別に隠すことでもないが、風雷の郷は、のどかで平和な田舎村、という感じである。
もちろんそれはにとっての感覚であって、郷のひとたちにしてみれば、もしかしたら一国一城にも匹敵する立派な界隈なのかもしれない。
だが。
山に囲まれた盆地。
「まあ……」
田にたなびく稲穂。
「おおー……」
点在するわらぶき屋根の家。
「ふわー……」
道往く着物姿のひとびと。
「へえ……」
感激や感嘆といった意の声をあげている四人を、傍らの四人は、何がなにやら判らない表情で見やっている。
それもそうだ。
声をあげた四人は誓約者。
見ている四人は護界召喚師。
後者はリィンバウム純粋培養だという事実に対し、前者の彼らは――云うまでもあるまいが、と同じ、名も無き世界の出身である。
「完っ璧、日本の田舎って感じ――……!」
胸の前で手を組み合わせるという、普段ならアヤの十八番であるポーズでもって瞳を潤ませ、ナツミが云った。
「そうですねっ、……本当に、懐かしいです……!」
祈りのポーズ本家であるアヤもまた、感極まった声で応じている。
「ばあちゃんちの田舎、思い出すなあ……!」
手のひらでひさしをつくり、郷全体を眺めようと目をこらしながら、ハヤト。
トウヤも冷静を装っているようだが、意識せぬうちに持ち上がった口の端が、他三人と似たりよったりの気持ちなんだろうことをうかがわせた。
周囲の空気をきらきらさせている誓約者四人を、なんとも所在無い様子で眺めていた護界召喚師たちは、どうしたものかと顔を見合わせている。
ややあって、ソルが、ぽつりとに囁いた。
「……俺たち、外しておこうか?」
「問題ないです。見えてないですから」
が親指立てて応じると、カシスがちょっぴり膨れっ面。
「だから、それがさみしいんだよっ」
「……たまには、いいんじゃないか?」
「そうですよ。故郷には帰れないって、彼らもずっと思ってたんですし」
キールとクラレットになだめられて、カシスも少し気持ちをたてなおしたらしいが、それでもやっぱり、ほったらかされてるという感が否めないらしい。
まあ、なんだかんだでこの八人、仲良しだし。
誓約者と護界召喚師。
現代における奇跡の具現。
そんな人らがこんな調子だなんて、世界の誰が思うだろう。
「ところで」、
さらに話を切り替えようとしてか、キールがを振り返る。
「迎えのひと、というのは……まだなのかい?」
「いえ、もうそろそろ約束した頃合いですよ」
先ほどのハヤトと同じく手をひさしにして、は答えた。
目的地ははっきりしてるわけだし、自分たちで行っても別にいいんだろうけど、そこの持ち主が持ち主だ。
郷のまとめ役こと、鬼姫様。
彼女の御殿が、今回の訪問先なのである。
ゆえに――
「あ!」
「いらっしゃいましたよ!」
眼下の道を、まだかまだかと見つめていたハヤトとアヤが、ぱっ、と。やってくる人影を見つけ、指し示してそう云った。
声音だけでも判る歓迎っぷりに、郷の入口目指して歩いてきた鬼忍ことキュウマは、灰色の髪揺らし、困惑交じりの笑みを浮かべて軽く一礼。そのまま一行の眼前までやってくると、また頭を下げた。
「すみません、お待たせいたしましたか?」
顔見知りだという理由だろう、視線はへ向いている。
「全然。あたしたちが早すぎただけですから、ご心配なく」
「そうですか。それではお互い様ですね」
「はは、なかなか仰いますね」
やはり気分が高揚してるらしい。珍しく相好を崩したトウヤが、そう、からかうようにキュウマへ云った。
そんな初対面の彼らはともかくだが、は少し驚いていたりする。
堅物生真面目一直線、という印象が強かったキュウマが、こんなふうに冗談を云って笑ったりするのは、正直、かなり意外だった。やはり、二十年という時間のせいだろうか。
じっと自分を見つめる視線に気づき、キュウマがもう一度を見やる。
「それでは参りましょう。ミスミ様もお待ちかねです」
の記憶にある最初のそれより、もっとずっと親しみをこめて、彼は一行をいざなった。
来年のことを云うと鬼が笑うという。
