創作
■BACK■


 わたしの傍には悪魔が一匹。
 わたしの傍には天使が一匹。

 わたしの背後には先祖が一匹。





 そいつらは、校内じゃけっこう有名人。
 見た目がわりと派手な上、長身とちびっこの凸凹コンビ。
 しかも、入ってる部活が面白い。

 ――『物の怪よろずごと請負部』

 それが、そいつらの所属する、そしてわたしが用のある部活。


 学校に、悪魔と天使をつれてくるのは初めてだ。そしてこれきり最後でもある。
 遊びたがる二匹をふんじばり、何かとちょっかい出してくる自称先祖を押さえつけ、一日の授業を終えるだけでその日の体力のおおよそ三倍、消耗させた気のするわたしは、それでもどうにか級友たちに気づかれるようなこともなく、部室の前に辿り着いた。

「ほわー。ここ? ここ? おもしろい気配があるなー!」
「なるほど、たしかに、ここは他所とは趣を異にしています」
「ふーん、いまだにこういう団体もあるのか、まだ神秘は残ってるのだな」

 悪魔と天使と自称先祖が、それぞれ勝手な思惑を述べてる間に、わたしは腕を持ち上げる。
 そのまま、真っ直ぐ戸口へ当てた。

 こんこん。

 乾いた音が、その場に響く。
 待つこと二、三秒。

「はーあい?」

 まだ幼さの残った声が、扉の向こうからノックに応えた。
 ぱたぱた、足音が近づいてくる。
 がらり、引き戸が開けられる。

 そうして顔を覗かせたのは、身長がわたしの肩ほどしかない、琥珀色した髪の女の子。

 1年B組、火月御門。それが、彼女の名前。

 そして、その火月さん。
「――――」
 わたしを、いや。わたしの背後を視界に入れるやその否や、丸っこい目を、さらにまん丸に見開いた。
 たらーり。
 火月さんの額に、冷や汗が一筋。

 ちらりと背後を振り返る。
 が、悪魔と天使と自称先祖は、物珍しそうに火月さんを覗き込んでるだけで、特に何をしでかしているわけでもない。

 どうしたんだろう。
 首をかしげて、わたしが視線を戻すと同時。

 ばっ! と、火月さんは身を翻した。
「お、近江ちゃ――ん! 寿部長――! 変なのが来た――――!!」
 そんなちっちゃい身体のどこから出てるのか、思わず不思議になるくらい、大きな大きな叫びとともに。
 ていうか。
「変なのって何よ!?」
 出会い頭にこんな反応されては、いくらわたしの気が長いって云ったって、限度というものがある。
 カバンに入れてた英語の辞書に伸びかけた手を、だが、どーにかこーにか押さえ込んだ。
 いくらなんでも生身の人相手にこれをやっちゃ、落ちるトコまで落ちてしまいそうだからと思ったのがひとつ。
 もうひとつは、

「うーい?」
「変なの?」

 火月さんが駆け込んだ部室の奥から、けったいな応答と、おうむ返しの返答が、それぞれ返ってきたからだ。

 10センチほど開いた扉の奥を覗き込もうと、わたしが腕を伸ばしたとき。
 先んじて、がらがらと扉が開けられた。
 全力全開フルオープン。
 そして目の前に出来る影。
 扉のせいじゃないことはたしかだし、目の前に揺れる学年色のスカーフが、新たにやってきた相手の長身を証明していた。

「おー」
「へえ」
「ふむ」

 背後から聞こえる三匹の感嘆。

 視線を持ち上げる。
 途中、さらさらと流れる金髪が目に入った。
 染めてるのか天然なのかは知らないが、手入れ苦労なしなんじゃないかってくらいきれいな髪だ。女性としては、純粋に憧れてしまうところ。
 そしてその先、首筋から顎のカーブを抜けた向こうに、影を作った主の顔がある。

