創作
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 とある、朝のことだった。

「あ はっぴー めりー はろうぃーん!」

 目覚ましが鳴った瞬間、でっかい蕪片手に窓から飛び込んできた悪魔めがけて実に正確このうえなく、わたしの手は辞書を投げていた。




「で、今日の仕込みネタは何だったのよ」
「……ひどい。帰るまで放置した挙句、冷たい視線付きの冷静なツッコミ。ひどい」
「あ。まだここ染みが残ってる」
「はい! すぐ拭きます!!」

 もはやパブロフドッグ的に、悪魔、雑巾持って窓枠へ。
 ほんのちょっぴり染み付いていた赤い色に、心なし、まなじりを下げつつごしごしごし。
 こちらに向けられた背中には、やけに哀愁が漂っていた。

 ……そんなに自信があったのかしらね、今日のネタは。
 ここんとこ、わりと静かな夜と朝だったから、わたしも油断してたっちゃあしてたけど。
 でも、やはり、寝起きの乙女の部屋に乱入するのはどうかと思うわけよ。

 とはいえ、今朝ついた血痕、一日かけてきれいにしたみたいだから、今日はこれで勘弁してあげようか。

「聴いてあげるから云ってみなさいって。ハッピーとかメリーとか口走ってたけど、それがなんで蕪と繋がるのよ」

 一日天日の当たる場所に放置されて、すっかりしおれた蕪を手に取り、訊いてみる。
 使い終わった雑巾を丁寧にしぼっていた悪魔、涙の残った目でこっちを見た。

「あのさ……そういう行動理由を、8時間以上経ってから云うのって、すっごくダメージなんだぞ?」

 あ。
 こりゃマジでいぢけてる。

 いやいや、待て自分。
 ここで同情しちゃ駄目なのよ。こいつ、どこで人の揚げ足とろうと狙ってるか判らないんだから。

 というわけで、務めて冷静に云ってみる。

「云う気ないならいいわよ別に。この蕪、毒入ってる? 入ってないなら庭に埋めて、次世代の糧になってもらうけど」
「入ってないけど埋めるなー!」

 音速でかっ飛んできた悪魔、すぱっとわたしの手から蕪をとり、……窓際に後退はしなかった。
 珍しい。
 ちょっと意外なその行動に、制服の胸ポケットに伸びていた手が止まる。

 ちなみに、ポケットには、今日文化祭の準備で使った大型カッターナイフが入っていたわけなのだが。

「……昨夜散歩してたらさ」

 涙目で、悪魔は語り始めた。

「なんか人間たちが、お祝いみたいのやってるじゃん? 楽しそうだったから、そのへんにいた下級霊捕まえて訊いてみたんだ、あいつら何やってんだーって」

 昨夜?
 何かお祝いするような日付でもあったっけ?

 つと視線をカレンダーに動かしたわたしの前で、悪魔は、しなびた蕪を寂しそうに見つめて云った。

「そいつもよく知らないって云ってたんだけど、まあ、だいたいのこと訊いて。――だから、ちーちゃん、喜んでくれるかなって思って」

 あ。
 声が、だんだん潤んでいく。
 その水分、手の中の蕪に分けてやりなさいよ。

「……参考までに訊きたいんだけど。その霊、どんな恰好してたの」
「武者鎧」
「……………………」

 カレンダーを見つめ、半眼になったわたしに気づいたんだろーか。
 悪魔はとうとう「うー」と云いつつ、目をごしごしとやり始める。
 ていうか、手を洗ってから目をこすれ。雑巾洗ったバケツの水がついたままだろう、あんたの手は。
 ……まあ、いくら出血しようが脳漿撒き散らそうが、すぐさまぱりっときれいになるこいつなら、そう気にすることでもないのかもしれないけど。

 けど、とりあえず。
 朝のアレが、何だったのかだけは判った。

 判ったついでに――

「ひとつ云わせて」

 自分にしては極上の、たとえばナンパしてくる男の股間を蹴り上げてやろうと企むときのような、優しく艶やかな笑みを浮かべて、わたしは悪魔の肩に手を置いた。

「……今日は11月1日。ハロウィンの祭りは10月31日で、しかもうちは、盆と正月、花祭りは欠かしたことなどなけれども、クリスマスなんて祝ったことさえないわけだったりするのよね?」

 途端、悪魔はがばっと顔をあげた。

「祝わなくていいじゃんクリスマス! ゼルっちの上役の手下の誕生日なんて祝うより、地獄の大釜持ってくるから庭でサバトしてようよ!」
「あんた今朝、メリーって云ってたでしょうが! っていうかうちの庭を怪しげな宗教に提供しようとするなッ!!」
「え!? あれってメリーさん宅の蕪って意味じゃな――」

