ぐい。
「お、おい」
ぐいぐいぐい。
「こら……」
ぐいぐいぐいぐいぐい――――
「いい加減にしろっ!」
……怒られてしまった。
金属に囲まれてひやりとした廊下のど真ん中で、トリスとマグナは、肩をすくめて互いを見やる。
そんなふたりの前では、少し乱れてしまった着衣を整えつつ、ネスティが呆れ果てた表情をつくっていた。ここまで半ば無理矢理、背中を押し押し移動させられたのだ。それも、さもありなんというもの。
ちなみにこことはどこかというと、隠してもしょうがないのでばらしてしまえばラトリクス。
――融機人であるアルディラが護人を務める、機界ロレイラルからの召喚獣たちが暮らす集落である。
というようなことは、その実、とっくのとうに知っていた。
いわくの時間旅行から帰還したが、出立の準備に駆け回る傍らで話してくれたなかにあったから。
融機人。
それを聞いて大喜びしたのは、トリスとマグナだった。
同席していたネスティが目を見張って硬直してしまったのを嬉しさのせいだと思って、兄妹は兄弟子の背中をばしばし連打。怒られた。
でも、だって。
融機人。
ネスティが、いつか、自分はその最後のひとりなんだって云っていた種族。
それが覆ったのだ。
同胞がいるのだ。
機界ロレイラル。同じ景色をきっと知ってるだろう誰かが、同じ流れを持ってる誰かが、ネスティにも存在するのだ。
――だのに。
島に着いて原罪もぶちのめしてさあ自由期間だと張り切る兄妹と裏腹に、ネスティの動きはにぶかった。亀以下だった。ごめん亀さん。
真っ先に駆け込むだろうと思ってたマグナとトリスは肩をすかされ、こうなったら、と、を巻き込み企てた。
レッツ強制連行。
で、現在にいたる。
ちなみには、先にその護人――アルディラに話をとおしてくれているはずだ。
もう少し進んだらあるという、扉の向こうにいるのだろう。
からあらかじめ聞いておいた道順と、この建物に入ってすぐ出逢ったトリスによく似た女の子――看護人形のクノン――からも教えてもらったとおりにやってきた彼らは、だが、
「……ネス、なんで行かないんだよ」
未だ何事か渋っているような、今こいつが動かなければ意味がないナンバーワンであるところのネスティによって、進行を停止していた。
ここまで来たら自力で動くだろう、との思惑は数十秒ほどの時間経過によって粉砕されている。
なにしろネスティときたら、その間中、弟妹弟子を怒った位置から動かずに、落ち着かない様子でマントを握りしめたままでいるのだから。
ラトリクスに足を踏み入れた最初のうちは、まだ、懐かしそうに辺りを見回したりなんてしてたのに。
「ほんとに、どうしたんだよ。まさか逢いたくないなんて云わないよな?」
「そうよ。逢ってみたいって、ネス、聖王都じゃそう云ってたじゃない」
「――」
兄妹がそう云いつのっても、やはり、兄弟子は進もうとしない。
「ネス〜」
「ネースー」
何度か名前を連呼しても同じ。
困った。
これじゃあ、とアルディラを待たせっぱなしになってしまう。
とりあえず自分たちのどちらかが、先に謝りに行っておくべきか。マグナとトリスは顔を見合わせた。
そこへ、
「……逢いたくないわけがない」
握りしめる対象を、いつしかマントから胸元の服へと移動させたネスティが、搾り出すようにそう云った。
「――」
その声音。
そして見上げたその表情。
「――」
長い、付き合いだ。
マグナとトリスにとっては、それこそ物心ついてからと云って等しいくらいに。
いや、そうでなくても、きっと。ならあっさり、ラウルならもっと早く、仮にまだ知り合った時期が遅い相手でも。判るだろう。
冷静沈着を常に心がけているはずだった彼の声は、震えていた。
まなざしは、熱を帯びていた。
「逢いたいさ」つむぐことばも、いつになく早口。「二度と目に出来ないと思った同族なんだ」
ひとり、またひとり。
ネスティに繋がるひとたちが見て、ネスティが今も受け継いでいる、それは、自分たちの種族が、同胞が、絶えていく光景。血の記憶。