 ……まあ、確認しなくたって予想はついてたりしたのだけれど。

 1年B組、橘近江。それが彼の名前だ。

 ここで間違わないでほしいのだが、彼は男性である。
 女子の制服を着てようが、髪を長く整えてようが、四六時中サングラスをかけていようが、年がら年中長袖だろうが、橘近江は男性である。
 入学式早々セーラー服でやってきた彼を、担任の先生は穴が空くほど見つめたらしい。惚れたわけじゃない。資料として届いてた彼の性別と服装及び外見の180度反転に、どう対処していいか判らなかったらしい。
 おかげで式が40分遅れた。

 ちなみに付け加えるなら、情報に疎い上級生(男子)がこれまでにも何度か彼に告白したとかなんとか、わりと語り草である。
 それらの件は、現在進行形で増加中だとか。

「……うっわ」

 その橘くんは、やはり、三匹に視線を合わせて絶句したっぽい。
 サングラスの奥の目、心なし見開かれている。
 とはいえど、彼は火月さんのように逃走することもなく、そのままわたしに目を移した。

「あ――……ええと、観音崎だっけ。D組の」
 記憶をひっくり返しつつ発された、かすかな疑問符つきの確認に、わたしはこくりと頷いた。
「そう。……ていうか、よく、ひとつ向こうのクラスの名前覚えてるね」
「職業柄な」
「ふうん、職業柄ねえ」

 身を乗り出してきた自称先祖の首根っこを引っ掴み、そのまま後方へほい投げる。

「……」
 橘くんは、それを微妙な表情で眺めたあと、
「で――観音崎、何やってんだ。わらわら、妙なの引きつれて」
「うちに用なんだしょ?」
 注釈。答えたのはわたしじゃない。
 橘くんの背中から、にょっ、と生えたもうひとり。
 身長は橘くんと同じか、少し低いくらい。適当に伸ばした髪を適当に切って適当にしばってるっぽい。身体の線は、少しがっちりした感じ。

 ……この人は、知らない。
 さっき火月さんが叫んでた、コトブキ部長とかいう人か?

 そんなして、わたしが浮かべた疑問符に気づいたか。生えた人は、「おう、すまん」と、己の額をぺしりと一発。
 それから、にっこり破顔する。

「1年生だよな? えーと、観音崎? 俺は3年の駿河ってんだ。駿河寿。よろしく」
「あ、観音崎……千破夜です。よろしくお願いします」
「一応補足な。駿河先輩、うちの部長」
「まあ、権力のある雑用係っつーかなんつーか」

 そいで、と、駿河先輩は、先のふたりと同じように、後方の三匹へ視線を移す。
 経験の差、とかそういうものなのか、驚きは一番少ないよう。

「なんか、こりゃまた珍しい客つれてきてくれてるけど、用件は?」
「……珍しいですか」
「珍しいって。意天に属魔に祖霊がセットって、今まで見たことないわな俺は」
「オレだってないですよ」
「わたしだって、ないよー……」

 走り去っていったはずの火月さんが、ぴょこ、と舞い戻ってきた。
 よっぽどびっくりしたんだろーか、目じりに少し涙があった。

「すみません、怖がらせてしまいましたか?」

 おずおずと、天使が火月さんに話しかけた。
 火月さん、それで少し目を丸くする。

「あ、ううん、そんなんじゃないよっ。――ほんと、びっくりしちゃっただけ。すごいひとたちが、三人もいるんだもの」
「……すごいの? こいつら?」
「すごいぞ。マジがついてすごい」
 こくこく、頷くは橘くんと駿河先輩。

 ふーん、と、わたしは三匹を見る。
 昨日の夜、さんざ諭されたことではあるが、やっぱしこいつら、何らかの意味ですごいらしい。
 そうして別の方向に感嘆するわたしの向こう、廊下を見やった橘くんが「とりあえず入れよ」と、促してくれた。
 見れば、他の生徒がちらほら。
 たしかに、見えない人からすれば、こいつら何見てんだって、そんな感じかもしれない。
 悪魔と天使と自称先祖を先に部室へ放り込み、わたしも、戸を閉めるために待機してくれてる橘くんの前を通って、物の怪よろずごと請負部――通称よろず部の部室へ踏み込んだ。


