……こんなことになるだろーな、とは、思ってた。
当たって欲しくない予想ほど、わりと当たるとも知っていた。
だけどやっぱり、これは心臓に悪いと思うんだ。
「……すごいのう」
「そう思うならどーにかしてください」
「無理じゃよ」
「こら」
「だって、ワシ、ただの霊体なんだよ?」
だってそれは、じゅーにぶんに知ってるじゃろ?
困ったように笑い、こちらを覗きこむ、姿だけは天使を模してるひとのことばに応え、は、
「そりゃそうですが……」
と、煮え切らない返答をしつつ、眼前の光景を見つめたのだった。
――本物天使と本物悪魔が睨み合う、その現場を。
アメルでも引っ張ってくればよかった。と、思う。
天使だった彼女で、なんとか中和出来ないものかな、と、そんなことを考えてはみたが、気づけばそれも無理な話。
なにしろ、傀儡戦争の最後で、アメルは天使としての力を殆ど放り出し、その在り様は人間のほうに近くなってしまった。彼女としては、なるべくしてなった、むしろそれで嬉しいとのことなのだが。
同時にネスティもいささかの影響を受けていたのだが、それは置いておこう。
――まあ、実際、アメルが天使として在ったとしても、そして、今この場にいたとしても。それで果たして現状の睨み合いを止められたかどうかは……かなり怪しいというものだ。
この場合、素直に、この現場にぶち当たってしまった己を恨むしかあるまい。
妙に達観したは、視線を、黒髪さん――マネマネ師匠から正面へ戻した。
「何もしねぇっつってんだろが。大人しくしてりゃいいんだよ、バカ天使」
「戯言を……さんの護りはともかくとして、悪魔王たる貴様を警戒せずにいられるわけがない」
それは、天使としての本能なのだろうか。
となると、バルレルも?
到着早々続くにらみ合い、硬直は、すでに十分を突破しようとしていた。
ちなみに、今のセリフでも判るように、バルレルは基本的に譲歩(?)しようとしているようなのだ。フレイズが頑ななだけで。
「やれ、青臭い愚弟ですまんのう」
ふよふよ。
やはり、所在無く漂う黒髪さんが、そう云った。
「のう、フレイズ。ファリエルは了解出しとったろ。魔公子だってこう云ってるんだし、ちったぁ殺気を弛めんかい」
「無理です」
おのれ即答か。
口元引きつらせただったが、つづくフレイズのことばに、吐き出しかけたことばをそのまま飲み込んだ。
「――未熟ですよ。私は」
たしかに、悪魔に対する嫌悪は生まれついてのもの、消すことも出来ないのは承知の上。
「魔公子が虚言を弄しているのでないのは判ります。ですが、彼の力は私にとって強大過ぎる。慄かずにいられないのです」
結果、それに対抗するために気を張り、あまつさえ殺気までかもしだしてしまうのだと。
自分でもどうしようもないのだと、そんな苦渋のにじむフレイズのことばに、とマネマネ師匠は顔を見合わせる。
そしてバルレルは、
「ケッ」
と舌打ちひとつ。
「へーへー判ったよ。じゃあ抑えときゃいいんだろ」
などと云い放ち、額に指を押し当てて目を閉じた。
何をしているんだろう、と、その行動の意味が読み取れないは疑問符を浮かべ、逆に、読み取ったらしいフレイズとマネマネ師匠は、心なし目を丸くしていた。
そうして、ものの数秒もしないうちだった。
「あ」
ふっ、と。
バルレルとフレイズの間に生じていた空気の重圧が、軽くなる。
「これでいいか?」
「あ――……は、はい」
力が抜けた反動か、無意識に胸元へ手のひらを当てたフレイズが、まだ驚きの残る表情で頷いた。
「たく。これだから、ケツの青いヤツは面倒なんだっつの」
「いやいや、感謝感謝。うちのみんなも、これなら大丈夫じゃろ」
苦い顔してそっぽ向くバルレルへ、師匠がにこにこ笑って話しかける。
力無断拝借でどつかれるかも、なんて怯えてたのはどこ行ったのか。ただの振りだったのか、それとも、何気に見せられた気遣いで安心したのか。いやいや、マネマネ師匠って元々気にしない人なのか。
――どれでもありそうだ。
「じゃあな」
「え、バルレル!?」
「うっせ。少しは解放しやがれ。オレだって疲れてんだ」
ばっさばっさと羽音を響かせ、晴れて入場の許可を得たバルレルは、高みからたちを見下ろしながらそう云った。
憎まれ口ではあるのだけれど、不思議と、口調に刺はない。
そうだ、さっきだって、どうしてあんなにあっさり、フレイズに譲歩してやったのか――
「バルレル、やっぱり……」
「……いつかは帰るけどな。たまにゃ、羽休めもいいだろ」
狂嵐の魔公子。
数百、数千年を生きる悪魔王。
だからといって、数年が短いだなんていうことは、けして、ないのだろう。
今は遠い、界の向こう。門の彼方となった故郷。
「じゃーな。トリスにゃテキトーに云っとけ。どうせ心配しねえだろけど」
「はいはい」
すう、と、漂う霊気を吸い込んで、バルレルは身を翻した。
遠ざかる小柄な背中を見送って、フレイズが、ぽつり、つぶやいた。
「……皆、同じなのですね」
だな、と、マネマネ師匠が頷いた。
故郷を離れて門をくぐり、今リィンバウムで暮らす彼ら。
それでも自らの在る場所を、大切に過ごしている彼ら。
「……少し」
「ん?」
覗き込むマネマネ師匠から視線を逸らしたフレイズの頬は、少し赤かった。
「少し。悪魔でも、忌避のみでは終われないと。思いました」
「そっか」
「はい」
ぽんぽん、と。
頭をたたく兄の手を、弟は拒否しなかった。