彼らの方へと向き直る。
「引き返してくださいッ!!」
叫ぶ。
「これ以上――」
儀式は失敗した。
魔力はすべて、あの魔王が奪い取った。
……バノッサの望みは叶わない。
そのことに気づいたとき、カノンは、安堵していたのだ。そうして思い知った。
彼の望みを叶えることよりも、儀式が成功していたら実現していたに違いないこの不安を、払拭してしまいたかったことに。
だから、魔法陣の中央に立つふたりには、感謝の念さえ抱いた。
だけど、今、この人たちがやってきてしまった。
儀式は失敗した。
バノッサの望みは叶わない。
だけどこの人たちは、真実、彼の望んだ大きな力を手に入れている。
「……それ以上こないでください……っ!」
それはいかほどの絶望だろう。
間近に迫っていた望みが、絶たれて。
その現実を、あろうことか見られたくない相手に見られて。
耐える力を得るために、すがる先には闇の宝玉。
そんな――取り返しのつかない現実を、叫べば塗り替えられるとでもいうように。
叫ぶカノンのことばは、その大半が、吹き荒れる風にさらわれる。
麻痺した口を動かして、ぽつり、カシスがつぶやいた。
「……魔王は……まーちゃんを選んだ、の?」
カノンのそれと同じように、風にさらわれたはずのことばに、まーちゃんと呼ばれていた悪魔が笑みをもって頷いた。
「違うな。オレは元々、こういう存在なんだよ」
轟、と吹きつける風。
ただの風じゃない。悪意。負のよどみ。
彼の意思によって、風は敵意と共に、彼らへと吹きつける。
威嚇が目的なのか、直接に身体を傷つけたりはしなかったけれど。
それでも、その強大な闇は嫌というほど感じ取らされた。
「ちゃん……っ!?」
そんな風の源の隣。
影響を受けないはずはないのに、平然と立つ赤い髪の少女。
アヤがその名を呼んだとき、彼女は一瞬、表情を強張らせた。
「嘘だったのか!? !!」
ソルが叫ぶ。
「“巻き込まれた”のは本当だぜ」
魔王が答える。主語はない。
その足元に、ガゼルの投げた投具が突き立った。
「オレたちの味方だ、とか云って、騙してたわけかよ!?」
また、少女の表情が強張る。
魔王が、それを隠すように前に出た。
「実際助けたろうが? ――吠えるなよ、ニンゲン。オレたちゃ別に、テメエらに興味なんかねェんだ」
危害を加える気なんざねェ。
「なんだと……?」
「目的はひとつ。ただひとつだ」
オレたちが帰るための魔力を、得ること。
「いいじゃねェか。テメエらだってもってこいだろう」
儀式に用いられるはずの魔力は、すべてオレが奪い取った。
つまり、二度目の魔王召喚の儀式は失敗だ。
「――あとは、テメエらが結界張りなおしゃ、それで終わりなんだよ」
そう。
それで終わるはずだった。
ハヤトたちが顔を見合わせる。
ソルたちが視線を巡らせる。
悪意の具現である悪魔、その頂点に位置する魔王の一人のことばを信じたわけではない。
だが、たしかに、彼のことばには攻撃の意志が見られないのだ。
そのつもりであれば、さっきの風で彼らを倒せていただろうから。
つまり――気まぐれだろうが何だろうが、随分とこちらに有利な提案なのだ。
そう。
彼らがひとつ頷けば、すべてが終わるはずだった――