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-精霊ちゃんと小悪魔ちゃん-




 大衆食堂で食事をして、たちがフラット傍の路地裏に戻ってきた頃には、すでに日が暮れていた。
 もう少し早く店を出ていれば、明るいうちに戻ってこれたのかもしれない。
 だが、たかが1日ぶりとはいえまともな食事にありつけたふたりは、それこそ時が経つのも忘れて、食物を胃に詰め込むことに一生懸命だったのである。
 ついでに、食事の前に武器も購入してしまった。
 オプテュスのごろつきとやらから奪った短剣は、やはり他人が使っていたもののためか、いまいちスッキリしなかったからだ。
 聖王都から騎士団用に仕入れた余りだという、一本限りの掘り出し物を見つけたときには大喜びしたが、もしかしてこの時代での運をすべて使い果たしたかもしれないとさえ不安になったのは、また別の話。

 そんなこんなの理由もあってか、とバルレルは、昨夜とは180度回転して上機嫌だった。
 さんざん空腹を訴えた路地での待機も、今日ばかりは苦にならない。
 昼間のアレで、バノッサが襲撃をかけるのは今夜だとはっきりしたし、徹夜覚悟でフラットを伺うのも今日までだという思いもある。


 そして実際、バノッサはフラットにやってきた。


 たちの位置からでは、彼らの会話はよく聞こえない。
 さすがに今回ばかりはこちらの存在を勘付かれるわけにもいかず、バルレルの通訳もしてもらえない。
 それでも、バノッサが昼間の礼をしにきたこととか、進み出ようとした勇人たちをガゼルが押しとどめたことなんかは、彼らの動きを見ていれば判る。
 エドスがなにやらバノッサに語りかけていたが、結局戦いを回避することは出来なかったようだ。

「うわバノッサさん強ッ」

 戦いが始まって直後、思わずはそうもらしていた。
 静寂に満ちていた夜はすっかり賑やかしくなり、離れた場所にいる人物の声など、果たして届くわけもないという安堵からだ。
「いや、あのレイドって奴もなかなか」
 お持ち帰りで買ってきたサイジェント饅頭をほおばりつつ、バルレル。
 綾たちだけではなく、ガゼルやレイド、エドスがついているためか、昼間よりは緊張しないで見られそうだ。
 唯一バノッサが手強いが、レイドとエドスのおかげでなかなか前へ進めないでいる。
 その間に、ガゼルや綾たちが、手下ご一同を次々気絶させていた。
 籐矢と勇人は一度戦ってコツを掴んだのか、なかなかスムーズにガゼルの補助をしている。
 夏美と綾はやっぱり少しだけ腰が引けてるけど、後ろから石を投げて注意を逸らしたり……うん、結構いい感じじゃないだろうか。


 ――そんな物陰からの傍観者の存在などつゆ知らず、戦いは進む。

 とバルレルが話したとおり、戦い自体はそう辛いものではなかった。
 それは、籐矢と勇人の動きが昼間より格段によくなったせいかもしれないし、エドスとレイドという増援もあったせいかもしれない。
 けれども、雑魚はそれでいいとしても、バノッサはなかなか手強い相手だった。
 手下はすべて無力化し、残るはバノッサただ一人。
 そこまで追い込まれてもなお、彼の双眸から力が失われることはない。
 お互い疲労が蓄積しているはずなのに、バノッサの剣からはそんな事実は読み取れない。
 オプテュスを束ねるだけのことは、あるというわけだ。
「おらァッ!」
「――ッつ……!」
 荒々しい、予想外の位置からの切り上げを受け流しきれず、レイドの剣が弾かれる。
「レイドさんの剣術って、なんか、シャムロックさんみたいな印象あるなー。強いけど、なんか型にはまってるっていうか」
「実際そのとおりだろ? だから、アイツみたいな、規格外れ気味で粗い分、力のある相手に当たると、翻弄されやすいっつーやつ」
 ま、一応キャリアの差ってぇので競り勝ってたんだろうな。
 ところが、前線を退いて久しいと思われる人物と、日々戦闘(の押し売り紛い)をやっている人物とでは、疲れが出てくる頃になって現役が優勢になるというわけで。
 剣を弾かれたレイドに、バノッサが迫る。
 直前までの攻防で肉迫していたのだ、剣を弾かれた衝撃の抜けきっていない腕を引きずって、躱せる距離ではない――!

