かつては禁忌の森と呼ばれたその場所が、聖地の森と呼ばれるようになるまでに、そう時間はかからなかった。
淀みに満ちていたはずの中心部からは、その痕跡さえ一切消えた。
一部の者だけが知る、召喚兵器や機械遺跡の名残もいまや皆無。
――そこには、今、一本の樹がそびえている。
『聖なる大樹』
そう、最初に呼んだのは、誰だっただろうか?
木々の間から零れる光は弱く、まだ朝が早いことを如実に示している。
普段から静かな森だけれど、こんな時間はまだ殆どの生き物が眠っているためか、深々とした静寂に満ちていた。
そんななか、ぱたぱたぱた、と、羽を動かす音と。
たたたたっ、と、小走りに進む足音。
聖なる地へ続く道を、ふたつの人影が進んでいく。
人、というには、少し語弊があるけれど。
「バルレル君、待ってよ〜」
「テメエがトロイのが悪ィんだよ」
いちいちテメエのペースに付き合ってられっか、とばかりになおスピードアップしたバルレルを、レシィは懸命に追いかける。
けれど、レシィだって曲がりなりにも獣人である。本気で走れば追いつくのはわけないが、そうも出来ない理由があった。
大きな花束を、両手で抱えているせいだ。
走りながら、ふと、レシィが後ろを振り返る。
「もう……ハサハちゃんとレオルド君、置いてきちゃったじゃないかぁ」
「なら、テメエだけ待ってるか?」
オレは先に行くけどなー。
と、バルレルがさらに進もうとしたときだ。
ゴオオォッ、と、彼らの耳をつんざく爆音。
――ハサハを肩に乗っけたレオルドが、ジェット噴射でバルレルたちに追いついてきた。
「……」「……」
おいおいおい。
思わず絶句したふたりを少し追い越したトコロで、レオルドの飛行も止まる。
「……いつ改造したんだよ、そんなモン」
「先日、えすがるど殿トえるじん殿ガ見エラレタ折ニ、ねすてぃ殿モ協力サレテ――」
「あーそーかいそーかい」
ほっとくと改造内容やら過程やらの詳細報告までしそうなレオルドのことばを、バルレルは途中で制止した。
その間に、肩に乗っていたハサハが、着物を崩しもせず、器用に飛び降りる。それから、
「……おねえちゃん、元気かなぁ」
と、もう後少しばかり進めば辿り着く場所をすがめ見て、嬉しそうな、けれど寂しそうな笑顔を見せた。
「元気なんじゃねーの?」
何云ってんだか、と。当たり前のことを訊かれたかのように、バルレルは云う。
「光だってたまーに降ってんだしよ」
「昨日も降ってたよねぇ……なんだかいつもより、多かった気がするけど」
もしかして、知ってるのかなぁ?
そう云いつつ、レシィが顔をほころばせた。
それから進むことしばらく。ようやっと、彼らは目的地に辿り着く。
「シカシ、主殿タチヲ差シ置イテ先ニヤッテキテシマッテ、本当ニヨカッタノダロウカ……」
「しょうがないと思う……おにいちゃんたち、昇格試験でネスティお兄ちゃんと特訓中だから……」
それに、朝練終わらせたら急いでくるから、って云ってたし。
いささか悩みがちなレオルドを、ハサハがとりなす。
それでも、一行は、その場所の前まで歩を進め、そして立ち止まって――
「あれ?」
「……あら」
零れる陽光に彩られた、赤いフレアスカート。
黒い長い髪をやっぱり陽の光で縁どって、振り返ったその双眸も、やはり黒。
レシィのこぼした声に反応して振り返ったのは、本来ならサイジェントにいるはずの誓約者――アヤだった。
彼女に同伴してきたらしい、ハヤトの姿も隣にある。
「お、久しぶり」
にっこり笑って片手を上げて、ハヤトが護衛獣たちのところにやってきた。
一拍遅れて、アヤも彼らの前に立つ。
「そのお花、ちゃんにですか?」
「はい! 一番に咲いたから、さんにも見せてあげようと思って!」
「サンキュ。きっと喜ぶよ」
「誓約者殿タチハ、何故ココニ?」
レシィを微笑ましく見守っていたふたりは、レオルドのことばに、ふと視線を転じる。
自分達の後ろ、護衛獣たちにとっては正面。
――聖なる大樹と呼ばれる、大きな樹を振り返った。
「今日は、一日一緒にいようかな、って思ったんです」
一年前の今日、ちゃんはここで姿をなくしてしまったから……
ほんの少し寂しげに笑って、アヤがそう答える。
「別に、賑やかしにもならないけどさ」
と、茶化すようにハヤトが笑う。――笑みの種類は、アヤと似たようなものだけど。
