【そして忘れられた島で】

- 召喚石 -



「――なんと」
「はあ」

 手渡された剣をしげしげと眺めたヤードは、の生返事も聞こえているのかいないのか、ただそれだけつぶやいた。
 それからはじっと剣を凝視し、考え込むことたぶん数分。
 黙って見守っていたを振り返った彼の目は、どこか悪戯心に輝いていた。
「……この状態でも、召喚術は成り立つのでしょうか?」
「やってみます?」
「ええ」
 さすがヤードさん、根っからの先生、研究者肌。
 それからちょっぴり、お茶目も手に入れた様子であった。

 ちなみに、こんな状況となるまでの経緯はいたって簡単、単純明快。
 ヤードが現在、島で先生をしているとかいう世間話から始まって、あっち飛びこっち飛びした話の方向が、そのうちに、の召喚石はどうしてるのかというところへ着いた。
 そういえば説明してなかったな、と気づいた、碧の賢帝が折れたとき修復のために集めたサモナイト石のなかに、ヤードが落としたらしいくだんの召喚石があったことと、それが一緒くたに溶かされて剣に精製されたことを彼に告げた。ついでに、ぐるりと時間をかっ飛んで入手することになったからくりも。
 改めて話すのも妙な感じだったのだが、この白い剣の経歴ってわりとおかしい。
 二十年前に精錬されたとき、素直に“どこかの”が受け取っておけばよかったのだろうが、“この”は辞退せざるを得なかった。なにしろ、すでに所持していたのだ。
 ――サイジェントで、とうのウィゼルから預かって。
 つまり、この剣は精製されたのち二十年ほどウィゼルが所持し、サイジェントでに渡され、二十年前己が発祥した地で大活躍し己の誕生を通り過ぎて二十年後に戻り現在に至る。
 なんつー経歴だ。と、他人(剣だが)のことを云えないは思う。

 ヤードが、剣を両手に戴いて目を閉じる。精神集中――淡く立ち上る菫色の光。
「古き英知の術によりて、今ここに、汝の訪れを求めん」
 改めてとりなおした彼我の距離は、おおよそ五十メートル。間には、いくつかの茂みと立木が少々。
 仮にが悪戯心起こしたとて、一気に飛び越えられる距離ではない。
 ――風に乗って、記憶とそう違わぬヤードの声が、心地好く耳へと届けられる。
「……誓約に応えよ……!」
「あ」
 ふうわりと。
 優しく、光がを包んだ。
 またたき一度。時間は一瞬。
 瞬時に訪れた浮遊感は、やはり瞬時に消え去って、それと同時に、はヤードの数十センチ手前の地面に移動していた。
 とん。
 ほんの僅か浮いていた足が、地面を叩く軽い音。そして衝撃。燐光の残滓は、その動作で霧散する。
「へえ……、まだ有効だったのねえ」
 それまで黙して見守っていたスカーレルが、感心したようにそう云った。
「姿が変わっても、召喚石は召喚石、ですか」
「ま、あの鍛冶師サマの腕前に依るところも大きいんでしょうけど」
 同じく、やはり確率としては半々くらいだろうと思ってたらしいヤードが、改めて剣を見つめなおす。
 その手元を、近寄っていったスカーレルが覗き込む。
「……」
 しっかし。
 島にすっかり住み着いてるっぽいヤードはともかく、スカーレル。ふたりの並ぶ姿が、の記憶と殆ど変わらないというのは、どう思ったものなのやら。
 スカーレル曰く若作りではないらしいし、となると、たいていの人が云ってるように、島の影響が残ってると考えるのが正しいのだろう。に関しては、もともとの時間がズレてるからとかで、それも薄いというのだが――
 実際。
 ほんとのとこ、そのへんどうなのかは、あと何年かしないと判らない。
 楽しみであるような、いささか不安でもあるような。
 もっとも、スカーレルをはじめ、カイルたちやアズリア。そういうのを些細な問題以下としてとらえてる人たちを見てると、どうでもよくなってくるのはまた事実。
「でもこうなると、もう誰も、を召喚出来ないわね」
 ふっと視線を持ち上げて、スカーレルが笑った。
「ダブルブッキングだっけ? そういう心配も、要らないわけよね?」
「はい」
「そうなりますね」
 ヤードが頷いて、剣をに手渡した。
 召喚の礎はここにある。
 形は違えど、この剣はたしかに、という名前を刻まれた召喚石でもあるのだから。
 ……もし、他の誓約済み召喚石とか混ざってて、なおかつそっちがベクトル多く持って行ってたら、とか考えると、ちょっぴりぞっとする。
 でもそれは、“もし”でしかないのであって。
 今ここに、はちゃんと立っている。

「……まあ正直、いちばん最初にあたしがリィンバウムに来た理由、ってのがいまいち謎のままなんですけどねー」

 ぽろりとそんな本音をこぼしたら、スカーレルが、「謎のひとつやふたつあったほうが、人生はおもしろいわよ」と、諭してるのかけしかけてるのか、微妙なフォロー。
 それを笑いながら聞くの腰で、数年前にどこかの誰かが輝かせた短剣が、きらりと一度輝いていた。