「ッ!」

 ガクン。
 飛び出そうとしたの身体は、バルレルに押さえ込まれた。
「ぐッ……!」
 間をおかず響く、レイドの苦痛の声。
 二本の剣の軌跡が、ちょうどクロスを描いてレイドの鎧を傷つけていた。
 中央部分へのダメージが大きかったのか、ひときわ大きなヒビが見える。急所を庇おうとした腕の小手は砕けて、鮮血が滴り落ちていた。
「レイドっ!」
 夏美の叫び。
「――っ! ――っ!!」
 口と身体を抑え込まれたの抵抗――さすがにバルレルも青年姿、そうあっさり放しはしない。

 そこに。

 紫の。優しい光が出現した。
「え……?」
 発生源は、夏美のすぐ傍。おそらくレイドが斬られる瞬間そうしたのだろう、祈るように両手を組み合わせた、綾のスカートのポケット。

 ひかり。紫色の――サプレスへの門を開く、光。

『たすけてください』

 声が聴こえた。
 に、バルレルに。――そして。

『レイドさんをたすけてください……!』

「ぴぅっ!」

 ――応えて現れた、小さな小さなサプレスの精霊に。界の狭間を越え、それは、届いたのだろう。

 それは喚ぶ声。
 それは応える意思。

 それは   召喚術   ――



 一心に祈り、固く目を閉じた綾は、現れた精霊に気づかない。
 そして精霊はまず、レイドの頭上からかわいらしい光の雫を舞い散らせる。
 光は傷口に集まり、2、3度またたきする間に、滴っていた鮮血はその姿を消していた。
 痛みも消えたのだろう、レイドは心なし目を丸くして、それまで抑えていた腕を持ち上げ、胸部をたしかめる。
「ぴぅっ」
 役目を終えた精霊は、自分を喚びだした綾のもとへ向かった。
 召喚された生き物は、送還されなければならない。
 その法則に則って、精霊は綾の送還を待つためにそこへ向かう。
 だが。
「ぴ?」
「……え……?」
 ようやっと目を開けた綾は、眼前に浮いている精霊を、きょとんとして見つめたまま、動かない。
「ぴ、ぴっ」
「……あ、あの……?」
「ぴうぅっ」
 必死に羽を動かしての精霊の訴えも、呆然とした綾には読み取れないようだ。
 ……というか、綾自身、自分がさっき何をしたか、そして今何をしなければならないか、判っていないのだろう。 
 判ってたら逆にスゴイけど。
 そして、これまで召喚術というものに触れてこなかった他の一行も、また。
 呆然として、かわいらしい精霊と、ぽかんとした綾を交互に見るばかり。

 ――そこに。

「……そうかよ」

 一帯の空気を激しい怒気に染め上げて、バノッサの声が響いた。

「手前ェらも、召喚師かッ!!」

 バノッサが地を蹴る。
 向かう先は、間近に立っていたレイドでも、横をすり抜けた勇人たちでもない。
 向かう先は。
 彼の視線の先にいるのは。

 呆然としたままの、綾。
 そして、今にも泣き出しそうな顔で、おろおろしている精霊。

「〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!!」

 じたばたじたばたじたばた!!

「ああもう判ったよ! 行け!!」
「っぷは!」

 やっとのことで取り戻した身体の自由。
 息を吸い込む間も惜しく、は音高く地面を蹴った。
 まったく気配のなかった一角から発されたその音に、バノッサを含む全員の視線が向けられる。
 それが、得られた時間的余裕。
 そして、それだけで充分。
「ッ、チィ!」
 正面の無防備な獲物よりも、横手から接近する殺気に、バノッサの身体は反応した。
 身体全部をひねるより先にまず、左手の剣で一閃。
 上身をかがめて避けたところを狙い、右手の剣を振り下ろす。
 まず避けられるはずのない、必殺の一撃だと、誰もが思った。
 が。

 トン、

 躊躇せず、勢いも殺さず、はそのまま前進する。
 剣が叩き斬ったのは、一瞬残った赤い残像。
 驚愕を隠せずにいるバノッサの真横をすり抜け、地すべり立てつつ身体を反転。
 右手に構えていた短剣を、くるりと回転させて持ち直し、