名も無き世界でのことわざだが、あまりに遠い話をしてもばからしいという意味だそうだ。
だが今、鬼姫がころころと笑い転げているのは、けして、来年の話をされたからではないし、ましてや箸が転げたからというわけでもない。
キュウマが苦笑しているのも、同じ理由だ。
無理もない。
十数人なら無理なく入れる和室に十数人が居り、うちの半数が箸よろしくころころころころ転げているありさまなのだから。
あまつさえ、挨拶もそこそこに、なんだか既視感を覚えつつあったミスミが「転がるなら転がってよいのじゃぞ」などと許可を出したとたん、わき目もふらず畳に飛び込んだなんて光景までもがあったのだから。
いやもうなんというか。
ここが海の上ならば、審査員総勢文句なしの十点満点を叩き出せそうな見事さだった。
演目『畳に転がる箸』。
――さておき。ここで、有志による箸軍団への特別インタビューをお披露目しよう。
「……ハヤト……そんなに気持ちいいんですか?」
「もちろん! 俺、今、生きててよかったって心底思ってる!!」
「グラムスさんに引っ立ててかれたままにならなくて、本ッ当によかった――!」
グラムスって誰だ。と、鬼姫と鬼忍は思ったとか。
感涙にむせぶハヤトとナツミに触発されたか、同じように転がっていたアヤが、
「なんだか、夢みたいです……」
本当に、今にも意識ふっ飛ばしそうな桃源郷心地の表情でつぶやいた。
でもって。
さすがにやらないだろうとでさえ思っていたというのに、そんな予想をすっ飛ばし、他の面々のように転がりまくったりはしていないものの、突っ伏したまま微動だにしないでいるそれはそれでちょっと怖い気のするトウヤが、くぐもった声でぽつり。
「僕はこの先何が起こっても、この島、いや、この郷だけは守ると誓うよ」
「ピンポイントなエコヒイキはやめろ」
誓約者の問題発言をたしなめるべく振るわれた張り手が、トウヤの後頭部で景気のいい音を響かせた。
二十年前、赤い髪の誰かさんのおかげでちょっとは耐性を養っておけたらしいキュウマが、やっぱり苦笑したまま口を開く。
「それにしても壮観ですね」
「ふふ。皆、本当に故郷を愛しておるのだろう」
「ですねー。あたしもあっちの世界のことはずっと忘れてませんしー」
楽しそうに云うミスミのことばに応えるは、誓約者と同じく箸演技続行中のである。
まあ、わりと、にとってはそう遠くない先日に散々転がさせられてもらった分もあって、傍らで交わされる会話に反応するだけの余裕もあるというわけだ。
そうじゃな、と微笑んでくれるミスミから視線を転じ、幼馴染みとその友人達を、ちらり。見やると、視線に気づいた幾人かは、同意を示すように笑ってくれた。
もう帰れない故郷。
もう逢えない人たち。――家族。友人。幾多の繋がり。
置いてきてしまった人たちを、それでも。
「――ああ」
「ずっと、好きだよ」
遠い遠い、故郷を想う。
――しあわせで、いてね。
かつて、ひとつの魂が、ひとつの魂と。出逢い、手を取り合って、その世界へと生まれたように。
この身も声も、至ることあたわずとも。
だから、届け。世界を越えて。
わたしたちは、わたしたちのうまれたせかいのしあわせを、とおいここから、いのってる。
……しばらくの間、ミスミもキュウマも黙して、転がる箸たちを見守っていた。
ソルにキール、カシスとクラレットも、退屈そうに、でも時折、物珍しそうに、自分たちの座する畳を撫でてみたりしながら、黙って眺めていた。
箸が転がり飽き、畳にへばりついて動かなくなっても、しょうがないなと笑うくらい。ついでに、あわや箸どもの手や足が当たりかけたお茶を避難させたりもしつつ。
で、取り残された形になる彼らは、自然、会話を始めていた。
「……ふむ、なるほど。オルドレイクめ、まさに外道よな」
なんとも渋い表情になって、腕を組んだミスミが唸る。
後付けで訪れた客人たちの素性を彼女は問い、それに対して返された答え、また、手短に告げられた幾つかの補足に対してのものだ。
