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・見知らぬ君と・



 月の夜は何故か気持ちがいい。
 満月も悪くないが、三日月の刺すような光が一番気に入っていた。
 そのことを話したら、こう云われたものだ。

「だって狐さん、三日月みたいだもん」

 ――そのときまでは見知らぬ同士。ひと晩の酌仲間だった。



 闇黒武術会が終わって、以前からそうだった節はあるが、近頃特に突発的に妖狐に戻ることがあった。
 事前に察知していれば隠蔽も出来るのだが、ふと気を抜いたときに尻尾が揺れているのを察したときの情けなさは筆舌に尽くしがたい。

 ただ、その晩は。

 『母』もおらず、家には自分ひとりで。
 ――ふと軒先に腰かけて、戻ってもいいかくらいのつもりでいたのは、正直なところだったのだ。
 けれど。
 断じて。
 誰かにこの姿を見られる予定では、なかった。


「狐さん、こんばんは」
「――」


 魔界から運ばせた酒を、手酌で楽しんでいたときだ。
 その声が聞こえたのは、道路側から。
 まず普通の人間なら覗きこめない高さの塀の上。

 ふわりと。
 鳥が止まり木でも見つけたような気軽さで舞い下りたのは、白装束の少女一人。
 かすかな月明かりに黒髪を縁どらせ、白装束は対照的に淡く輝き。

「誰だ?」
「通りすがりの修行人です」

 本来の妖気の一端を。
 垣間見せても、その少女の表情は変わらなかった。
 にこりと――にっこりと。

 云ってのけた。

「きれい」

 面と向かってそう云われたことは、あまりない。
 ましてや、妖怪でもそれなりの実力者でもなさそうな、ただの少女に。

「銀色と、金色。月の色だね」

「月……」

 なんとなしに復唱してみると、そのとおりだというように彼女が頷く。

「綺麗ね、狐さん」

「恐ろしいと思わないのか?」

「きれいだから」

 問えば、答えになっていない答えが返ってくる。
 空気が澄んでいて、きれい。
 そう、少女は云った。
「血のにおいもするけど、今のあなたの周りは綺麗。だから怖くない」
 だから、声をかけたのだと。

「修行?」
「うん」

 白装束。
 ふわりと、宙に舞う。

 重力を無視して、やわらかな羽のように、少女は蔵馬の前に降り立った。

「風に乗れるように、炎の熱を借りれるように、水のせせらぎに溶けれるように、大地の声が聞こえるように」

「巫女か?」

「……そんな感じかな。よく判らないけど、区別とか」

「師匠は?」

「お母さん」

 あどけなく。笑んで。

「お母さんは、すごいんだ」

 どうすごいのかと――訊こうとして、やめた。
 そのことばだけで、浮かべた笑顔だけで、充分だった。
 澄んだ霊性。
 透明な在り様。
 感じたそれだけで充分だった。

 改めて少女の顔を見て、ふと引っかかる。
 それは、南野秀一の記憶。

「……?」

「あれ? 名乗ったっけ?」

 つぶやいた名前と、返ることば。
 それは予測が当たっていることを示す。

 狐さん、心が読めるの?

 まさか。

 口には出さず、たけど肯定も口にはせず、ただ苦笑する。

 

 その名前を、南野秀一は知っていた。
 同じ学校の隣のクラス。
 合同授業で何度か、顔を見た覚えがある。
 向こうが覚えているかどうかは、怪しいが。

 普段の彼女を見るだに、まさかこちらに足を踏み込んでいる人種だとは思っていなかった。

 よほど巧妙に隠していたのか、それとも。

 さて?
 この姿を解き、南野秀一になってみせるかどうか。
 考えて、すぐにそれを却下する。

 狐さん。

 そう呼びかけられるのが、心地好いと気づいてしまった――妖狐蔵馬は。

「酒はいける口か?」
「それなりに」
「魔界の酒は?」
「強くないのなら」

 問いを放てば答えが返る。

 手招けば、はあっさりと蔵馬の横に腰を下ろした。

 少し薄めになるよう水で割って手渡すと、美味しそうにそれを飲む。
「美味しい。これ、本当に魔界のお酒?」
「ああ」
「そっか……奥が深いなぁ、魔界」
 知り合いがたまにくれるんだけど、あれは結構強くって。
 ちょっと飲みすぎると、次の朝絶対二日酔いになるんだよね。

