「やだやだやだー! いくらあたしだって、我慢出来るもんと出来ないもんがあるってば――!!」
うごっ、うごっ。その巨体ゆえか、鈍重な動きで迫る女王ゴルコーダ五体。わりと余裕のある距離だったジルコーダへ振るわれた刃は、あちらを直視したくないからだろうか。
とりあえず、女王ゴルコーダ方面に生まれた隙を埋めるべく、イスラは那智の前に出た。そのついでに、訊いてみる。
「君、虫ってダメ?」
答えは即行、
「ダメじゃない! けど、あの、ヴァルゼルドみっつは入りそうな大きさっていろいろコワいの!」
どこ見てるか判らない複眼とか、不規則に動く六本足とか、妙にてらてら光る胴体とか! さらにそれが五体もいれば十割増しで!!
怖いわりに、よく見てる気がする。
頭に浮かんだツッコミは、あえて思考だけに留めておいて、イスラは「そっか」とだけ応じた。
それから、うごうごの向こうに見え隠れしている目標物を、改めて捕捉する。ちょっとやそっとの衝撃で壊れるものでもないだろうが、念のためだ。
「露払い、頼むよ」
「うー。デカブツ任せていいの?」
「うん。任せて」
こちらをカバーするように展開する那智とプニムを見送って、イスラは、先刻抜けてきた霊界層で拾った、サモナイト石を取り出した。
まだ何ものとも誓約していない菫色の石は、高めていく彼の魔力に呼応するように、淡く輝き出す。
脳裏に描くは、いつか赤い世界において、那智がヤードに喚び出させたと思われる骸骨騎士だ。漆黒の翼持つあの悪魔よりは干渉しやすそうだが、現時点におけるイスラの腕前では、あの騎士を制御できるはずがない。
けれども、まったく勝算のない賭けに、挑むつもりはなかった。
――駆けよ
白い焔は純粋なただの力だと、ここに潜る前、聞いた。使い手の意志に、その形は依るのだと。
那智――アークが用いて焔になったそれは、イスラが引き出したときには淡い霧のように現出していたことからも、それは納得出来る。
ならば、足りぬ魔力を、それで補うことも出来るはず。
――闇の星を顕すもの
メイメイに忠告されたそのとおり、鍵を開けるためのひとかけらだけを残し、他はすべて引っ張り出す。プニムはすべての焔をイスラに渡したが、メイメイが持っていったのはその半分にも満たなかったのだ。けれど、イスラもまた、己の裡に残ったままのそれを、いつまでも保持しておくつもりはない。
――手にして。判った。
これは力。純粋に、力。
紅の暴君、碧の賢帝――そして果てしなき蒼と同じように、いやそれ以上に、人の手に在り続けていいものではないのだと。
――肉の身棄てし高貴なる髑髏
ならば還そう。
アークに還すはすでに成らないのだから、その根源であるものに還そう。
世界に、エルゴに。門を開く代償、魔力と共に。
――流星率いて疾く駆けよ!
「一度だけでいい、声に応えろ、ツヴァイレライ――!」
瞬間。
臨界に達したと思われた紫の光が、さらに、さらに膨張した。
――面白ェもん持ってんじゃねえか、ニンゲン風情が。どこでそれを手に入れた?
そうして場に響く声。
それは、髑髏の騎士以上に。黒き翼の悪魔異以上に。
深く深く、底知れぬ闇の息吹に似て――
「ごふッ」
……前方で、通常サイズのゴルコーダ相手に奮闘していた那智が、何故か盛大にむせ返ってた。
――主よ。
かけられた声に、振り返る。
「ん?」
このときも、彼ははっきり云って退屈していた。最近は手応えのある天使もいないし、かといって魔王同士でどんぱちやろうにも、要らん陰謀策略めぐらせるような陰気な性格の奴ばかり。
仕方ないので、まあテキトーに、そこらへんの地形でも変えてやろうかと、手ごろな場所を物色していた途中だった。
「許しをいただけるか」
「許し?」
何のだよ、と応じかけて、彼は小さく目を見開く。
声をかけてきた相手の姿を見て――正確には、その傍らに控えるものの変異を見ての反応だ。
常に沈黙を守る髑髏騎士、その身の周囲に、菫色の光が生まれていた。
それは誘い。
それは招き。
狭間隔てた中央の地に、四界の存在を引きずり落とす忌まわしき術の顕れ。よくよく見ればリィンバウムからではなく、些か異なる場所からのようだが、召喚術は召喚術だ。
そんな光を目にした瞬間、彼の機嫌が最下層まで降下したのは、無理からぬ話。
「ブッ殺せ」
即座に告げたその命令に、けれども、漆黒の翼はかぶりを振る。そして、彼の放った魔力に身を打たれ、大きく吹き飛んだ。
「テメエ。いつからオレに反抗出来るほど偉くなったつもりだ」
「気になるのだ」
さすがに無傷というわけにはいかないのか、ふらついて。それでも、頷こうとはしない。
二度力を揮おうとした彼だが、そこで、ふと、それに気づいた。
「なんだ――力不足じゃねーか、それ」
呆れと侮蔑を織り込んだ彼のことばに、骸骨の騎士は頷く。
そう、召喚術というのは本来なら、相手の都合など無視して強制的に喚びよせるものだ。それが、このロス。術者の力が大幅に不足していることは、どう見ても明らか。
じゃあほっとけ、自滅すんだろ――云いかけて、彼は、もうひとつの事実に気づく。
「……」
すがめられる双眸。
その真正面に立っていた者がいたら、息吹さえ凍りつかされそうな笑みを浮かべて、彼は、紫に混じる白を見た。