「ハサハたちも……」
「そうなんですか? ありがとう」
「それに、お知らせを持ってきたんです」
花を樹の根元に立てかけて、レシィが云った。
それは何? とふたりが問うより先に、バルレルが懐からなにやらの封書を取り出して見せる。
少しでも聖王都の政治に関わったことのある者なら、その差出元は一目瞭然だろう。蜜蝋に議会の印の刻まれた、やけにご立派な代物だ。
一同が見守る前で、バルレルがそれを開ける。
手渡されたそれを読んだアヤとハヤトの表情が、明るくなった。
「ルヴァイドさんとイオスさん、自由になられたんですか……!」
「ああ。つい、こないだな」
しばらく、聖王都で身のまわりの整理するって云ってたぜ。
「よかった……も喜ぶな」
「ハサハも、そう思う……」
「いやぁ、自由も何もホラ、別にそうたいした刑でもなかったらしいけどな?」
そんなしみじみした空気へと、不意に、かつ陽気に割り込んできた第三者の声で、ぱっ、と全員がそちらを振り返った。
「フォルテさん、ケイナさんっ! シャムロックさん! カイナさんにカザミネさんまで……あー、シオンさんも! お久しぶりですっ!」
真っ先に全員の名を呼んだレシィに続けて、バルレルが、
「……テメエら、気ままな冒険者稼業とかに戻ったんじゃねぇのか?」
と、なんだか胡散臭げに云う。
けれど、そこはやっぱりフォルテ。
「おう。だから気ままにここに来たわけだ」
「……だからって、昨夜遅くに人の宿に転がり込まないでください、フォルテさん」
「ちょうど、こちらに向かっている彼らと逢いましてね。そのまま同行させていただいたんですよ」
ほんのちょっぴり恨みがましいシャムロックの視線を、フォルテがしれっと流している横で、細い目をさらに細めて、シオンが付け加える。
カイナとカザミネは、誘い合ってきたんだろう。……たぶんだけど。
「あぁーっ! どうしてみんないるの!?」
「ユエルちゃん……ミニスちゃん……!」
「あははは、考えることはみんな同じってわけかい?」
「もう……絶対ルウたちが一番だと思ったのに」
そんなことを云いながら、ファナン側に通じる道からやってきたのは、ユエルとミニス、モーリンとルウ。
ユエルはモーリンの家に世話になりながら、ファナンの街で再びアルバイトなどして頑張ってるらしい。
森の家にいるはずのルウが一緒なのは、たぶん前日からモーリンの家に行っていたかなにかだろう。
ミニスは元々ファナンに自宅があるのだから、連れ立ってくる理由は充分だし。
「おう、こりゃまた勢揃いだなぁ」
「あらら〜、ケーキ人数分に足りますですかね〜?」
彼女たちから数分遅れて、レナードとパッフェルが姿を見せた。
尤も、彼が歩いてきたのは聖王都側――シオンたちが来た方からだ。
レナードは目下、元の世界へ戻るために、ギブソンやミモザについて召喚術をおさめるべく鍛錬中。
以前の戦いの副産物でか、実技はなかなかのものらしい。……実技は。
実はマグナとトリスも似たようなもので、故に、彼らの必修項目は理論の組み立てなどがメインで進められている。
が、3人が3人ともそういうのがとんと苦手だと云って憚らないために、教師役のネスティは常に血管が切れそうになっているとか。
パッフェルはというと、相変わらず派閥の密偵とアルバイターの二束(どころじゃなかろうが)の草鞋だそうだ。
とは云っても、最近は平和なお仕事が多いんですけど、と、彼女はいつぞ、にっこり笑ってうそぶいた。
……で。
そのレナードたちが、この場に現れたということは。
視線をこらした護衛獣たちに先駆けて、
「うわっ、勢揃い!?」
素っ頓狂な声をあげ、やってきたマグナとトリスが目を見張っていた。
その少し後ろを歩くネスティが、
「だから云っただろう」
と、少し疲れたような表情になって、さらに自分の後ろを振り返る。
「誰かまだ来るの?」
「ああ。ルヴァイドとイオスがな。僕たちより先に出たはずなんだが……」
ユエルの問いに、彼がそう答えている間に。
また、下草を踏みしだく音がした。
ただそれは、一人二人といった規模ではなくて。もうちょっと、数の多い足音。
「後ろ姿が見えたから、そうじゃないかと思ったんですよねぇ」
「……全員揃うのは、久しぶりじゃの」
