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第41夜
lll さあ、血を流して歩きはじめよう lll




「――――――――」

 それを視認した瞬間、頭のなかが真っ白になった。
 足元が大きく揺れて、立っているのが不思議なほど。
 いやもう、さっきの悪魔さんの謎セリフどころの騒ぎじゃないですよ。と、やけに冷静な自分がどこかで嘆いてる。
 だってさっきのは、あくまで推測しか立てれない域のモノだったから、じゃあこんなもんか、と、打ち切って良かった。
 だけど。

 今目の前に広がる空間。それは間違いなく。

 本物。現実。

 その質感、その威圧感、うっすらと感じる嫌悪感さえ。そう、あのときのままだからこそ。
 触れるまでもなく、ましてや確かめるまでもなく――

 渦巻く疑問。渦巻く感情。
 どうして? なんで? どうなってるの?

 あのときたしかに見たはずなのに。
 破砕する意志と力を持った召喚術の発動を、その威力を。
 そうしてその結果もたらされた、あの空間を、たしかにこの目で見たはずなのに。

 なにが。

 もう、何を考えればいいのか、判らない。

「……どうして……」

 凍りついて、それでも零れた一言は、静まり返ったその場にやけに大きく響いた。


 初めて目にする、その威容。異様。
 草が生え、ツタがからみつき、その所々から覗く地肌に、年月を思わせる傷が刻まれている。
 どういう材質を使っているのか、傷以外には、さして劣化した様子でもないのが不思議でもあり、けれどそれ故に、納得させられた。

 ――これが、召喚兵器。

 十数年、祖国の求めてきた存在を目の前にし、云いようのない戦慄がルヴァイドの背を走りぬけた。
 だけど。

「……どうして……」

 呆然としたの声に、その意識はすぐに引き戻される。



「――な――」
「しっ!」
 やはり呆然と、それでも何かをつぶやこうとしたマグナの口を、べしっとリューグがふさいだ。
 相当力が入っただろう、口を覆われたマグナがちょっと涙目になるけれど、おかげでもともとの意識も戻ってきたよう。
 外してくれとジェスチャーで訴えるが、リューグは応じない。
「こないだの二の舞になるわけにはいかねーんだよ。……これが本物だろうが偽者だろうが、用心はしといたほうがいい」
 それは、トリスとマグナの声に反応して、遺跡に吸い込まれたあのときを警戒しているのだとすぐに判った。
「……だけど」、
 はっとして、自身の両手で口をふさいだトリスに代わり、レシィが云った。
「ボクたち、壊してきたんですよ……?」
 それが云いたかったのだと、トリスとマグナが首を上下に振る。
「あのとき、たしかに――壊れたあとの風景だって、ちゃんと、確認したんですから……!」
「でも――」
 外壁に触れ、蔦に触れ、そうしてルウが身を翻す。
 すたすたと移動したかと思うと、地面の一箇所を掘り返し、彼女は一行を振り返る。
 指先は、地面から露出した一枚の石板を示していた。
「『禁断の智を封印する』……書いてあることばも同じだわ。場所も同じ」
「……なんで……」
 誰かがこぼすつぶやきは、意味のないものだった。
 この、真正面にある現実の前では。

 物的証拠も。
 感じる気配も。
 何もかもが示していた。

 遺跡は失われていないと。召喚兵器はまだ此処に在ると。

 ――これが現実なのだと。

 そうして、急速に頭が冷えていく。
 ルウの見せてくれた、その石版が、引き金になったのかもしれない。
「……理由、考えるのは」、
 原因を探すのは、
 謎に悩むのは、
「――今じゃなくてもいい……よね」
さん……?」
 泣き出しそうなレシィの頭を、は、ぽん、と軽く撫でる。

 ……確かに壊した。確かに破壊した。
 その光景を、あたしたちはたしかにこの目で見てきたんだ。

 けれど、それはすべて無に帰している。
 何者がどんな幻や妖術を使ったのか知れないが、それでも、これは、夢でも幻でもない。

 なら受け容れろ。これが今の現実だ。

 ――そうなさい。貴女が何をさせられたのかなんて、思い出さなくていいんです。
 ――常に前を。先を。……うたは貴女の道を紡ぐ。
 囁く銀糸の操り手のことばは、遠く離れた地から届くコトはないけれど。

 さて。
 人というものは、あまりにも意外な出来事に出くわすと、逆に冷静になるものらしい。
 何の幻かと思い、夢ではなかろうかと疑い、それでも。
 それでも、それが確固としてそこに在る以上、それが現実なのだと――受け入れざるを得ないのなら。
 こんなはずはないと否定に走るのは、感情の動きに沿っている。
 けれど、今は、そんなもの無駄でしかないのだ。

