真夜中から始まった儀式はすでに、半日以上続いていた。
空さえ見えない勢いで繁った森の奥深く、唯一開けたその場所で。
そこを遥か上空から臨むならば、抱く異様な雰囲気に、誰もが息を飲むだろう。
それを示すように、大空の支配者である鳥たちは、日が昇ったあともその森に近寄ろうとさえしない。
描かれた魔法陣。
周囲に焚かれているのは、なんともいえぬにおいの香。
さらに外縁に位置した無数の召喚師たちの唱える呪文。
そうして、中央。
かがり火に照らされ、香と呪文の集中する魔法陣のド真ん中に、たちはいる。
「……」
うんざりした顔であぐらをかいているのは、バルレル。
歓喜を隠せず、けれどこの儀式の空気に圧されてだろう、やバルレルにタンカも切らず沈黙を保っているのはバノッサ。
彼の義弟であるカノンは、魔法陣の外から、不安げに彼らを伺っていた。
結局、彼がどうするのか聞かないまま、たちはこの場に臨んでいる。
けれど、まあ、バルレルの云ったとおりだ。
自分たちが動く。
あの明日を得るために動く。
何がどうすっ転ぼうと、その結末だけは迎えさせる。
……だから。
少し気にはなるけど、それだけだ。
ふっきれてくれたのならそれでよし、まだ迷っているなら、それでもかまわない。
儀式は続く。
延々と、繰り返される呪の渦に、気を抜けば精神が引っ張られそうだ。
バルレルが傍にいてくれるから、なんとか耐えてはいるものの。
もしこれが独りぼっちだったりなんかしたら、とっくにどうにかなってそう。
何十人もの人間が、ただひとつの目的のために砕身している様は壮麗で、壮絶。
目的が何であれ、この団結っぷりだけは、ま、すごいの一言に尽きる。
――儀式は続く。
ぴくり。
どれくらいの時間が立ったか、もう確実に朝であろうといったころ。
微動だにせず仏頂面をキープしていたバルレルの肩が、小さく動いた。
儀式に集中しているオルドレイクは気づかない。
儀式に呑まれているバノッサは気づかない。
ただ、気配だけはそこにあるパラ・ダリオが、ふたりを縛りつづけていた鎖を一本、宙に溶かして消した。
一本。もう一本。また一本。
――儀式はつづく。
……トン。
バルレルが足を組み替えた。
「来た」
すぐ傍に佇むに、ぎりぎり聞こえる声。
来た。
誰が?
訪れた。
誓約者が?
やってきた。
あの人たちが――
「オルドレイク様」
森の外周で警備兵の真似事をしていた派閥兵が姿を現し、オルドレイクに二言、三言。
「……来たか」
呪を中断し、オルドレイクが嗤う。
周囲の召喚師たちには儀式を続けるように云い、魔法陣の中央……たちに視線を向けた。
「バノッサ」
呼ばわるは、魅魔の宝玉を携えた魔王候補。
「我らが大望を邪魔する者たちを倒し、その力を示してみせよ」
「ここを離れちまっていいのかよ?」
怪訝な彼の声に、ク、と、オルドレイクは喉を鳴らした。
「おまえたちの存在は、すでに魔王へと伝わっておろう。……もはや、いずこにいようと問題はない」
真に器に相応しき者かどうか、その身を持って魔王へ示すがいい。
「……そうかよ」
バノッサが口の端を持ち上げた。
携えた二刀をたしかめ、端の方で儀式を見守っていたカノンを振り返る。
「カノン!」
「――――」
はっ、と。
同じように儀式の光景に呑み込まれていたカノンが、顔をあげた。
赤橙色の双眸が炎を反射して、紅玉以上の輝きを見せている。
ただそこに潜む感情は、けして歓喜の類ではない。
「はい」
それでも、カノンは義兄の声に応え、足を踏み出す。
魔法陣の外周をまわり、そのもとへ。
ふと視線を向けられたのが判ったが、もバルレルも、気づかない振りをした。
――鎖が、また一本、束縛の力を失う。
「行くぜ」
「……はい」
儀式に参加していない兵士を数名、控えていた悪魔を数体、適当に選び出し、バノッサは儀式場に背を向けた。
オルドレイクは満足げに、その後ろ姿を眺めている。
バノッサを送り出すように、儀式はさらに高まりを見せる。
とうの昔に最高潮を迎えたはずなのに、それは留まるところを知らず。
高く、高く。なお高く。
それは無色の派閥の、ひいてはオルドレイクの望みの強大を示すかのように。
――だが。
「ぐわあぁッ!?」
「ひいぃ!?」
唐突に。
……本当に、唐突に。
一心不乱に呪を唱えていた召喚師たちが、次々に絶叫をあげていた。
歩き出していたバノッサとカノン、それにオルドレイクが同時に振り返る。
「何事だッ!?」
「ひっ、ひ……ひいいぃぃぃっ!!」
恫喝にも似たオルドレイクのことばに、だが、明確なことばとしての返事はない。
そうしてそれは、背後からも。
「ぐああぁっ!!」
「な、何故――!!」
刃が肉を貫く音。
魔力が人を喰らう光。
「なっ……!?」
バノッサの連れて行こうとしていた悪魔たちが、無色の派閥兵を攻撃していた。
魔力を介することさえ出来ない者に、まるで用などないと云うように。
「貴様ら、誓約に背くか……ッ!」
悪魔のひとりが、オルドレイクに向き直る。
手にした槍は、未だ兵士を貫いたそのままで。
「貴様ラニヨル誓約ノクビキハ、王ノ御手ニテ解カレタ」
故に。
悪魔は告げる。心なし、いや、闇のなかでもはっきりと判る誇りを浮かべて。
「――我ラガ従ウハタダ一人、我ラガ真ナル主ノミ!」
「主……だと!? そんなものがどこに――!」
けれども。
彼の目にした光景が、何よりも雄弁に、その答えを告げていた。
魔力。
魅魔の宝玉を支点とし、築いた魔法陣へと流れ込んでいた、周囲の召喚師たちの魔力。
それは常に、一定の量でなければならない。
量の乱れは心の乱れ、すなわち儀式の乱れである。
この儀式の直前にも、オルドレイクは彼らに再三それを伝えていた。
だが今、それらの魔力は制御を失い、ただ一点に向かって流れ込む――いや、奪われていく。
そう。
奪われているのだ。
この儀式のために集められたすべての魔力、すべての力。
そう。奪っているのだ。
誰が?
そんなこと、問うまでも――ない。