そんな会話をしながら、レルム村の4人がやってくる。
――ルヴァイドと、イオスも一緒だ。
墓参りにでも行っていたのだろうか。問えば、たぶん返ってくるのは頷きだろう。
今度の一行のなかには、どこぞの闘技場へ力試しに向かったという話だったリューグの姿もあった。
この日を選んで、わざわざ里帰りしたらしい。
「お久しぶりです、アヤさん、ハヤトさん」
ぺこり、とアメルが頭を下げる。
そしてふと、小首を傾げてつぶやいた。
「……それから……えぇと?」
密度を増す人口の中心点から離れた場所にいたと思われる、人影ふたつが、ガサガサと茂みをかきわけてやってくる。
――ザ・美白。
「あ……」
「ばのっさ殿、デシタカ」
ハサハがほの淡く笑み、レオルドが、金属音をたてつつ一礼する。
そう。やってきたのはバノッサだった。陽の光に透けるような肌とか髪の印象を、素でガン飛ばしてる鋭い目つきが台無しにしている。
そんな彼の傍らには、ザ・美白殿とは対照的に温和な笑みを浮かべた少年もいる。こちらは、ここにいる殆どの人間が、初対面。
それを知っている少年は、問われるより先に自分から頭を下げた。
「初めまして。カノンっていいます、バノッサさんの義弟やらせてもらっています」
1年前は、バノッサさんがご迷惑をおかけしました。
『世話になった』ではなく『迷惑をかけた』というあたり、義兄の性格をよーく判っているようだ。
さすがにバノッサ本人も何も云えないらしく、仏頂面になって明後日を眺めているあたり、かわいいかもしれない。
各々自己紹介をしている横で、アヤとハヤトはくすくす笑う。
――その笑みがおさまった頃、しめしあわせたわけでもないのに、全員が、同時にそちらを見やった。
『聖なる大樹』
そう呼ばれるようになって久しいそれは、あの、最後の戦いの名残。
負の感情を吸い取り、時折やわらかな光を世界に降らせる、神性に満ちた大樹。
どうしてそんなものが急に現れたのか、存在を知られてからしばらくの間、そんな話題が世間を騒がせた。――誰も、結局は、その理由を知ることなく、話題もだんだんと下火になっていたけれど。
……自分たちは知っている。
ここに、誰が眠っているか、知っている。
「バカ野郎が……」
ぽつり、と、バルレルがつぶやいた。
誰がここにいるか、自分たちは知っている。
「……」
最後の最後で。
物語の幕引きを、歌の終焉を、結局ひとりでやってのけてった人が眠ってる。
「……もう、1年になるんだな」
あのとき、あの瞬間。
『いってきます』とそう云ったきり、帰ってこない――彼女。
「……この間、ギブソン先輩とミモザ先輩と話したんだけどさ」
誰に云うでもなしに、マグナがつぶやいた。
「、こんなところで眠ってるんじゃなくって……もしかして、自分の世界に帰ったんじゃないかなって」
「あっちに?」
「うん。だっては、レイムさんにその人を返すために来たって云ってたよね」
こくり……と。
頷くのは、渋るバルレルから『昔話』のほぼ全容を聞きだした全員。
「自分に課した役目終わらせて、本当の居場所に帰ったんなら……こんな処で眠りつづけるよりは、いいことなんじゃないかなあ、って」
――そうだとしても、確かめるすべはないのだけれど。
樹は何も語らない。
時折ひらひらと舞い下りる淡い光をまとって、悠然とそびえている。
ルヴァイドがふと、樹の幹に触れた。
相変わらずの黒ずくめではあるけれど、さすがにこんな場所にまで、甲冑をまとってくる気はなかったのだろう。
剣は佩いているけれど、どちらかというと騎士よりは旅の剣士に見えなくもないいでたちだった。
傍に控えるイオスの場合は、肩当てを省いたいつものロングコート。
「迷子が元の世界に戻ったのなら、それが幸せなのかもしれんな」
「……でも」
ぽつり、と、イオスがつぶやく。
「……は、あの戦いが終わったら、みんなで幸せになると云ったけれど……」
途切れたそのことばの続きを察したのは、おそらく全員。
幸せになる。
。
君はそう云ったね。
たしかに戦いは終わった。
平和が戻った。
黒い影に飲み込まれかけた過去を忘れたかのように――そうして殆どの人々は知らないまま、誰もは変わらず、この世界で、よりよい明日を目指して生きている。
平和になって、もう、戦うこともなくて。
幸せになって?
