【そして彼らは彼らと出逢う】

- その前夜 -



 上っ面をなぞるだけの大雑把な説明をしたり、海に突っ込んだ三名の身支度を直したりしているうちに日も暮れて、ともあれその日はお開きになった。
 不意打ちで大挙して訪れた客人たちを出迎える準備がないから、と、集落の面々に申し訳ない表情で云われ、恐縮した(一部除く)一行は、調査隊の乗ってきた船に戻って一晩を越す。
 ――ちなみに、船長であるところのジャキーニは、さっそくちゃっかりユクレス村にダッシュしていて、今日は弟分とその嫁さんと、家族水入らずだそうである。

 ざぁん……ざざあぁぁん……

 夜の船に打ち寄せる波。
 まだ睡魔が誘いに来てくれないは、何をするでもなく甲板に出て、いつか見た覚えのある夜の海を、ぼんやりと眺めていた。
「ぷー」
 頭上にはプニム。
 月明かりに照らされる光は、しん、と。こうしていると、まるで、本当に、島に着いた最初のあの日に戻ったかのような気さえする。
 だが、それはない。当然だけれど。
 赤い髪のはもういないし、ディエルゴだって叩きのめした。
 それに、ナップたちはもう、小さい子供じゃない。
 目に見えて変化を知れるのが彼らだけ、というのが、実にこの島の特異性を思わせる。昼間も思ったが、レックスとアティに引き続き、数日のうちに大人になられた印象だ。
 ま、今さら気にするまでもないが。本当なら、彼らのこの姿を知るのが、この時間に生きるにしてみれば順当なことなのだから。――初対面でないあたりが、いささかパラドックスなのだけれども。
「やほ、。じゃない、?」
「――あ、師匠」
 昼間動くのはやっぱり疲れたらしく、いつの間にか姿を消してたマネマネ師匠が、ふわりと宙を漂ってやってきた。姿が変わらない御大だ。
 長い黒髪の縁は、きらきらと月光を反射して踊らせている。
「ぷ」
「おお、プニムも一緒か」うんうん、と頷く黒髪さん。「やっぱりそこが落ち着くかい?」
「ぷー」
「はは、そっか。そうじゃな、懐かしいよなあ」
 ぺたり。
 頭上にへばりついたプニムを見て、師匠はからからと笑っている。そうして、つられるように笑ったをふと、見下ろしてきた。
「――
「はい?」
 細められた双眸。優しく、懐かしく。
 ……二十年の歳月を、その眼差しが感じさせた。
「島には、しばらくいるんじゃな?」
「あ、はい。ルヴァイド様連れてきましたからね、任務も終わったし。あとはバカンスですよバカンス。これからも大変なんだし、養生してもらわなきゃ」
 なんか予定外の団体になってますけど、と付け加え、
「……一気に騒がしくなりましたね」
「何。ミスミ殿も云っとったが、たまにはいいじゃろ。――無色のときなんざ、もっともっと大騒動じゃったし」
「大騒動でしたよねえ……」肩をこきこき。「あー、まだ疲れが取れてない気がします」
「ああ、そっか」
 の仕草を見て、不思議そうにしていた師匠は、そこで、ぽん、と手を打って得心顔。
「おまえさんにとっちゃ、まだ、数日前のことなんだっけ? ――けったいな話だよな、今さらじゃが」
「こっちは素直に二十年経ってるんですっけ。みんな変わってないから、あんまり実感出ないですよ」
「ははははは、それはもう、そういう島じゃからな」
 ワシらに至っちゃ、変わりようもないし――そう云うマネマネ師匠の笑い方も、が見覚えているままだ。
 もまた、笑みを返そうとしたところ、
「おやおや。さん、まだお休みではなかったのですか?」
「――うひいいぃぃっ!?」
 まったく何の脈絡もなく、気配も感じさせず、頬を撫でるひんやりとした手のひら。銀髪が、さらりと視界の端に揺れた。
 奇声を発する口を、がばりと両手で押さえ込み、は慌てて背後を振り返る。
 唐突な動作で落っこちたプニムが、「ぷ!」と鳴いて船べりに登った。
「――レ、レイムさん……」
 そんなことだろうと思ったが、やはり、銀髪の悪魔だった。いや、今となっては彼を悪魔と定義するのは正確でないのかもしれない。
 だって、彼らは今、あの大きな樹の礎も同然なのだ。
 ……ああそうだ。
 だというのに、どうして。彼らはここに、来られたのだろう。
「こんばんは、
 問いを形づくる前に、ひょこり。レイムの後ろから、陽炎の彼女が姿を見せた。レイムが落ち着いていればツッコミ入れなくてすむせいか、笑みはどことなくやわらかだ。
 というか、今の、背後から不意打ちするってくらいじゃ、ツッコミの対象にならないんだな。
 なんて考えつつ、「こんばんは」とも礼を返す。
 何だかんだの大騒動ですっかり疲れ果てた面々と違い、彼らは本当の意味で疲れ知らず。ここにいて不思議はない。ぶっちゃけたところ、ここにいるなかでは自身、自分のことが一番不思議だったりするのだ。疲れてるはずなんだけど。
「……うわーい」
 軽く会釈した頭を上げると同時、つぶやきひとつ。つづいて、黒髪が、ふわりと目の前を横切った。
「師匠?」
 かと思ったら、その主は今まさに、の背後に逃げ込んだところ。――うん、逃げたという云い方はこの場合正しい。
 レイムと彼女の間にを置き、肩をがっしり掴んで押さえ、動いてくれるなと念じているのがありありと判る。
「おや?」
「どうかなさいました?」
 きょとん。
 首をかしげる銀色と白色。
「マネマネ師匠?」
「ぷ?」
 きょとん。
 首をかしげるとプニム。
 師匠の触れている肩から伝わるは、細かな震え。
 ――怖がってる? 連想された理由を追究すべく、はレイムを振り返った。が、
「いいえ? 私は特に何も」
 問われるより先に彼は答え、傍らの彼女を見下ろす。
