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第45夜 伍
lll 強くなる理由 lll




 咄嗟なんだろう、ロッカに手を引っ張られ、はベンチの後ろに転がり込んだ。
 地面と激突しそうになりつつも、なんとか立て直して身体の向きを変える。
 声の聞こえてきた方を捜し――視界に入ったのは、訓練帰りなんだろうか、ひと運動してきましたって感じのリューグとアグラバインの姿だった。
 ……さっき一応、ここ――こと、再開発区。捜したんだけど。……行き違いになったんだな、これは。
 ドキドキと、早鐘のように鳴り出した心臓に手を当てた。
 ロッカはああ云ってくれたけど、リューグのほうは、やっぱり、そのつもりなんだろうか。
 今聞こえてきたことばは、どう考えても、そうとしか思えないものだった。

「……そう、思ってたんだけどよ」

 だから、それが聞こえてきたときには、思わず、ロッカと顔を見合わせた。


「ふむ?」
 心なし楽しそうに応じるアグラバインを、少し憎たらしく思った。
 きっと何もかも承知の上で、その話を持ち出したんだと察せざるを得なかったから。
 わざわざ訓練の名目も借りて連れ出したのは、それを聞いてほしかった気持ちもたしかにあって、だから、それでいいのだけれど。
 なんというか……見透かされてる感じってのがいただけない。
 だけど、聞いてほしかった。
 兄でもなく、アメルでもなく、でもなく。

 ――敵国デグレアの獅子将軍。アグラバイン。
 自分と兄の、師匠。……自分たちの家族。


 ドスッ、と。リューグが、かついでいた斧を地面に突き立てる。
「……最初に強くなりてえって思ったのは、はぐれ悪魔に親が殺されたときだ」
 そのときはただ、両親を守れなかった自分を悔いた。
「……」
 アグラバインが、悲痛な表情になる。
 これは、聞いちゃいけない事情なんじゃないだろうか。
 そう思ったけれど、隣のロッカが、小さく頷いてくれた。
 耳元に口と手を寄せて、小声で、彼は話す。
「……僕たちの両親は、はぐれ悪魔に殺されたんです。……おじいさんが禁忌の森から脱出したときに、追ってきたのだと思われる悪魔に」
「……!?」
 声をこぼしかけて、慌てて両手で口を塞いだ。
「だいじょうぶですよ?」
 そのの様子を、どう思ったのだろう。
 不自由な体勢から手を伸ばし、ロッカは、の頭を軽くなでる。
「もう済んでしまったことです……おじいさんを恨む気持ちは、……まあないといえば嘘になりますが」
 オイオイ。
「でも、アメルも云っていたでしょう?」
 それはいつだったろう。もう――随分昔のように思える。ファナンからゼラムに戻る前、アグラバインの家に寄ったときの話。
「彼は僕たちを強く在らせようとしてくれた。それが罪滅ぼしだろうとなんだろうと、だから、僕たちは、戦うことが出来るんですから」
 ……だから、感謝の気持ちもあるんですよ。あいつもきっと、同じはずです。
 そう告げるロッカの微笑みは、穏やかで。
 だから、はこくりと頷いた。

 そうしてその間にも、リューグとアグラバインの話は続いている。


「――それから、今みたいになって。アメルを守るために、黒騎士の野郎を倒すために、何より強くなってやるって思った」
 だけど。
「それじゃあ、それを達成したら、俺が求めてる強さってのは、何処に行くんだって思っちまったんだ」
 禁忌の森で、ひたすらに。国に。騎士たる立場に。よすがを求めた、黒騎士の姿を見て。
 デグレアの真実を知って。
 そうして今となっては、仇と狙う心の裏に、かすかな哀れみも覚えだして――
 そのときになって、ようやっと。
 いつか、モーリンに問われたことばと。
 いつか、物問いたげにしていたの表情が。
 ……思い出された。

 なあ、黒騎士。
 俺たちを倒し、アメルを捕え、――そうしておまえは『どこ』へ帰るつもりなんだ?
 故郷が屍人の国になったことを知ったら、それを知らず動いてきた、おまえはどうなる?
 その先のおまえに、道はあるのか?

 ……乗り越えられるか。おまえは。たったひとつ、信じた礎を砕かれても。

 ことばにせぬ問いは、もとより、聞かせる相手もこの場にいない。
 だが、あの愚かなほどに真っ直ぐに、ひたすらに、定めた道を進む男を。その姿を。今のリューグは静かに思うことが出来るし、またその答えも、描くことが出来ていた。
 それは、以前なら出来なかっただろうこと。

「……」

 それは、些細な変化だった。
 そして、それ以上に、見えてきているものがあった。
 心に浮かんだそれを認めるのは、彼女を守ると決めた自分の誇りに、小さな傷をつけるけど。
「……アメルは強くなってる」
 そんな傷、些細なものだ。認めずにいれば壊すだろうものの、大きさに比べれば。
 アルミネとしての悲しみより、アメルとして生きてきた喜びを選ぶと云いきった、あのときに。もうきっと、思い知ってた。
「戦う力はともかく、あいつはもう、俺たちの後ろで黙って守られてたりはしない気がする」