 勧められた椅子に腰かけ、やっぱり背後に三匹をおき、わたしはよろず部の面々と向かい合う。

「じゃあ、人間の紹介はもういいとして――そちら三名様、まず、お名前いいですかね?」

 『受付簿』と書かれたファイルを火月さんに渡しながら、駿河先輩が三匹を促す。
 三匹は応えて元気良く、

「はいっ! 千破夜に喚ばれた一号、本名勘弁してね、アスです!」
「同じく千破夜さんに喚ばれた二号、本名は割愛します、ゼルです」
「三号ー、観音崎さんちのご先祖様、本名もなにも、観音崎破魔弥なのだ」

「「「……」」」

 駿河先輩と橘くんと火月さんは、三匹が名乗りをあげるたびに、沈黙のまま顔を見合わせた。
 とはいえ、火月さんの手はよどみなく、三匹の名前を受付簿とやらに記録してるらしい。沈黙の間でも、シャープペンシルは軽快な音を立てて紙の上を走ってた。

 それはさておき――なんか、やーな予感。

 そしてぱたりと、ペンシルが置かれる。
 同時、
「……観音崎さんって、そのテの人なの?」
「んなわけないでしょ」
 おそるおそる発された問いに、わたしはすぐさま否定を返す。
「事故よ」
 それから付け加えた一言で、とたん、あがるブーイング。

「事故ぉ!? あれが!? 完全、千破夜の意志じゃんよ!?」
「千破夜さんっ! 神はともかくとしても、ご自分の良心を誤魔化してはなりません!」
「お守りくださいって云ったのだ、子孫!」

 ……

「そこの頑丈そうなフラットファイル貸して」
「だめ」

 ちっ。

 具体的な行動なんて云ってないというのに、橘くんは、それでも何かを察したらしい。
 さすがに無理強いも出来ず、舌打ちひとつに留めるわたし。

 そんなわたしを見るよろず部三人の視線は、いささかどこでなく、ビミョウ。

「――えーと、じゃあ、観音崎さんは何も知らずにこのひとたちを喚んだのね?」
「まあ……そうなるかな。こんなの来るなんて知ってたら、絶対にやってないし」
「媒体は何か使ったか? 呪文とか、道具とか」

「……」

 ほんの一瞬、考えて、わたしは、持参していた『ひみつの☆おまじない』をカバンから出した。
 正直、恥ずかしいことこの上ない。
 だけどほら、こういうときって証拠物件、たいてい持ってこなくちゃいけないのくらいは知っている。
 二度手間は避けたかったから、まじない本は当然のこと、これまで奴らへの攻撃に使った、辞書やカッターや画鋲もある。ええ、勿論、常人には見えない染みもばっちりよ。

 そうして、まじない本を手に取ったよろず部員は、

「……これ」
「まさか……」
「ああ――間違いない」

 実に、実に。
 思わせぶりに、目を見交わした。

 誰が云う? おまえが云えよ。嫌。わたし? しょうがないなあ俺がいく。

 翻訳するなら、ま、こんなところだろう。
 数秒程度の沈黙をはさみ、部長こと駿河先輩が、真剣な顔でわたしたちへと向き直る。

「あー、観音崎。薄々感づいてるかもしれないが、結論から云うな」
「はい」

 つられて、わたしも、駿河先輩を注視する。

「これは、ただのまじない本じゃない」
「はい」
「――という展開を期待してたら申し訳ない」
「はい……はい?」
「観音崎」
「は?」

「どう見てもこれ、魔力の欠片もない子供だましの絵本だ。なんでおまえ、こんなんであんなんを喚べたんだ?」

 ――――ブルータスおまえもか。

 どっかのアレクサンドルの名セリフが、ぽん、とわたしの脳裏に浮かんだ。
 ……が。
 まあ、それについては、以前天使がほざいてたことでもあるし、正直、衝撃は少ない。

