まさか、そんな日がくるとは予想だにしなかった。
実際それまで浮いた噂のひとつもなかったあの人が、そんなことを自分に訊いてくる日がこようとは。
ほんとうに全然、思わなかった。
「……ルヴァイド様、今、なんとおっしゃいました?」
随分と間抜けな声を出してしまった自覚はあったけれど、それよりも驚きのほうが勝っていた。
目を丸くしたままのイオスの前では、ルヴァイドが、めったに見られない途方に暮れた顔をしている。
「・・・だから、だな」
本日の訓練も終了し、日も暮れた人気のない訓練場。
宿舎に戻ろうとしたイオスを、ルヴァイドが呼び止めたのだが。
・・・かれこれ、小半時ほど云いかけてはやめ、云いかけてはやめ。
歯に衣着せない性質のこの人が、こんな状態だというのがそれでさえ珍しいのに、やっと意を決した様子でルヴァイドが云ったことばは、それ以上に驚きに値するものだった。
「女性が喜びそうな贈り物とは、何があるのだ・・・?」
季節は冬。
白天の節2の月15日。
が感謝の印だと、チョコレートを配り歩いた翌日のこと。
「……に贈るのなら、最初から女性などと云わず、名前を云ってください」
耳にした瞬間、冗談抜きで天地がひっくり返りそうに驚いたイオスは、それを聞いて一気に力が抜けていた。
一瞬でも期待(?)した自分がある意味情けない。
現在子育て真っ最中、親莫迦街道疾走中のルヴァイドに、そんな色事めいたことをやるような暇も気もないことくらいちょっと考えれば判るからこそ、余計に。
「も女性だろう?」
不思議そうに云う上官に、今度こそほんとうに脱力した。
「の場合は、女性というより女の子です」
たしかまだ、14にもなっていなかったはずだと思いながら、答える。
ではいったい何歳からが女性なのだと訊かれると返答に困るが、まず間違いなく、はまだ『女の子』だ。
そろそろ化粧なんかにも興味を持ち始めてもいいんじゃないか、と、先日買い物に付き合った折に立ち寄った店で勧められていたが、本人、頑として断っていたくらいだから。
興味がないのもほんとうのことだろうが、世話になっているルヴァイドにあまり負担をかけたくないのもあるのだろう。
だから、思う。
お返しをもらうのは、の本意じゃないのではなかろうか、と。
けれどそう云ったところで、ルヴァイドが納得しようはずもない。
「妥当なところで、の好物でも差し上げてみられるのは――」
いかがでしょう、と云いかけたとき、ルヴァイドの表情が変わった。
それまでの穏やかな目はどこへやら、まるで獲物を狙う鷹のような鋭い視線で、訓練場の入り口を振り返っている。
・・・ぽろろ・・・ん
優雅というか気障というか。
そんな竪琴の音色には聞き覚えがある。というかひとりしか知らない。
「レイム」
軍事都市デグレアの顧問召喚師、果たしてその実態はただの薄気味悪い変態(イオスの認識)レイムが、にっこりと微笑みながら立っていた。
「こんにちは、ルヴァイド。イオス。訓練お疲れ様です」
「貴様がこのような場所に来るとは珍しいな」
片やにこやか、片や無表情。
だがその間の空間は、そのまま発火するのではないかと思えるくらいすさまじい火花が飛び散っている。
「ええ、本来でしたらこのような殺伐とした場所には立ち入りたくないのですが、よんどころなき事情が出来まして」
「ほう? 貴様がそうまで云うからには、それなりの用件なのだろうな?」
「また何処かに遠征しろとでも云うのか?」
ルヴァイドとイオスの問いに、レイムは軽く首を振る――横に。
不思議に思った。
なにせこの顧問召喚師、何を血迷ったかをいたくお気に入りで、ことあるごとに彼らの部隊を遠征と称してあちこちに追いやってはその間、留守番中の彼女の部屋に入り浸っているというのだ。
聞いた限りでは、今のところ竪琴を奏でたり一緒に本を呼んだりしているだけだと云うが、いつ何があるか判ったものではないとイオスは思っている。ルヴァイドも同様だろう。
ていうかつくづく信用されてないな顧問召喚師。
当たり前だ。(×2)
そんなイオスの心中を知るよしもないレイムは、ふぅ、と儚げにため息をひとつつき、おもむろに彼らに視線を戻す。
あまりにも真剣なその眼に、いったいどんな難問が持ち上がったのだと、軽く息を飲んだとき、レイムが口を開いた。
「実は先日、さんからチョコレートを頂いたのです」
そこまではよかった。
そこまではまだ、イオスも、そしてルヴァイドも『何故だ』という顔をしながら
(詳しくはバレンタインデー編参照)、真面目な顔でそんなことを云いだしたレイムに対する衝動的な怒りを押さえ込むことに成功した。
「ぜひともお礼をしたいと思いまして」
まだセーフ。
隣で険しい顔をしているルヴァイドを見つつ、まぁそれは構わないことではないかと考える。
だって、何かを貰って嫌な顔はしないだろう。ちょっと申し訳ないと思うかもしれないが、喜んではくれるはずだ。
「そこで、さんのお父上役を担っていらっしゃるルヴァイド、あなたにお願いがあって来たのですよ」
「……なんだ」
あくまでにこやかなレイム、あからさまに眉をしかめたルヴァイド。
