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・向日葵の花・



No.008“見知らぬ君と”を読了済みであると尚良し※




 通学路の途中には、小さな花屋がある。
 切花がメインだが、頼めば鉢植えも揃えてくれるとか。
 あまり繁盛しているとも云えない店だが、店主の人柄は良いし、そろえている花もまずまずの活きのよさ。
 暮らしに困らない程度には、商売も成り立っているのだろう。
 とはいえ、南野さんちの秀一くんは、花屋さんにさしたる興味も用事もない。
 花如き、と思っているわけでは断じてないのだが、まあ、いわゆるひとつの一身上の別事情、というやつだ。
 故に、今日も今日とて例によって、彼は花屋の前をスタスタと素通りするのであった。

「……」

 そして、数歩行き過ぎたところで、足を止めたのであった。
 数秒後、方向転換し、花屋の前に戻ったのであった。

さん」

 ――銀髪狐の飲み仲間が、店の前に陳列されてる花を、まじまじと、しゃがみこんで見つめていた。



 銀髪狐とは、魔界においても悪名高い盗賊、妖狐蔵馬のことである。
 その飲み仲間というのだから、こちらもさぞ凶悪な妖怪――なのかと思われそうだがあにはからんや。
「あ、南野君」
 呼びかけに気づいて立ち上がり、にっこり微笑むその少女は、いたって普通の女子高生である。名は。南野秀一のクラスメイトであり、かつ、先述したように妖狐蔵馬の飲み仲間。
 しばらく前の夜、南野宅の縁側で酒を愉しんでいた蔵馬の前を通りすがったのが、“修行中”であるところの彼女だった。
 その後、数度相席した酒のついでの話によれば、彼女は無宗派の修験僧といったような感じで、ただ己の身を何処まで昇華出来るかという極致をこそ目標とする家系に生まれたのだとか。
 つまるところかいつまめば、ただ純粋に自身の高みを目指す“だけ”の修行者集団、その頭領の子供達の末っ子なんだそうだ。
 そしてその頭領娘ことは、近づく蔵馬の足が止まるのを待って、さらに笑みを深くした。
「南野君も、今帰り?」
「ああ。さんも?」
「うん、そう。思ったより早かったから、お母さんには先に帰ってもらったの」
「そうなんだ? ……実は俺もだよ」
 それから、話は他愛のないことへ。
 本日、授業を午前で切り上げ行なわれた三者面談。その場で担任にああ云われたこう云われた、親はこれこれこうだった、ああだった。
 結果として判明したのは、ふたりとも、そつなく面談を終えて学校を後にしたということ。
 ただ、蔵馬の場合は誰かさんと待ち合わせている母を早く水入らずにしたかったのに対して、のほうは、早々と終わった開放感を味わうためにそれぞれ別れて来た、という差異があった程度か。
「へえ、南野君ってお母さん思いなんだね」
「本当に迷惑かけてるからね。俺もそろそろ一人立ち考えていいころだし、早く幸せになってほしいところだよ」
「うわあ……確りしてる」
 感嘆をどっさりまぶして呟くへ、今度は蔵馬が水を向ける。
さんは? 卒業した後のことは考えてる?」
「……うーん」
 うなるを見て、蔵馬は、おや、と首を傾げた。
 先日からの話では、てっきり、例の家業を継ぐのかと思っていたのだが……まあ、霞を食うわけでもなし、鍛えた能力を活かすでもなし、では、ほかに何か職を持たねば生活も難しいところかもしれない。
「お社はね、一兄さんが跡を継ぐのよ」
「そこで暮らすんじゃないの?」
「でも、それじゃ、いつまでもすねかじりじゃない?」
「……まあ、そうだね」
 同意する蔵馬は、そこでふと、の視線が足元へ向かったことに気がついた。
 そういえば、声をかけたのは、彼女が花屋の前で熱心に売り物を見ていたからだ。
「……もしかして」、
 自然と口の端を持ち上げながら、蔵馬はそれを問うてみた。
「花屋――とか?」
「ええ!? どうして判ったの!?」
 どうして当たるんだろうか。
 真逆のことで内心僅かに驚きながら、蔵馬は「どうしてだろうね」と軽くうそぶく。
 はというと、その後すぐに気を取り直し、
「うん、ちょっとね。お花屋さんもありかなって思って、見てたの」
「花、好きなの?」
 問うと、は破顔して、腕を持ち上げた。