 すこッ。

 音こそささやかなものだったが、わたしの投げたカッターナイフ(ダンボール切断用大型)は、真っ直ぐに悪魔の眉間に突き立った。

 ……ああ、また掃除させなくちゃ。

「だまされた〜……せっかくメリーさんちの蕪引っこ抜いてきたのに〜」

 噴出した血を拭いつつ、悪魔はぐずぐず、膝を抱えていじけ始める。

 てゆーか、何このスケールの小ささは。
 世の中広しといえど、メリーさんちの蕪を盗んでくるような悪魔って、こいつぐらいなもんじゃないのか。
 しかも、わりとどころかかなり高位のくせに、なんで低級霊にだまされてんのよ。……いや、この場合、ふたり揃って勘違いしてたって点が濃厚よね。
 何しろ武者鎧ってんだから、知識はその時代のがメインだろうし……

 もう少し、訊く相手考えればいいものを。

「ちーちゃん喜ぶと思ったのに〜」

 しなびた蕪で喜ぶ乙女がいたら見てみたい。

「お菓子もらえると思ったのに〜」

 あんた、いつも戸棚のお菓子かっぱらってるでしょうが。
 お母さんが不思議がってるからやめろって、いくら云っても聴きゃしないくせに。

「……」

 とはいえ。
 珍しく、こいつ、厚意で動いてたみたいなのは、認めてもいいのかもしれない。

 ……食べられもしないキノコ、部屋に生やされるの嫌だし。
 ここらでどうにかしないと、いいかげんきりがなさそうだ。

「アス」

 というわけで、名前を呼んだ。
 ぱっ、と悪魔が振り返る。

「なに?」

 名前を呼ぶときは、何も飛んでこない。
 それを学習しているヤツは、身を起こし、ひょこひょこと近づいてきた。

「トリック・オア・トリート」
「とりっくおあとりーと?」

 平仮名で云うんじゃないわよ、カタカナ名前悪魔。
 なんでテストとかは知ってて、こういうのを知らないんだか。

「お菓子くれなきゃイタズラするぞ、って意味。おばけの扮装した子たちが、そう云いながら家々を訪ねるのよ。それで、訪ねられた家の人はお菓子をあげるの。あげない人はいないわね、イタズラが嫌ってわけじゃなくて、ま、それこそ一種のお祭だから」

 ――それでも、例外はどこにでもある。

 たとえば、わたしがまだ、いたいけな小学生だったときのことだ。
 子供嫌いで有名なへんくつ爺さんが近所にいて、その家に、わたしたちはハロウィンの扮装をして突っ込んだ。
 「トリッアンドトリック!」と叫ぶや否や、爺さんが菓子を出す暇も与えず(出そうとしたのかも知らないが)、黒いマントの下に用意しておいた、ゴムで出来たヒキガエルやらヤモリやら黒い彗星ことGやら、まあ、そういうのの模型をぶちまけて逃走。
 ……もちろん、翌日、全員謹んで保護者の拳骨をいただきましたけどね。

「イタズラかあ。呪いとか駄目なのか?」
「駄目に決まってるでしょうが、たわけ」

 それじゃあ精々、地面割ったり家分解するくらいしか出来ないじゃん、とかぬかす悪魔に頭痛を覚えつつ、わたしは、制服のポケットに手を伸ばした。

 一瞬びくりとした悪魔、それでもこちらに殺気がないのを見てとると、興味津々覗き込む。

 ――そうしてわたしがポケットから出したのは、今日、学校でつまんでたチョコレートである。

「はい」
「え」
「お菓子欲しかったんでしょ。とりあえず、これで成立ってことにしといてよ」

 ひらひら、手を振ってそっぽ向く。
 ――と、視界の端で、悪魔の顔がそりゃもうわかりやすく輝いた。

「う、うん! ありがとちーちゃん!」
「嬉しい?」
「うん!!」
「そっか」

 満面の笑顔で頷く悪魔に、わたしもにっこり笑ってみせた。

「――それじゃあ、お菓子あげたんだからとっとと魔界に帰りやがれ?」

 お菓子もらったら帰る、それが正しいハロウィンのルールよ。

「…ゑ?」




 数分後。
 大泣きでチョコレートを返そうとする悪魔と、受け取ってなるかとするわたしの攻防が繰り広げられたのは、云うまでもなかった。

 ……勝者?
 そこでぐしぐしと鼻すすりながら床を拭いてる人外がいるってことで、なんとか想像してくれるとありがたい。


 ――――あーあ。




番外編です。
悪魔の夜、昼、それからさらにしばらく過ぎた設定。
名前を互い知る経緯は、別のお話にて。

ハロウィンの解釈、間違ってたらすみません。実はわたしもよく知らない(笑)

蛇足。
本文中の呼び名と人物について。
アス→悪魔
ゼルっち→天使
ちーちゃん→『わたし』
悪魔と天使はわりとポピュラー、有名どころをチョイスしてみたり。ベタというなかれ。

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