 真面目な顔でそんなことを云っているのが、ちょっとおかしい。

「狐さん」
「うん?」
「笑うとかわいいね」
「……」

 喜ぶべきか、哀しむべきか。

 一瞬途方に暮れた蔵馬を見ながら、は眼を細めた。

「眼。普通だと吊り気味で、鋭いんだけど。笑うと、印象柔らかくなって。満月みたい」

「ならば、普段は三日月か?」

「そうそう」

 云いえて妙だ――が、当たってるかもしれない。
 せめて、満月より半月ぐらいにしてほしいとは思ったが。自身の性格を考えて。

「そうだな」

 三日月の光は、割と好きかもしれない。

「同類だし」
「身も蓋もないな」

 とりとめのない会話。
 そんなものを、妖狐が人間と交わす日がくるとは思わなかった。
 幽助たちと話しているときとはまた違う、微かに暖かみを伴った心地好さ。

 雷禅――

 幽助の『父』を、ふと思う。

 彼もこんな感情を、抱いていたのだろうかと。

 獲物でしかなかったはずの人間に。

 ――情を。


 そしてはっきり判るのは、これは南野秀一のみならず、大半が妖狐蔵馬の感情だということだ。


 大盗賊妖狐蔵馬がどうしたと、黄泉や飛影あたりなら云うだろうか。
 それでもいいとさえ思うけれど。

 腕を持ち上げると、肩に落ちていた銀髪がさらりと揺れた。
 相手の黒髪に手を触れると、意外にも心地好さそうに目を細める。
「……警戒心はないのか?」
「え。だって、別に何しようて思ってなさそうだし」
「…………」
 一応、オレも男なんだがな。

 ため息を。ついて。
 それでも、触れたその手をそれ以上どうしようとは思わなかったのが事実だったけれど。





「…………」
「…………」


 登校時、下駄箱でを見つけた蔵馬は、好機と察して彼女に近づいた。
 ぽん、と肩を叩いて一言。
「おはよう、さん」
「は?」
 とたん。
 が何か云うより先に、周りがどよめいた。
 校内でそれなりに有名人の南野秀一が、限定一名の女子に声をかけたのだ。騒ぎにならないわけがない。

「……あ、南野君。おはよう……?」

 それきり。上記の沈黙が、場を覆ったわけである。

 小首を傾げたままのを見て、蔵馬は心中で苦笑する。
 南野秀一と、昨夜の妖狐が『イコール』で繋がることに、やっぱり気づいていないらしい。

 たぶん、彼女のなかでは昨夜のことは『見知らぬ狐さんの晩酌に預かった』ぐらいの出来事のはずだ。

 が。

 生憎その狐さんは、見知らぬままで終わらせるつもりも、昨夜だけでおしまいにするつもりも、まったくなかったのである。

 にっこりと。
 微笑みかけて。
 ぽん、と、の手に小瓶を乗せた。
 それでまた周囲がどよめくが、そんなもの意に介さず。
「開けてみて」
「……?」
 頭上にクエスチョンマークを大量出現させながらも、は素直に蓋を開け、促されるまま覗き込み――

「――」

 ばっ、と。
 独特のアルコール臭で中身を察したらしい次の瞬間には、素晴らしい勢いで蔵馬を見上げていた。

「き――「おっと」

 危うく『狐さん』と云いそうになったらしい彼女の口を、はっしと塞ぐ。
 そのまま耳元に顔を寄せて、ささやいた。

「また、晩酌に付き合ってくださいね」


 見知らぬ君との晩酌も楽しいけど、今度は見知った同士の君に、お付き合い願いたいんです。


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幽遊白書。すんげえ好きです。
このまんがのおかげで、同人活動やるようになったといっても過言ではなく。
蔵馬も好きですが、死々若丸さんが個人的プッシュ対象。
妖狐と比べると...むむむ、綱引き?