……じゃあ、胸に穴がぽっかり空いたような、この寂寥感は何だろう……?
……知ってるよ
そんな、答えなんて、誰に教えてもらわなくたって
知ってる
この寂しさの正体は
――。君がいない。
たったそれだけが、理由なんだ。
かつて守護者は、世界と結んだ絆をくびきとしてしまい、離れることが出来なかった。
絆は想い。想いは祈り、そして願い。
重すぎるそれは、けして、喜ばしいものではないのだと知っている。
……それでも。
「……やっぱり……寂しいよぉ……っ」
ぽろぽろと、トリスが涙を零しだした。
透明な雫はすぐに、彼女の頬を濡らして、服や足元に染みをつくる。
……それでも。この祈りと願いに応えてほしいと、望んでいる自分たちがいる。
呼ぶ声に。応えてほしいと。
「…………っ」
――誰もが、たった一人の名を、口に出し、胸につぶやいた。
そのとき。
「ただいまー!」
……誰もが、耳を、疑った。
びしぃ、と、音さえ立てて固まった空気を感じたのか、背後から声をかけてきた張本人は戸惑ったようだった。
「……あれ?」
戸惑い、
「あのー……」
おそるおそる、
「……もしかして、誰かあのときお亡くなりに……?」
それでお参りの真っ最中だったとか?
何をぬかすかこの野郎は――――!!
「そりゃテメェだああぁぁぁぁッ!!」
真っ先に復活したバルレルが、音速で振り返り、そう叫ぶ。
青筋どころか口元がひきつりまくりだ。
だが、そんなひきつりっぷりは、その姿を目にした瞬間吹っ飛んだらしい。
彼はまたしても素晴らしい勢いで地を蹴ると、あっという間に距離を詰め――
ドカッ!
「痛――――ッ!! 何すんのよいきなり!!」
「こンの超特大バカがッ! 1年も何してやがったテメエ!!」
涙目になって頭を押さえ、ついでにその場にうずくまりながら叫んだは、バルレルの一言に目を丸くした。
「……いちねん……?」
「一年だよ一年! 365日で8670時間で520200分で31212000秒!!」
「……バルレル、暗算得意だったんだね」
「問題がちげぇッ!!」
「いや、あの、でもね」
バルレルのマシンガン怒号を受けたは、しどろもどろになって、何か云おうとしたようだ。
ぎきぃぃっ、と、音を立てつつ、ようやく振り返った仲間たちを視界に映しつつ。
――何か。云おうとは、したんだろうけれど。
あう、と。
彼女は結局、ひとつだけうめいて、天を仰いだ。
「遅くなりました。ごめんなさい」
でも3ヶ月くらいのつもりだったんですまさか時間軸狂ったなんて思わなかったんですお願い信じて。
というようなことを紡ごうとした口は、けれど、
「わぁ!?」
そんな驚きの声をあげるだけで終わってしまった。
バルレルに続いて硬直を解いた、レシィやミニスに代表されるちびっ子たちのタックルを受けたせいだ。
「さんさんさん〜〜っ!」
「……おねえちゃん……!」
「何してたのよ心配したのよのバカっ!!」
「ユエルもみんなも、いっぱい泣いたんだよ!?」
もはや何かを云う隙もない。
ひとしきり喚いたちびっ子たちは、そのあとただ、わんわん泣いてすがりつくだけ。
ひとりひとりは小さいとは云え、さすがにこう何人もこられると限界である。
――が、が倒れる前に、レオルドが背中を支えてくれた。
レオルドは声に出しては何も云わずに、ぽんぽんとの頭を撫でる。
そこに。
「――――ッ!!」
がばぁ! と。
ちびっこたち以上の勢いでタックルかましてきたのは、マグナとトリス。
あわや下敷きにされた数人が「むぎゅう」とかうめいて、もそもそと下から這い出した。
それでも名残惜しいのか、傍を離れようとはしないままだ。
「!? ほんとにだよね!?」
「夢じゃないよねほんとだよね生きてたんだよね!?」
「え、あ、うん、です生きてますほんとです」
涙声で問いかける兄妹にうんうんと頷くの横に、アメルが駆けより、膝をつく。
「……良かった……!」
「バカか君は! どうして僕らが一緒に残ったと思う!? 君に無茶をさせないためだぞ!」
なのに、思いっきり無茶してくれて――!