焔ではなく、霧。
裂帛ではなく、穏やかに優しく。
だがそれは、 ――遠い遠いいつか、目の前から消えてしまったものだった。
そうして認めたその存在へ、彼は足を踏み出した。
「主よ」
「オレが行く」
それを目にした以上。
かつてのそれだと認めた以上。
黙って見過ごせるほどに、薄い執着だった覚えも無い。
髑髏の騎士にまといつき、門を開かんとする力に干渉するべく、真っ直ぐに彼の手は伸ばされた。
……そうして顕現する。
逆立った真紅の髪、それ以上に濃厚な血の色宿す双眸――額に輝くは人にあらざる第三の瞳。
狂嵐の魔公子。彼を知る者は、彼を、そう呼称する。
答え如何では、いや、どのような答えが返ってきても、眼前のニンゲン二匹を引き裂いてやるつもりだった彼は、
「あほ―――――――――!!!!!」
「……あ?」
突如響いたニンゲンのオンナの怒声までは、さすがに想像の範囲外。十数年以上立ったのちに、似たような表情を連発することになるとはいざ知らず、目をまん丸にしたのだった。
それから、声の主を、改めて視界にとらえる。
うごうご蠢くなんぞの虫に囲まれて、焦げ茶の髪したオンナが一匹、骸骨騎士へと干渉をかけたオトコ一匹に向き直って、怒りを発揮していた。いや、その前に、何かを探すように肩の後ろあたりをばたばたと探っていたようだが、黒い上着があるだけのそこに、何を求めていたのやら。
ま、そんなのは彼の知るところではないのだが。
「イスラ――! あんた……あんた、なんてもん喚び出してくれたのよ――ッ!?」
「え。あ、う、ううんっ、喚ぼうとしたのはいつかの骸骨の騎士なんだけど! 流星降らせた!!」
「じゃあ素直にツヴァイ略喚ぼうよ! なんであれになってるの!?」
……本気でツヴァイ略とか云われてる骸骨騎士がここにいたら、ちょっと泣くかもしんない。
「し、知らないよっ! 手応えはあったんだけど、あんな強いのだったら、そもそも僕が死んでる!!」
「え、ほんと? ……うわー、そしたら―――ってばほんとにすごかったんだ……」
「……ど、どうしよう?」
「どうしようって……どうしよう」
「……」「……」
オトコとオンナは顔を見合わせ途方に暮れつつ、ちらりと魔公子を一瞥した。
いや、途方に暮れていることは暮れているのだが――なんかこう。期待したような反応じゃないような気がする。たしかに、召喚に応じないような魔王クラスの悪魔のことなぞ、そうリィンバウムで知られてるわけもないのは自明の理か。
ニンゲンが、対面した程度で相手の力量を測れぬほど鈍いのも問題だ。
む、と、魔公子は眉根を寄せる。
うごうご蠢く蟲ども、あれをどうにかするために、ツヴァイレライは召喚されようとしたのだろう。
そう悟って――湧き起こる不快感。いや、負けん気か。
「オラアアァァッ!!」
それをそのまま攻撃の意志に転換し、彼は、遠慮なしの力を蟲ども目掛けて叩きつける――!
「うわ!! いきなり!!」
突如起こった暴力の範囲から、オンナが、オトコの手をひいて逃れた。その傍らに、青い生き物がぽんぽん跳ねる。
三匹の傍らをすり抜けた魔公子の力は、迫っていた蟲どもも、その奥にふんぞり返っていた巨大な親玉蟲も、一網打尽に粉砕した。その光景を振り返って見た三匹は、今度こそ、目をまん丸にして硬直する。
ちょっぴり溜飲を下げた彼は、「フン」と腰に手を当て、三匹を一瞥。
「オイ。それで何の用だ」
「え……」
「このオレ様が、何の用だって訊いてんだよ、ニンゲン。わざわざ応えてやったんだ、生半可な用事じゃあ承知しねえぞ」
「……ええと……用事はたった今……」
オトコが、どこかしどもどとした口調で云おうとするが、彼はそれを遮った。
「生半可な用事じゃ承知しねえっつってんだよ」
あんな、一撃で吹き飛ばせるような有象無象を相手にさせるためだったとか云うなら、殺ス。自分からやってきたという事実を見事に棚上げし、視線に乗せた殺意は、明確に三匹へ伝わったようだ。
オトコは瞠目して冷や汗流し、青いのは跳ねるのを止め、オンナは
「なんか、この時間に落ちてきて最強最大の敵に逢った気がする……」
と、遠い目をしてのたまった。そうかもしかしてレックスたちの決着つけるべき相手がアレなら、あたしの相手は無限界廊自体じゃなくってコレなのか、とかいうことも、ぶつくさと。
三者三様の反応を見た彼は、そうして、視線をオンナに固定した。
既視感。
彼を見てなお怖れも怯えもしない、――遠い焔。
白い力もてツヴァイレライに干渉していたのは、オトコのほうだ。指先で吹き飛ばせるほどにごく僅かだが、残滓も感じる。が、直感と云える領域が、彼の目に映るオンナの身体に、白い焔を描き出した。
幻影。
ゆめ、まぼろし、ありえぬ光景。
事実、目の前のオンナには何の力も感じない。召喚術を行使出来るほどの魔力も、当の白い焔も。さらに、オンナから感じ取れるものは、召喚術を用いて界の狭間を越えたにおい。
――それでも。
“バルレル”
思い出すこともないはずの声。紡がれたその名を。
「あー……まあとりあえず、初めましてバルレル。あたしは伝説の勇者です」
こいつにだけは口にされたくねェ、と、狂嵐の魔公子は真面目に切実に痛感した。