「好きよ。――欲を云っちゃえば、切花じゃなくって、広い野原にめいっぱい手を広げてこれでもかって溢れるような花が好き」

 “これでもか”の部分で、手を左右に、それこそめいっぱい。
 その切花が、ここの花屋のメインなのだが……幸い、遅めの昼休みらしい店主や店員の姿はない。
 店の奥には数人がいるようだが、表の声が聞こえても、その内容まで届いてはいないだろう。現に、さっきから話の間に、こちらから覗き込める場所を移動していた店員が微笑ましそうに視線を送っていた程度。
 と、そんな細かいことを“南野君”が考えているとは知らぬまま、はことばを続けていた。
「特に好きなのは、向日葵ね。向日葵畑、昔、一度だけ見たことあるんだけど、も――すごいの。本当に、見渡す限り黄色なの。まるでお日様の子供がたくさん野原で昼寝してるみたいだったの」
 話すうちに、当時の様子を思い出してきたのだろう。の笑みが、どんどん深くなる。
「へえ……それは、俺も見てみたいな」
 お日様――太陽。
 そんなもの、魔界にはない。
 咲き誇る花は、どれもこれもが、暗く沈んだ色ばかり。
 黄色の花など、太陽を思わせるものなど、魔界の植物には、皆無。
 そんなことを思いながら相槌を打つと、ふと、の表情が沈んだ。

「……それが」
「うん?」

 やりきれなさそうに、彼女は云った。

「わたしもね、また見たいなって思って、去年行ったんだけど……そこ、何か住宅地になっちゃってて」
「……、ああ……そうなんだ」
「近くには蓮華畑もあったのに、そこも潰れてたの」
「……そうか」

 別に観光地というわけでもなく、ただ持ち主の趣味で供されていたものだったのだろう。代替わりか、手放したか――ともあれ、いつまでも土地を遊ばせてはおかなかったということか。
 だが、住宅地になったところで、それが果たして大地として本来の形なのかと問われると、蔵馬は冷笑してしまう。
 少なくとも、それを悲しむ者が、こうして目の前にいるのだから。
「だから――花屋になって土地を手に入れて、それでもって、向日葵畑を自分でつくるっていうのはどうかな、って思って」
「壮大だね」
「あ。あきれてる」
 にこりと微笑んでそう云うと、は、むう、とむくれてみせた。
 まさか、と、あらぬわけでもない疑いを否定して、蔵馬はを促す。
「あまり長居してると迷惑だから、とりあえず、その辺りで何かどう?」
「……奢り?」
「軽食くらいなら」
 頭の中で財布を開けてそう答えると、ぱ、とが笑顔になる。
「やった! ありがとう!」
「まあ、いつも酒を持ってきてもらってるからね。これくらいなら」
 実の話、酒盛りにとうの酒を持ってくるのは殆どだ。
 別に蔵馬が用意してもいいのだが、魔界の酒は彼女にとって刺激が強すぎるらしい。その点、の持参する酒は、蔵馬にとってもほどよい薄味で……話をしつつ飲むのなら、これくらいでちょうどよかろうというくらい。
 ちなみに、年代物の神酒だそうだ。
「元手はタダなんだけど」
 云いつつも、はすっかり奢ってもらうつもりになって、蔵馬の半歩先を嬉しそうに歩いていく。
 ……ま、遠い先祖の元手はかかっているのだろうし、そんなに楽しそうにしてもらえるなら、蔵馬にしても財布を少々軽くするだけのものはあるということだ。
 そんな彼女の背中を見ているうちに、ふと思いつき、声をかける。
さん」
「なに?」
 くるっ、と身体ごと振り返きつつも、は足を止めない。変わらぬペースで動く足は、危なげなく、蔵馬にとっての前方へと彼女の身体を運んでいる。
 さすが、夜の散歩は電線の上を飛び往くだけのことはある。
 道がもうしばらくは真っ直ぐ続くことを確認して、蔵馬はにこりと笑ってみせた。

「俺も、花を育てるの好きなんだ」

 ――今度向日葵を植えておくから、夏になったら見にこない?


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幽遊白書。やっぱり好きです。
基本的にいい人だと思うんだけどなあ、腹黒だけど敵相手だけっていうか。