「あっ、はいはいはい! それについては俺が説明したげる!」

 のー天気に挙手する悪魔を、わたしは、半ば諦め心地で促した。
 しょうがないじゃない。
 こういうときは、四の五の云わずに手の内すべて、開示しなくちゃって相場が決まってるもんなんだし。



 そして、そもそもすべての発端である、あの夜の話を聞いた三人は、
「……運が悪かったのね」
「まあ、なんていうか……うまい具合、いや、妙な具合に重なっちまったもんなんだな」
「観音崎。芋づる式ってことばは知ってるか?」
 フォローになりきれぬフォローを、実にビミョウな表情のまま、のたまいにおなりあそばした。
 思わずカバンを振り上げかけた腕を、けれど、当の三人――のうちのひとりである、火月さんの発言が制する。
「うーん、でもでも、見たトコちゃんと契約は済んでるみたいだし、属魔と意天で力のつりあいもそこそこだし、この世界壊すような不安はないよね!」
「……判るの?」
 ゆうべ彼らに語られたばかりのことを、一目にして見抜かれたことに、わたしは、驚きを隠せず問いかける。
「判らなきゃ、こんな商売やってねえよ?」
 にやり。
 サングラスの奥の目を猫めいて細め、橘くんは笑って云った。
 なるほど。そう云われれば、それもそうだ。
 よろず部は、ただの部活ではない。請負部という名は、伊達じゃない。そうでなければ、わたしがここへ足を運ぶ理由はないのだ。
「観音崎も、そのへんは承知してたんだやな?」
 相変わらず妙な語調で確認をとる駿河先輩。もちろん、頷くわたし。
 ならば本題は?
 そう、よろず部の面々に視線で促され、わたしは、己の背後を親指で示した。

「悪魔と天使はしょうがないの、一種自業自得だから。でも、この自称先祖だけは縛りがない訳だから、とっとと還したくて、そのお願いに来たのよ」
「――――」
「お願い出来ますか?」

 ふむ、と再三顔を見合わせるよろず部の面々、主に代表格である駿河先輩に向けて尋ねる。
 先輩は視線をわたしに向けると、軽く顎をひいた。頷きととるには難しい、どちらかというと問いを確認したという応答のものだ。
「それくらいなら通常業務の部類だから、別に問題ないんだけんども」
「けど?」
「観音崎がやってほしいのは、ご先祖の消滅じゃなくってあの世への送還なんだよな?」
「あの世ってのは、我が転生前にまったりしてた狭間のことな。あと消滅はごめんなのだー!!」
 のほほんと解説してくれたかと思いきや、後半絶叫する自称先祖。
 その後ろでは悪魔と天使が、
「このひと、うちで持ってってもいい?」
「まあお笑いは提供してくれるでしょうが……」
「んーまあ、そこは質より量」
「行かんわ! 天界も魔界も飽きた、我はフツーにこの界で転生するのだ!」
 ……なんか、実は、わたしはわたしが知らないだけで、わたしになる前のわたしって、どっちかにいたことあったのかしらね……?
 そんな疑問に気づいたか、悪魔がくるっとこちらを向いた。
「魂だけになったら、思い出すよ。今はその身体の記憶があるから、寝ちゃってるだけだろーけどさ」
 つまり知りたきゃ死ねと。
 冗談じゃないわ。
 ともあれ、云ってることは問題だけど、悪気が無いのは判ってるから手は動かさない。
 ため息ついて、それを了解の意にした。
 そこに重なるため息、もひとつ。

