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-とおりすがりの君たちへ-




 フ、と。
 爆発もなく、光が迸ることもなく。
 溢れかえっていた魔力や焔、彼らを飲み込んでいた光は、潮が引くように消えていた。
 またたき一度ほどの時間もあっただろうか。
 だけどそれに気づくまで、どれほどの時間、呆然としていたのだろう。
 夜の帳の下りた森は、静寂に包まれて。
 倒れているたくさんの召喚師や兵士、息絶えたオルドレイクの姿をのろのろと彼らは眺めた。
 それから、少し離れた場所にいるカノンを痛ましげに見つめて。
 最後に、崩れ落ちた肉塊――魔王であったもの、バノッサという青年であった存在を見つめた。
「あ――?」
 輝きがひとつ。
 落ちてきた。
 ひらひら、雪のように。
 もうひとつ。
 落ちてきた。
 ひらひら、舞いながら。
 ひとつはバノッサであったものへ。
 ひとつは倒れているカノンへ。
 ひらひら、ひらひら、舞い下りて。すぅ、と、音もなく吸い込まれた。
「…………」
 期待と不安が彼らに生まれる。
 同時に、
「ん……」
 小さなうめき声が、まず、カノンから聞こえた。
「カノン!!」
 エドスが身体を起こし、彼のもとへ走る。何人かがそのあとに続いた。
 さらに何人かが身を起こしたとき、

 ――ごぞりっ、

 なんとも形容しがたい音をたてて、崩れ果てた肉塊が、内側から持ち上げられる。
「……!!」
 硬直して見守る一同の前で、肉塊の山がみるみるうちに崩れた。
 そうして、
「くっ……」
 乱暴に肉の塊を押しのけて、頭を振りつつ立ち上がったのは――
「バノッサ!!」
「……あ?」
「うわぞんびー!!」
「アイツみてぇなこと云ってんじゃねえッ!!」
 ようやくペースを取り戻したカシスのことばに、バノッサが全力で怒鳴りつける。
 怒鳴りつけて、
「……誰だ、アイツって」
「オレらが知るかッ!」
 今度は、ガゼルががなった。少し鼻にかかった声で。
「バノッサさんっ!!」
 そこにカノンがタックルをかける。
 起き抜けで力の入らないバノッサは、義弟の突進を受け止めきれず、二人揃って肉塊につっこんだ。
「手前ェ、何しやがるいきなりッ!!」
「バノッサさん! どうして生きてるんです!?」
「そりゃオレ様のセリフだッ!!」
 ぎゃんぎゃんがなる義兄弟のやりとりに、そこかしこから、乾いた笑いがこぼれた。
 ひとしきり、ふたりはそうして睨み合い。
 カノンが、ふと息をつく。
「声が……聞こえました」
「オレ様もだ」
「“帰れ”って。“まだ安息の地へ赴くときではない”って」
「ああ」
「…………」
 二人揃って、ため息ひとつ。
 そこに、「要するに――」と、ギブソンが口を開く。
「追い返されたのかな、君たちは。つまり、エルゴに」
「勝手ぬかすな手前ェっ!」
 ブン! と、カノンを放り投げたバノッサが、二刀振りかざしギブソンに迫る。
 が、距離が半分も縮まらないうちに、突進第二弾。
「バノッサ――――!」
「ぐああぁッ!?」
「……ありゃ死ヌわ」
「そうですねえ」
 アカネとシオンのつぶやきどおり、エドスの突貫を受け、バノッサは後ずさるというよりむしろ弾き飛ばされている。
「ええぇい、どきやがれッ!!」
 だが、そこはさすが、なり損ないとはいえ魔王になった男。
 ド根性でエドスも放り投げ、ギロリと一行を振り返る。
「アイツはどうしたッ!!」
「……アイツ?」
「三つ目と赤髪だよ! どこ行ったんだアイツらは!!」
「……ええと、行っちゃいました」
 空を指差し、アヤが答える。
 実際飛んで消えたわけではないが、そこを示すのがいちばん適当に思えた。
 彼女の仕草に、バノッサは毒気を抜かれた顔で、口をぽかんと開けた。
「……行った?」
 どこにだ。
「さあ」
 首を横に振るのはハヤト。プラス、他一同。
 ジンガが首をかしげて、
「たぶん、帰っちまったんだよ」
「だからどこにだ!?」
「どこかだろうね」
 たぶん、ここじゃない、どこかに。
 とりようによってはどうとでもとれるトウヤのことばは、明確な答えとはなりえない。
 要するに、誰も、バノッサの問いに答えを返すことは出来ないのだ。
 それを察し、バノッサは、ギリ、と歯を噛みしめた。
「……っンの野郎……!」
「何か、彼らとあったのか?」
 負った傷を治そうともしていない、キールの問いかけ。
 さもありなん、さきほどの戦いで、魔力はすべて絞り尽くした。もう、自分たちの傷を癒す余力もないのだ。
「何もねぇよ!」
「だったらなんで、そんな怒ってるんだよ」
「奪っていきやがったんだよ! あの三つ目ッ!!」
「……何を?」
 ダン! と地面を踏み鳴らし、バノッサは怒鳴る。
「憎しみも、恨みも、何もかもッ! 代償だとか云ってブン奪って行きやがったッ!!」
 それだけでも腹が立つってのに、妙なモンまで押し付けていきやがって!!
「妙なもの?」
「知るかッ!」
「ふたりとも、何も云ってなかったのか?」
「あァ? ――“代替わり先を捜すように頼まれてた”とか“ちょうどいいからこれを定着材料”とか意味判らねぇことしか云ってねぇよ、ヤツらは!!」
「……代替わり?」
「だからオレ様が知るかつってんだッ!!」
 その憤りようは、ほんとうにおまえ奪われたのかとツッコミ入れたくなるけれど。
 それでも、なんとなく彼らにも判った。
 前のような棘がない。
 前のようなよどみがない。
 ……それは本当に、ただ、“おこって”いるのだ。
 それはもしかしたら、オルドレイクに復讐したせいか。
 それとも、魔王を降臨させるときに、糧としたせいか。
 まさかやっぱりほんとのほんとに、まーちゃんが食べていっちゃったのか。
 判らない。
 判らないけど――
「んじゃあ、その怒りはとっとけよ、バノッサ」
 ハヤトが立ち上がって、ぽん、と彼の背を叩いた。
「あァ!?」
 剣呑な表情で振り返るバノッサへ、にんまり笑いかけ、
「いつかまた逢うから、そんときまでとっときな」
「なんでそんなことが判るんだよッ!」
が、そう云ってたんですよ」
 くす、と、クラレットが微笑む。――血の片方の繋がる兄へ向けて。
 そんな喧騒を離れた場所で眺めながら、ローカスがひとりごちた。
「……なるほどな」
「どうしたい?」
 スタウトの問いかけに、彼は、くだんの少女から“紅白餅”と称された肩を軽くすくめ、
「いや。あいつらもこいつらも、英雄なんてことばがちっとも似合わんな、と思っただけさ」
「だからこそ、英雄なのかもしれんでござるがな」
「逆説の理論ですか」
 カザミネのことばに、ペルゴも薄く笑みを浮かべる。
「最後の最後までやられたな」
「はい、本当に」
 けれど、肝心な部分ではいつも、高見の見物しているような者たちでしたが。
 苦笑するレイドの傍ら、イリアスが同じような表情をつくっていた。
「……不思議な方たちでしたね」
 彼を支えるサイサリスが、無表情ながらに淡い笑みを形作る。
「なんだか、本当の本当ーに“とおりすがり”さんな方たちでしたように思いますの……」
「きゅ」
 モナティとガウムが、空を見上げてつぶやいた。
 その横で、エルカがぶつぶつと地面を蹴り上げる。
「何よ、もう。結局あいつらなんだったわけ?」
「んー」、
「そうだな」
 それを聞いたハヤトとトウヤが、仰向けに地面に寝転んだまま口を開く。
 勢いのままにふたりを殴り倒したバノッサが、ケッ、と明後日の方を見た。
「単なるとおりすがりなんだろうよッ!」
「そのわりには、本当にいろいろやってくれちゃってるけどねぇ」
「……ですね」
 語気荒く告げるバノッサに聞こえぬよう、カシスとクラレットはこっそり囁きあった。
 すぐ傍で、兄弟がこっくり頷いている。
 4人の視線の先には、ついさっき、半分の血で繋がっていると判明した“兄”がいる。
「どう見ても、アレはそうだな」
「たしかに。……でも、当の本人はどうしたのかな」
「さあ? ――縁があれば、彼ともいつかまた逢えるさ」
 そのときに訊けばいい。
 そして、そのときこそ、ちゃんと目を見て話し合おう。
 そして、今度こそ、自分たちの行為を裁いてもらおう。自分たちの心は自分たちが裁く義務を持つけれど、彼には、自分たちにそうする権利がある。
 たぶん、そんな日はこないだろうことを、心のどこかで予感していても。
「……そうだな」
「どうしたんですか?」
「なんか二人で笑っちゃって」
「うん?」
 不思議そうな、アヤとナツミのことばに。
 ソルたちは、顔を見合わせて笑う。
 その笑いが少女ふたりに広がって、少年たちに広がって、仲間たちに伝播して――
 最後には、仏頂面の青年ひとりを残して、全員が笑みこぼしていた。
 それからやっと、ソルたちはアヤたちの疑問に答える。

