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lll 語り手について考察 lll




『こうさつ』の第一変換が『絞殺』
…危険なIMEはさておいて、興味深いお便りを頂きましたので
僭越ながら語らせていただこうと思い、思いつくままに。





書き手が作品について補足する、というのはあまり推奨されるものでもないのでしょうが、ご興味抱かれた方はどうぞお読みください。冗談じゃねえ、の方は、そのままバックいたしましょう。

なお、デフォルト名が多々出ます。これも要注意。


さて。語り手こと久々原那智。
実は以前より、『2ではヒロインしてたのに、1や3じゃむしろヒーローやんけ』ってなご指摘はたまーに頂いておりました。
なんでそんなに変わったのか、と問われると、書き手の心境変化もあるのでしょうが、やはり対峙する状況の違いかと思います。
2は当事者で渦中の人でした。
記憶はないわ家族との絆は危ないわよく判らん人が泣いてるわよく判らん力はあるわ。と思っていたら記憶は戻るわやっぱり家族との絆は危ないわ連れてきたのは自分だわ。
それに加えて、クレスメント・ライル・アルミネの三角関係。ぶっつぶれた家(デグレア)に、置いてきちゃった家(名もなき世界)。
まだ通り抜ける前だというのにこの量。
ぐらぐら危なっかしかったのも、当然と云えば当然です。

では、1や3は。
当事者ではないし、当事者だとしても渦中の人ではない。
1はもう、しあわせな日を知っているからこそ、不安なんてものはそもそも抱きようがありません。
ばっちり頼りになる魔公子もいますし、どこか楽しんでいた部分もあったのではないかと。
3にしたって、帰り道の存在自体は判ってるので、序盤落ち込みつつもどん底ではなかったと思います。
それに、自身のことで落ち込む材料は皆無。むしろ自分のせいで引き起こした、本来無関係だった人たちの軌道が気がかりでした。
…実際は関係大有りだったわけですが。

てか、2を終えた時点で、『彼女』と長年同居してた那智は、自覚なくてもこう思ってます。

泣いて嘆いて蹲ってる暇があるなら、歩いて動いて何かを変えろ。と。


それに周囲も。
記憶喪失のふらふらと、家族の危機を知ってる2のメンバーと、フラットの味方かつ押しかけ護衛獣として出逢った1のメンバー、謎の力を使う戦闘慣れした人物(一部母)として出逢った3のメンバーとでは…まあ、後者ふたつはどうしても過保護なんぞなれないというか。
はっ。過保護夢も撤去か、これじゃ。
それに1や3では、自分のことが関ってない分、『がんばろう』じゃなくて『がんばれよ』という心境もあったとか。
距離を置いているというのとは、少し違うかも。
獅子は我が子を千尋の谷に突き落とすとかそんな感じで。かつ失敗してる感じで。

幕を引くのは自分ではない、というのは、1にも3にも共通している認識です。


あ、それと、まあなるようになるさ、という認識。

これはちょっと、私にしてもうまくまとめられないんですが。
2の時点で、那智、越えてるわけです。追い詰められるというか、極限というか、そんなのを。
だからこそ1や3を同主人公でやっていいのかどうか、迷ったこともありました。
こういうノリになるだろうなあ、とも、うっすら思ってました。
向かうところ敵なし、というのとは、また少し違うんでしょうが…

超えた人は、強いです。
そして同時に、手厳しいです。
本人そうでなくとも、同じ程度のレベルを相手に要求します。
…単に、私の主観ですが。

だもので、『このくらいならまだイケる』『出来るんだからやれや』『天命を待つ前に人事を尽くせ、天命ふっ飛ばす勢いで』的思考もちらほら、見え隠れしてたのではないかと。


そりゃあ、ヒーローにもなろうってもんですか。


だから、変わったといえば変わったのでしょう。
でもたぶん、根幹の部分では、那智はいつだって那智のままです。
ルヴァイドが大好きでゼルフィルドとイオスが好きで、かかわるひとたちを好きで。
それから、まだまだ子供でいいやと思っています。
もうすぐ成人のくせに恋愛にタッチする素振りもないのは、誰かと誰かの想いとやらを見てしまったせいかもしれないです。ちょっと怖いとか。
でも、私が書かない部分で、誰かと恋をしてたりするかもしれません。
めでたくゴールインしてるかもしれません。

それでも彼女の一言目には「あたしはみんなが大好きだ」とくるんだと思います。


そして、頂いた質問にも繋がるのですが、那智はいつも、今の自分を好きです。
そういう自分になるために、かかわった、ひとたちが好きです。
那智が那智になるために、歩いてきた道が、好きです。

那智はいつでも、那智です。

だからもし。
もしも、環を繋いだ那智が、あの炎の夜にいたら。
それは、那智じゃないんじゃないかな、と、思うのです。

環を繋いだ那智は、越えたから、環を繋ぎました。
炎の夜にいた那智には、なり得ないのだと思います。
記憶をなくしていればふらふらするでしょうし、記憶があるならばそれは今の那智ではないですし。

形にしづらいのですが。
越えた道に、もしもはない、と、云うのでしょうか。
彼女のことばを借りるなら、
「それはあたしかもしれないけど、そうしてる時点であたしになるあたしじゃないよね。別のひとだから、……あはは、あたしには想像つかないなあ、そういうあたし」
抽象的で申し訳ない。
3で、螺旋を知るメイメイさんと螺旋を知らぬメイメイさんを別人として描いたように、辿る道筋の分、『そのひと』はいるのだと思います。
そして、とある『そのひと』と、とある『そのひと』は、けっして重ならない別人なのだとも思います。

だからもう一度ことばを借りて、
「それでも、あたしは、きっと泣くよ」
と。


あー、うまくまとまらない文で申し訳ないです。
考察の片隅にも置けないや。
…というわけで、意外でもなんでもなく、書き手がほんまに行き当たりばったりだったのだけ暴露しまして。
これにて、終了。




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