「わたしも別に……怖がらせようなんて、思ってないんですけど」やはり困惑顔で彼女はつづけ、「――あ……っ?」
「ぷい、ぷ?」
「思い当たることでもあるのですか?」
「うーん……心当たりっていうか」
 あのう、と。彼女は、刺激しないように配慮してるのだろう、ゆっくりゆっくりと、マネマネ師匠に話しかけた。
「貴方は、その。映し身の霊なんですね?」
「――そうじゃ」
 うむ、と、師匠がうなずく。
「ああ」
 そこで、レイムが手を打った。
 まっとうにしてれば優しげだと評して充分な彼の表情は、今、ほんの少し申し訳なさそうにしてマネマネ師匠を見つめていた。
「それは申し訳ありません。振幅が大きすぎましたか」
「振幅?」
 何がなんだかわからない。
 首をかしげるを見て、彼女が「あなたたちなら、波動というのかしらね?」と、説明してくれる。
「魂から零れるちからの欠片、それが大気を揺らすんです。普通の人間なら意識もしないのだけど、このひとは、元来が映し身としての霊体だから」、姿を映すそのために、力を自然となぞるから。「わたしたちが起こす振幅は、影響が強すぎるんでしょう」
「――や、たいていのことには慣れたつもりでおったんじゃが」
 ばつの悪い表情になって頭をかく師匠。そしてレイムと彼女を順繰りに見つめたは、少しばかりの間を要しはしたものの、
「ああ」
 やっと、そこで納得した。
 なんのことはない。
 意識もしてないだろうレイムと彼女の持つ力。その波動だかなんだかが起こす振動が尋常でないために、マネマネ師匠は、たぶん、それに引きずられる形で彼らの姿を映し出しそうなのだろう。意図せぬそれへ、本能的に畏怖を感じているのだ。
 ――てことは、なんだ。
 もう一度、は、レイムを彼女を眺めて思う。
 やっぱこのふたり、護人とか魔剣の継承者とか、あまつさえ無色の派閥の総帥さえ凌駕して余りある力を持っている、ということか。
 ……そりゃ、そうか。
 大悪魔と守護者、でもって現在、例の大樹だものね。
「結構な割合、抑えてるつもりなのですけど」、申し訳なさそうに云う彼女。「ごめんなさい、これ以上やってしまうと、実体化も難しくなるんです」
「私たちも、いわば思念体ですし――おやおや、こうなると、狭間の領域とやらにはお邪魔出来ないかもしれませんね」
「来るんですか!?」
「え? それはもちろん」
 この島に存在する、四界の象徴ともいえる各集落については、帰り道々話してはいる。
 一行のなかにいる召喚獣たち――たとえばレシィやハサハなどは、明日、ユクレス村や風雷の郷へ訪れるのを、とても楽しみにしているようだった。レオルドも、ヴァルゼルドと仲良くなったらしい。……あー、この順番で行くとバルレルはどうなった、なのだが。――なのだが。ノーコメント。
 だがレイムが行くつもりなのであれば、これまたどうしたものやら。
 だってあそこ、基本的に悪戯っ子な霊なんかはいるけれど、悪魔っていなかったはずだ。かつ、護人の副官がれっきとした天使であるところのフレイズときた。
 過去、バルレルの着ぐるみでさえびしばし嫌悪していた彼が、果たして仇敵も仇敵、悪魔の総大将であったところのレイムを迎え入れるのだろうか?
「……んにゃ。が心配してるようなことは、ないよ」
 さくっとの表情を読んだらしいマネマネ師匠が、安心させるように微笑んだ。
「でも、師匠――」
「いやいや。まだ、慣れてないだけ」
 そう云う師匠の笑顔はいつもどおりだし、震えも、気づけば間隔が長くなっているようだ。
「馴染みは割と早いのが自慢じゃから、ワシ」
 いや大変失礼した――微笑み浮かべたそのままで、黒髪さんは、銀髪さんたちへと向き直る。
「力がでかいのが幸いしとる。島中わいわい騒いどるから、狭間の領域まで距離置いて一晩慣らせば、後日には普通にお逢い出来ると思うよ」
「ああ、それは僥倖です。ふふ、もう未練もないと思いましたが、サプレスの風景に再びまみえられると思うと、やはり嬉しいですね」
「あ、でも、レイムさん。あそこの護人――の副官さん、天使なんですけど」
「そうみたい、ね?」
 それがどうかしたの? と云いたそうに首を傾げたのは、彼女だ。
「そうみたい――って。ケンカになったらどうするんです。あたし嫌ですよ、第二次リィンバウム大戦勃発に立ち会うのは」
「……さん、何気に神経図太くなってませんか?」
 遊び甲斐がなくなったような気がします。ちぇっ。なんて小声で付け加え、レイムの手がの髪をつまんでもてあそぶ。
 なんら妙な意図のないその仕草に、このひとこそ、随分まっとうになったものだとは思うのだが。
「まあいいでしょう。ルヴァイドたちは、まだ面白い反応をしてくれますし――ふふふっ、実はこれも楽しみだったんですよねぇ」
「……顔面ひび割れさせて云うセリフじゃないでしょう」
 ぺち。
 後頭部をどつかれる大悪魔。
「ぷぅ」
 ぺち。
 意味もなくの頭をたたくプニム。真似しなくてよろしい。
 しれっと頭上に戻っていたプニムをとっ捕まえて左右引き延ばしの刑に処していると、「心配いらんよ」と、師匠が云った。
「――大悪魔でもですか?」
「元、じゃろ? 今の、この御仁はとてもきれいな空気を持ってるよ」まあ考えてることはどうだか判らんが。と、つぶやく独り言はちょっと不穏当だ。「これなら、うちの皆も怖がりゃせんだろうて」
「ええ。今や私は清廉潔白、まあやらかしたことはやらかしたことですけどねえ、はっはっは」
「「笑って済ますことじゃない!!」」
 過去と現在、それぞれ白い陽炎と焔を駆使したふたりは、異口同音に、かつての大悪魔へとツッコんだ。


