サイジェントは北スラム、そのさらに奥まった一角にあるオプテュスのアジトから、素っ頓狂な声が発される。
すでに薄闇に包まれ始めた静けさのなか、その声は本来以上の大きさで周囲に響いた。
「“通りすがりのフラットの味方”ぁ?」
「は、はいっ」
ただでさえ昨日からご機嫌斜めだったオプテュスのリーダーに、こちらから売った喧嘩で負けた報告をするメンバーの顔は、リーダーに劣らず蒼白だ。
いや、リーダーことバノッサの色白は自前なので、負けるも勝つもないのだろうけど。
とりあえず、お仕置きしようとしたら、ある程度で止めないと……
そんな、ちょっぴりひどいことを思いつつ、カノンは義兄を見守っていた。
さしあたり、増幅されたご機嫌斜めオーラを逸らすべく、メンバーに話しかけてみる。
「えぇと、その人はどんな方でした?」
「あ、えーと……女です、赤い髪――」
「女に負けやがったのかよ手前ェらは!」
バノッサの腕が一閃――壁を横殴り。
響き渡る鈍い音に、メンバーは「ひっ」と身体を凍りつかせた。
こうなると、しばらくは止められない。
哀れなスケープゴートに、それこそ祈りを捧げる心持ちになったカノンは、けれど、それ以上動かないバノッサに気づいて視線をそちらに向けた。
「……ちょっと待て。“赤い髪”って云ったか?」
「ひ……っ、は、はい!」
「女だけだったのか? 三つ目の召喚獣がついてたんじゃねえのか?」
「へ……?」
「ついてたんじゃねえのかって訊いてんだ!」
――再び、腕、一閃。
「バノッサさん……アジト、壊さないでくださいね」
「黙ってろカノン!」
義弟をその一喝で黙らせ――もっともカノンの場合は、凍り付いているメンバーのように、恐怖ゆえに従ったわけではないのだが――バノッサは再びメンバーに向き直る。
睨みつける視線の鋭さに怯えた彼は、けれどこれ以上焦らすようなことをすれば、腰の二刀の餌食になると察したのだろう。
小刻みに震える全身を必死で制し、口を開いた。
「こ……小柄な女でしたっ、あか、赤い髪の……っ。三つ目の召喚獣ってのは見てません……!」
「バノッサさん、その人がどうかしたんですか?」
そんなメンバーがかなり哀れになって、カノンは再び横から口を出す。
が、バノッサは、その証言を聞いて何事か考え込んだ。
「――髪飾り」
「かみかざり?」
このおうむ返しはカノンだ。
震えているメンバーは、もう、そんなことをする気力さえ残っていないだろう。
普段ならともかく、機嫌急降下中のバノッサにちょっかい出して、無事でいられた人間はいないのだから。
それでも彼らがバノッサに従うのは、第一に強いから。
彼の下にいれば、少なくとも、街の一部では大きな顔はできるから。
「そうだ、白い髪飾りだ。つけてなかったか」
だから彼は、再度のバノッサの問いを繰り返すこともせず、大きく頷いた。
「つ、つけてました! 赤い髪を括ってて、そこに……! 女って思えねえくらい、速くて強くて……!?」
――にやり、とバノッサが笑う。
正面からそれを見る羽目になったオプテュスのメンバーは、とうとうがっちんと固まった。
・・・まあ、ウサ晴らしのネタにされてその場から別の意味で動けなくなるよりは、遥かにマシであったろうとはカノンは思ったが。
「面白ェ」
「バノッサさん?」
不意に立ち上がった義兄を、カノンはいぶかしげな気持ちを隠さずに呼ばわる。
そんな彼へ軽く一瞥をくれると、バノッサはスタスタと歩き出す。
当然、カノンも追いかける。
凍りついた男はそのまま、さっきまで彼らがいた部屋に取り残された。
「バノッサさんってば――」
「カノン。手下を何人か集めてこい」
「え?」
それは。
ひどく楽しそうに。
「フラットの奴らへ礼をしに行く。面子を潰されたままじゃ、オプテュスの名が泣くからなッ!」
そう。
面子を潰されたというのなら、もっと悔しそうな顔をしてしかるべき。
なのに。
「……バノッサさん、楽しそうですね」
「ったり前だ。……昨日の礼も返してやれるんだからよ」
なるほど。
昨日からの不機嫌の原因は、どうやらその赤い髪の女性(+三つ目の召喚獣)とやらにあったのか。
おびただしい数の生傷をつくって帰ってきた昨日のバノッサを思い出し、カノンはやっと、謎が解けたことに安心したのである。