イオスは、そろりと数歩、後ろへ下がった。
「何を贈ろうか悩みながら買い物に出たところ」
もう数歩、下がる。
「さんにとても似合いそうな下着を発見したのですが、残念な事に私はさんのスリーサイズを知らないので貴方に訊
げふうぅ!」
瞬殺。
今の一瞬をことばにするなら、そんなことばがぴったりではないかとイオスは思った。
ルヴァイドが地を蹴った瞬間弾けとんだ石くれが頬をかすったが、離れていたからこれくらいですんだのだ。
瞬く間にレイムとの距離を詰めたルヴァイドは、神業のようなスピードで、ひねりの入ったこぶしを顧問召喚師のみぞおちに連発して叩き込んでいたのである。
戦場で敵と渡り合っているときよりも気合が入っているように見えるのは気のせいですかルヴァイド様。
そもそも何処に買い物に行ったらそんなものを見つけるんだレイム。
各々へのつっこみを心のうちに留めておいて、イオスは事態を静観する。
下手に口を出したら、自分にまで火の粉が降りかねない。
「何をするんですかルヴァイド?」
口から血をだらだら流しながら、レイムはなおも微笑んでいる。ただでさえ色素の薄い(人のコトは云えんだろうイオス)男が、口元を真っ赤に染めて微笑んでいる光景はなかなかに怖かった。
嫌な意味での凄みがある。
「聞かなかったことにしてやる。早々に消えろ」
まるで親の仇と向かい合っているような(後年それは真実になる)、すさまじい形相でルヴァイドが応じる。
一触即発のこの状況を、どうしたものかとイオスが頭を悩ませたときだった。
「ルヴァイド様ー! イオスー!!」
現在の空気には似つかわしくない、底抜けに明るい声が彼らの耳に届く。
ルヴァイドもレイムも、果てはイオスも。がばっと声のしたほうを振り返った。
夕陽を背中に浴びて、白い息を吐きながら彼らのもとに走ってくるのは、今の騒ぎの発端とも云えるひとりの少女。
ほのぼのとした背景を背負ってこちらに向かってくるに、ルヴァイドの緊迫した声が飛ぶ。
「くるな! 今来ると
おまえの命に関るぞ!!」
何故命まで関る。
「え?」
けれど素直な良い子は、そのルヴァイドのことばに従い、入り口から数歩踏み込んだところで足を止めた。
『?』という疑問符が、でっかく顔に張り付いてはいたが。
「……イオス」
「はい」
を足止めしておいて、緊迫した声でルヴァイドがイオスの名を呼ばわった。視線はレイムから外そうとしない。
普段ならを発見次第飛びつく(犬か)レイムも、今動けばそれこそ自殺行為だと察しているのだろうか、至極残念そうにを見ているものの、意識はルヴァイドからそらしてはいなかった。
「を任せる。俺はあいつと決着をつけねばならん」
「・・・・・・はあ」
気のない返事になったイオスを、誰が責められようか。
「奇遇ですねルヴァイド……私もそう思ったところでしたよ」
ゆらりとレイムが立ち上がる。
その際ちらりとに向けて熱いまなざしを送るが、ただ見られただけだとしか思っていないは、きょとんと首を傾げるだけ。
つーかむしろ暑苦しっ<まなざし
ルヴァイドとレイムの背後に燃える炎と虎と竜を見ながら、イオスはすたすたとのところまで歩いていった。
「イオス、ふたりともどうしたの? ケンカ?」
ルヴァイドは父代わりとして好いているし、レイムのこともよく遊んでくれる親切な顧問召喚師さんと思っているが心配そうに訊いてくるのを、首を振って否定する。
「だいじょうぶ。ふたりは今から
男同士の語らいをするんだそうだよ」
邪魔してはいけないから、今日は僕と先に帰ろう。
何の語らいだ。
「・・・う、うん?」
判らないながらも、『邪魔してはいけない』ということばに、大事なことなんだろうなぁと思ったらしいが頷いたのを確認して、イオスはその手をとった。
立ち去り際には一度だけ振り返り、にらみ合っているふたりに空いているほうの手をぶんぶん振って。
「ルヴァイド様ー! レイムさんも! (何するのか知らないけど)がんばってねー!!」
「あぁさん! なんて愛らしいんでしょう悶えてしまい
ぐはああぁぁぅ!!」
「逝ってしまえー!!」
ときめきモードに入ったレイムの隙を見逃さず、ルヴァイドが特攻をしかけ――
そのあとすぐにを抱きかかえて走り去ったので、その後訓練場で何が起こったか、イオスは知らない。
ただその晩、ルヴァイドが半死半生で帰ってきてが心配して泣きじゃくって寝ているイオスを叩き起こしたこと、
翌日早朝訓練の入っていた小隊が、訓練場のそこかしこにクレーターが出来ていると報告したこと、
顧問召喚師が一週間ほど行方不明になっていたこと、
それだけは、はっきりしていたのだった。
「そういえば、」
「うん?」
「チョコレートのお礼に何かあげたいんだけど、何か欲しいものあるかい?」
「えっと・・・・・・」
「なんでもいいよ?」
「ううん、あたし、今みんなと一緒にいられるのが嬉しいから、それだけでいいや」
以上、夕焼け小焼けの帰り道、イオスとの会話より抜粋。
嗚呼、今日も平和なるかな軍事国家デグレアよ。
いやだこんな平和。
完。