 ……まさにそのとーりですともリューグさん。
 さっきあたしに迫ってきたときのアメルの笑顔、あなたにも見せてあげたかったです。
 大きくうんうんと頷くを、ロッカが不思議そうに眺めた。


 だけども、と、リューグは思う。
 その傷は同時に、ずっと持っていた意固地や、拘りを砕くものでもあるのだと。
 だから、それは受け入れるべきもの。
 伴なった痛みなど、これからの糧にすればいい。

 してみせるさ。
 ……なによりも、――

「ジジイ」
 ゆっくりと。
 自分よりも遥かに大きなその人を、リューグは見上げる。
「俺は、強くなる」
 アメルのためでもある、黒騎士を倒すためでもある、

 殊更に、ゆっくりと、
「……何のために?」
 口の端を持ち上げ、アグラバインが問うた。

 だけど何より、
「あいつに向かい合った俺自身が、恥じないためにだ」

 ……なによりも、俺は、俺自身のために強くなる。

 誰に向かい合っても恥じないくらい。
 いつか振り返って、これまでの迷いも逡巡も笑い飛ばせるくらい。
 怖れても怯えても、最後には歩き出してきた、あいつと。いつか。そう出来るくらいに。

 ずっと見てきた。この出来事が始まったときから、ずっと近くにいた。
 黒騎士や槍使いには敵わなくとも、――その傍を歩いていた。
 不思議だ。
 泣くし怒るしふてくされるし、命の奪い合いを目前にして、怯えていたような奴なのに。

 だけど。手酷く傷つくと判っていて、それでも進む、その姿を。――羨望する。
 目の前の痛みを越えた先にあるものを、なにより強く望む願いを。きっと知っているんだろう。意識しているのか、していないのか、それは判らないけれど。
 でも見える。
 そうして進むその先に、何かを見据えてるってことくらいは――判る。
 目の前の復讐に心奪われていた自分には、それがひどく、頼りげのないものをあてにしているようで、じれったくさえも思ったけれど。

 ……明日を。彼女はいつも望んでる。
 ――明日を。望もう。

 なにもかも越えた先にある、笑いあえる日々を。望もう。

 あの子が、自分たちが、――そうなれる日を。

 黒騎士を殺せば、それは叶わない未来になると、今では知っている。
「殺さずに償わせる道は、あるしな」
 まあ、半殺しくらいにいはするかもしれねーけど。それくらいあいつだって許してくれるだろ。
 自分のセリフがだんだん気恥ずかしくなってきて、ちょっとあさっての方向に目をそらしつつ、リューグは云って。

 ぎょっ、と、その場に凍りついた。


 何故かというと。
 リューグが視線をそらした先は、人がくつろげるようにあつらえられたベンチで。
 さっきまで、とロッカが座って話していた場所で。
 その背もたれから覗いているギャラリーに、ようやく気づいたせいである。
「……ほう」
 今しがた気づきました、とばかりに、アグラバインもたちを見、小さく笑った。
 っていうか絶対気づいてただろ獅子将軍。
 とロッカは一度顔を見合わせて、それから、立ち上がった。
 リューグは固まっている。
 固まっている。
 固ま……

「なんでバカ兄貴がとここにいるんだッ!!!!!」

 自分の鼓膜を犠牲にして、すかさずの耳をふさいだロッカの早業と自己犠牲心に乾杯。
 そのロッカの手を引っぺがしたリューグ、ちょうど双子の間に立つようになっていたをアグラバインの方に押しやり、むんず、と兄の胸倉をつかんで締め上げる。
「こんなトコロで何してんだバカ兄貴」
 声音にも背後にも、ふつふつと燃え滾る炎が見える。いつかの白い陽炎なんざ、目じゃないってくらいの滾りっぷりだ。
「何って、散歩してたんだが」
 おまえと訓練しようと思ったら、どこかに行ってたじゃないか。
 しれっと答えるロッカ。
 あーもう、なんか見慣れてしまいましたよこの光景。
 ところが、常なら即座に食ってかかるリューグの動きがない。
 非常に複雑な顔になって、ちらりとを見て、アグラバインを見て、それから目の前にいる兄を見て。

「……どこから聞いてた」

 にっこりと、ロッカは微笑んだ。
「……リューグ」
 気の早い弟をなだめるような、兄としての、
「先にここにいたのは僕たちなんだ、これが」
 ――真っ黒い笑顔。

 ――そして弟は真っ赤になった。

「忘れろッ! 今すぐッ!!!」
「ははは、いいじゃないか立派な決意だと思うぞ」
「だからテメエにだけは聞かれたくなかったんだよ!!」

 人の少ない一角だったのが幸いした。
 すでに夕方近いせいもあるけれど、周辺一帯には、たち以外に人の姿はなかったからである。
 斧を振り回し、槍で受け流し、大喧嘩を始めた双子を見て、はため息まじりにベンチに腰を下ろした。
 それから、傍に立つ、同じように兄弟喧嘩を眺めているアグラバインへと視線を移し、

「……いいお孫さんたちですねー」
「そうじゃろそうじゃろ」

 喧々轟々、さわがしいやりとりそっちのけで、ほのぼのと、微笑みあったのだった。


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