口調は怒っているものの、そのネスティの声は小刻みに震えていた。
「ご、ごめんなさい……」
小さくなって謝るの襟首を、リューグが掴み上げた。
ぺいっ、と、なんか手慣れた感じでマグナたちを押しのけるのはロッカ。
「おまえなぁ!! なんで俺たちがあのとき行かせたと思う!! 帰ってくると思ったからだぞ!!」
それを、生死不明なんかになりやがって!
しかも1年も経ったあと、のらりくらりと出てくるか普通!!
「ごめんなさいってばー!!」
「いいえ。今日という今日は、もう限界です」
もう二度と無茶しないって誓約書にサインするまで、許しません。
「うわああん、それだけは勘弁してーっ」
ていうか青筋立てて微笑まないでください、ロッカさん。
ある意味リューグより怖いです。
「邪魔だ」
そこでさらに、ぺしっ、と、リューグの手をイオスが払う。
その態度にむっときたらしいリューグがつっかかろうとするが、普段ならやり返すだろうロッカが、苦笑して弟を留めた。
――だって。
云いたいことはあるのだから。ありすぎるのだから。
全員。誰もが。彼女へ。何がしかの形で。
でも――
「もう、ことばも出てきやしない……!」
イオスの腕がの身体にまわされて、強く包み込む。
かろうじて呼吸は出来るものの、ちょっぴり息苦しい。
――そういえば、と。
こんなときにアレだが、まだ記憶がなかった頃、こんな強さでイオスに抱きしめられた夜を思い出した。
あのときは相当心臓がドキドキしてたのだが、今はそんなこともない。
なんだったんだろ、あれは。記憶喪失の弊害か?
また間の抜けたことを考えるの横から、アヤの手が伸びた。
「……ちゃん……」
「あ、綾姉ちゃん勇人兄ちゃん。あのね、あたしね、あっちの――」
「いや。その前に」
「なに?」
幼馴染み特権か、はイオスに抱かれたまま、目の前にやってきたハヤトに無邪気に首を傾げてみせる。
ビシッ、とそこにデコピン一発。
「痛ーっ!?」
「心配かけた罰!!」
すんげぇ久々に逢えた子がまたしても行方不明になったときの俺の気持ちを思い知れっ!
「以下、同文です」
にっこり微笑んで、アヤが云った。
そこはかとなくにじむ怒りが怖い。……本気でなさそうなのが救いだけど。
幼馴染みのおねえさんに一瞬本気で恐怖を覚えたの前に、ててっとカノンが近寄ってきた。
「お姉さん、お久しぶりです」お話はお伺いしてました、と、こちらの微笑みはなんら含むものがない「……無事で、よかったです」
「あ、ははー……お騒がせ、したみたいで……」
「そりゃあもう。バノッサさん、数日間すっごい荒れっぷり――」
「カノン!!」
脱線しかけた弟分の頭を、バノッサがどついた。
あまり関係ないが、この場で初めて以外がひっぱたかれた瞬間でもある。
「あ」
何するんですかバノッサさん! 僕はただ事実を―― とか。
煩ェ余計なこと云ってんじゃねぇ! とか。
そんな云い合いを始めた義兄弟を余所に、はやっと、視線を巡らせるだけの余裕を得た。
そうしてすぐ、ある一点で、それを止める。
「イオス、イオス」
ぺしぺしと、未だに自分を抱きこんで離さない人の背中を叩いて解放してもらう。
名残惜しそうにしながら、それでもイオスはの視線の先を認めると、素直に腕をゆるめてくれた。
よいしょと勢いつけて立ち上がり、はその人のところに歩く。
さっきからの騒動を苦笑して眺めていたその人は、が歩いてくるのを見ると、自分も足を踏み出した。
一歩。
間を挟んで、向かい合う。
そして、
「ただいま、帰りましたっ!」
ぴっ、と敬礼。そしてにっこり。全開笑顔。
「……ああ」
苦笑が、柔らかな笑みに変わる。
最後の一歩はすぐになくなる。
は、その人の腕のなかに飛び込んだ。
変わらない、大きな手のひらが、くしゃりとの頭を撫でた。
――おかえり。
――ただいま!