 は、おもむろに身体の向きを変えた。
 その眼に、黒の旅団総司令官と、特務隊長の姿が映る。

 ――そう。
 目の前のあれを手中におさめるべく動いている、彼らが、たった今、そこにいるのだから。

 それでも、ただひとつだけ。
 云わせてほしい、そして聞いてほしい。
「……だけど、あたしたち、嘘は云ってない」
 そう思われるコトは、痛いし、辛い。
 言い訳だと思われても、ひとつ、主張をしたかった。この身の潔白を、彼らの誠実を。
 だが。
「真偽は、俺たちでは判らん」
 動揺したの耳にもちゃんと届くようにだろうか、気持ちゆっくりと、ルヴァイドが応える。
「――おまえたちが惑わされていたのだとしても、それがおまえたちにとって、この場にこなければ破れない事実だったのなら……嘘ではないのだからな」
「……ルヴァイド様……」
 彼女だからと庇おうとしているのではなく、彼はきっと、本当にそう思ってくれているのだ。その心が本当に嬉しく、は、自然に表情をほころばせていた。
 ただ、それはすぐに消えてしまう。
 ようやくマグナの口から手を放したリューグが、斧を握る手に力を込めたのが判った。

 ――そう。これが現実。

 目の前には召喚兵器。
 目の前にはそれを欲する者。
 自分たちはそれを阻む者。

 考えるコトなどあとでいくらでも出来る。
 この現実を、この状況を。さあ、どうやって切り抜ける?
 今しなければならないコトも、出来る最善のコトも、きっと、これだけ。

 ――遺跡の醸しだす雰囲気ゆえにではなく、張り詰めた緊張感の故に、周囲の空気の温度が下がりだした。

「今は何もせん」

 けれど、それを破ったのは他でもない、ルヴァイドだった。

 イオスが、信じられないといった顔で上官を振り返り、すぐに表情を改める。
 彼の考えていることを、察したのだろう。
「……どうして?」
 代わりに、彼が問おうとしたことをつぶやいたのは、ルウ。
 召喚の構えはしていないものの、まだ、彼女の周りの空気は張り詰めている。
 そのアフラーン一族最後の少女に目を向けて、ルヴァイドは静かに首を振った。

「今回はただ、召喚兵器が本当に消滅したかどうかを、確かめにきただけだ」

 つむいだことばのそのとおり、リューグやマグナと対照的に、ルヴァイドは剣に手をかけようともしない。
 ただ、その振る舞いに隙は見当たらないけれど。
 視線が巡る。
 イオスからはじまって、トリス、レシィ、マグナ、ルウ、リューグ――そして
「そして、召喚兵器はたしかに存在した」
「……君が嘘をついたとは思わない。けれど、事実は今目の前にある……」
「うん……」
 続けられたイオスのことばに、は首肯する。
 そうだね。
 目に見えるものくらい、信じろと、この間、あたしだって云ったんだから。

 この目は、遺跡が消え失せた光景を見た。
 遺跡がここに在るのも今、この目に映っている。

 ただ。そこに、どんなからくりがあったのか。それが見えない。
 教えてほしいよ。知りたいよ。
 いったい何がどうなって、あたしたちの見たその光景は、ねじまげられたっていうんだろう?

 糸は見えない。
 欠片さえも、銀糸はこの手に情報をこぼしてはくれない。

 ならば目の前の事象が、今の、本当だ。
 それを基として、行動を為すというのなら。

 もはや、それは決まっていた。

 ルヴァイドの右手が、剣の柄に伸びる。
 すわ、身構えたリューグを、さっきとは逆にマグナが制した。
 木々の間からかろうじて零れる日光を反射させながら、大剣がその刀身を露にする。


 確たる証拠は今目の前に。
 意志を決めろ、傷を隠せ。
 脆弱にも過去のよすがにすがろうとするのなら、心さえももはや要らない。
「次を、終わりにする」
 突きつけた大剣の切っ先は、真っ直ぐにに向けて。