「ってことは、やっぱ送還希望か」

 受付簿で肩を軽く叩きながら、橘くんがそうつぶやいた。
「何か不都合があるの?」
「や、依頼内容自体は全然。ただ、今やれと云われると、ちと日が悪い」
 日が? わたしが訊き返すより先に、
「加えて、俺らの都合も悪い」
 何故かちらりと火月さんを見、彼は、そう付け加えた。
 つられて見やると、何故か、火月さんは頬を染めて視線を泳がせている。しばらく虚空を彷徨ったそれは、ややあって足元に落ち着いたけど。
「……あ。そうか」
 ぽん。
 手を叩く天使。
「開門するんですね。日が悪いというのは、まだ月が満ちていないからですか」
「そう。十五夜と十六夜の間がいっちゃん適当なんだが、今日はやっと半月を越したとこだなもんで」
「なーんだ。そんなら、待てばいーじゃん」
「待て待て。御仁らの都合が悪いっつーのがあるのだぞ?」
 意外にも配慮を見せて、自称先祖が割り込んだ。
「その都合というのは、月満ちるまでに解消出来るものであるのか?」
 橘くんと火月さんを均等に見やり、疑問を投げる。

 が、今度はふたりがふたりとも、「あー……まあ」「……ぎ、ぎりぎり、かなあ」なんて云いつつ、視線を泳がせた。
 ……やっぱり、火月さんの頬は赤い。

「どったの?」

 目ざとい悪魔がそれに気づいた。
 宙を滑って火月さんの眼前に移動し、邪気なさげに覗き込む。
「えへー」
 最初に驚いてはいたものの、特に嫌悪もないらしい火月さんは、まなじりを下げたまま照れ笑い。ごまかしてるつもりなのか、訊いてくれるなとの懇願のつもりか。
 だがしかし。
 いっくらフレンドリーだろうが、悪魔は悪魔。
「えー!? 知りたい知りたい、教えてよ、なー!」
 火月さんの反応を面白がってか、奴は、ますます表情を輝かせて彼女に迫っていく始末。

 そしてわたしの右手が唸る。

 ――づごッ。

 持ち上げ振るったイスの足に一点集中したエネルギーは、すべて、悪魔の頭頂部との接地点で炸裂した。
 硬直する火月さんの前で、悪魔はゆっくりと床に伏した。
 ……じんわり、広がり出す赤い染み。
「ゼル」
「ははははははい!?」
「掃除」
「はい!!」
 ちょっぴり半泣きで、天使が腕を一振り。
 床に広がるはずだった赤い液体は見る間に重力の支配を逃れてそこから離れ、宙に浮かぶ。
 普通に雑巾で拭くと思ってたわたしは、ちょっと驚いてそれを見た。
「これくらいなら制約も少ないんです」
 天使は云って、指先で宙に円を描く。――同時に、まるで風に吹かれた砂のようにして消え去るそれら。

「……じゃあなんで、今までわざわざ雑巾で?」
「――――」

「云いなさい」

 視線泳がせ三匹目へ、気持ち強めの語調で突っ込む。
 天使は小さく項垂れて、

「……いえその。そうやって哀れみを誘えば千破夜さんも少しは手加減してくださるかもしれなくすみませんごめんなさい本気で痛そうですから勘弁してください!!」

 わたしがイスを構えなおす前に、天使は音立てて蒼ざめ、そう叫んだ。

「……我が早く帰りたい気持ち判ってくれまいかなのだ」
「判る判るよーく判る。あと数日の辛抱よぜな?」

 目じりに涙浮かべる自称先祖を、駿河先輩が肩叩いて慰めている。
 そんなふたりを微妙な視線で見つめてるのはわたしだけでなく、きっと理由こそ違うんだろうが、火月さんと橘くんも似たり寄ったりだった。
「部長ォ。御門の身体のことも考えてくださいよ」
 心持ち唇尖らせて、橘くんは不満の意を示す。
 って、火月さんの身体?
「あー」
 ひらひら。
 手を振る駿河先輩の応答は、軽い調子。
「だいじょうぶだいじょうぶ。火月が駄目ならうちトコの本家から専業を連れてくるべさ。見習いだけどもこれくらいならどーにかなろ」
 おまえたちもあいつには逢ったことあったろ。荒生の。
「あー」
「そっか」
 わたしには窺い知れぬ繋がりの一旦。
 それを挙げられた橘くんと火月さんは、傍目にも判るくらい表情を晴れさせる。
 えーといまいち事情は判らないけど、自称先祖を送り返すに問題はなくなったってことなんだろうか。なんだろう。そうとっていいのよね?
「そうとっていいよ」
 自問、表情に出たみたいだ。
 くるりと振り返った火月さんが、少し申し訳なさそうに微笑みながらそう云った。
「ごめんね。どうにか出来ることならするんだけど、その、こればっかりはわたし本人でもどうにもならなくて」
 もじもじ。
 胸の前でこねくりまわされる、火月さんの両手の指。
 床に落とした視線と、また少し赤らむ頬。