ちなみに、セルボルトという家名が出た時点で、ふたりの周囲にあった空気がすーっと冷え切っていったのはまさに見物だった。誓約者たち――特にハヤトとトウヤが畳に囚われている今、もしもキュウマの刀が抜かれていたら、この部屋はきっと朱に染まっていただろう。
だがしかし、ふたりは動かず、その先を促した。
それは、郷を束ねる彼らが“”と親しみこめて呼んでいた、今は“”である転げ箸への信頼によるものであることを、セルボルトのきょうだいたちもうっすらとは察することが出来た。
もっとも、逆もある。
彼らが、ここに在る誓約者について語ろうと思ったのも、やはり、掛け橋ともいえるの存在によるのだから。
「無色の派閥――いったいどのような理由でもって、あのような輩たちは存在するのか……」
苦々しい表情で、キュウマがつぶやいた。
かつて島を作った一団は滅び、舞い戻ってきた一団も撃退された。そしてそれを率いていた男、オルドレイクは、数年前に己の子によって殺されている。
だがそれは、無色の派閥の力が減じたというだけであり、かの組織自体が消え去ったというわけではないのだ。
「幸いにも、この島はそのくびきを逃れたが」
二十年前を思い、ふと遠くを見やるミスミの目。
「……やれ、人の世在る限り、あのような者たちが跋扈するはいたしかたないというのか」
「仕方がない――」
悔しがるでもなく、嘆くでもなく、淡々とキールが応じた。
「いや、きっと当然のことなんだろう」
と。
諦めでもなく、嘆きでもなく、それは在るべきものなのだと。
人が善意だけで人たりえぬように。
人が悪意だけで人たりえぬように。
「きっと」、
善のみは善にあらず、悪のみは悪にあらず。
「彼らが突出したからこそ、エルゴの王……その次代が現れたんだよ」
魔王復活を目論んだ無色の派閥。
望みのために世界を壊そうとした悪魔。
すべてを飲み込もうとした否定するもの。
誓約者。
超律者。
継承者。
この島に、今は集った現代の奇跡。
天秤を保つ、そのちから。どこから、なにから、生まれてるのか。
……少しばかりの間をおいて、
「そうじゃな」
ミスミがやわらかく微笑んだときだった。
「……あー……お日様に少し焦がれたっぽいにおいもまた格別……」
「あっ、ナツミちゃんずるいです、わたしも……」
「わーい、日当りナンバーワンポイントいただきー」
「「あー!?」」
「ハヤト、そこどいてくれないか。こっちは日陰なんだ」
「えー、いいだろ、もう少ししたら日も傾くしさ」
「待っていられるわけないだろ、そんなの」
箸どもが再び動き出し、交わし始めた会話は、なんとものんびりまったりと、うららかな日の光に負けず劣らず、てな感じのもの。
ミスミとキュウマ、そして護界召喚師たちは、「……」と顔を見合わせる。
絶対にあいつら、こっちの会話なんて聞いてなかったよな。
そんな呆れが半分と、故にか、何故にか、胸に去来する彼らへの頼もしさが半分と。
「さて、と」
傾く以前に、まだまだ中天にまで昇りきってもいない太陽の光をたしかめて、ミスミがすっくと立ち上がる。
どうしたのかと目で問うキュウマに応えて曰く、
「スバルも帰ってくる頃じゃ。腹を空かせたお子たちにひとつ、わらわが腕を揮うてやろう」
「わ! ほんとですか!」
なんでそういうのは聞こえるのか。真っ先に、が身を起こす。
彼女の歓声につられるようにして、箸たたちは、ひとり、またひとり、と、次々に人間へ立ち戻る。
「現金だな、おまえたち……」
呆れきったソルのつぶやきもどこへやら、
「やったあ! あのねアヤ姉ちゃん、ミスミ様の料理、すっごい美味しいんだよ! っていうか和食だから和食! 完膚なきまでに和食!」
『和食!!!』
疑問符さえないおうむ返しは、瞬間、御殿を震わせたという。
思わず硬直したキュウマの傍らで、豪胆な主はころころと、軽やかな笑い声をたてていた。
そうして食卓に並んだ彩りも鮮やかな料理のなかには、いかにも不恰好な肉じゃがや和えものなんかが、ちょこちょこと紛れていたのだった。
気にせず美味しくいただく面々のなか、数名の指に巻かれたばんそうこうは、きっと、名誉の負傷なのである。
……今日も郷は日本晴れ。