 ――終わりにしよう。この惑いも、この心も。流れ出す血を代償に。

 デグレアの騎士として、国の宿願を手にするために。
 国家への忠誠を示すために。
 阻む者はすべて、この剣の錆にしてみせよう。

 ――それがたとえ、誰よりも幸せにと願った、あの子であるのだとしても。


 付き合う必要はないのだぞ、と、自分よりも広い背中が語っていた。
 おまえの気持ちを知らんと思ったか、と、まだあの子が共にいた頃。原因など忘れたけれど、穏やかに、からかわれたことを思い出した。
「……
 槍を向けることはしない。
 まだ、ルヴァイドのように決めることは、今は出来ない。
 けれど。
「次には、……敵同士だ」
 そのときまでには、この心を定める。痛みなど殺す。
 敵として。排すべき障害として。
 どうにか声に力を入れ、そう告げたとき、こちらに背中を向けたままのルヴァイドが、ちらりと視線を向けたことに気がついた。
 本当にそれでいいのかと、問われているような気がして――それは後で、間違いではなかったと知ることになる。

 けれど、ルヴァイド様。
 僕が誓った忠誠はデグレアへのものであり、そして、それ以上に貴方へのものだ。
 そうして、国家の宿願を阻む者があるのなら。それを、貴方が排すべしとするのなら――

 信じていたかった、本当は心のどこかで。
 戦わずにいられるのだと、どこかでまた、共に歩くことが出来るのだと。
 けれど、もう。


 ――最後の選択を、彼らは選び取った。


 ルヴァイドは大剣を突きつけたまま、動かない。
 攻撃の意志はないけれど、それよりも遥かに強い強固な意志が生まれたことを、その目が告げていた。
 つと動かされた視線が、をとらえる。


 真っ直ぐに。
 それは、決意を持った眼差し。

 もう一度、ルヴァイドは繰り返す。

「次で終わりだ」

 この剣と、黒騎士の名に賭けて。

 一度刃を向けてしまえば、それをひるがえすことはないはずだ。
 あのとき。
 戦いが始まる前に、激昂したとは云え、に向けて剣を振った、それは事実。
 後戻りも、
 道を変えることも、
 出来ない自分を、許せとは云わない。
 許しなど、もはや不要。
 そも許されぬ場所に、もう自分は足を踏み入れた。……あの炎の夜に。

 心の痛みを、裂傷を、認めてしまえば、すべてが崩れ落ちそうな予感に覆われながら。

 ……選んだ道を貫くことしか、出来ない。それは、強さか弱さかさえ、もはや判らないけれど。

「おまえたちを倒す」

 そして。

「俺は、デグレアに勝利をもたらしてみせる!」


 妥協を許さない、鋭いことばだった。
 ――強い、決別の思惟だった。

 そうして、それが、真実道を分かつことばだった。



 痛む。心はひどく痛む。
 血を流す。流しつづける。

  痛いのなら

 だけど。
 あたしは、この人に応えなくちゃいけない。

 いつかの夜、まだ迷いを持って告げたそれを、今度こそ迷いなしに、この人たちへ告げないといけない。

 絶望などする気はなくても、それに似た感覚が、の足元をぐらつかせる。
 戦うことになる。
 命を奪い合うことになる。
 今度こそ。次には。
 未来は、そこまでしか判らない。もともと誰にも判らない。

 ただ判るのは、もう、辿り着く場所はそこであるということ。
 通過点に過ぎぬはずのそこが、ひとつの決着になるということ。

 その先は、見えない。

「…………?」

 マグナとトリスより、一歩前に出た。
 これで、一番、目の前の彼らに近い場所に立ったことになる。
 突きつけられた切っ先も、よりはっきりと判る。

 だから、判るのはそれだけ。選んだのはその道。
 そこにどんな結果が出るのだとしても。

 今このとき、この場所において、逡巡など許されなかった。

 半分ほど瞼を伏せて、視界が闇に閉ざされる前に開く。
 変わらず、剣を構えるルヴァイドの姿と、傍らに佇むイオスの姿があった。
「貴方たちがデグレアの騎士として、国家のためにその命を果たす以上」、
 ふたりへ向かい合い、唇を持ち上げた。
「そして、あたしの気持ちがそれを良しとしない以上」
 自分でも驚くほどすらすらと、の口はことばを生み出していった。
 感情も理性さえもねじ伏せて、自分の中の何かがそれを成していた。

「次を、最後にしましょう」
 そうして告げる。応じることばを。彼らの決意に相応しい決意を。
「それがどんな決着でも」

 ただ、決着を。
「終わりにします」
 その形など見えないけれど。


 ――呼吸さえ許されぬような、張り詰めた空気のなか。
 デグレアの騎士たちを眼前にしたままの誰かが、ごくりと固唾を飲みこんだ。

 先に何があるのか、成したときに何が待ち受けるのか。
 誰も知らないまま、この瞬間、道は選ばれたのだ。


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