 ――あ。
 もしかして。

 そして唐突に閃くわたし。
 そういえば、どっかの心霊番組か何かで、そういうのが影響するとか云ってたような気がする。
 ああそれじゃあ、たしかに堂々と人に云える理由じゃないわよね。
 心中深々と納得し、よりによってそれを追及しようとした悪魔を睨むべく、わたしは視線を動かして――

「あー、なあんだ!」

 いつの間にか復活しくさった悪魔が、必死に抑えこもうとする天使の手をかいくぐり、

「月経かあ!」

 ――叫んでしまいやがりました。

「そかそか。たしかに、それに当たるといろいろ整えるの難しいよねー」

 しかも真っ赤になって俯いてしまった火月さんに気づく由もなく、悪気なさげにぬかすぬかす。
 悪魔の行動を阻止出来なかった天使は、紙ほどに白く血の気も引かせ、そろりそろりと射程範囲から逃れようとしていた。
 ――まあいいわ、事実、今回天使は無罪ってことで。

「……」

 片手で頭抱えた橘くんが、空いた片手で火月さんを引き寄せて、頭を撫でてやっている。
 ついでに耳も塞いでやってくれるかしら、これから嫌な音響くから。

「でもなんで恥ずかしがんの? ちゃんと素敵に元気に女の人してるってことじゃん。ちょっと力が乱れるってくらい、気にする必要ないと思うよ、俺!」

 ――やはり一度こいつらは、徹底的にしつけねば。
 いわゆる、人間界の常識と女性のはじらいというものを。
 だがしかし、今さしあたってはそれよりも――

「アス」
「んー?」

 なにー? と。
 いたってのんきに振り返った悪魔の目には、きっとそれこそ素敵に元気にイスと辞書とカッターナイフとその他もろもろ携えた女性がひとり、映し出されたことだったろう。