あちらにはあちらの思いや煩悶があったのかもしれないが、それでも、ネスティの持つ絶望を、アルディラは継いでいない。
そっか。
マグナとトリスは、顔を見合わせ、にんまり笑う。
ネスティは、ライルの一族が派閥の監視下にあった状態で生まれたはず。ひとところに集まっていた同胞でなく、まったく別の環境下にあった同族と相対するのは、これが初めてなのだ。
「……つまり」
「ネスって」
続けようとした兄妹のことばの先を、ネスティが奪った。
「小さな子供になったみたいだ。嬉しくて喜ばしくて、でもどこか恥ずかしくて緊張もして――照れくさいというのが、一番近いんだろうが」
仏頂面も挙動不審も、そんな姿を隠すため。
だけどとうとう自制も難しくなったらしく、明後日を向きつつ手のひらで口を覆ってしまったネスティの肩を、マグナが平手でひっぱたく。
「それを先に云ってくれよ!」
云ってることは文句だが、顔はまるで、兄弟子の分まで請け負ったかのように笑っている。
体力勝負には弱いネスティが思わずよろめいたところを狙い、トリスがその腕をぐっとつかんだ。
「あのねネス、いいこと教えてあげる」
「い、いいこと?」
「そうそう、いいこと!」
前のめりになった兄弟子の背を、ぐいぐい、さっきまでのそれを彷彿とさせて再び押し出すマグナ。
「こういときはとりあえず」
「当たって砕ける勢いで!」
声をそろえた兄妹は、それまでのじりじり進行なんてどこへやら。赤い布めがけて突進する闘牛のような勢いで、扉の前まで全速力。
そんなふたりから連行された兄弟子は、あまりの勢いに目を白黒させてしまった。さっきのように、いい加減にしろなんて云う暇もないくらい。
でもって。
辿り着いた扉の前には、
「おそーい!!」
彼らが喧々轟々している間にも待ってくれていたんだろう、焦げ茶の髪した誰かさんが立っている。
腕を大きく振り回した彼女は、三人がある程度近づくまでそうしてから、ふっと扉を振り返った。
「アルディラさん、ネスティ来ましたよっ」
それで終わるかと思いきや、続けて曰く、
「もういい大人なんですから、いつまでも恥ずかしがってないで! ――ええ?」扉の向こうにいるのだろう、そのひとの声を聞き取らんと手のひらを耳に当て「どう云っていいのか判らない――?」
そんな会話を耳にした来訪者三人は、「……」と顔を見合わせた。
扉の前では、まだ、が向こうのひとを説得してる。
「初めましてでいいんですよ、初めまして、で! 他に何があるんですか!」
とゆーか貴方は見合い前の初心な乙女様ですか――!
実年齢と照らし合わせれば、サテライトビーム落とされても文句云えないだろうことを、扉越しに怒鳴る。
なんて彼女らがやってるうちに、マグナとトリスとネスティは、その真ん前に辿り着いた。
「あ、ごめんごめん」
困った、と顔に描いて、が後ろ頭に手を当てる。
「なんかね、この世界で他の融機人と逢うの初めてだからって、年甲斐もな――ぅひゃあ!」……あと一瞬のけぞるのが遅ければ、どこからともなくほとばしったレーザーは、その脳天を貫いていただろう。「――あーびっくりした。いやともあれそんなんで。逢いたいのは逢いたいんだけど、この分じゃ心の準備に百年はかかりそうな勢いで……」
どうやら、これまでも延々と、出るの出ないのやりとりしていたらしい。
顔を見合わせた三人を、はどう思ったのか。「どうし――」ようか、と、彼女がつづけようとした矢先、
「皆様、どうなさったのですか?」
「あ」
「さっきの」
来訪組が入口のところで遭遇した看護人形ことクノンが、足音も乱さず一定の速度でその場を訪れた。
三人を出迎えた後、それを追ってきたのだろう。
クノンは、他の機械類とは一線を隔していて、いわばアルディラの傍付のようなものらしい。主従というより、信頼と尊敬。だとか。
ともあれそのクノンは一度立ち止まり、客人たちに深々と一礼すると、迷いのない歩調で扉のすぐ傍に移動する。腕を持ち上げ、開閉スイッチに触れて――
「……」
「閉めだされちゃった。クノン、開けられる?」