「――え?」

 そのまま背後から蹴りを入れるため、再び地を蹴ろうとした足を、慌てて引きとめた。
「うわわわッ!?」
 斜め前で、勇人が手にした紫のサモナイト石――しかも光を放つというオプション発動中――から、小さな悪魔が飛び出たところを、視界の端におさめたせいだ。
 大慌ての勇人を一瞥し、悪魔はバノッサめがけて槍を投げつける。
 一直線にバノッサを貫くかと思われたそれは、彼が身体をそらしたおかげで、頬に一筋傷をつくっただけだった。
 そうしてやっぱり、悪魔は送還してもらうために、召喚主といえる勇人のところに行くのだけれど、彼とて綾と同じである。
 精霊よりかいささか気性の荒い悪魔は、とたんに不機嫌になって勇人の頭をぽかぽか殴りだす始末だ。
「わ、わわわっ、ま、待てってば! 待てって!」
「新堂。そいつ、何かおまえに怒ってるみたいだぞ?」
「そりゃ判るけど、その理由が判らないから困ってるんだよー!」
 だいたい、こいつなんなんだよ!?
 勇人の叫びに、悪魔のご機嫌メーターは限界まで振り切れた。

 ぽかぽかぽかぽかぽかぽか!!

 “こいつ”“何”呼ばわりされた怒りは、当然勇人に向けられる。
「わーっ!!」
「お、おい、ハヤト! そいつおまえが召喚したんだろ!? 云うこと聞かせろよ!」
「召喚!? 俺が!?」
「今サモナイト石使って光らせただろうが、おまえさん!」
 とうとうエドスもガゼルの援護に入った。
「ちょぉっと、新堂! なんで召喚なんて出来るの!?」
「知らないって! なんか、樋口が危なくてどうにかしないとって思ったらポケットにほら、あそこで拾った石があったから投げつけようと思って取り出しただけだ!」
「だからその石が、サモナイト石だっつーの! おまえ、オレがなんでおまえらを召喚師だって思ったか忘れたのかよ! 金の代わりってそれ出したからだろうが!!」
「で、でも、わたしたち、その石がそんな名前だとかそんなことに使うとか、第一使い方さえ知らなかったんですけど!」
「それはそうだな。だが、実際こうして召喚してしまったわけで――それで、新堂。どうしてそいつは怒ってるんだ? いきなり喚ばれたからか?」
「だーから俺に判るわけないだろー!!」
 レイドなどもはや騒ぎの急激な方向転換についていけず、呆然と事態を見守るばかり。

 そうして、それを見逃すバノッサではない。
 頬の血をぬぐい、剣を握りなおし――
「・・・・・・」
 マント越しでさえ容易に伝わるひやりとした切っ先と、持ち主から滲み出す殺気に動きを止めた。
「今夜はもう、お開きにしませんか?」
 ちらりと視線だけ動かせば、かろうじて見えるのはその赤い髪。
 バノッサにだけ聴こえるようつぶやかれるその声は、まだ、少女と女性の境目くらいの年齢のもの。
 背筋を走った震えは、決して恐怖ではないけれど、その正体はわからない。
 ただ。
「世に曰く、多勢に無勢と云いますし」
「手前ェの指図を受けろってか? ――ふざけんな」
 ただ――物怖じひとつせず、それどころか、殺気までぶつけてくるような相手に出逢ったのは、おそらくこれまでの生涯で始めてのこと。
 殺気が本物でないことくらいは判るが、ここで自分が動けば、それはあっという間に本物になるだろう。
 見たいような気もするが、そうするには、これまでにいささか暴れすぎた感もあった。
「・・・・・・」
 バノッサは、バカではない。
 舌打ちひとつに代えて、抜き身の剣を鞘におさめた。
 まだ騒いでいるフラットのメンバー、それにおかしな恰好の4人組を一瞥し、身を翻す。


「あ」

 ぐい、と、そのマントを、当の少女が引っ張った。
「なんだッ!」
「――ありがとう。それから、昨日はえーと、無茶苦茶かましてごめんなさい」
 怒鳴りつけるより先に、少女は真っ直ぐにバノッサを見て、そう告げる。
 それにますます気を抜かれ、バノッサはもう一度舌打ちすると、彼女の手をマントからひっぺがす。
 そして今度は振り返らずに、歩き始めた。


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