 ……なんて、些細な校内暴力があった数日後。
 月齢を数えるなら、十七夜を過ぎた朝。
「ほい。依頼完了の報告書ー」
 わざわざ一年の教室を訪ねてきてくれた駿河先輩が、ノートサイズの封筒を、ぺらりとわたしに手渡した。
 厚みと重みから察するに、入ってるのは、一・二枚程度だろう。
 それをおしいただいて、わたしは座っていたイスから立ち上がった。
 一年の学年章で埋め尽くされた視界のなか、三年の学年章は少し浮いている。そちらへ向かって、頭を下げる。
「――ありがとうございました」
「ははは、実務は結局橘と火月がやったんでな。礼はそっちに云ってくれ」
 呵々、と笑う駿河先輩。
 超極秘事項だとかで、わたしも悪魔も天使も、自称先祖を送り返す現場には立ち合わさせてもらえなかった。
 決行前日に自称先祖を彼らに預けたのが関与した最後で、こうして結果をいただくまでは、こちらから接したりもしていない。だから正直、ぴんとくるものがないのもたしかだ。
「そんで」
 でももう、あの自称先祖に逢うこともないのか。思えば登場も退場もあっさりだったな――そんなふうに、少しだけ感慨にひたるわたしを、駿河先輩が現実に引き戻す。
「はい?」
「部室もいい加減掃除するトコなくなったんでさな」
「ああ」
 先輩に最後までことばを紡ぐ隙を与えず、わたしはすぐさま割って入った。
「人が使ってる以上毎日やっぱり汚れは出ますよどうぞ気の済むまでいいえむしろ未来永劫こき使ってやってくださいね?」
「いやあのな」、
「――ね?」
「観音崎」
「ね?」
「……観音崎ぃ、休み時間終わるぞー」
 なかなか動かぬわたしたちを、というか駿河先輩をどう思ったか、クラスメイトである早瀬くんが教室移動のために戸口へ向かう途中、それだけ云って通り過ぎた。
 たぶん、わたしに早く動けと云う意味もあったんだろう。
 その厚意を素直に受けることにして、わたしは即座に行動を開始した。机の引出しから教科書やノートを引っ張り出しつつ、目だけは駿河先輩へ戻して笑う。
「それじゃあ先輩、その話はまた今度。自称先祖の件はありがとうございました」
「最近の若人って怖ぇやなあ」
 この場は諦めてくれたらしい駿河先輩に再度頭を下げ、わたしは先行く級友たちに追いつくべく、廊下を早足に進みだした。――背中が軽いと、足取りまで軽くなるものだ。
「何かいいことあったの?」
 追いついた先の友人に問われ、「なんでもないけどねー」と曖昧に答えはしつつも、わたしは、ここ数日味わってる開放感を満喫せずにはいられなかった。

 ――ああ。
 こんなことならさっさと手早く、契約しとけばよかったかもしれないな。
 今となっては、そう思う――




 わたしの傍には悪魔が一匹。
 わたしの傍には天使が一匹。

 わたしの背後には先祖が一匹。


 いたけれど。
 今は何にも、いやしません。

 だって先祖は還ったし、悪魔と天使は――



「……受け取り拒否されたさな」
「うわああぁぁぁん、千破夜ひどい、俺たちのこと、もうどうでもいいんだーっ!」
「いや最初からかなりどうでもいいってかむしろ邪魔扱いされてたぞ」
「そんなことないやい、うわ―――――――――ん!!」
「ええい泣くな元凶のくせに! とばっちりくらった私の身にもなりなさい!!」
「いいじゃんおまえら他人の不幸引き受けてなんぼの商売なんだろ全部受けろよどうせならー!!」
「それは人々の幻想でしょうが仮にそうだとしても貴様の分だけは引き受けたくも緩和したくもありませんよ鬱陶しいッ!!」

「……俺らの分もどーにかなんねーのかな」
 煩すぎるっつーの。
「でも。お掃除してくれるのだけは助かるよね」
 近江ちゃんも寿部長もお掃除苦手だし、わたしだけじゃ高いところってあんまり届かなかったし。

「…………」
「うん? なあに近江ちゃん?」
「おまえ、実は意天はともかく属魔にまーだ怒ってるだろ」
「あははっ、そう見える?」
「おう」

「四六時中ひっついてたのは、未契約による不安定さも大きかった――そう聞かされれば、そりゃあひっぺがしたくもなるぞよさ?」
「おまえらの場合、先に御門まで敵にまわしてたのがまずかったんだよなあ」

 まあ、ここは潔く。
 俺たちも当面諦めるから。

「掃除夫としての余生を大人しく受け入れろ」

「やだ――――っ!」
「バランス必要だからってどうして私まで――――!!」



「……ま、暫くの間なんだけどね」
「何か云った?」
「なんにも」

 橘くんから貰ったお札、人外生物避けの護符。効力二週間前後のお守りがちゃんとポケットに入ってるかたしかめて、わたしはひとり、笑うのだった。




よろず部はフリーゲームの人たちです。
ビジュアルが気になる方は紹介頁をご覧になってみると宜しいかと。
でもこの時点の一年後が時間軸なので、寿部長は卒業してしまってるのでした。残念。

ともあれ、これで負担も軽くなった一人と二匹ですが― はて、さて。

■BACK■