ロック状態であることにいぶかしげな表情。その疑問はすぐさま、によって解消される。だが、つづけて投げられた問いに、クノンはかぶりを振った。
「……管理者権限によるロックです。メディカルルームならともかく、この建物内ではアルディラ様が最優先命令者となっていますから」
「無理、と」
「はい」
「……困ったもんだね」
「はい。困ったものです」
ふう、と肩をすくめあうふたりを傍目に、ちらり、ネスティを見るトリスとマグナ。
兄妹の視線に気づいた彼は、さっきまでの己の姿を思ってか、ぎこちない動作でそっぽを向いた。
と、そこへ語りかけるクノン。
「申し訳ありません。私も、お話を頂いてから再三進言させていただいているのですが、どう対応していいのか判らないとの一点張りで……」
「この世界で、同じ融機人と逢う日が来るなんて思わなかったから、予想外すぎて思考回路がショート寸前なんだってさ」
月の光には導かれてないけどね。
「そうか、それなら別の機会にでも――」
どこかほっとしたような、でもそれ以上に残念なような。そんな表情になったネスティが、ならば辞そうとわずかに足を引きつつ云いかけた。
「ネス! そんなこと云ってたら次いつになるか判らないだろっ!」
があっ、と怒鳴ってくらいつくマグナ。
つづくはトリスかと思われたが、応じたのはクノンだった。
「そのとおりです。アルディラ様もそうですが、ネスティ様も繊細であられるご様子。おふたりの邂逅は私としても果たしたい本望です。が、これでは後何年かかるか判ったものではありません」
「……見てたの? さっきの?」
「ええ。管理権現はありませんが、セキュリティカメラの動作は制限がかかっておりませんので」
「…………」
トリスが、向かい合う己のうりふたつさん(っぽい)を見る目が変わったかどうかは判らない。
そのうりふたつさんは、沈黙した己のうりふたつさんから視線を転じ、を見た。
「様――いえ、様」
「あ、うん?」
「あの日々。皆様や貴方を拝見していて、私も多くのことを学ばせていただきました」
「……そう?」
「はい」
レックスとかアティならともかく、あたしを見て何を学ぶものがあったんだろ。心底不思議に思ってるらしいの様子を意に介さず、クノンはことばをつづけた。
「このような状況において、どうすればよいか……これまでの学習を元に、私なりに判断いたしました」
「管理者権限横取りとか?」
それもありますが、と、淡々と応じるクノンを見るマグナとトリスは、間違いもなく唖然としている。ネスティは、さっきのあれを見られていたと知った時点で、とっくに頭を抱えていた。
だけが平然として、「ありますが?」と返している。
「仮にもハッキングを行なうわけですから、無用な手間と時間を要します。効率的ではありません」
「……じゃ、どうするんだ?」
なんとも云えぬ予感を覚えたマグナが、生唾を飲んで問いかけた。
クノンはそれに応えるように、軽く頭を上下させ、
「アルディラ様」
扉の向こう、己の主へと宣言した。
「様の前例に則り、障害であるこの扉をこれから破壊させていただきます」
「こらクノン!? あたしがいつ邪魔だからって破壊しようとした――っ!?」
絶叫するを見るクノンの目は、不思議そう。
「様の行いを拝見して導いた結論ですが?」
「だからどこがどうなってそういう話に!? ていうかみんなも何か云ってよ!?」
の叫びは、わりと悲痛だった。
そんな、大好きな彼女の嘆きを見ているのは忍びない。それは事実だ。だがしかし、人には出来ることと出来ないことがあるのである。
故にトリスとマグナとネスティは、
「「「……」」」
生ぬるい微笑ふたり、目を閉じてひとり、各々の思うところを沈黙によって表した。
「……ひどっ」
「では参ります」
がしょん。
金属質な音とともに、クノンの肘から先が変形する。
「って!? 何それ!?」
「簡易ガトリングガンです」
「淡々と云うな! なんでそんなもん装備してるのよ!?」
「なんとなくです」
それが何か?