 ……ま、何はともあれ、そういうことなら問題はあるまい。
 いい加減疲れたろうからお休みなさい、と、彼らが促してくれたので、は素直にそれを受け入れ、割り当てられた寝室へ戻ろうと身を翻した。
 狭間の領域に戻るマネマネ師匠の黒髪と、
 ぽーん。
 傍らに跳ねるプニムを視界の端に、だが、
「あ」
 ふと振り返る。
「はい?」
「何か?」
「どした?」
「ぷ?」
 応え、を見送っていたふたりが、手をおろして疑問符を浮かべた。傍らのひとりと一匹も、疑問顔して動きを止める。
 そのふたり――レイムと彼女に焦点を合わせ、は、気になっていたそれを口にする。
「レイムさんと貴女は……どうして、ここに来られたんですか?」
 今は大樹の礎となった、銀色と白色。ふたりは、問いを受けて微笑んだ。

「貴女たちも、己の足や乗り物で、世界のどこへでも行けるでしょう?」
「わたしたちも同じです。だってみんな、リィンバウムに在るのだから」

「―――」

 そしても、微笑むふたりへ笑み返す。

「そうですね」

 ははは、と、マネマネ師匠が笑って云った。

「何にせよ、しばらくはこの島、お祭状態になりそうじゃな」
「ぷーぅっ」

 同意のこもったプニムの鳴き声に重ねて、も首肯し賛意を示す。
「そうですねー」
 先刻と同じことばで応じ、明日からのそれを思って、くすくす、笑い声をこぼした。
 しっとりと島を包む夜気を震わせ、星を霞ませ輝く月を、なんとなし見上げる。


 ――願わくば

 どうか、楽しいお祭になりますように。


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