「なんだか本当に、とおりすがりのヤツらにさんざ、ひっかきまわしていかれたよな……ってさ」

 そう、思っただけ。

 それでも、そうして辿り着いたこの場所に悔いはない。
 歩いた道の痛みも、今は受け止められる気がする。
 ……だってさ。
 ひっかきまわしてひっかきまわして、最後まで好き勝手やってくれた君らだけど。
 同じくらいこっちだって、自分たちの思うとおりに走ってきたから。

 だから、まあ。 ……おあいこ?


 ――ふと。
 バノッサが空を見上げた。
「戻ってこい……」
 握りしめた手のひらは、何を表しているんだろう。
 つぶやく彼の胸中には今、奪われた憎しみと恨みの変わりに、何があるんだろう。
 周囲の視線に気づくことなく、バノッサはただ、ことばをつむぐ。
 もう届かない場所へ行った、とおりすがりのふたりへ向けて。
「戻ってこいよ……バカ野郎どもがッ」
 けして届かないことばを――だけど、誰も何も云わずにただ見守る。
「オレ様はまだ、手前ェらに何も云ってねぇんだぞ……ッ!!」
 それは。
 ただひとつ、誰の心にもあるやるせなさの代弁だから。

 そうして、その場の全員が空を仰ぐ。
 いつの間にか降り注いでいた、純白の光――あの少女の焔と同じ色のそれは、まるで雪のように夜空を彩っていた。

「……まあ……何はともあれ」、

 今はただ、こうして空を見上げていようか。ほんのひととき――ね。


  ……とおりすがりのおふたりさん

     おつかれさまでした ・・・・・・・   また ね




 ところで、君たち?
 後ろでエルゴが結界早く張ってくんないかな、って、寂しげに待機してるんだけど。

 ……だれか、気づいてあげようよ。


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