「…………」
押し黙ってしまったの云いたいことを、三人も察する。
――なんとなくかよ。
身も蓋もなさすぎて、ツッコミが出てこないのだ。
氷点下の冷気が、ヒョオォ、と吹きかけたその矢先、だが、救いの女神は現れた。
「……クノン。もういいわ……」
さながらそれは、天岩戸から現れた天照神。
自動制御によって一定の速度で左右に開かれていく扉の向こうに立ち、忠実な(はずの)看護人形へ、指を額に押し当てたアルディラはそう云った。
主の姿を認めたクノンは、まず、深々と一礼。同時に、腕をガトリングとやらから普段のそれへと戻す。そうして何事もなかったかのように、来訪者たちを示して告げる。
「お客様です」
「……クノン、なんかいい性格になってない……?」
すっげえ胡乱げなの視線にも、彼女は動じない。
代わって、アルディラがため息ひとつ。
「学習要素の取捨選択ロジックに問題はなかったのだけど」
「検査したんですか」
「ええまあ……。でも、構造上の異常はまったくなかったわ」
「皆様を拝見していた結果です」
「「……」」
拝見されていたと思われるとアルディラは、なんとも云えない表情で互いを見やる。
だがすぐに、ふたりは我に返った。
「あ! そうだそうそう! アルディラさん、ネスティ連れてきてますって、ほら!」
心持ち前のめりになっていた姿勢をぱっと戻して云いたてるの声に刺激され、マグナとトリスも、ぐい、と兄弟子を前面に押し出した。
「今さらだけど、こんにちは! ネス一丁です!」
「お待たせしました、煮るなり焼くなりお好きにどうぞ!」
「ひとを豆腐扱いするんじゃないっ!」
兄弟子の異論など聴く耳持たぬふたりによって、ネスティはずりずりと前進する。
その正面へ、こちらはとクノンに押されたアルディラ。
はっきりと向かい合う形にさせられたふたりは、しばし視線を泳がせていたが――
……ややあって。とりあえず覚悟は決まったらしい。
まず、ネスティが、ひとつ息を飲んで姿勢を正した。
「……初めまして。ネスティ・ライルです」名乗る声は、どこか誇らしげ。「から話は聞いています。お目にかかれて、嬉しく思います」
「――ライル。リィンバウムへ亡命した一族ね」
復唱するそれは、懐かしげ。
「初めまして。私はアルディラ。家名は置いてきてしまったも同然だけれど――貴方と同じ、融機人よ」
にこりとアルディラが微笑み、
ええ、とネスティが頷く。
それでようやく、うっすらと残っていた硬い雰囲気も消え去った。
企み四人衆ことマグナとトリスととクノンは、顔を見合わせ肩の荷を下ろしたのである。
――それからどんなことがあったのか。は、改めて記すまでもないだろう。
ロレイラル話で盛り上がった融機人さんたちがしまいには機械語の夢と浪漫と愛しさと切なさと心強さについて語り出したときには、もうどうしようかと思ったりもしたが。
抗体を打たずとも平常の生活を営めるというネスティのことを、アルディラは素直に喜んでいた。主思いのクノンは、ちょっぴりネスティを解剖したそうだった。聖なる大樹の影響だという話になったら、今度はレイムと彼女についてあれこれ問いを発した看護人形さんは、とても職務熱心だ。
……でもきっと、ふたりの捕獲は難しかろう。捕まえてもたぶん無意味だろうし。
あとは普通に、世間話。
特にマグナたちが聞きたがったのは二十年前に島で起きた事件と、そこにいたのことだったのだが、とうの本人が自分の前で話すなと半泣きで拝んだのでお流れになった。
そんなこんなで、はじめのうちこそ頭を抱えかけたロレイラルの民の邂逅は、どうにか和やかに終了したのである。
――そして帰り際。
まだ話し足りないらしく、ネスティと会話をつづけているアルディラの傍ら、大人しく佇んでいるクノンに、こそっとが近寄った。
「ねえ」
「はい?」
眉をひそめて指さすは、とんでもない変形を見せたクノンの腕。
「正直危なくない? 暴発とかしたらクノンまでひどいことになると思うんだけど」
「――ああ」ご心配ありがとうございます。と、クノンは笑んだ。「ですが、問題ありません」
ほんのかすかにだけど、持ち上がってる口の端。嘘ではないその笑顔に、は首を傾げて先を促す。
そうして、微笑みを保ったままクノンは云った。
「出てくるのはゴム弾ですから」
「破壊できないよそれ!?」
さらりとぬかしてくれた彼女に、今度はトリスが突っ込んだ。
「ていうかアルディラさんが出てこなかったらどうしてたのさ!? いや、その前にアルディラさんそれ知ってたんじゃ……!?」
妹に覆い被さるようにして身を乗り出すマグナ。
そんな大声でやりとりしていれば、聞こえないわけもない。きゃんきゃん元気な弟妹弟子を呆れて見やるネスティの前、アルディラも苦笑してマグナたちを振り返る。
「だから云ったでしょう。検査してみたって」
――つまりそれは、検査しようと思わせるほどに、クノンのお茶目が際立ってきているということか。
「「……」」
なんとも云えぬ面持ちで顔を見合わせるマグナとトリス。ふたりより先に気を取り直したらしいが、「……あのさ」改まって問いかけた。
「さっきの繰り返しだけど。あれでアルディラさんが呆れて出てこなかったら、発射してたわけ?」
そんで極寒ブリザードを呼んでた?
「いえ」
だが、クノンはかぶりを振った。
「そう見せかけて、最近開発を終え装着したばかりのアイ・レーザーを」
「「「発射するなあぁぁぁッ!!!」」」
響き渡るツッコミ多重奏。
だがしかし。
“それを開発したのは誰なのか”――彼らがそこへ思い至るまでには、まだいささかばかり、時間を要することとなる。
その後しばらくマグナたちは、ネスティを見る目を変えたとか変えなかったとか。